k02-30 あまり人には見られたくなくて
手に持った短剣に、目一杯の力を込めるアイネ。
段々と腕が痺れてきてブルブルと震える。
しかし、それでも男の剣はピクリとも動かない。
涼しい顔で男が呟く。
「……ほぅ。オレイカルコスの短剣か。これまた貴重な物を……。こちらでも有る所には有る物なのだな……」
ただの力比べじゃ押し負ける……
横に避けて剣筋から外れると、そのまま回転蹴りを繰り出すアイネ。
しなやかな動きで蹴り出されるその爪先には、ファントムの漆黒の爪!
しかし、これも軽く躱さてしまう。
立て続けに繰り出した短剣による突きも、あっけなく剣で払われる……。
見れば、さっきまで傷一つ無かったその刃先は、たった一撃でボロボロに刃こぼれしている。
「ふむ。中々良い蹴りだ……。若いのに相当な実力者と見受けるが、名のある戦士か?」
「……さっきからその言い方。あなた、キプロポリスの人じゃないですね」
「如何にも。私はエバージェリー人だ」
「――どうしてエバー人がこんな所に?」
「まぁ……仕事、だな。そちらも同じような物だろう?」
「……元々はそうでしたけど、今は護りたい友達の為です」
「それは素晴らしい」
男はそう言って手を叩く。
褒めて貰っている最中に申し訳無いとは思いつつ……手に持った短剣を素早く投げつける!
男は事も無げにそれを躱す。
その一瞬の隙を突いて、全速力で突進するアイネ!
両手に漆黒の爪を携え、渾身の力を込めて切り裂く!
その凄まじい斬撃は、まるで空間すらも切断したかのような漆黒の残像を描き出す!!
……しかし、その全力の一撃ですら、男の剣を僅かに揺らした程度だった。
「いやいや、凄まじい威力だ。この一撃を止められる人間はエバーでも早々居ないぞ!」
男は、初めてほんの少し感情を露にする。
ダメだ……この人、まともに戦って叶う相手じゃない……。
視界の端で建物を見る。
大丈夫、シェンナ達は無事に行った。
「……良かったのか? 2人、3人でかかってくれば、多少なりとも勝率は上がったかもしれんのに」
「……いいんです。私達の"勝利"は別にあなたに勝つ事じゃありませんから」
「ふむ。それはそうかもしれんが……"勝利"の為ならば自分の死はいとまないと? 中々見上げた精神だ」
「いえ……死ぬ気もありません。それに――」
そう言うと、アイネは地面に手足を付け4足獣のような恰好を取る。
「私も一応女の子なので、あまり人には見られたくなくて!」
アイネの全身がみるみるうちに黒い影に覆われていく。
腕と足を覆う影は完全に獣の四足へと姿を変え、手の甲からは先ほどまでよりも太く鋭く、より獣のそれに似たかぎ爪。
長い尻尾を太く逆立て、ピンと立たせる。
美しい銀の髪は長く伸び、バサバサと風に靡く。
それだけではなく、髪と同じ白金色だった瞳は深い黄色へと変色し、縦長の黒い瞳孔が浮かび上がる。
大きく開いた口からは鋭い牙が……!
「……ほう。これは驚いた。……獣人、いや、"魔物"そのものか」
男が驚き目を見開いたその瞬間――
アイネはまるで獣のような唸り声を上げ、獲物を狩る肉食獣のように襲い掛かる!!
その強靭な後ろ足で蹴り上げられた地面は、大きながれきとなり吹き飛ぶ!
そして、周辺一帯の物全てを粉砕するかのごとき爪の一撃!!
最早、切り裂くというよりも叩き潰すという動きに近いかもしれない。
周辺数メートルに渡り地面が粉々に吹き飛ぶ!
橋がバラバラと音を立てて崩れ落ちる……
激しい土埃が立ちこめ、辺りは何も見えなくなった。
―――
土埃が止むと……見えて来たのは崩れ残った橋の淵に立つ男。
纏っていたローブは消し飛び、所々布が残っているだけに。
身に着けた籠手も所々ひび割れている。
しかし、それ以外男に目立った傷は一つもない。
一方のアイネは、今の一撃で力を使い果たしたのかぐったりと橋の欄干にもたれ掛っている。
「これは……さすがに驚いた。とんでもない威力だ。それに先程の風貌……」
男がやや興奮君に話すが、アイネは俯いたまま目を閉じたまま動かない。
「……少女よ。敬意を表して選ばせてやろう。ここで私に殺されるか、一緒に来て“協会”に協力するか。選べ」
薄っすらと目を開けるアイネ。
欄干に捕まり、震える全身でどうにか立ち上がる。
そして、最後の力を振り絞り、そのまま橋の外へ――
「……自ら死を選ぶか。まぁ、一緒に来て生き永らえたとて、実験サンプルとして"あれら"とそう変わらない運命を辿るたどる事になるか……。賢明な判断かもしれんな」
橋の下は荒れ狂う外海。
海面に叩きつけられたアイネの姿は、瞬く間に波に飲まれ姿を消した。
―――――
水が……冷たい!
前に泳いだハイドレンジアの穏やかな海とは似ても似つかない。
どうにかもがいて海面に頭を出しても、激しい波のうねりであっという間に水中に引きずり込まれる。
海の中はどこまでも広がる深い青一色。
絶望的に広く深い海の恐怖が襲ってくる。
心の中で必死にファンちゃんに助けを求めるけれど、さっきの一撃で力を使い果たしたのか何の反応もない。
何度も水面に顔を出し、その度に水を飲んで水中に叩き戻される。
そうこうしているうちに、何もない海の青の中に、ポツリと動く何かの影が見えた気がした。
その陰はこっちに向かって来る。
何だろう? もしかして誰かが助けに!?
どうにか意識を保ち、その陰を必死に確かめる。
どんどん大きくなるその青黒い影は……巨大なサメ型のマモノだった。
そう言えばアザレアが言ってた……周辺の外海には侵入者撃退用の巨大なマモノがウヨウヨ居るって。
だんだん意識が遠のいてくる。
私、ここで死ぬんだ……。
マモノに食いちぎられるのと、溺れて死ぬの、どっちが辛いんだろう。
せめて少しでも苦しくない方で……
そう思った所でアイネの意識はプツリと途切れた。
真っ暗な海の底に沈んでいく。
……そんなアイネに近づく何かがもう1つ。
淡い光がユラユラと揺れ、アイネを中心に光の傘を開くように広がる。
直ぐ傍まで迫っていた巨大なマモノは、その姿を見るなり踵を返し、一目散に逃げ去っていった――






