6
アルシュリオン。創世から間もなく八つの種族が生まれて、彼らが国を築きあげたときに八体の魔竜が異界から攻めてきたとされている。
八体の魔竜に八つの種族は対抗を試みるものの、その力は強大であった。そこで八つの種族は海と陸地を分かち、海の世界に魔竜たちを封印した。
以降、陸地は天空を浮かぶようになりスヴェインオードと呼ばれるようになった。そして海の世界はシュアルオードと呼ばれるようになったという。
ポスターを広げると海と砂浜が映っている。キャッチコピーを見るかぎりは人権啓発のポスターのようだ。
「海と陸か……」
その狭間にあるのがストルレグスということらしい。だとしても、東京で戦うという課程がいまいちわからない。ゲームの話だからといって、聞いたこともない仕様だ。気になるの当然だと思う。
「海と陸がどうかしました?」
「いや、べつに……」
すると来夏が頬をつねってくる。
「イタタタッ!」
「寝ぼけないでください。もう少しで終わりますから」
「わかってるよ……」
来夏はパッと手を離すと、くるりと反転して前を進んでいく。俺はそんな彼女の様子を頬をさすりながら見つめていた。
「ほら、早く行きますよ」
俺たちはあれから放課後になってもポスター貼りをやっていた。それももうすぐ終わりだ。それにしても学校の掲示板すべてに貼らないといけないなんてな。手伝いとは言え、よくやったと自分を褒めてやりたかった。
「これで終わりです」
最後の一枚を貼り終える。
「仕事はこれで終わりなんだよな?」
「あら、まだしたいんですか?」
来夏が意地の悪い笑みを浮かべて訊ねてくる。
「んな、ワケあるか」
「言ってみただけですよ」
俺はふいに窓の外を見る。グラウンドからは部活をやっている学生たちの歓声が聞こえる。陽もまだ高い。家にまっすぐ帰るにはまだ早かった。
「とりあえず生徒会室へ報告に行きましょうか」
「わかったよ」
生徒会の雑用が終われば、生徒会室で休憩がいつもの流れである。俺はあきらめ顔で両手をあげると、来夏のあとに続いた。
「薫人くんは何かやりたいことはないんですか?」
「やりたいこと? とりあえずパソコン部には入ったぞ」
「それは目標じゃないと思います」
来夏はため息をついて困った表情を浮かべている。
「そうか?」
「せっかくなんですから、しっかり青春したいじゃないですか」
「生徒会の雑用が青春か?」
「私とこうしていることは十分に青春だと思いますよ」
「そうですか」
俺がため息をつくと、気に障ったのか来夏は頬をまたつねってくる。
「ここはもう少し嬉しそうにするべきじゃないですか? 気が利かないとモテませんよ」
二日間の間に違う女性から同じことを言われるのってすごいよな。まったく嬉しくないのが悲しいところだが。
来夏が生徒会室のドアをノックしてから中へ入る。中にはメガネをかけた少年と、ショートカットの闊達そうな少女がいた。
「二人ともご苦労様」
男子生徒のほうが労いの言葉をかけてくれる。
「央司、こいつらポスター貼りを理由にして、校内でデートしてただけじゃないの?」
からかうように言ったのは少女のほうだ。若干、口調が乱暴なのは彼女の性格である。
彼女の言う通り、たしかにそれなら校内で堂々といちゃつけるだろう。頭がいいなと思いつつ、それが自分と来夏を指していることに改めて気づかされる。
我ながら、鈍感なことだ。
「まあまあ。大塔さん、いいじゃないか。別にさぼってたわけじゃないんだしさ」
央司と呼ばれた男子生徒は生徒会長である。対して女子生徒は大塔結桜といって副会長を務めている。いずれも三年生だ。
「今日はお二人だけなんですね」
最初に来夏が話を振る。
「生徒会は部活動じゃないし、他の活動と掛け持ちがほとんどだよ。こうやって放課後に生徒会室にいるほうが珍しいんだ」
じゃあ、どうして二人は生徒会室にいるのだろうか。
「生徒会で活動すると内申点がよくなるって話は本当ですか?」
俺は質問をぶつけてみる。
「そりゃ先生方のウケはいいことに越したことはないさ。生徒会活動はアピールポイントとしてもわかりやすいしね」
「陽隠先輩は内申点目的なんですか?」
「はっきり聞くね。もちろん、下心が一切ないと言えば嘘だけど、単純に生徒会の活動が好きなんだよ」
「そういうのいいと思いますよ」
「ありがとう」
俺と陽隠先輩が話していると、来夏が生徒会室にある棚から湯呑みを四つ取りだす。
「お茶、入れますね」
「悪いね。うちの女中は気が利かなくて」
「私がただ飲みたいだけですから」
来夏はそのあとに「お気になさらず」も付け足した。それから大塔先輩への目配せも忘れない。すると大塔先輩も「気にするな。慣れっこだよ」と視線を投げてくる。
「大きなお世話よ」
それから大塔先輩は机の上にあった書類の束を手にとって、陽隠先輩の頭を軽く小突く。
「やめないか。危ないだろ」
二人がじゃれあっている間に来夏もお茶を入れ終えたようだった。気がつけば、それぞれの前にお茶の入った湯飲みが置かれている。
「お茶請けが欲しいところだな」
会長が思いつきをそのまま口にだす。すると来夏は何かを思いついたように立ちあがる。
「それなら私に心当たりがあります。おそらく私が頼めばおすそわけしてもらえるかもしれません」
“かも”なんていう遠慮がちな言いまわしをしているが、来夏のことだ。ほぼ確実にもらってくるんだろう。彼女にはそういう伝手がある。
来夏は笑顔で手を振って、軽い足どりで生徒会室を出ていく。そうなると部屋に残されたのは俺を含めた陽隠先輩と大塔先輩の三人だけになる。
「伝手ね……。いまなら調理部がお菓子を作っている時間かな」
陽隠先輩は時計を見あげてつぶやく。
「あの娘、まだ一年よね? 四月もまだ終わってないのに伝手があるなんて信じられないわ」
大塔先輩の言うとおりだ。だが、思い返してみると、四月にして各部に営業を行っていたような気がする。俺もしょっちゅう手伝わされていたな、そういえば。
「そういえば富流羽くん」
陽隠先輩は何かを思い出したように、俺の名前を呼んでくる。
「はい。何でしょうか?」
「今日、転校してきた片岡里奈さんと同居してるんだってね」
「事実なので否定はしませんけど、どこで知ったんですか?」
少なくとも、俺は誰にもしゃべっていない。となれば、誰が里奈の事情を第三者にしゃべったのか。
「先生から聞いたんだよ。僕はこれで先生方の信頼は厚いんだ」
「でも、先生から聞きだしたのは陽隠先輩ですよね?」
「そうだよ。誰しも可愛い娘とはお近づきになりたいものさ」
俺と呼応するように、大塔先輩もため息をつく。
「そういえば、休み時間も片岡さんに声をかけてたわね」
「学校にもまだ慣れてないないだろうし、困ったことがあればいつでも言ってくれと声をかけただけだよ」
「手をつけるのが早いことで」
大塔先輩は心底、呆れている様子であった。
「少しでもクラスで早く馴染めるようにっていう配慮のつもりだよ」
「端から見たら下心丸出しだったわよ」
大塔先輩の指摘に、陽隠先輩は「手厳しいな」とつぶやきながら、肩をすくめる。
ちょうど、そんなときだった。来夏が来客を一人連れて生徒会室に戻ってきたのは。
「おかえり、蔵脇さん。それと??ようこそ生徒会室へ、片岡さん」
陽隠先輩は来客である里奈を歓迎する。一方の里奈は表情を固くして、口をへの字にしながらゆっくりと頷く。なぜか妙に緊張をしている様子だ。
「来夏、どうして里奈、……先輩が一緒なんだ?」
思わず先輩をつけそびそうになる。どうも、里奈を先輩と呼ぶことに抵抗があるらしい。
「さっき、薫人くんを探してウロウロしてたみたいだから案内してあげたの」
その言葉に里奈が顔を真っ赤にして否定をしてくる。
「ち、違うぞ! わらわがこやつを探しておったなどとでたらめを言うでない!」
「では、誰を探していたんですか? それとも、先ほど一年生の教室がある棟へ行こうとしていたのは、私の気のせいでしょうか」
里奈は「うぬぬ」と唸りながら来夏を睨みつける。
「そもそも転校してきたばかりの片岡先輩が探す人物なんて片手ほどの人数もいないでしょ」
来夏のごもっともな指摘に里奈は黙りこくってしまう。
「まあまあ、蔵脇さん。何はともあれだ。せっかく生徒会室に来てもらったんだし、ゆっくりしていってもらったらどうだろう?」
「もちろんですよ、陽隠先輩」
来夏はにっこりと笑みを浮かべると、里奈を俺の隣に半ば強引に座らせる。それから数枚の紙皿を机の上に並べると、片手に持っていた包みからクッキーを紙皿に手際よくわけていく。並べられるクッキーは少し割れているものがあったり、少し焦げたものもあった。
「今日、調理部からクッキーをわけてもらえる約束をしていたんです。と言っても、どれも失敗作ですけど」
まあ、口では何とやらである。俺はためしにクッキーを一枚手にとって口に入れた。ちょっと焦げた風味はするものの、味に問題はない。
「十分いけるぞ」
俺は思わず声を出していた。来夏も嬉しかったのか、ほっこりと顔を綻ばせている。
「薫人くんのそういうところ好きですよ」
「へ?」
俺は思わず間抜けな声を出す。おそらく恋愛的な好きではないのだろうが、それでも面と向かって言われたら照れくさいものである。
「何をデレデレしておる」
隣で里奈が呆れながら、一方ではクッキーを食べはじめていた。
「仕方ないだろ……」
ちょっと俺には刺激が強すぎる言葉なのだ。来夏もそれをわかったうえでやっているのだろう。彼女のいたずらが成功した子供のように無邪気な笑顔を見れば、わかるというものだ。
「そういえば忘れていた」
陽隠先輩はポンと手を打ち、書類を取りだしてくる。
「富流羽くん、ちょっとこの書類を笠子先生に提出してきてくれるかい。実は提出期限が今日なんだ」
「……それをどうして俺に頼むんですか?」
「君がこの中で一番頼みやすいからだよ」
その一言に俺はぐぐっと押しこまれたように黙りこんでしまう。陽隠先輩は「まさか断らないよね?」なんて期待をこめた視線を俺に向けてくる。
他の女性陣は我関せずとばかりにお茶をすすりながらクッキーを食べている。どうやら一人で行けということらしい。
「……わかりましたよ」
というか、本来なら陽隠先輩の仕事だろうに。そう思うと、引き受けてしまったことにとてつもない後悔が押し寄せてくる。
「うむ。心配するな。クッキーはぬしの分もしっかりわらわが食しておこう」
里奈が底抜けに明るい慰めをかけてくる。というか、慰めてないな。だって、むかつくし。
「それじゃあ行ってきます」
俺は書類を手に持って、生徒会室を出ようとした。すると陽隠先輩が呼び止めてくる。
「富流羽くん、鞄を持っていったほうがいい」
「どうしてですか?」
俺は訊ねる。
「僕たちはクッキーを食べたら、帰るつもりだからだよ」
俺はその言葉を聞いて、肩に重荷が乗ったような気になったのであった。