10.後始末(3)
男女の傭兵が少しずつ関係性を深めていく連載物です。
1日あたり1、2話くらい更新します。
「じゃ、身代金でリリの身柄を買い受けるしかない」
アラムがため息をついた。それは控えめな同意の表現だった。
「アラム、ヴェーヌ伯はいくらで手を引くと思う」
「ヴィング金貨で三百」
「高い。あんた、せめて百まで値切れるか」
アラムはこめかみに手を当て、少し考えこんだ。
「百五十より下は難しいだろう」
「百五十か」
大金である。ルキシスの手持ちの財産を全て集めてもその額には至らない。
「リリ、伯から分捕った金は返せよ」
「ええ」
ヴェーヌ伯の寝間から奪ってきた金を返してしまったらもっと懐が寂しくなる。
「それくらいしないとアラムの顔が立たねえだろうが。諦めろ」
それは確かに、ギルウィルドの言うとおりなのである。アラムにはヴェーヌ伯と交渉してくれるつもりがあるようなので。
「少し使ってしまった」
「はあ? いつ使う機会があったんだよ。実は前から思ってたけど、きみ、金遣いが荒すぎるって。博打もするしうわばみだし」
「今はそれ、関係ないだろ」
「自分で補填しろよ」
兵営を抜け出す時に馬の代金として金貨を数枚置いてきたのだ。それくらいならば返済することは可能だが安い金額ではない。ため息が出る。
ため息をつきたいのはこちらの方だ、と言いたげな顔でギルウィルドがルキシスを見た。先ほどはルキシスの方がそんな顔をしていただろうが、いつの間にか立場が逆転していた。
しかし伯から奪った金を返却したところで、身代金のヴィング金貨百五十は別勘定である。
「ヴィング金貨百五十枚が必要なのね」
ユシュリーが呟いた。
ブリャックたちが横領した金があれば、と思っているのかもしれない。
「ユシュリー」
ギルウィルドが微笑みかけた。真意の知れない笑顔だった。
「お姉さんはきみたちを守るために骨を折った。この村はお姉さんにどれくらいの金額で報いてくれるかな?」
言いづらいことを直截に切り込む。
ユシュリーは考え込んだ。ファブロら村の代表者たちも神妙な顔をしている。
何と言っても、無い袖は振れないからだ。退去金の大部分は横領され、残っていたのはヴィング金貨にして十数枚といった有り様だった。感謝の気持ちは嘘ではあるまいが、それを金銭で表すとなると世の中そうそう円滑には進まないことが多い。
「現金は今、あまりないんです。このエメラルドは金貨百五十以上の価値があると思いますが、それではいけないでしょうか」
ユシュリーの飾り帯。両親の形見。
少女が立ち上がって帯を外し、卓上に置いた。
「本当にそれでいい?」
改めて見ても稀代の名宝と見える。アラムも難しい顔をしてその宝飾部分に見入っている。
「はい」
「駄目だ」
頷いたユシュリーを制して、ルキシスは飾り帯を取り上げると少女の胸元にそれを押し付けた。
「お姉さん」
「これはいくら何でも過ぎたものだろう。おまえは簡単に切り札を出しすぎる。だからアンリにも足元を見られた。もっとこう、隠しておかなければ。最後の手段は」
「おれから見ればおまえもそうだぞ」
「親爺、わたしのことは後にしてくれ」
話がややこしくなる。
「だがご令嬢、手前もルキシスの言うとおりだと思いますがね。この馬鹿娘ひとりのためにこれほどの貴重品を手放す必要はないでしょう」
馬鹿娘、馬鹿娘と。娘と呼ばれるような年齢も過ぎかけているのに。でも反論できないので黙っている。
「ああでも、他にいくつか宝石があります。これほど立派なものではありませんが、それでもいくつか集めれば――」
「ユシュリー、それはこのおじさんにあげてほしいんだ。アラム、あんたはそれで仕事をひとつ引き受けてほしい」
おじさんというのはもちろんアラムのことである。アラムはギルウィルドを胡散臭そうな目付きで見た。
「何のつもりだ」
「それとヴィユ=ジャデム家にもうひとつ頼みがある。リリの身柄を引き受けてくれ」
ギルウィルドはアラムの言葉には答えず、足元から布袋を持ち上げて皆の前に示した。ルキシスには見覚えのある布袋だった。彼が中身を取り出す。神殿の正式文書を作るための羊皮紙――と言っていた。丸められ、真ん中を革紐で結んで留められている。
革紐を外して、丸まった紙をギルウィルドは縦に広げてみせた。
「告発状を用意した」
ダーリヤのための告発状を作成すると言っていたが、もちろんそれとは別口だろう。ここで持ち出すということは恐らく、ヴェーヌ伯を告発するという内容になっているはずだ。
アラムが顔をしかめる。
「おい、神殿文書の偽造は重罪だ。世俗法じゃなく神殿法で裁かれる。つまり大陸中のどこにも逃げ場はない」
「本物」
満面の笑みを浮かべて、ギルウィルドは羊皮紙をアラムに突き出した。アラムはそれを受け取り、まだ真贋を疑う眼差しでそれを見ている。
向かいに座っているルキシスやユシュリーには、位置の関係上その文面を読み取ることはできなかった。だがギルウィルドがそれを開いてみせた時、確かに神殿の正式文書や祈祷書などで用いられる神官文字で綴られているのは見えた。
言語としては古クヴェリ語である。だが神官文字は通常の古クヴェリ文字に対し、原形をとどめないまでに極端な装飾を加えるのだ。一文字綴るのに通常の三十倍から数百倍ものの時間がかかるといわれている。ひとりで集中してやりたい、と彼が言い出すだけのことはある気を張る仕事だった。少し装飾が乱れれば一からやり直しとなるので納得できる話である。なお、ギルウィルドの告発文は黒インク一色だったが彩色する場合もある。そうなってくるといよいよどこが文字でどこが挿絵かも分からなくなってくる。
アラムはしばらくの間難しい顔で文書を見ていたが、やがてこめかみを手で押さえながらその文書をルキシスへ回した。
「ご令嬢とルキシスがこれでいいなら」
ユシュリーと一緒になって文書を覗き込む。通常の古クヴェリ文字ならば問題ないが、さすがに神官文字はルキシスも見慣れていない。それに文体や言い回しも神殿の正式文書独特の難解さがあり、一度読んだだけではなかなか頭に入って来ない。苦心しながら丁寧に読み下していく。
要約すると、ヴェーヌ伯は既婚の身でありながら重婚規定に反して未婚の娘に卑劣で破廉恥で卑猥な振る舞いで婚姻を迫って彼女を追いかけまわし、進退窮まった娘がヴィユ=ジャデム家に助けを求めて駆け込んだ。土地の領主としての責務からヴィユ=ジャデム家では娘を保護し、ヴェーヌ伯の非道を神官に打ち明けた。それを受けて神官が正式に神殿文書として告発する運びである、という体裁になっていた。
(あ、この娘ってわたしか)
随分と気の毒で哀れで健気な娘のように描写されているので、そうと気が付くまで少し時間がかかった。
そこまで理解したところで、その内容をかいつまんでユシュリーやファブロたちにも説明してやった。少女も一生懸命に読み込もうとしているが、通常の古クヴェリ文字ならまだともかく、神官文字はさすがに荷が重いだろう。
「……重婚って確か経典には書いてないとか何とか」
疑問を覚えて訊ねる。ギルウィルド自身がそんなようなことを言っていた気がする。
「経典には書いてないけどこの辺では実際重婚規定を定めて運用してるから問題ない」
地域の風習と混同されて、重婚は事実上禁じられている。そういえばそうも言っていたか。
(ヴェーヌ伯って結婚していたのか)
それでよくもまあ伯妃にしてやるなどと下半身を丸出しにして迫って来られたものだ。返す返すも気持ち悪い。死別か離別か知らないが、せめて独身かと思っていたのに。いや、独身だとしても許しはしないが。去勢されなかっただけ心の底からありがたいと思ってもらいたい。




