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女傭兵は殺し足りない  作者: 綾瀬冬花
女傭兵は殺し足りない
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13.愚か者の話(3)

 古代から続く名族の末端に生まれた。島で生まれ育って、両親には早くに死なれたが乳母とその一族が忠義者だった。庇護すべき両親を亡くした少女を一族総出で大切に大切に、真綿にくるむようにして育て上げた。

 両親がいないからといってさほど寂しいとも思わなかった。乳母たちが優しかったからでもあるし、何かにつけ鈍い娘だったからというのもあるだろうか。


「あまり頭の回りの早い少女ではなかった。ただ言語が得意で、家庭教師をつけてもらうとそれなりに上達はした。後は日がな一日窓辺に座って刺繍をして、竪琴を弾いて暮らしていた」


 鈍くて、引っ込み思案で、乳母たちと一緒でなければ島の男の子たちと口もきけなかった。乳母たちの方でも我らの姫様をそのあたりの庶民になどそうそう近付けず、十重二十重に帳の奥に隠し込んで育てたから、世の中のことをろくに知ることもなく生きていた。

 年頃になったらきっと乳母たちが嫁入り先を見つけてくれる。両親の残してくれた財産は持参金としては十分だった。それで結婚して、子供を産んで、できれば跡継ぎの男の子を産んで、そうやって生きて死んでいくのだと思っていた。


 クロフィルダイの島主の一族といってもラティアは本当に末端の生まれで、本家には年に二度挨拶に上がるくらいだった。本家の若様や、継承権上位の御曹司たちなど雲の上のひとたちだった。

 でも十二歳の時、どういうわけかクロフィルダイの若様の花嫁に選ばれた。

 ラティアは――有頂天になった。生まれて初めての華々しい立ち位置だった。屋敷には島中から付け届けが、それこそ嵐のように舞い込んだ。

 若様は帝都に留学していて、洗練されて優しくて格好よくて世界で一番素敵なひとだった。島の娘たちで彼に憧れない者はいなかった。ラティアだって年に二度、一瞬だけ御目文字するたびに頬が熱くなった。

 まさか自分が、その若様の花嫁に選ばれるなんて。


 後から思えば本家の思惑は明白だった。つまり、両親が死んでいて面倒な外戚がいない。他氏族と下手に婚姻を結んで乗っ取られたり財産を掠め取られたりする心配がない。所詮は一族の中の、発展のない、手っ取り早い、だが島の結束を強化するためには有効な婚姻。

 ラティアは島一番の美女というわけではなかったが、それなりに可愛らしいとか美しいとか、多少の評判はあった。ついでに大人しく従順で、自分の意見を口にすることもない性格だということも知れていた。実際は、自分の意見などないだけだったが。何か言われれば顔を赤く染めて俯いて黙りこくって、だが宮廷語にも古クヴェリ語にも通じていて、必要であれば他家の貴族たちとの社交もできないことはないだろうという点が評価されたようだった。


 馬鹿で愚かなラティアにはそのあたりのことはよく分かっていなかった。

 ただ若様の花嫁に選ばれて、嬉しくて、誇らしくて、あんなに素敵なことは他になかった。


「足入れ婚というのを知っているか?」

「いや」


 ギルウィルドが首を横に振る。


「クロフィルダイの島でももうずいぶんと古風な習慣だ。神殿は認めないだろうな。正式な結婚の前に、一定の期間を定めて花嫁を婚家に送り込む。その間に子どもが、できれば男子が生まれれば正式な婚姻を結ぶ。子どもが生まれなかったら花嫁は実家に帰す。その場合、婚姻は不成立だ。その花嫁は、以降は寡婦として……寡婦じゃないんだが、まあそんなような扱いで生涯を過ごす」


 ギルウィルドは難しい顔をした。神官としては当然そのような婚姻は認めがたいだろう。そもそも神殿は婚前交渉を認めておらず、神殿の婚姻法からすれば不道徳的である。


「わたしの場合は三年間だった。三年間の間に子どもを産めと。十二歳の小娘に」


 ただ、頭の巡りの悪い馬鹿なラティアはそんなことはどうでもよくて、若様の花嫁になれたことが嬉しくて、乳母たちが心を尽くして仕立ててくれた嫁入り道具を持参して、意気揚々と本家へ入った。

 でも子どもは生まれなかった。

 正確には、若様はラティアと床入りしてくれなかった。

 若様は優しかった。四歳年上で、本当に素敵だった。彼だって望んだ婚姻ではない。世間知らずの田舎臭い小娘を突然花嫁として押し付けられただけだ。ラティアからすれば随分と大人に思えたけれど、彼だって当時わずか十六歳だ。それなのに思慮深く、大人たちよりずっと思いやりがあった。


「どうしてわたくしの寝間へお越しくださらないのですか? わたくしの何が至りませんか? お気に召さないところは努力いたしますから」


 ある時思いきって、そう訊いた。

 おまえの奉仕が足りないから、おまえが至らないから、若様がその気にならないのだと毎日責められて、何も考えずうすらぼんやりと生きていた馬鹿な小娘にも少しは堪えるものがあったのだ。

 若様は普段は帝都へ留学していて、夏と冬の二度、島へ戻ってきていた。若様と子どもを作る機会はその休暇の間しかなかった。

 クロフィルダイは皇帝の臣下ではない。誰にも臣従はしていない。だが、帝国を無視することはできない。だから大切な跡取り息子を留学という名の人質に出してまで生き残りを図っていた。そう、今ならば分かる。当時はそんな事情は知りもしないし、想像さえしなかった。


「若様はわたくしの手をお取りになって――」


 大衆語。大衆語。そうと自分に言い聞かせる。

 ともすれば、クロフィルダイの島を思い出しそうになる。晴れた日が多く、雨はほとんど降らない。湿気が少なく、いつも乾いている。夏の直射日光には焼き尽くすような厳しさもあったが、風が強く吹く土地でもあって、木陰にいれば暑さに苦しめられることはなかった。

 水色の空。若草色の大地。

 風があまりに強くて、木が直角に曲がって育つことさえあった。

 世界で一番美しいところだった。

 もう二度と戻れない。

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