洋上にて
「錨揚げ急げ」
「昇降口閉じろ」
「前方安全確認」
「戦闘員は第二戦闘配置にて待機」
「シュクル陛下」
「大丈夫だ」
シュクルは船尾甲板から臣民に手を振り、ファリランダ半島が水平線に沈むまで、見つめ続けた。空は何処までも青く。船のマストを兼ねる煙突のマックからは白い煙が立ち昇っていた。艦隊は、まだ少し波の荒いバリスト海を進む。編成はアルメルト級客船三隻を中央に、高速巡洋艦六隻の計九隻で、輪形陣を形成していた。
「沈んで、仕舞ったわ」
シュクルは手元の望遠鏡を下していった。
「シュクル陛下、そろそろ船内にお戻りください。ここは海風が強く、お体に障ります」
「そうね。ありがとう」
シュクルはそう言うと、脱力する。
「陛下?」
「大丈夫。少し休めば治るわ」
手すりに寄り掛かるシュクルを近衛隊が護衛する。
「陛下は無理を為さっているのです。暫し休養を」
「そうさせてもら」
「急襲」
不意に鳴り響くサイレン。シュクルは伏させられ、近衛隊の体が覆う。
「艦載機か?」
「機関銃掃射だ」
「伏せろ」
甲板に悲鳴が満ちる。機関銃の音がシュクルの元へ近づく。
「陛下。早くこちらへ」
リューヌがシュクルの手を引き、近衛隊がその背中を守る。シュクル達が船内に飛び込むと同時に、先までいた甲板に無数の銃痕が残された。
「陛下、お怪我は?」
「だっ大丈夫。皆に怪我は無い?」
「エミリさんが……」
「エミリが? どうしたの?」
隊員の声に振り向くシュクル。その視界で一つの影が倒れた。
シュクルは倒れた影の元へ寄る。そこには胸元を血で染めたエミリが倒れていた。
「急ぎ医務室へ行く。急げ」
シュクルは目の色を変え叫ぶ。
「陛下、船橋へ向かいませんと指示が出せません。陛下は船橋へお急ぎください」
「……っ……分かった。私は船橋へ向かう。カラサワ、エミリを頼む」
「了解」
「ルミエール、行くぞ」
「はい」
シュクルは船内を通り、船橋へ向かう。
移動中。船が何かの衝撃に揺さぶられる。
「シュクル陛下」
船長席に座るシキノブ提督が顔を向ける。
「状況は?」
シュクルが問う。
「はい。神聖義勇軍による待ち伏せです。高速巡洋艦二隻が魚雷攻撃にあい、炎上中。飛来した艦載機は対空砲にて三機撃墜、五機が逃走致しました」
「敵の位置は? 炎上中の巡洋艦は航行可能か?」
「艦載機の飛び去った方向と魚雷の軌跡から、九時の方角と考えられますが、詳細な位置は不明。炎上中の巡洋艦は一隻航行不能。もう一隻も最大船速は出せません。如何いたしますか?」
シキノブがシュクルを見つめる。
「……炎上艦二隻を除き、全艦最大船速で現海域離脱。ヨークスへ現海域への救護を要請。炎上艦乗員は全員退艦。急げ」
「はい」
連絡兵がモールスを打つ。
シュクルは艦橋後部から物見台に上がると、望遠鏡片手に後方へ消え去る巡洋艦を見つめ、拳を強く握り締めた。
「軍医、エミリは?」
「銃弾は体を貫通しておりました。間一髪心臓は無事でしたが、流血が多く、傷口からの合併症も心配されます」
「そうか……ご苦労だった」
「何かございましたら、内線でお知らせください。失礼します」
初老の軍医は退室する。
部屋にはシュクルと、ルリエ、リューヌ、近衛隊員の代表が詰めていた。
『……私にとって、エミリは家族。これぐらい……して当然』
シュクルはそう言い、自分のベッドと部屋をエミリに供し、執務室をエミリの病室としていた。避難民に満ちた船内では、病室の確保は難しかった。シュクルはベッドの横に置いた椅子に座り、エミリの手を握る。
「皆も私の所為で危険な目に遭わせてしまった。すまない」
シュクルが頭を垂れる。リューヌは穏やかな声で言った。
「先ほどのことは我々も不注意でした。しかし今、エミリさんはこうして生きているわけですし、全ての責任が陛下に在る訳ではありません。陛下も先ほどの英断、ご苦労様でした」
シュクルは体を震わせる。結局あの後、燃える二隻の艦艇は再び敵の魚雷を受け、沈んだ。生存者は乗員の半数にも満たなかった。
「少し、一人にしてもらえる? 定刻までには、船橋へ上がるわ」
「了解致しました」
シュクルは部屋で一人、静かに涙を零す。
「私に君主は……向いてない」
「……そ……こと、……ません……」
エミリが目を閉じたまま、か細い声で言った。
「エミリ?」
「……様は……これから……」
「エミリ、目を覚ましてよかったわ」
「……私……かま……下さい……」
エミリはそう呟き、再び眠りに落ちる。
「ありがとう。ごめんね」
シュクルは静かに微笑み、エミリの手を温めた。
「陛下?」
リューヌが声を上げる。
「異常は無いか?」
「ございません。あの、エミリさんは」
「大丈夫。意識は取り戻した。心配はいらない」
「それは安堵致しました」
「ところで進路変更をしたそうだが、後何日ほどでリソレイユに着くか?」
「はい。潜水艦を避け、比較的浅い海域を進みます。順調にいけばリソレイユまで後四日程かと」
「そうか……」
シュクルは司令席の隣に置かれた貴賓席かに座る。そしてふと、小さな声でリューヌに囁く。
「私はまだまだ半人前。まだ君主としての器を持ち得ていない。私には父上のように兵と共に戦かう威厳を持ち合えず、歴代皇帝就任時の様な実績も戦歴もない。こんな私の下で、リューヌは何時まで私の傍に居てくれるの?」
「何時までも、傍にございます。私は未来永劫の陛下補佐官でございますから」
「帝位は欲しくないの?」
シュクルは微笑む。摂関が王を殺し、政権を掌握することは、歴史上。よくあることだった。
リューヌは軽く目を瞑り言った。
「帝位を得たところで、私の願望は満たされません」
「帝位に勝る貴方の願望は何?」
「それは……」
「補佐官。リリー隊員がお待ちです」
「分かった。陛下、それでは失礼致します」
伝令兵を引き連れ堂々と立ち去るリューヌの背を見て、シュクルは小さくため息を吐いた。
私は帝位を投げ出さない。例え女であろうと、私が皆を守らねば。
シュクルはそう胸で呟くと、紅の空を瞳に映した。




