1.女傭兵の新しいお仕事(2)
今のところ恋愛未満な感じの男女の傭兵が少しずつ関係性を深めていく連載物です。
『――何としても貴方様のご助力を』
老騎士はソヴィーノ語で何か言っていた。それに対しギルウィルドはヒルシュタット語で何か怒鳴り返している。ルキシスはヒルシュタット語が得意でないので、早口でまくしたてられる俗語まみれのその言葉を理解することはできなかった。だが少なくとも、お上品な物言いをしているのでないことだけは分かった。
「ギイだな」
言わずもがなのことをジャゾが言った。
「知らねえよ、来るんじゃねえ、人違いだ、みたいなことを言ってますねえ」
ヒルシュタット語も堪能であるらしいトマが通訳をする。
その声が聞こえたわけでもあるまいに、はっとギルウィルドの注意がこちらに向いた。目が合った。完全に気付かれた。
だが彼は一瞬で目を逸らし、気付かなかったふりをした。と思ったそばから屹然と顔を上げ、足元に絡みついている老騎士を助け起こすやいなや、彼に何事か囁きながらルキシスめがけて真っ直ぐ指を差した。
嫌な予感がした。嫌な予感しかしなかった。この状況に及べばきっと誰しもが同じ予感を抱くことだろう。
『お嬢様!』
老騎士がソヴィーノ語で叫びながら白蹄団一行の元へ突進してきた。
「おおおお嬢様?」
単なる傭兵でありどこぞのご令嬢ではないし、娘と言える年もぼちぼち過ぎている。お嬢様よりは奥様の方がまだ理解できる。
しかし一行の中で女はルキシスだけだ。それならばやはりお嬢様とはルキシスのことを指しているのだろう。
動揺が白蹄団一行を襲った。同時に、ルキシスははっと気が付いた。
「ジャゾ、あいつの足を止めろ」
老騎士をルキシスに押し付けることに成功したと見て、ギルウィルドは人込みの中にさっさと姿を消そうとしていたのである。逃がしてなるものか。
『お嬢様、どうかそれがしにお力をお貸しください』
老騎士は何事かよく分からないことをしきりにソヴィーノ語で捲し立てている。
「あの野郎、また私を売りやがった」
老騎士をひとまずいなしながらルキシスは歯噛みした。
「なんでおまえに使われにゃならんのだ」
言いながら、既にジャゾは懐から鉤縄を取り出し、周囲を囲う見物人たちを器用に避けて投げかけていた。淀みない、素早い動きだった。さすがは白蹄団の歩兵分隊長である。鉤縄は城壁を登ったりする際に使うほか、こうした捕り物でも利用できる。足元に投げて絡めとるのだ。
果たして、ジャゾの投げた鉤縄は姿を消そうとするギルウィルドの左脚に絡みつき、ついでにジャゾが思いきり引手を引っ張ったのでそのからだは均衡を崩して地面に沈み込んだ。乾いた土埃が立った。騒然としていた周囲が静まり返る。無様に顔面から着地しなかったのはルキシスにとっては残念なことだった。かろうじて両手と片膝をつき、ギルウィルドは恨みがましい視線でこちらを振り返った。
かくして捕り物は瞬時に終了した。
観念したのか、ギルウィルドは深いため息をつきながらからだを反転させ、土の上に座り込んで左足に絡みついた鉤縄を解きにかかる。鉤爪が革の長靴に食い込んでいるが、どうせ怪我はないだろう。
そのすぐそばにつかつかとトマが歩み寄った。
「いけませんね、ルキシスさんは今は白蹄団の預かりですから。ギイさんの勝手で売り渡されては」
「――顔はやめてよね、商売道具だから」
と、ギルウィルドがリーズ語で言ったのはトマに向かってではない。
「その土手っ腹の傷跡、もう一度こじ開けてやってもいいんだぞ」
老騎士を引きずるようにしながらやって来たルキシスに向かって言ったのだ。
「おまえら、何したわけ?」
ジャゾがギルウィルドに手を差し出す。もちろん、助け起こそうとしているのでなく鉤縄を回収しようとしているだけだ。
苛立ちをあらわにしながらギルウィルドが解いた鉤縄をジャゾの手に叩きつけた。
「おれはリリに割りのいい仕事を紹介してやっただけだよ」
「仲介料も受け取らずにこそこそ逃げようとしておきながらか?」
『お嬢様、何卒話をお聞きくだされ』
ルキシス本人も含め、全員が全員勝手に話すのでもう何が何だかしっちゃかめっちゃかだった。
『どうかそれがしの陣にお越しを』
老騎士は必死に言い募る。その形相にはいささか鬼気迫るものがあった。
困惑して、ルキシスはトマと顔を見合わせた。
「説明しろよ、おまえ」
鉤縄からは解放されたものの、まだ地べたに座り込んだままのギルウィルドの膝のあたりを軽く蹴りつける。
「おれだって知らねえよ」
「知らないわけがあるか。おまえの知己だろ」
「知らない。人違いだ」
『騎士様、この者は人違いだとか申しておりますが』
老騎士がどこまでリーズ語を解しているのか分からなかったので、ひとまずソヴィーノ語で話しかけてやった。
『いいえ、そのようなはずはありません。七年前、確かに』
老騎士は必死にそう言い募る。ソヴィーノ語である。リーズ語を理解しているような様子は見受けられない。
「……おまえ、ソヴィーノ語は分かるのか?」
ギルウィルドに向かって訊く。
「大して分かりゃしねえよ。挨拶とか号令くらい。その爺さん、ソヴィーニ人の兵士を募りたいんだってさ」
「おまえ、ソヴィーニ人だったのか?」
「なわけないでしょ」
ごもっともである。この男の容姿は明らかに北国の人間のもので、北方諸王国を構成するうちの一国、ノールの出身だと聞いていた。大陸南部に多く住むソヴィーニ人と共通する特徴はほとんどない。
「この御仁は七年前におまえと会った、というようなことを言っているが」
「ああ?」
ギルウィルドは不機嫌に目を細め、座ったままルキシスを睨みつけた。機嫌が悪い。八つ当たりだ。人を売り飛ばそうとしておいて。
「七年前って、おれ十四歳だよ。そんなガキの頃にこんな爺さんと関わった覚えなんて――」
「十四歳!」
ルキシスは思わず素っ頓狂な声を上げた。
「なに?」
呆気に取られたように、ギルウィルドの眼差しから険が抜ける。
「七年前に十四歳って、おまえ、今いくつだ?」
「……計算できないの? 二十一だけど」
「二十一!」
計算はできるが、それはそれとして衝撃的な言葉だった。
(年下!)
どういうわけでか、打ちのめされたような心地だった。
「なに? どうしたの?」
「……同じくらいか、おまえの方が年上かと思ってた」
ルキシスは今年二十五になった。冬には二十六になる。
「そりゃねえよ、姐さん」
「――今、遠回しにわたしのことをババアと言ったか?」
「言ってないよ!」
不穏な気配を察してギルウィルドが慌てだす。
「トマ」
「言ってませんが、そう聞こえましたね」
「言ってないってば! 誤解!」
「ジャゾ」
「言ったも同然だったな」
「言ってないって!」
「有罪だな」
言ってないよとなおも弱々しく呟くも、形勢の不利はいかんともしがたいということは悟ったのだろう。口は禍の元である。小賢しい若造が。
ルキシスは荷物を傍らのジャゾに押し付け、老騎士に向き直った。彼の両手を取る。
こうして間近で見ると、なかなか身なりのよい騎士だった。年の頃は六十をいくつか過ぎているだろう。上質な帷子の上に黒光りする見事な甲冑を身に着けている。そうは言っても戦闘中ではないので、完全装備ではなかったが。
よく日に焼けた肌はあかがねのようで、年を経てなお肉体は鍛え上げられている。頭髪には白髪が混じっているものの、元の色は濃い蝋色と見えた。瞳の色もよく似た蝋色だ。いかにもソヴィーニ人らしい風貌だった。顔には深いしわが大きく刻まれているが、若い頃にはさぞや貴婦人たちから注目を浴びただろうと思わせるような端正さが窺える。
『わたくしは女の身ですから、騎士様のお役に立てるとは思えません』
ここぞとばかりに丁寧な、気取った、上流階級風のソヴィーノ語で言った。身なりを見ればお嬢様でも奥様でも、そもそも堅気ですらもないのは一目瞭然だろうが。
『ですから代わりにこの者が騎士様のお役に立ちますわ』
まだ地べたに座り込んだままふてくされているギルウィルドを指し示す。
『おお、それは何より』
老騎士が相好を崩した。
「リリ、もしかして今おれのこと売り飛ばしてない?」




