2.はたらくふたりとお水とごはん(2)
今のところ恋愛未満な感じの男女の傭兵が少しずつ関係性を深めていく連載物です。
結局、夜になってしまった。
ルキシスもギルウィルドも、ザネッティ家の幕屋の近くに少し場所をもらって自分たちの天幕を張った。ザネッティ家の下男が馬丁を兼ねているということで、戦闘が始まるまではエルミューダの世話を引き受けてくれる契約になっている。ギルウィルドがエルミューダの様子を見に行った時、馬が好きなのでルキシスも特に意味もなくついていったが、エルミューダはザネッティ家の他の馬たちに立ち混じってのんびりと飼い葉を食んでいた。ブラシもかけられてぴかぴかしていて、丁寧に面倒を見てもらっている様子だった。
馬は、何の問題もない。問題は人間である。
「雇い主の下調べを怠ったのはさあ、まあ自分の瑕疵なわけだけど」
ギルウィルドが火にかけた小鍋を見つめながらぶつぶつと文句を言う。
天幕の脇の小さな空き地で、ふたりは焚火を囲んでいた。
小鍋の中身は、井戸水である。この男の飲み物だ。ルキシスには革袋に入れた葡萄酒があるのでわざわざ水を沸かして飲むような手間をかける必要はない。水を入手するのに少々難のある土地なので、下戸は大変である。
干し肉とパン、チーズ。干したイチジク。互いに似たり寄ったりの夕食である。
薄青い夜空には星が瞬き、風情があると言えないことはない。
「まっず」
沸いた白湯を小さな杯にとって口に運んだギルウィルドがまた文句を垂れた。
「あー、駄目だこれ。飲めない」
「井戸水なのに?」
「塩分が強い」
興味本位で杯を受け取ってひと舐めした。途端にルキシスも顔をしかめた。
確かにこれは、飲めない。今回の戦争のために即席で掘った井戸だからだろうか、飲用としては失格だ。
「海が近い……っていうか、海沿いだからかな」
海水がだいぶ混じっていそうな水だった。
テッサーロは西方に湾を抱えて突き出した地形となっている。要は西側に港のある海の街だ。三都市からなる艦隊が遠巻きに湾を封鎖しているので今は海の道も鎖されているが。
「酒は持っているのか?」
「少しは」
ギルウィルドは荷物の中から革袋を取り出して手元に置いたが、栓を開けて口元に運ぼうとはしなかった。
酒が好きではない事情はある程度察していた。体質の問題もあるのか、心だけの問題なのかまでは知らない。
水が確保できない時のための水分補給用に最低限は所持しているのだろうが、やはり口にはしたくないようだった。
水分をとらないと腎臓をやるぞ、と忠告しようかとも思ったが、言わなかった。そっちこそ大酒を改めないと肝臓をやるぞ、と返す刀で切り返されそうだったからだ。
ルキシスは、酒はいける口だった。というよりははっきりと底なしのざるだった。酔っ払ったことなんて一度もない。顔にも出ない。いつまでもどこまでも酒精を摂取することができる。顔に出ないのであまり周囲に理解されないが、本人なりにそれを楽しんでもいる。
度を越した大酒飲みは早く死ぬぞ、とこの男に言われたのもつい先月のことだったか。
「もうさ、考えたんだけど。東とか北から来る兵団を待ち構えて、見つけ次第こっちから契約を持ちかけるしかないかなって」
女の手とやらが回る前に先攻しようという考えである。
「足元を見られるぞ」
それに、この近隣を拠点とする兵団であればいずれにせよその作戦も通用しないだろう。地の利は『女』の方にある。東でも北でも、どこか遠くから遠征してくる兵団ならばまだ彼女の魔手が及んでいない可能性もないことはないが、わざわざ遠征してくる連中は既に契約相手が決まっている可能性が高いのでこれも話を聞いてもらえるかどうかは怪しかった。
「金は、まあ上限を越えそうなら、若君に何とか捻出してもらうとして。金策も指揮官の仕事だ」
実際に都合をつけるのはジャコモだろうが。お目付け役の騎士も大変である。
「もしかして、後妻とやらを始末する方が話が早いのか?」
「後妻さんがここに来てればねえ」
来るはずもないだろう。ザネッティ家の本拠地であるオプリーニの豪華な邸宅で、どうせ黒幕は糸を引いているだけだ。
「戦闘開始まで時間を稼げるならちょっと行って殺して来てやってもいいが」
「早馬使ったって危ないし、大体きみ、そんなのアラムになんて言い訳するつもりさ」
確かに。自分の役割はあくまで通訳だ。戦闘には参加しない。もちろん、邪魔者を暗殺したりもしない。
「門を落とすよりは簡単な気がしてきた」
「実はおれもそう思ってきたんだけど、考えないようにしてるんでこの話はここまでで。あと一応、前も言ったような気がするけど、傭兵の仕事と刺客の仕事は違うだろ」
「やってやれないことはない。が、いずれにせよ机上の空論だな」
まだ少し残っている干しイチジクをかじった。
「艦隊は海からは攻めないのかな」
話を変える。西の港を封鎖している三都市の連合艦隊だ。ルキシスは船乗りではないので海戦は専門外だ。でも艦隊が来ているのだから、陸側と示し合わせて同時攻撃を仕掛けるということはできそうにも思う。
『ルキシス殿』
横合いから声をかけられたのはその時だった。もっとも、気配にはもう少し前の段階から気が付いてはいた。
老騎士ジャコモ・アマティーニが騎士らしくきびきびとした足取りで近付いてくる。
『アマティーニ卿』
ふと思いついて、ルキシスは立ち上がった。
『古クヴェリ語はお話しなさりますか』
爵位を持たない騎士階級ならば上級貴族ほどには古クヴェリ語に通じているとは限らないが、それでも少しは嗜んでいる可能性がある。
『少しならば』
案の定、老騎士はそう頷いた。
『では古クヴェリ語でお話しいたしましょう。ギルウィルド、おまえも』
ソヴィーノ語から古クヴェリ語に切り替えてそう告げる。
ギルウィルドの古クヴェリ語は格式張って大仰な言い回しが目立つが、極めて正当な古クヴェリ語だ。リーズ語よりよほど丁寧に話す。少し拍子をとるような節があるが、発音も清澄である。神殿仕込み――ということである。
『承った』
ギルウィルドは少し居住まいを正した。立ち上がったりはしなかったが。
『アマティーニ卿は何かご用があってお出ましか』
そう続けて、彼は観察するようにじっと老騎士を見据えた。
『いや、ただ本日の首尾はいかがであったかと。座ってもよいだろうか』
『どうぞ』
ジャコモは敷布も何もない場所に腰を下ろした。ルキシスも何となく彼の隣、無礼にならない距離をとって座った。それを待ってまたギルウィルドが口を開く。
『若君の御前に誰ひとりとしてお連れできず汗顔のいたりです』
ルキシスは少しばかり違和感を覚えた。慇懃なのはこの男の古クヴェリ語の話し方ではあるが、それにしてもどこか棘がある気がする。とはいえ、彼が話す古クヴェリ語をそう多く聞いたことがあるわけでもないので、もしかしたら元々こういう感じなのかもしれない。
『開戦はいつになるかもう決まられたのか』
『まだはっきりとは。だがあまり猶予はないように思う』
『左様か』
他の陣営の兵団が整うのを待ってから一斉に攻勢をかけるという話である。しかしその期日も定められていないということは、三都市の同盟とやらもなかなか足並みが揃わないらしい。通訳としては、戦争が終わるまで時間がかかる方が手当てが増えるのでできれば引き延ばしてほしいところではあった。
焚火を囲んで沈黙が落ちた。
ジャコモは、何か言いたそうな気配を見せていた。場の雰囲気を支配しているのはギルウィルドだった。彼は目を伏せて自分の膝元に視線を落とし、口を開く気配がない。白い面に赤い焚火が映って踊り、どこか不穏な気配を醸し出している。その気配が座を縛り付け、押さえつけているのだった。
(まったく)
機嫌が悪いのだ。
自分の機嫌をとってほしいばかりにこれ見よがしに不機嫌さを振り撒く我が儘な令嬢さながらである。手のかかる若造である。




