k01-53 憧れだった人
カルーナファミリア・ホーム
その入り口では、シェンナが中々ドアを開けられずに佇んでいた。
今までこのドアを何回……何十回開けたか分からないけど、こんなに重い気持ちで開けるのはこれが最初で、最後ね。
いつまでも突っ立っていても仕方ない。
こんな所で棒立ちしてて、他の生徒に鉢合わせても気まずいし。
意を決してドアを開ける。
中には生徒は誰もおらずシンとしている。
マスターだけがいつも通りの席に座っていた。
「……あら。誰かと思えば……思ったより元気そうね。胸の怪我はもう大丈夫かしら?」
いったいどんな反応を返されるか内心相当緊張していたけれど、いざ顔を合わせてみると、以前と何ら変わりないマスターの様子に少し拍子抜けする。
「はい。リベライルの後直ぐに医療班に治療して貰ったので。完治……とまではいきませんが、折れた肋骨ももう殆どくっつきかけだそうです」
「それは良かった。……それで、何か御用かしら?」
「あ……置いてあった荷物を引き上げにきました」
そう言って自分のロッカーに向かい中身を取り出す。
「あら、言ってくれれば職員にでも届けさせたのに。顔、出し辛かったでしょ?」
そう言って少し意地悪く、でも優しく笑うマスター。
その顔は以前の、優しいマスターそのままだった。
「あの……短い間でしたけど、お世話になりました! こんな形になってしまいましたが、マスターから教えて頂いた事は忘れません!!」
そう言って頭を下げる。
「……こちらこそ」
そう言ってにっこり笑うマスター。
それ以上返す言葉が見つからず、ふとマスターの前に積み上げられた書類の山に目をやる。
「あの……それ」
「ん? ……あぁ、凄い量でしょ」
そう言って机の上に置かれた書類の束を手に取る
「ファミリアの生徒からの離脱嘆願書。9割くらいかな。みんな出て行きたいって」
マスターは、呆れたような、悲しいような、何とも言えない顔で手に持った書類を机に戻す。
その様子に何と言葉を返して良いか分からない。
「まぁ、当然よね。演習でのあの事故。その調査でも有益な情報は見つけられず。その上、一番のお気に入り生徒からはリベライルを申し込まれ、あまつさえ醜態を晒した上で無残に敗北……。まぁ当然よね。私でも脱退をお勧めするわ」
そう言ってマスターは椅子から立ち上がり、窓の傍へ歩く。
「少規模弱小ファミリアにこんな立派なホームなんて不要。もうじきここも追い出されるわ」
窓から差す暖かな日差しを受け、マスターが大きく背伸びする。
「……まぁ、私なんて元々は何にも無かった訳だし! それがいつ間にか、地位とか期待とか責任とか、色んな物が乗りかかってきて……。身勝手な話だけど、あなたのお陰で少し楽になったわ。こんな私でもまだ付き合ってくれるっていう生徒達のためにも――もう1回1から始めてみるわ!」
そう言ってにっこりと私に笑いかける。
ふと気づく。マスターがこんなふうに穏やかな顔を誰かに向けたことがあったろうか。少なくとも私は見たことがなかった。
そう言えば何かの雑誌で読んだな。
元々マスターのご両親は一般人で軍部とは無関係だった。でも、大戦から長い年月を経て近年弱体化しつつある各国の軍備に危機を覚え一念発起して軍へ入隊。
コネもない彼女は自分の実力だけで功績を上げ続け続けた。
それがグランドマスターの目に留まり、ウィステリア・テイルからスカウトされた。
待遇面だけで見れば軍のエリートコースに進んだ方が断然よかったはずだけど、後に続く若い世代を育てたい……という事で若くして引退し、マスター職に就いた……と。
前代未聞のスーパーサクセスストーリーだって書かれてたわ。
「あの……私が言えた口ではないですけど、マスターなら出来ると思います! 何回だって! だって、私が憧れた人ですから!!」
「……ふふ、お互い頑張りましょう」
そう言うマスターは手を差し伸べる。
その手を強く握り握手を交わす。
その後、荷物をまとめホームを後にしようとした時、ドアを出る手前でマスターに呼び止められた。
「あ……ごめんなさい、一つだけ。伝えておかなきゃいけない事があって。……ジン・ホームの場所報告してくれたの……あれエーリエじゃないわよ」
「え……」
衝撃の内容に思わず手に持った荷物を落としそうになる
「報告者が誰か……は言えないけれど、彼女は私に言われて渋々あの場まで付き添っただけ。あなた勘違いしてたでしょ? これだけははっきり伝えておかないとと思って。……こんなファミリアに残ってくれた数少ない生徒のためだから」
そんな……
『何よ!! なに今更偽善ぶってるのよ!? そもそもあんたのせいでしょ!!』
あの場でエーリエに浴びせた罵倒が頭の中をぐるぐると駆け回る。
「私……すいません、失礼します!!」
「えぇ。あの子なら教務課に居るはずよ。さっきお使いお願いしたから」
そう教えてくれたマスター……・カルーナにお礼を言いホームを後にした。






