第1話 花嫁と虎
序 九年前
宴は長かった。
レツは、ゲン将軍の背後に控えて、広間の灯りを数えていた。十九の若い武官には、王宮の宴で口にしてよいものも、見てよいものも、ほとんどない。
それでも、上座の小さな姫だけは、目に入った。
八つだと聞いていた。将軍の姪にあたる姫で、名をシュリンという。
姫は、一度も間違えなかった。杯が掲げられるたびに袖をそろえて礼をし、料理には箸を一度だけつけて、置いた。
一度も笑わなかった。
ゲン将軍が席を立って、姫の頭に手を置いたときだけ、その肩がほんの少しだけ下がった。
宴が果てたあと、レツは奥庭の見回りに回された。
池をめぐった先に、虎の囲いがある。この国、セイランの守り神として飼われている、年寄りの虎だ。昼でもほとんど動かない。
その囲いの前に、姫がいた。
絹の衣のまま、土に膝をついていた。格子のすぐ向こうに、虎が寝そべっている。姫は格子に額をつけるようにして、何か話していた。
「……でね、今日は、一度も間違えなかったの。叔父上が褒めてくださったわ。明日から北へ行くんですって。魔物を退治しに」
虎は、片目だけ開けて、姫を見ていた。
レツの足が、砂利を鳴らした。
姫が振りむいた。
立ちあがって、衣の裾をはらった。膝に土がついていた。それを隠すように袖をそろえて、背筋をのばした。さっきまで広間にいた、笑わない姫の顔に戻っていた。
ただ、唇が、かすかにふるえていた。
叱られると思っているのだ、とレツは気づいた。
何か言わなければ、と思った。
——お楽になさいませ。
下っ端の武官が、王女に言う言葉ではない。
——お可哀想に。
もっと言えない。
——夜風は体に障ります。お部屋へ。
それを言えば、この子はまた、あの広間に戻る。
浮かんだ言葉を、レツはひとつずつ捨てた。捨てるものがなくなって、黙った。
それから、姫に背を向けた。
「……私は、虎を見張っております」
池のほうを見たまま、言った。
「虎のほかは、何も見ておりません」
しばらく、背中のうしろは静かだった。
やがて、小さな音がした。
息がこぼれるような音だった。それから、くすくすと、こらえきれない声になった。
レツは振りむかなかった。
姫はまた虎に話しかけはじめた。さっきより、ずっと子どもらしい声だった。侍女の灯りが渡り廊下に見えるまで、レツは池のほうを向いて立っていた。
翌朝、ゲン将軍の軍は北へ発った。
その遠征から、レツは帰らなかった。
*
冠が重い。
輿が揺れるたびに、額の上で金の房がしゃらしゃらと鳴った。
シュリンは、帯の上から、そっと小袋を押さえた。
なかには、金のかんざしが三本入っている。冠を留めるかんざしのうち、侍女の目を盗んで抜いておいたものだ。一本売れば、馬が一頭買える。
逃げるための、路銀だった。
輿の窓には薄絹が垂れていた。外は夕暮れの峠道で、右手は岩壁、左手は深い谷だった。
護衛の兵は、二十人あまり。セイランを攻め落とした軍の兵と、降ってその軍に組みこまれた、もとセイランの兵とが混じっている。
それに、雇われの用心棒が三人。
この峠には魔物が出る。だから麓の町で、腕の立つ者を雇ったのだという。
三人のうち二人は、昼の休みのあいだじゅう、輿のまわりをうろうろしていた。シュリンが水をもらうために薄絹を上げたとき、二人とも首をのばして、花嫁の顔をのぞきこんだ。
三人めだけが、見なかった。
無精ひげの、くたびれた旅装の男だった。岩の上に寝そべって、饅頭をかじっていた。薄絹が上がったとき、男はちらりともこちらを見ずに、山のほうへ大あくびをした。
それがなぜか、シュリンの目に残っていた。
外で、兵たちの声がした。
「あの用心棒、昼寝ばっかりしてやがる」
「腕は確かだって話だぞ。麓の町で、魔物を素手でのしたとか」
「素手で?」
「噂だよ、噂」
今夜の宿営は、谷底の渡し場だという。川原なら、暗がりにまぎれて下流へ走れる。輿を降りるとき、この冠さえすぐに外れれば。
シュリンは膝の上で手を組んだ。十七の花嫁の手は、冷たかった。
花嫁の衣は赤い。袖にも裾にも金糸で鳳凰が縫いとってあり、重さは鎧と変わらない。一年前、城が落ちた夜に着ていた寝間着のほうが、よほど走りやすかった。
この輿が着く先には、その城を落とした男がいる。
ゴウ将軍。
明後日、シュリンはその男の妻になることになっていた。
*
最初に騒いだのは、馬だった。
隊長の馬が前足を突っぱって、いなないた。輿がぐらりと傾いて、担ぎ手が悪態をついた。
「どうした?」
「上だ! 岩の上!」
シュリンは薄絹を押しあけた。
岩壁の上に、灰色のものがいくつも並んでいた。
人ほどの背丈があった。猿に似ていたが、腕が地面に届くほど長く、顔のほとんどが目だった。口は、喉もとに裂け目のようにあるだけだった。その裂け目が、いっせいに甲高く鳴いた。
「魔物だ!」
灰色の群れが、岩壁を滑りおりてきた。
兵たちは槍を並べた。逃げだす者はいなかった。最初の一匹を、三本の槍がまとめて串刺しにした。
「おっと、来なすった」
のんびりした声がした。
あの無精ひげの男が、岩から飛びおりたところだった。饅頭の残りを口に放りこんで、腰の剣を抜いた。刃こぼれだらけの、安そうな剣だった。
槍の列の端が崩れかけた隙間へ、男はふらりと入った。
飛びかかってきた魔物を、ひょいとかわした。かわしざまに、横っ腹を蹴りとばした。魔物はくるくる回って、谷へ落ちていった。
「坊主、槍は振りまわすもんじゃねえ。突くんだ、突く」
隣の若い兵に言いながら、男は次の一匹を斬り伏せた。
シュリンは、薄絹の隙間から目が離せなかった。
男の目が、光っていた。
夕日のせいではなかった。瞳が、金色に変わっていた。
魔物は次から次へと降ってきた。槍の隙間をすり抜け、長い腕で兵を引き倒す。悲鳴があがった。
男が、首をこきりと鳴らした。
「しょうがねえなあ。ちょっとだけだぞ」
男の袖が、内側から裂けた。
むきだしになった腕に、黒い縞が走った。腕がひとまわり太くなった。にやりと笑った口もとから、白い牙がのぞいた。無精ひげの頭から、丸い耳がぴょこりと立った。
虎の耳だった。
男が地を蹴った。
速かった。剣が一閃するたびに、灰色の魔物が二匹ずつ転がった。素手で一匹の首根っこをつかみ、別の一匹に叩きつけた。三匹がまとめて岩壁にめりこんだ。
兵たちが、口をあけて見ていた。
「なんだ、あれ……」
「素手でのしたって、ほんとだったのか」
輿の担ぎ手が、担ぎ棒を放りだして逃げた。後ろについていた侍女たちも、悲鳴をあげて一緒に逃げていった。
輿が地面に落ちた。シュリンは壁に肩を打ちつけた。
輿の屋根が、めりめりと音をたてて裂けた。
裂け目から、灰色の腕が突っこまれてきた。ほかの魔物の倍はある、太い腕だった。群れの頭だ。長い指が、シュリンの帯をつかんだ。そのまま、輿の外へ引きずりだそうとした。
シュリンは、髪から冠のかんざしを一本引き抜いた。その腕に、力いっぱい突き立てた。
魔物が吠えた。指はゆるまなかった。
「姫さまを守れ!」
隊長の声がした。兵が二人、三人と駆けよってきた。群れの頭が、もう片方の腕を振った。それだけで、兵たちは槍ごと薙ぎ倒された。
「姫さん!」
男の声がした。
輿の窓から、シュリンは見た。
男が、輿と魔物のあいだへ割りこんでいた。剣が、帯をつかんだ腕へ振りおろされた。
その剣が、途中で止まった。
刃の先に、シュリンの体があった。このまま振りおろせば、刃は腕ごと、シュリンまで届く。
止まったのは、ほんの一瞬だった。
その一瞬に、群れの頭のもう片方の腕が、男の肩を打った。長い指が、着物ごと肉を裂いた。男は踏みとどまって、剣を横に払った。刃こぼれだらけの剣は、魔物の太い骨に食いこんで、折れた。
それでも、帯をつかんでいた指が離れた。
シュリンは輿の床に転がった。窓から這いでた。
男が、膝をついていた。
左の肩から胸にかけて、着物が裂け、血が流れていた。群れの頭は、もう男を見ていなかった。赤い目が、這いでたシュリンのほうへ向いていた。
男は、自分の血を見下ろした。
いつものにやにや笑いが、消えていた。
「……あー。まずいな、これ」
男が、シュリンのほうを見た。金色の目が、ぎらぎらと光っていた。
「姫さん、離れてろ。……いや、全員だ。全員、俺から離れろ」
男の背中が、ふくれあがった。
旅装の背が、裂けた。黄金の毛並みが、首から背へ、背から腰へと広がっていった。男の体が前へ傾き、両手が地面についた。その手が、太い前足に変わっていった。
咆哮が、峠を揺らした。
そこにいたのは、牛ほどもある虎だった。
虎は跳んだ。
群れの頭が、かわす間もなかった。虎の牙がその喉に食いこみ、巨体を地面に引き倒した。群れの頭が動かなくなるまで、虎は牙を離さなかった。
残りの魔物たちの鳴き声が、ひきつった悲鳴に変わった。
灰色の群れは、来たときと同じ速さで、岩壁を這いのぼって消えていった。
*
峠が、静かになった。
うめき声だけが残っていた。倒れた兵、折れた槍、魔物のむくろ。
そのまんなかに、虎が立っていた。
虎は、荒い息をついていた。口のまわりが、灰色の血で汚れていた。金色の目が、ゆっくりと動いた。
その目が、槍を構えなおした兵たちのところで、とまった。
「……あれも魔物だ」
隊長が、かすれた声で言った。額から血を流していた。
「射て。弓を拾え」
兵たちが、震える手で弓を拾った。
虎が、身を低くした。
シュリンは、輿のそばから立ちあがった。
虎の耳が、うしろへ伏せられていた。尾の先が、小さく、小刻みに揺れていた。
知っている。
王宮の奥庭の、年寄りの虎。あの虎が、囲いに迷いこんだ野犬に飛びかかる前に、いつもそうしていた。
虎の目の先に、若い兵がいた。弓を構えたまま、膝が笑っていた。
シュリンは、虎と兵のあいだへ歩いた。
走らなかった。走るものを、虎は追う。目は見なかった。奥庭の虎は、まっすぐ見つめられると、いつも機嫌を悪くした。顔を少しそむけて、ゆっくりと、虎の正面に立った。
足がふるえていた。それは止められなかった。
「もう、いないわ」
低い声で言った。奥庭で、年寄りの虎に話しかけたときと、同じ声で。
「魔物は、みんな逃げた。もう、戦わなくていいの」
虎が、うなった。
喉の奥で、石臼を回すような音だった。シュリンは動かなかった。
「あなたが、守ってくれたのよ。わたしの輿を」
伏せられていた虎の耳が、少しだけ持ちあがった。
「……ひ、め」
虎の口から、声が漏れた。
言葉と呼ぶには、あまりに割れた音だった。それでも、シュリンにはそう聞こえた。
虎の耳が、前を向いた。
弦の鳴る音がした。
どすっ、と鈍い音がして、虎の体が沈んだ。左の肩に、矢が一本立っていた。
虎の体が、ばねのように跳ねあがりかけた。前足が土をえぐった。射手のほうへ跳びかけたその体が、途中で、止まった。
虎の耳が、また伏せられた。
「やめなさい!」
シュリンは振りむいた。冠の房をつかんで、顔の前から払いのけた。
「セイランの兵は、弓を下ろしなさい!」
自分でも驚くほど、声が通った。
弓を構えていた兵のうち、何人かの肩が、びくりと揺れた。一人が、ゆっくりと弓を下げた。
「……姫さま」
その兵は、それだけ言って、うつむいた。ほかの何人かも、それに倣った。
「何をしている!」
隊長がわめいた。
「姫をこちらへ。その獣から離せ!」
シュリンは、隊長を見た。
それから、虎を見た。肩に矢を立てたまま、うなり声をこらえて、身をかがめている虎を。
ここに残れば、明後日にはゴウ将軍の妻だ。
そして、この虎は射殺される。
シュリンは、虎の首に手を置いた。硬い毛の下で、太い筋が震えていた。
「走れる?」
虎は答えなかった。
ただ、身をいっそう低くした。
シュリンは裾をたくしあげて、その背にまたがった。
「姫さま!」
「首の毛、つかむわね」
虎が、地を蹴った。
最初の三歩で、シュリンの体は宙に浮きかけた。虎の背中は、馬の背とはまるで違った。走るたびに、波のように大きくうねった。
シュリンは身を伏せた。両腕を虎の首に回し、重い裾ごと、膝で胴を締めつけた。
虎が、足をゆるめた。跳ぶのをやめて、地面を滑るような早足に変わった。背中のうねりが、小さくなった。
谷側の斜面を、虎は下っていった。岩を回りこみ、倒木の下をくぐった。沢の前でだけ、一度、大きく跳んだ。シュリンは息を止めて、首にしがみついた。冠の房が頬を打ち、赤い袖が風をはらんでばたばたと鳴った。
一度だけ振りかえった。
峠の上で、誰かが松明に火をつけていた。
日が落ちきったころ、虎は一度だけ足を止めた。舌を垂らして、肩で大きく息をしていた。それから、また歩きだした。
*
月が昇るころ、虎は止まった。
谷を二つ越えた先の、岩の張りだしの下だった。乾いた落ち葉が吹きよせられていた。
虎は、シュリンを背から下ろすと、そのまま横倒しに崩れた。
シュリンは、落ち葉の上に膝をついた。
虎の息は荒かった。肩の矢のまわりの毛が、黒く濡れていた。
「矢、抜くわよ」
虎は、目を閉じたまま、低くうなった。
「三つ数えて抜くから」
シュリンは矢をつかんだ。
「一」
抜いた。
虎が、ぐうっと喉を鳴らして、頭を持ちあげかけた。シュリンは、その首を撫でた。
「ごめんなさい。三まで待ったら、体に力が入るでしょう」
虎の頭が、落ち葉の上に戻った。
シュリンは、上衣の下に着ていた衣の袖を裂いた。金糸の刺繍が入った袖は丈夫で、最後は歯を使って、やっと裂けた。傷に押しあてて、残りの布で縛った。布は、太い肩を一周するのがやっとだった。
虎は、もう眠っていた。
シュリンは、冠を外した。
髪のかんざしを一本ずつ抜くと、冠はごとりと膝に落ちた。首が急に軽くなって、長い息が出た。
夜は冷えた。シュリンは虎の背にもたれた。大きな体は、火鉢のように温かかった。
——全員、俺から離れろ。
あの男は、そう言った。
自分が何になるか、知っていたのだ。
峠の休みのとき、薄絹を上げても、ひとりだけこちらを見ずに、あくびをしていた男。
シュリンは、虎の縞を指でなぞった。いつのまにか、まぶたが重くなっていた。
*
寒さで目が覚めた。
空が白みはじめていた。背中の温かさが、なくなっていた。
「うおっ」
うしろで、間の抜けた声がした。
シュリンは振りむきかけて、やめた。
視界の端に、落ち葉の上で跳ね起きた男が見えた。無精ひげの、あの男だった。左の肩に、シュリンの袖が巻きついていた。
ほかには、何も身につけていなかった。
「……あー」
男が、自分の体を見下ろして、しみじみと言った。
「やっちまった」
シュリンは前を向いたまま、花嫁の衣のいちばん上に羽織っていた赤い上衣を脱いだ。鳳凰の縫いとりのある、婚礼の上衣だ。後ろ手に、男のほうへ放った。
「着なさい」
「助かる」
衣ずれの音がした。
「……って、おい、これ婚礼の衣装じゃねえか」
「ほかに脱げるものがなかったの」
「いいのか、こんな上等なもん」
「もう着ないもの」
振りむくと、男は赤い上衣を体に巻きつけて、岩にもたれて座っていた。金糸の鳳凰が、無精ひげの顎の下で羽を広げていた。
「どうだ。似合うか?」
「鳳凰が泣いてるわ」
男が、ぶはっと噴きだした。肩の傷に響いたのか、笑いながら顔をしかめた。
それから、ふと、黙った。
シュリンの顔を、まじまじと見ていた。
何か言おうとして、口をあけて、閉じた。頭をかいた。また口をあけて、閉じた。言葉を、どれにしようか選んでいるように見えた。
「……姫さま、お怪我は」
やっと出てきたのは、それだった。
言ってから、男はしまったという顔をした。
「じゃなくて。姫さん、怪我は?」
「ないわ。あなたのほうがひどい」
「こんなもん、ひと晩寝りゃ治る」
「名前は?」
「レツ。ただのレツ。用心棒のレツだ」
「虎になるなんて、聞いてなかったわ」
「言ったら雇ってもらえねえだろ」
レツは、悪びれもせずに言った。
「ふだんは耳が出るくらいで済むんだ。血が出るとまずい。……で、あんた」
「シュリンよ」
「知ってる。で、姫さん。怖くなかったのか? あれの前に出てくるなんて」
「怖かったわ」
シュリンは、膝の上の冠を撫でた。
「でも、虎は知ってるの。耳を伏せて、尾の先を振るのは、飛びかかる前。走ってもいけない。奥庭の虎は、目をまっすぐ見られるのを嫌ったわ。……小さいころ、よく見ていたから」
レツは、何も言わなかった。
一瞬だけ、遠いところを見るような顔をした。それから、あくびをするように大きく伸びをした。
「さて」
レツは膝を打って、立ちあがった。上衣の裾を、ずるずると引きずっていた。
「世話になった。俺はここまでだ」
「どこへ行くの?」
「どこへでも。貴族さまとは関わらねえことにしてるんでね。面倒くせえから」
「わたしはもう貴族じゃないわ。国がないもの」
「冠かかえてるやつが言うな」
シュリンは、帯の小袋をほどいた。
金のかんざしが三本、朝日を受けてきらりと光った。そのうちの一本をつまんで、差しだした。
「雇うわ。前金よ」
レツの目が、かんざしに吸いよせられた。
「……いくらだ、それ」
「馬が一頭」
「俺は、あれになるんだぞ。次は、あんたを食うかもしれねえ」
「そのときは、冠を外してからにして」
シュリンは、真顔で言った。
「金具が多いの。喉に刺さるわよ」
レツは、ぽかんと口をあけた。
それから、腹をかかえて笑いだした。笑いすぎて、肩を押さえてうずくまった。
谷の向こうで、角笛が鳴った。
ひとつ、ふたつ。追手の笛だった。
レツは笑うのをやめて、角笛のほうを見た。それから、シュリンの手のひらの三本を見た。
「……前金は、二本だな」




