1.カミドにやってきた吸血鬼
人より少し青白い顔、そして、長い牙を持つジョアン = ワーウィックは吸血鬼である。インレンス帝国で長い歴史をもつワーウィック伯爵の長男として彼は産まれた。五歳上には姉のアルジーがおり、ジョアンは彼女にたいそう懐いている。
吸血鬼となるのは男子のみ。吸血鬼を父親として産まれても女子は普通の人となる。ワーウィック伯爵は吸血鬼であるが、伯爵夫人とアルジーは人であった。
吸血鬼には不思議な能力がある。牙から分泌される液に抗ウイルス薬が含まれているのだ。その能力は血液を浄化して飲むために発達したと思われる。
一旦彼らに血を吸われてしまうと、ウイルスを病原体とする病気が完治してしまう。吸血鬼の牙の分泌液は、ウィルスが変異しても未知のウイルスであったも効いてしまう万能薬であった。
それを突き止めたのは、インレンス帝国の伝統ある大学で吸血鬼の牙の分泌液を研究していたアルジーだったのだ。
顕微鏡の分解能は光の波長に依存する。どのように性能がいいレンズを使用しても光の波長より小さいものは見ることができない。
人が見ることができる可視光は、およそ四百ナノメートルから七百ナノメートル。これが光学顕微鏡の限界であった。
病原体を光学顕微鏡では見ることができない病気があることは以前から知られていた。また、その病気は吸血鬼に血を吸われることにより完治することもわかっている。
しかし、長い間病原体が何であるか特定できないでいた。
その見えないはずの病原体を見ることができる鬼と呼ばれる不思議な生物が、極東のニッポンから留学して来たことにより、一気に研究は進むことになる。
ケイタと呼ばれる黄色い髪の毛に二本の角があり、金色の目をした異形の鬼は、紫外線帯域の光を究極まで拡大して見ることができる不思議な目を持っていた。
アルジーとケイタは同じ研究室で、未知の病原体の分離と、吸血鬼の牙からの分泌液に含まれる物質の特定を研究していたのだ。
そして、アルジーたちは未知の病原体の分離に成功。ケイタは恐ろしいほどに同じ形をした百ナノメートルほどの病原体を図解してみせた。
彼らはそれをウイルスと名付けた。
ケイタはニッポンの国費で留学していた。ケイタのものすごく有用な能力に気が付き国内の大学で活かすため、ニッポン政府はケイタに帰国して出身大学であるケイト帝国大学で研究をするように命じた。
その時、アルジーも一緒にニッポンへ行ってしまったのだった。
ケイタ二十三歳、アルジー二十五歳の時である。
ジョアンは優しく美しい姉のアルジーが大好きであった。そして、彼女が辺境の国からやってきた鬼などに連れ去られたことがとても我慢ならない。
ニッポンへ行って、ケイタや他のニッポン人に復讐をしてやる。そう決めたジョアンは父のワーウィック伯爵の許しを得て、大学の夏季休暇を利用してニッポンに渡ることにした。
そして、長い航海の末、ジョアンは経度百三十五度の近くにあるニッポンのカミド港に降り立った。
時は夏。昼前というのに経験もしたこともないほど暑いが、体が丈夫な吸血鬼のジョアンは平気である。しかし、同じ船に乗っていたインレンス人の中にはあまりの暑さに体調を崩す者も多数いた。
近くの駅より汽車に乗ってジョアンは古都ケイトを目指す。
『絶対に復讐してやる。ケイタは生かしておかない。なんならケイトのやつらを皆殺しにしても構わない』
ジョアンは汽車の中で不穏なことを呟いたが、周囲のニッポン人には理解できない。
「これでも食べる?」
外国人の一人旅であるジョアンを気遣って、隣に座っていた中年女性ががおにぎりを差し出した。
思わず受け取って食べてみるジョアン。吸血鬼は丈夫なので何を食べても病気になったりしないから安心していた。
『しょっぱい!』
おにぎりの具は梅干しであった。
『これは私への嫌がらせなのか。ケイトだけでは生温い。国全体を滅ぼしてやる!』
ジョアンはそう胸に誓った。吸血鬼にはそれだけに力があった。
「ごぼごぼ。ごめんなさいね。風邪を引いたらしいの」
中年女性は咳をして苦しそうだ。
『インレンスの伯爵家嫡子であるわたしに変なものを食わせた罪は重い。永遠に眠らせてやる』
ジョアンは中年女性の首筋に牙を立てた。彼女は髪の毛をきっちりと結っているので、首筋が露わになっていて血がとても吸いやすい。
ジョアンの牙から流れ出る分泌液。それは風邪のウイルスの増殖を速やかに抑える。また、分泌液には麻酔成分も含まれているので痛みは全く感じない。そして、牙が抜かれると血が固まり出血もしないようになっている。
ジョアンは彼女からコップ一杯ほどの血を吸い取った。美味くはないが不味くもない。ごく普通の血の味だとジョアンは思う。
それでも梅干しのしょっぱさを消し去るには十分であった。
「あら、なんだか体が楽になったわ。おまけに肩こりもなくなっている。不思議ね」
首を傾げながら中年女性は喜んでいた。
『今日のところはこれで勘弁してやる』
ジョアンは元気そうにしている女性に納得できないまでも、血を吸えたことには満足していた。
ジョアンが乗った汽車がケイト駅に着いた時には夕方になっていた。
『ジョアン、無事にケイトへ着いてよかったわ』
『ジョアン、ようこそ、ニッポンへ』
ジョアンが改札口を出ると、アルジーとケイタが待っていた。
『ケイタに歓迎される覚えはない。私はアルジーを迎えに来たのだからな』
思い切りケイタを睨むジョアン。その視線に慣れているケイタは軽く受け流した。
『私はケイタと正式に結婚して、サエキアルジーになったのだから、帰るはずないじゃない。しばらくニッポンを楽しんでジョアンは一人で国へ帰ってね。ニッポンは皆優しくていい国よ』
『自動車で迎えに来たからな。荷物持ってやる、ついてこい』
ジョアンの荷物を持ったケイタとアルジーはさっさと歩き出た。