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空の戦士団  作者: 葱狸
1章

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泥の中の誇り

大陸に帝国が生まれたのは、今から二百年前のことだ。最初は小さな都市国家に過ぎなかった。だが帝国は戦った。隣国と、そのまた隣国と。負けるたびに学び、勝つたびに大きくなった。やがて「統一」という言葉を旗印に掲げ、抵抗する国を「秩序への反逆」と呼ぶようになった。今、帝国に飲み込まれていない国はほとんどない。残っているのは、帝国が「まだ必要としていない」場所か、「まだ届いていない」辺境だけだ。路傍に転がる廃村を、旅人は誰も振り返らない。それが日常になって、もう久しい。

―――


鋼がぶつかり合う音は、思ったよりも低い。

戦場で初めてそれを知った時、シューベルトは妙に冷静な気持ちになったものだった。吟遊詩人が歌う英雄譚では、剣戟は天を劈く轟音として描かれる。だが実際の殺し合いは、もっと鈍く、もっと湿っていて、泥と返り血の臭いが鼻の奥に貼り付いて離れない。


三体目が沈んだ。


シューベルトは片手剣を無造作に振り抜いて脂を払い、周囲を一瞥した。賊の生き残りはいない。荒れた街道に、男たちが折り重なるように倒れている。誰も呻いてすらいなかった。


「……終わったぞ、フクロウ」


返り血を拭いもせず振り返ると、数歩後ろに団長が立っていた。

フクロウ。二十五歳。「空の戦士団」を束ねる男。借り上げた短髪に、値踏みをするような静かな目。彼はシューベルトの肩越しに倒れた賊たちを確認すると、ゆっくりと口を開いた。


「助かる。おかげで犠牲を出さずに済んだ」


誉め言葉ではなかった。事実の確認だ。それでシューベルトには十分だった。


その夜、野営地の焚き火を囲んで、団員たちはいつになく浮き足立っていた。


「聞いたか?今度の依頼、トマス辺境伯様からだ」


最年長のロバートが、酒の入っていない空の杯を掲げる。二十七歳。軽薄そうな顔つきだが、約束を破ったことが一度もない男だ。


「やり遂げりゃ、俺たちは『トマス家直属の騎士』になれる。もう泥水をすすって寝床を探す必要もねえんだ」


「騎士、か」


シューベルトは自分の手のひらを見つめた。

十九歳。切り揃えた黒髪に、少し鋭すぎる目。背中に担いだ一本の片手剣だけが全財産だ。その手のひらには、今日の戦いで新しい傷が一本増えていた。古い傷に重なるようにして。


「アイリーン、お前も酒を控えないとな。騎士様になれば、作法も厳しくなるぜ」


「えー、やだよロバート。私はシューが騎士様になって、私がその側近になれればそれでいいもん」


赤いポニーテールを揺らして、アイリーンがシューベルトに抱きついてくる。二十歳、双剣使いの小柄な女性だ。二年前に戦場跡地で倒れているところを拾った。いつもこうだ、と思いながら、シューベルトは軽くその腕を外した。


端の方では、年少のエドが炎の魔法で小さな灯りを作り、無言で武器を磨いている。十六歳。普段はほとんどしゃべらない。傭兵団の仲間に対して心を開いていない、そんな様子の彼だが、それでも彼はここにいる。


青い髪のサラは、傷ついた団員の手当を終えて、穏やかな顔でその様子を眺めていた。二十一歳、回復術の使い手。どこかぼんやりした空気を纏っているが、戦場での判断は誰よりも冷静だ。


「俺たちが、この手で掴むんだ」


フクロウが焚き火を背に立ち上がった。その声に、不思議な力が宿っていた。


「帝国にも、運命にも、もう誰にも俺たちを脅かさせない。安定した生活、そして誇り。それをトマスの地で勝ち取るぞ」


「「「おおおっ!!」」」


団員たちの歓声が夜空に響く。

シューベルトも声を上げた。だが、その拳を握りながら、彼はひとつの感覚を誰にも言わずに胸の奥に仕舞い込んでいた。

左胸の、心臓とは別の場所が、熱を持っている。

それは今日の戦いで傷ついたせいではない。ずっと昔から、そこにある。ホワイト王国が炎に沈んだあの夜から、ずっと。


焚き火が小さくなり、仲間たちが眠り始めた頃、シューベルトはひとり起きていた。

空を見上げる。星が多い。こんな夜は決まって、夢を見る。白い城の夢を。

ホワイト王国。かつて大陸の東に存在した小さな王国。争いを収め、平和を説き続けたその国は、「脆弱」と断じた帝国の軍靴によって踏みにじられた。炎の中で崩れ落ちる白亜の城壁、父の声、母の手。そのすべてが、今の自分と同じ人間によって奪われた。

今の自分は傭兵だ。泥にまみれ、依頼をこなし、日銭を稼ぐ。かつて王子だったなどという記憶は、フクロウと自分の二人しか知らない。

それでいい、とシューベルトは思っている。

思っている、はずだった。


「……なぜ、こんな時だけ鳴る」


左胸に手を当てる。脈打っている。心臓ではなく、もっと深い場所で、何かが目覚めようとするように。

それがホワイト王国の守護獣の鼓動であることを、シューベルトはとうに知っていた。だがその「何か」に名前をつけることを、ずっと先延ばしにしていた。名前をつければ、それが現実になる気がして。

トマス領が近づくにつれ、その拍動は確実に、強くなっている。

シューベルトは目を閉じた。今夜は眠れそうにない。


―――

翌朝の行軍は、重かった。

大陸の東を貫く街道は、数日降り続いた雨のせいで酷くぬかるんでいた。重い荷を積んだ馬車の車輪が泥を跳ね上げ、傍らを行く十数人の歩兵たちの足取りも鈍い。

シューベルトは隊列の先頭を歩きながら、街道沿いに広がる黒ずんだ廃墟に目をやった。


「……ここも、もう息をしていない」


かつて農村があったはずの場所だ。今は崩れ落ちた屋根と、持ち主を失った錆びた農具と、焦土の臭いしかない。


「数ヶ月前に帝国の偵察隊が通り過ぎた跡ね」


隣を歩くサラが、沈痛な顔で立ち止まった。泥に汚れた幼子の靴を拾い上げ、静かに祈りを捧げる。その柔和な横顔が、殺伐とした朝の空気の中で異物のように浮かんでいた。


「気にするな、サラ。これが今の世界の日常だ」


シューベルトは吐き捨てるように言い、歩き出した。

自分の言葉が冷たすぎることはわかっていた。だがそれ以外の言葉を、今の自分は持っていない。俺たちが奪われた日と同じだ、などと言えるはずがなかった。


「シュー!またそうやって眉間に皺寄せてる!」


背後からアイリーンが駆け寄り、腕に絡みついてくる。

「見てよ!あそこを越えれば『トマス辺境伯領』でしょ?翼の神獣に守られた、おとぎ話みたいな場所。そこに行けば、あたしたちもやっと傭兵卒業だよね?」


「……依頼が嘘でなければ、な」


シューベルトは彼女を軽くあしらいながら、先頭で馬を駆る男の背中を見た。


フクロウ。

本当の名前はだれも知らない。いつからかそう呼ばれていたこの男がいなければ、今の自分はなかった。炎の中で泣いていた子供に剣を教え、生きる意味を与えてくれた。空の戦士団という「家族」を作り上げた。その背中を、シューベルトはずっと追いかけてきた。

フクロウが右手を挙げ、全軍が止まる。


「皆、聞け。あの丘の向こうが、我々の新天地だ」


団員たちが顔を上げる。ロバートが槍を担ぎ直しながら、不敵な笑みを浮かべた。


「本当に俺たちみたいなよそ者の傭兵が、騎士として迎え入れられるのか?あそこは代々、聖なる翼の神獣が守護する超エリート様たちの居所だろう?」


「トマス家は今、背に腹は代えられない状況にある」


フクロウは静かに、だが確信に満ちた目でロバートを見返した。


「西から迫る鬼の一族との戦火は、俺たちの想像以上に激しい。正規兵は摩耗し、防御に穴が開いている。だからこそ、実力さえあれば出自は問わないという条件を引き出した。お前たちには、泥水をすする夜ではなく、自分の名前で誇れる家を与える。……俺を信じろ」


「「「おおおっ!!」」」


乾いた歓声が上がる。

その輪から少し離れたところで、エドだけが無言でナイフを研いでいた。十六歳の少年が宿す不信感と、それでも拭いきれない大人への期待が、その研ぎ澄まされた刃に同居していた。

シューベルトはフクロウの横に並んだ。


「……フクロウ。あんたは、本当にこの道が正しいと思っているのか?」


「心配か、シュー」


フクロウの黒い瞳が、シューベルトを見る。その奥に、いつもの兄貴分らしい穏やかさとは違う、底知れない「何か」が潜んでいるような気がした。


「俺は、お前たちを裏切らない。……世界がどれほど残酷でも、俺だけは、お前たちの居場所を作る。それが俺の使命だ」


「……ああ。わかっている」


シューベルトは頷き、剣の柄を握りしめた。

ドクン、と。左胸の奥底で、心臓とは別の拍動が跳ねた。

トマス領が近い。その気配が、自分の中の「何か」を揺り起こしている。まだその名を呼ぶことを許せない、白亜の神獣の鼓動。

国境を越える風が吹き抜ける。その風には、湿った土と、未知の何かの気配が混じっていた。

一行は歩き出した。泥にまみれた足で、夢の向こう側を目指して。


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