7.決断(2)
今のところ恋愛未満な感じの男女の傭兵が少しずつ関係性を深めていく連載物です。
しばらくそうやって過ごしているところで、祝宴の陣に駆け込んでくる人影が目の端に映った。直感的に良くない知らせだと分かった。テッサーロの街で敗残兵の蜂起でも起こったか。
人影はまずジャコモの元へ行き、彼の耳元へ何事かを告げた。使いの者の上着の胸元にザネッティ家の紋が縫い取られているのがルキシスの位置からも見えた。
ジャコモは幾分眉をひそめた。使者が彼に向かって筒状の何かを手渡す。書簡だろう。その筒にもザネッティ家の紋が描かれている。
『若君』
ジャコモが恭しくフラヴィオの元へ歩み寄り、筒を捧げ持った。その表情はかたい。
『何事か』
『お父上より』
フラヴィオが書簡を受け取る。蓋を開けると中からは見るからに上等な羊皮紙が姿を見せた。
まだ彼の近くで適当に通訳をしたり酒を飲んだりしていたルキシスは、ひとまずそのまま彼のそばに控えて、とはいえ書簡を盗み見する趣味もないのでまた杯へと手を伸ばした。
見る見るうちにフラヴィオの顔色が変わった。蒼白というのを通り越して土気色だった。彼の若々しい唇が震えているのが分かった。ジャコモも沈痛な面持ちをしている。
『父上はっ……』
少年が声を絞り出す。いや、それは胸の内の叫びが勝手に声になって、無理にも押し出されたといったところか。
彼の榛色の双眸が大きく揺らいでいる。泣き出しそうになっているわけではなかった。失望と、絶望と、怒りか。人によっては大声で怒鳴り出したりするかもしれない。でもこの少年はそうではなかった。ただ拳を握り締め、押し殺した声だけを漏らした。
『そんなにもぼくが邪魔か』
いつかも聞いた言葉である。
さて、書簡には何が書かれていたのか。
だがルキシスにとってはどうでもよいことだった。自分が助言を与えてやれるとしたらただひとつだけだった。
『ならば討てばよろしいのでは』
少年が俊敏な動作でルキシスを振り返る。ジャコモもルキシスに注目した。
その動きで、周囲にいた他の面々の注目もルキシスに集中した。それはあまり愉快なものでもなかったが、どうせ他の者たちには大してソヴィーノ語は分かるまい。だから気にする必要もなかった。
『お父上も、その奥方も、腹違いのきょうだいも』
自分ならそうする。
邪魔な者は、自分を害する者は、排除したって構わないではないか。
何を言うのか、と混乱した顔でフラヴィオはかぶりを振った。
『子の道に反する』
『すでに親の道に反しているのでは』
刺客を送る妻を制することもできないなんて。
『ルキシス殿、それは』
ジャコモが少し近付いてきた。ルキシスは彼を平たい眼差しで見つめた。
『自分を殺そうとする者を殺して何が悪いか分かりません』
『しかし』
『殺すのが気が咎めるのであれば、捕えて生涯幽閉すればよい』
その方が残酷だと思いますがね、と付け足した。
フラヴィオもジャコモも何も言葉を探せないというような、困惑した面持ちをしていた。書簡がもたらした衝撃以上の衝撃を受けているようにも見えた。
「リリ」
ギルウィルドがずかずかと近付いてきて、遠慮もなく人差し指を突き付けてきた。まったく、余計なことにすぐ首を突っ込む男である。
「何話してるか知らないけど、絶対、ろくでもないこと言ってるよね?」
「自分を殺したい奴を先に殺して何が悪いという話をしている」
「あのね、そうやって誰しもが殺し合いをしていたら百年前の暗黒時代に逆戻りだよ。人間は社会に属することで互いに生命を保証し合うわけ。そうすることで生命維持の可能性を全体として高め合うわけ。だけど社会を構成するには決まりがあって、それは各々で遵守しなけりゃ社会は成り立たない」
傭兵らしくもない、思想家のような口振りである。さっさと神殿に戻ればよいものを。
「向こうが先にそれを破っている」
こちらから先に仕掛けることに賛否両論あるというのは、分からないでもない。それだって戦略というものだとは思うが、感情はまた別の話だからだ。
だが先に向こうから仕掛けてきている。いつまでもただそれを凌ぎ続けるということはできない。いつかは負ける時が来る。そうなる前に敵を殲滅しなければ、こちらが死ぬ。
「彼にとっては身内なんだろ。それを――」
「自分を殺そうとするやつは敵だ。そして攻めてくる敵を排除するのに大義名分が立たない、ということはないだろう?」
同じことをソヴィーノ語に訳してフラヴィオとジャコモのふたりにも言ってやった。
『兵隊ならそこに』
と、ヨルクの方を手のひらで指し示した。
『彼らと契約するなら交渉は通訳いたしましょう』
ソヴィーノ語の分からないヨルクが、しかし自分たちが話題に上がっていることは察して困惑した顔でルキシスを見る。
まったく、上手くいけば彼らにも儲けさせてやることができるのだから、そんな困った顔などしなくてもよいものを。城や都市を巡る戦争への参加が多かったというから、市街戦なんてお手の物だろう。いや、市街戦などという大それた戦いにもなるまい。ただザネッティ家の本邸を攻めるだけだ。街の中でも限られたごく一部を包囲するに過ぎない。
「ルキシスさん、あの」
ためらいためらい、ヨルクが声を発した。
「ヨルク、彼女の言うこと真に受けんじゃねえぞ」
「ギルウィルドはおまえの儲け話を邪魔しようとしているだけだから気にするな」
「そうじゃなくて、善良な、年端もいかない少年を泥沼の戦争に気安く引きずり込むのに反対なだけだよ。ほかの解決策を示唆してやるならともかく」
「もう十五歳。立派な大人」
「本気で言っているのか」
ギルウィルドは冷ややかな眼差しをしている。なるほど、戦場は地獄だと思っている人間は、ルキシスとは相容れないのだから仕方がない。
「自分で自分を守らなければならない年頃だ」
戦場はルキシスが何よりも安心して生きていける場所だ。母の腕の中のように。だが、かと言って誰かを引きずり込もうなどとは思っていない。ただ自分の身を守るための武力の行使をためらう必要はないと思っているだけだ。
(引きずり込む、ね)
堅気の世界が並みの世界なら、戦場はそれ以下の下等な世界だという彼の価値観が反映された言葉選びだと思った。
ルキシス、とフラヴィオが名を呼んだ。存外平静な声だった。そう装っているのか、実際、少しはそれを取り戻したのか。
『父はぼくにオプリーニに帰るなと言ってきた』
朴訥とした口調だった。この少年がそうした口調で話すのを聞くのは初めてのような気がした。
『次は北西のアーリャネッロに行けと。アーリャネッロでは当家と同盟関係にあるとある家が――手っ取り早く言うと、要するに戦争前夜の段階にあり、その家の戦列に加わって彼らを支援しろと。戦費や兵力は、現地で徴発せよと』
彼はルキシスを真っ直ぐに見つめていた。最前までの揺らぎはいつのまにか霧消し、今はただ悲しみだけが宿っているようだった。
『おまえの言うことは正論だと思う』
次はアーリャネッロ。そこにも刺客を送り込んでくるだろう。それを上手く凌ぎ切って、戦争が無事片付いたとしても、次もまた別の戦場へ行けと指示するに違いない。フラヴィオが死ぬまで。
彼にとっては身内だ、とギルウィルドは言う。血縁関係にあるという意味ではそうだろう。だが既に父と子としての関係は断絶している。違うだろうか。
自分は親子の縁には薄かった。母は物心つく前に死に、父も十になる前に同じように死んだ。ただ、子どもには愛情を注いでくれた。娘が死ぬまで食べていくのに不自由のない財産を残し、間違いのない忠義者の乳母とその一族を選んで身を託してくれた。まあ、そこまでしてもらっておいて当の娘はもう名前も変えてしまったわけだが。
ただ、そうやって親と子の関係にこだわりがないから、割り切りが過ぎるのだろうか。ギルウィルドの言うように、身内だからという理由だけで、普通は討つのをためらうということになるのだろうか。
(決断したところでそれは苦渋の決断、とか)
そんなものだろうか。
罪のない者を、例えば経済的な利益だけのために殺そうとするとか、そういうことならためらうのも分からないことはない。
でも、これはそうではない。
ただ父と子というだけだ。
血を分けた、と表現したところで、所詮は別個の人間同士である。
『少し考えさせてほしい』
フラヴィオは朴訥とした話し方のままそう言うと、マントを翻して祝宴の場に背を向けた。ジャコモがルキシスに目礼し、自らの主の後に続く。
老騎士が何を思ったのか、彼の眼差しからはいまいちルキシスにははかれなかった。ルキシスの言うように父を討ってでもフラヴィオに家督を握らせるべきか、あるいは子の道とやらを重んじて父の命令に従わせるべきか。
まったく、難儀なことである。自分を殺したいと思う連中を殺して何が悪い。単純な話ではないか。だが、少年は傷ついたのだろうか。父からの冷酷な書簡にも、ルキシスの合理的すぎる助言にも。
あんな子どもになんて顔させるんだ、とギルウィルドが文句を言った。
(子どもか)
自分の身を守るのに、他の者の手でなく、自分自身の手を汚す必要だってある。実際に殺すということでなく、その決断を下すという意味である。十五歳だ。それができない年齢ではないだろう。まして彼は、立派な大人の男としてのあるべき姿にある種の憧憬と焦燥を抱いているようでもあった。
ギルウィルドが立派な大人の男かどうかは知らないし、ルキシスとしてはあんな小賢しいだけの若造、全くそう思わないが、いずれにせよ少年は彼からの尊敬を受けたい様子だった。その対象から『あんな子ども』呼ばわりは、果たして気の毒というべきかどうか。
せっかくの楽しい祝宴の空気が後味の悪いものとなってしまった。ヨルクがその空気を振り払うようにヒルシュタット語で何か言葉を発し、彼の団員たちが一斉にわっと笑った。
徐々に元の喧騒が戻って来る。傭兵たちは、元より主の都合など知ったことではない。自分たちが楽しく酒を飲めればそれでよいのだ。
ルキシスもまた酒杯を取って次から次に干していった。
ギルウィルドはいつの間にか姿を消していた。はて、いつ席を立ったのか。気が付けばいなかったが、それもルキシスにとってはどうでもよいことであった。




