1.女傭兵の新しいお仕事(6)
今のところ恋愛未満な感じの男女の傭兵が少しずつ関係性を深めていく連載物です。
「……なんて?」
「女が関わると面倒だと」
「なんで?」
「知らん。女嫌いなんじゃないのか?」
通訳と傭兵は若者と老騎士の前に突っ立ったまま、暇を持て余して密談するしかほかにやることがない。まったくもって無駄な時間だった。
「あのさあ、契約に関する話をしないんだったらもうおれも手を引きたいんだけど。ほかにいくらでもいい雇い口がありそうだし」
「訳すのか?」
「訳して」
『……契約の話を進めたいと申しておりますが』
最大限歪曲して、ルキシスは訳した。この男に逃げられては失職の危機である。そもそもこいつが自分のところで出稼ぎをしないかと誘ってきたのだ。
『それでいつまでにどれくらいの数の兵隊を揃えられるか、約束をいただきたいと』
フラヴィオとジャコモの視線がルキシスに集中した。どちらかと言えば単なる通訳の自分でなく取引相手であるギルウィルドの方に注目してもらいたかったが、意思の疎通にあたって実際に喋る人間に注意が向くのも仕方のないことだった。
『兵は……』
フラヴィオが苦渋溢れる声を発する。
『口入屋にも話はしておるのですが』
ジャコモの方も似たような声音だった。
『あの女の手が回っているからだ!』
また激昂して、フラヴィオが机を殴りつけた。血の気の多い若者である。ルキシスも血の気の多い方だが、無駄に拳を傷つけるようなことはしない。敵を見つけたら殴ったり斬ったりするくらいで。
なんとなく、怒っている人間を見ているとこちらは怒る気にもならないものだ。要するに白けた気分だった。少年は、誰とも分からない人間を相手に勝手に怒って勝手に興奮している。目の前の人間を完全に無視した態度だ。
「……なんて?」
嫌そうな顔で、ギルウィルドがルキシスを見た。
「兵が集まらないのはどうやら、あの女の手、とやらが回っているかららしい」
「あの女?」
「わたしじゃないぞ」
「分かってるけど。……なんか面倒だから、もういいや。さようなら」
「いや待て、ちょっと」
踵を返そうとしたギルウィルドの腕を掴んで慌てて引き止めた。大切な小遣いが。逃がしてなるものか。
「きみはここで通訳続けたらいいよ」
話す相手がいなくなればそもそも通訳などお役御免ではないか。それでどうやって仕事を続けろと言うのか。
「あ、あなたに一緒にいていただきたいわ」
ひっ、と引き攣ったような声がギルウィルドの喉から漏れた。
「気持ち悪っ」
「殺すぞ」
「気持ち悪いこと言うからじゃん」
確かに気持ち悪い発言だった。こういうことの手練手管には疎い。いや、それ以前の問題か。慣れないことは口にするものでなかった。
『ああー、あの、話を進めないのならもう他を当たると申しておりますが』
ギルウィルドの腕を両手で抱え込んで引き戻しながら、ルキシスはふたりのソヴィーニ人に向かって言った。
『それは困る。これほどの騎士に巡り合えたのも神々の思し召しであればこそ』
ジャコモは弱りきった表情で肩を落とした。
「おまえのことを腕の立つ騎士だというようなことを言っている」
「騎士になった覚えはないんだけど、まあいいさ。契約の話を進める気があるんなら、いつどれくらいの規模の兵隊を集められるのか、とにかく明言してくれ。その内容とおれに課せられた役割次第で検討する」
後半部分について、今度ばかりは忠実に訳して伝えた。
フラヴィオとジャコモは沈鬱な表情で顔を見合わせた。
『口入屋どもはあの女の手先だ』
『何とか我々自身の手でひとりずつ勧誘するしか』
『ぼくは広場に立つなんて御免だぞ!』
『それがしが立ちまするゆえ』
『しかしそれでやっとひとり連れてきたところじゃないか。開戦までに間に合うのか』
『ですがほかに方法は……』
いまいち要領を得ないが、あの女とやらの手が回って、どうも口入屋の斡旋を受けることができない状況らしい。かといって指揮官自身が傭兵を勧誘して回る気はないらしく、哀れな老騎士ひとりが駆けずり回っている。広場で彼がギルウィルドの足に縋りついて懸命に訴えている場面が思い起こされた。痴情の縺れか、老人虐待かと思った一幕だった。
(騎士ともあろう人間が)
いくばくかの哀れさを催した。騎士は面子が全てだ。その点、やくざと同じであるが、発露する方向性は真逆である。
耐えがたい屈辱であっただろう。騎士が傭兵ごときに縋って恥も外聞もない姿をさらすのは。
それでもこの老騎士はこの若者のためにそうした。ギルウィルドと過去にどういう経緯があったか知らないが、いずれにせよ彼のことを高く評価して、ルキシスが大切な小遣いを逃すまいとするのと同じように、この流れ者の傭兵を何としても抱えておきたいと強く念じている。
(つまりわたしとこの老騎士と、利害は一致しているわけか)
小遣い、もといギルウィルドの様子を窺う。完全にやる気がなく、気怠げな顔をしている。
『通訳としてでなく、部外者として発言してもよろしいですか?』
ルキシスがそう言うと、ソヴィーニ人ふたりは怪訝な顔をした。
『お嬢様』
『お嬢様ではないので、せめてルキシスと呼んでいただけませんか』
お嬢様などと呼ばれると背筋がぞわぞわする。
『ではルキシス殿、部外者としてというのはどういった御用向きで』
『通訳として雇い入れていただきましたが、なりを見ればお分かりいただけるとおり、本業は傭兵でして』
『女がか?』
フラヴィオが目を見開く。
『若君、ひと昔前には婦人の騎士や兵士も多うございました』
『時代遅れの遺物ということだろう』
『ええはい、仰せの通りです』
若者の主張はどうでもよいので受け流して話を進める。
『そういうわけでして、傭兵なりの観点から申しますと、これが』
と、ギルウィルドを指し示す。
『いつまでに、どれくらい他の兵隊が揃うかと、気にするのは尤もなことです』
「――きみ、なんか、余計なこと喋ってない?」
これも無視する。全ては大切な小遣いのためである。ギルウィルドの顔も金貨にしか見えない。金貨だと思えば慈しみの情もわいてくる。
『募兵も含めて、この者に申し付けては』
それは本来は雇い主であるザネッティ家の役割である。だが金さえ出せば、そこも外注できないことはない。あまり洗練されたやり口ではないが。
「絶対余計なこと喋ってるよね? 訳してみてよ、ちょっと」
『金子次第でこの男は受けるでしょう』
兵隊集めは自分の仕事ではないと文句を垂れていたが、結局は金次第だ。そして幸い、ザネッティ家の財力は申し分ない。
『ルキシス殿』
老騎士の表情が幾分改まった気がする。
『攻城兵器を有する百人規模の傭兵団と契約できれば上々。それが無理でも騎兵の数によっては』
「――リリ、ちょっときみ、こっち見ろよ」
無視。絶対見ない。
『アマティーニ卿は正騎士なれば、重装騎兵でいらっしゃいますでしょう。ならば突撃隊の指揮をお執りになれるのでしょうから』
『……貴殿の言うとおりである』
『この者は軽騎兵として使うのがよろしいでしょう。歩兵としても使えますが、わたしの知る限り、騎兵としての方が使い道があります』
ちょうどエルミューダもいることだし。
「なんかおれの悪口言ってない?」
むしろ褒めていると思ってほしい。馬上で出くわした時の方がこの男が手強いのは事実だった。長剣で薙ぎ払われて頭をつぶされたり、そこまでいかなくても馬から落とされたところを馬で踏まれるなり剣で突かれるなりすればひとたまりもない。大きな得物を扱う分こちらの剣が届かないし、そのくせ剣速がある。だからギルウィルドと馬上で剣を合わせる時にはまずこの男を馬から下ろす必要がある。地面にさえ下ろしてしまえば懐に斬り込む手段はある。先月、変質者に売り渡されそうになった時もそうしたはずだった。まあ、正しくはルキシスの方が先に下ろされたのだが。
『ですから、この後集まった兵隊の数や種類、質にもよりますが、突撃隊の後ろに続く軽騎兵の一団をこの者に預けて率いらせるのがよろしいかと思います。それなりに機を見るに敏なところがあるので、上手く突撃隊を補佐して攻め口を広げると思います。ただ契約する兵団によっては、部外者を頭にするのは嫌がるかとも思いますので、その時は遊撃隊とか何とか、表向きだけ隊を分けて適当に名目を与えればよろしいでしょう。歩兵や弓兵や兵器部隊は、もちろん別に任せられる分隊長が必要ですが』
「リリ、すごく長く喋ってるよね? 何言ってるのかおれに向かって言ってみろよ、おい」
「お小遣いさんはちょっと黙ってろ」
「お小遣いさんってなにっ?」
おまえのことだ。
大切な金づるである。




