将としてのタレス
砦に着いて二日目の朝、部隊編成の会合が開かれた。
兵舎の一番大きな広間に、各隊の指揮官が集められた。正規軍の中隊長たち、私兵の隊長たち、そして傭兵団の長。フクロウもその末席に呼ばれていた。シューベルトは護衛として後ろに控えることを許され、壁際に立った。
広間の中央には大きな地図が広げられていた。西の森林地帯と、その奥に点在する鬼族の拠点を示したものだ。指揮官たちがそれを囲み、低い声で議論を交わしている。
その輪の中に、見覚えのある姿があった。
タレス・ホーエンだった。
金髪を整え、隙のない軍装をまとっている。だが意外だったのは、彼がただの参加者ではなく、議論の中心の一人として扱われていたことだ。正規軍の中隊長たちが、彼の意見に耳を傾けている。
「西方戦線の指揮の一翼を、ホーエン卿が担われる」
会合を仕切る老齢の将軍が告げた。それを聞いて、シューベルトは内心で眉をひそめた。タレスは帝国本土の貴族で、辺境の戦には縁がないはずだ。なぜ彼が前線の指揮を任されているのか。
答えは、すぐに分かった。
地図を前に意見を述べるタレスの言葉には、無駄がなかった。鬼族の動きの読み、補給線の防衛、退路の確保。その一つ一つが的確で、辺境の事情に通じていなければ言えないものだった。にわか仕込みではない。彼は自分の意思でこの戦線を学び、ここに立っている。
会合の最中、タレスがふと視線を上げた。
その目が、壁際のシューベルトを捉えた。
タレスは微笑んだ。穏やかで、非の打ち所のない微笑みだった。軽く頷くような仕草をして、すぐに議論へと視線を戻した。
シューベルトは、その微笑みに何かを感じた。
敵意ではない。むしろ友好的だ。だが、なぜか落ち着かなかった。その微笑みの奥に何があるのか、読めなかった。
―――
会合が終わり、兵舎に戻る途中、フクロウが静かに言った。
「タレスが将として来るとは思っていなかった」
「あんたも知らなかったのか」
「噂は聞いていた。だが、ここまで深く関わるとは。ホーエン家が辺境に人を出すのは、政治的な意味が大きい」
フクロウは前を向いたまま続けた。
「アンネリーゼ嬢との婚約だけでは足りないと判断したんだろう。トマス領で実績を作りたい。武功を上げて、自分の地位を固めたい。そういう計算だ」
「政治の話か」
「ああ。だが、それだけじゃない」フクロウは一拍置いた。「あの男は、本当に強い」
その言葉に、シューベルトは横を見た。フクロウが他人の強さをこういう形で口にするのは珍しかった。
「以前、一度だけ剣を交わしている」フクロウは続けた。
「あの時、あの男の剣には迷いがなかった。技術だけじゃない。意志がある。自分を証明するために、剣を磨き続けてきた人間の意志だ」
「証明?」
「何のためかは、俺にも分からん」
フクロウはそこで言葉を切った。
「ただ、あの種類の強さは厄介だ。覚えておけ」
シューベルトは頷いた。フクロウがここまで言うのなら、相応の理由があるのだろう。
―――
午後、戦士団に最初の実戦任務が下りた。
砦の西方、数刻の距離にある森の縁で、鬼族の斥候部隊が目撃されたという。それを排除し、付近の安全を確保する。正規軍の一個小隊と、いくつかの傭兵団による合同任務だ。そして、その指揮を執るのがタレスだった。
「タレス様の下につくのか」
ロバートが渋い顔をした。
「気が進まないな」
「個人の好き嫌いは脇に置け」フクロウが言った。
「これは試金石だ。あの男の采配を間近で見られる。学べることがある」
森へ向かう道中、タレスは馬上から兵たちに穏やかに声をかけていた。緊張をほぐすような、軽い言葉。それが妙に板についている。傭兵たちですら、いつの間にか彼の指示に素直に従っていた。
「不思議な人だね」アイリーンが小声で言った。「偉そうにしてないのに、みんな言うこと聞いちゃう」
森の縁に近づくと、エドが手を上げて全員を止めた。
「……いる。魔族だ」エドが低く言った。「数は十前後。赤鬼が混じってる」
タレスが馬を下り、エドに視線を向けた。「斥候の方か。臭いで分かるのか」
「気配と、臭いで」エドは短く答えた。
「素晴らしい。その情報をもとに動こう」タレスは微笑み、すぐに指示を出した。「正面に陽動を置く。傭兵団は両翼に展開し、退路を断つ。鬼族は退路を断たれると意外に脆い。一気に削る」
淀みのない指示だった。各隊が静かに動き出す。シューベルトたち戦士団は左翼に回り込んだ。
―――
戦闘は、唐突に始まった。
陽動の正規軍が森の縁に姿を見せた瞬間、鬼族の斥候が動いた。赤鬼が二体、先頭で吠える。残りは一般の鬼の戦士だ。かつて総がかりでも倒しきれなかった、あの一般兵と同じ手合い。一体でも侮れない相手が、複数いる。
「来るぞ。散開」
シューベルトの声で、戦士団が散った。ロバートが前に出て盾を構え、アイリーンが風をまとって側面に駆ける。エドが投剣を構え、サラが後方で杖を握った。
だが、シューベルトの目は、戦場の中央に引き寄せられていた。
タレスが、前に出ていた。
将でありながら、彼は自ら剣を抜いて最前線に立っていた。風属性の片刃剣が、夕方の光を受けて細く輝く。最初の赤鬼が、彼に向かって突進した。人間の倍ほどの巨躯。その膂力は、まともに受ければ人間など砕け散る。
タレスは、受けなかった。
最小限の動きで赤鬼の一撃をかわし、その横をすり抜けながら、剣を一閃させた。風が刃に乗る。赤鬼の脇腹に、深い斬撃が走った。一撃で仕留めたわけではない。だが的確に、致命に近い場所を斬っていた。
「正しい場所に、刃を置く」
シューベルトは、思わずその言葉を口にしていた。フクロウが言っていた、タレスの剣。力でねじ伏せるのではなく、最も効く場所に最小の力で刃を通す。無駄が一切ない。
二体目の赤鬼が、タレスの背後から襲いかかった。
タレスは振り向きもしなかった。風を読むように半歩動き、赤鬼の爪を紙一重でかわす。そのまま流れるように身を翻し、二体目の喉元に刃を滑り込ませた。赤鬼が負傷し引いていく。
息を呑むような剣だった。
トマスの加護を受けない、帝国本土生まれのよそ者。にもかかわらず、彼は加護を持つ正規兵以上の力を自力だけで体現していた。
シューベルトは、自分の剣を握る手にわずかな力が入るのを感じた。
タレスの剣は、自分の剣とは根本的に違う。自分は生き延びるために剣を覚えた。フクロウに叩き込まれ、戦場で磨いた、泥にまみれた剣だ。一方でタレスの剣は、磨き抜かれた刃のように整っている。型があり、理があり、美しさすらある。
どちらが強い、という話ではなかった。ただ、あの男がどれほどの時間を剣に費やしてきたか、その一振りで伝わってきた。誰にも文句を言わせないために、と彼は言った。その言葉の重さを、剣が証明していた。
―――
戦闘そのものは、長くはかからなかった。
タレスの采配と、戦士団を含む各隊の連携で、鬼族の斥候部隊は短時間で半壊した。退路を断たれた鬼たちは、最後まで戦って倒れた。
シューベルトは、自分が斬った鬼を見下ろした。
息絶える間際、その鬼は何かを言おうとしていた。人語ではない。だが確かに、声を発しようとしていた。怒りか、無念か、それとも別の何かか。
これまで戦ってきた「魔獣」とは、違う。
知性のない泥喰い大顎は、断末魔すら上げなかった。だがこの鬼は、最後まで何かを伝えようとしていた。意志があった。シューベルトの中で、何かが小さく揺らいだ。
だが今は、それを考えている余裕はなかった。
「シューベルト」
声をかけられて振り向くと、タレスが立っていた。剣はすでに鞘に収められている。返り血の一滴も浴びていない、涼しい顔だった。
「見事な剣だったね」タレスは微笑んだ。
「……あなたの剣も、見事だった」
シューベルトは正直に答えた。実際、認めざるを得なかった。あれほどの剣を見て、認めないわけにはいかなかった。
「そう言ってもらえると嬉しいよ」タレスの微笑みは崩れなかった。「
僕はね、ずっと剣を磨いてきたんだ。誰にも文句を言わせないために。生まれつき何かを持っている人間とは、違うやり方でね」
その言葉に、わずかな棘があった。
シューベルトは、その棘を捉えそこなった。穏やかな声に包まれていて、何が引っかかったのか分からなかった。
「君は、いいものを持っているね」タレスは続けた。
「仲間に恵まれている。それは、得難いものだ」
「……ええ」
「大切にするといい。失ってからでは遅いからね」
タレスはそう言うと、軽く頷いて去っていった。その後ろ姿は、終始隙がなく、優雅だった。
シューベルトは、その背中を見送りながら奇妙な感覚を覚えた。
悪い人間ではないのかもしれない。実力もある。采配も的確だ。言葉も丁寧で、何一つ責められるところがない。
なのに、なぜか落ち着かなかった。その微笑みの奥に、触れられない何かがある気がした。
―――
砦に戻る道中、ロバートが言った。
「あいつ、本当に強いな。正直、見直したぜ」
「ああ」シューベルトは頷いた。
「加護もないのに、あの強さだ。よっぽど鍛えたんだろうな」ロバートは続けた。「ただ、なんか苦手だ。理由はうまく言えないけど」
「分かる」アイリーンが横から口を挟んだ。「優しそうなのにね。でも、なんか……目が笑ってないっていうか」
「目?」
「うん。口は笑ってるんだけど、目の奥が冷たい時がある。ほんの一瞬だけど」アイリーンは首をかしげた。「あたしの気のせいかな」
シューベルトは、何も言わなかった。
アイリーンの直感は、よく当たる。明るく単純なように見えて、仲間の心の機微には誰よりも敏感だ。そのアイリーンが「冷たい」と感じたのなら、何かがあるのかもしれない。
だが、それが何なのかは、誰にも分からなかった。
―――
夜、砦の兵舎で、サラが斬られた兵士たちの手当てをしていた。
今日の戦闘での負傷者は少なかった。タレスの采配のおかげだ。それでも、かすり傷を負った者は何人かいた。サラは一人一人に丁寧に回復魔法をかけ、傷の具合を確認していた。
その手元を見ながら、シューベルトはふと聞いた。
「サラ。お前は、今日の鬼を見てどう思った」
サラは手を止めずに答えた。「……知性があった、ってこと?」
「ああ」
「うん。あったね」サラは静かに言った。いつものふわふわした口調ではなく、治療の場の声だった。「死ぬ間際に、何か言おうとしてた。あれは、獣じゃない。私には分かる。傷を診ると分かるの。獣の傷と、意志を持つ者の傷は、違うから」
「違う?」
「うまく言えないけど」サラは負傷兵の傷を確かめながら続けた。「意志を持つ者は、傷を負っても最後まで何かを守ろうとする。体の使い方に、それが出る。今日の鬼も、そうだった。何かを守ろうとしながら、死んでいった」
シューベルトは黙って聞いていた。
「ねえ、シュー」サラが顔を上げた。「私たち、これから、ああいう相手とずっと戦うんだよね」
「……そうだな」
「それって、ちょっと……つらいかもしれない」サラはそう言って、また手元に視線を戻した。「でも、仲間は守る。それは、変わらないから」
最後の一言は、いつもの芯のある声だった。
シューベルトは頷いた。サラの言葉が、今日感じた揺らぎに、形を与えていた。鬼には意志がある。守ろうとするものがある。それでも、戦わなければならない。その矛盾の中で、自分たちは前に進んでいく。
―――
その夜、シューベルトは砦の物見櫓に登った。
西の空には、相変わらず重い雲がかかっていた。その彼方に、鬼族の本拠地がある。今日斬った鬼の、仲間がいる。意志を持ち、誇りを持ち、何かを守ろうとする者たちが。
左胸が、静かに脈打った。
高鳴りでも、疼きでもない。それは、何かを問いかけるような、静かな拍動だった。お前は、何のために、誰のために剣を振るうのか。そう問われているような気がした。
答えは、まだ出ない。
だが、問いがあることだけは、確かだった。
シューベルトは、長いことその空を見つめていた。タレスの微笑み。鬼の断末魔。サラの言葉。そのすべてが、胸の奥で静かに重なっていた。
明日も戦は続く。




