【第05話-03】四人の少女-寄り添うという選択
北海道へ向かう空の上。
物語は、静かに終盤へと差しかかる。
里の計画は動き出し、
融資は下り、未来は形を帯びはじめた。
積み重ねてきた選択は、確かな成果となっている。
だが――
整えたはずの盤面の奥に、まだ決着していないものがある。
守ろうとしたもの。
手放せなかったもの。
そして、言葉にできなかった感情。
これは宿の転機であると同時に、
ひとりの少女が、自分自身と向き合う局面でもある。
【Scene06:Intermission(決着)】
── 高橋 千晴 ──
キュッ、ガタン。
着陸の衝撃で、意識が現実に引き戻された。
ふと隣を見ると、花音と由美が目を覚ましたようだ。
美由は……涎を垂らして、ぐっすりと眠っている。
そっと、ハンカチで拭ってあげる。
機を降りられるまでには、まだしばらく時間がかかるだろう。
──私は、もう少しだけ、思考の整理を続けることにした。
⸻
年明け、東京に戻った私はすぐに達也を呼び出した。
里での話を伝え、Webサイトが間もなく稼働を始めることを報告した。
「うまく軌道に乗るといいな」
達也は屈託なく笑った。その笑顔に、私は惹かれたのだと思い出す。
指導中の厳しい眼差しと、この優しさとのギャップ──それがきっと、私の心を揺らしたきっかけだった。
夕食を共にし、店を出たあと、私は言った。
「今日は……帰りたくない」
2度目の夜を、私から誘った。
その夜、私は一度目よりも、自分から距離を詰めていた。
⸻
目を覚ましたとき、私は達也の腕の中にいた。
達也は気づいて、優しく囁いた。
「千晴……愛してるよ」
その一言が、胸を震わせた。
それなのに、私は「愛してる」と返すことができなかった。
私は何かが、壊れているのだろうか──。
⸻
Webサイトが稼働して三ヶ月、霞の宿の予約は順調だった。
だが、オープニング特典としての“無条件割引”が終了した3月、予約の勢いが落ち始める。
「じゃあ、新館の15室をWebサイト専用に切り替えよう」
「えっ、20室中15室も?」
達也はそう提案し、さらに言葉を重ねた。
「そのうち5室を“入札制度”にしてみよう」
⸻
美由・由美Webサイトのグッズ購入でポイントが貯まる仕組みは維持しつつ、
その5室に限っては「予約=ポイントによる入札制」に変更された。
・通常の10室:3ヶ月前から予約開始。
・入札5室:3週間前に入札受付開始、締切は16日前
・多くのポイントを投入した上位者に順次、予約権が与えられる。
・落選時はポイント返却。
・落札確定後のキャンセルは不可。
この制度はSNSで『推し入札制』と呼ばれ、大反響を呼んだ。
ただし──
「この部屋に泊まると美由・由美に会えるんですか?」
という問い合わせが相次ぎ、
《この部屋は特定の仲居が担当することを保証するものではありません》
という注意書きが追加された。
だが、ある日、美由がWebサイトの日記欄にうっかりこう書き込んだ。
『今月後半はずっと新館の遅番、しんどい』
その瞬間、5室の入札にとんでもないポイントが集中した。
ファンたちは“美由に会えるチャンス”を信じ、こぞってポイントを投入。
そのポイントを稼ぐため、グッズ販売額も爆発的に跳ね上がった。
「やっぱり千晴に任せておけば大丈夫よ」
「千晴って天才よね!」
「千晴様、爺やは信じておりました!」
その時の里の会議で、また私の株が跳ね上がった。
アイデアは達也のものだったけれど──まあ、黙っておこう。
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四月。造成予定地の実地調査が始まった。
庄蔵さんと私は立ち会い、土地の勾配や土質、水脈の位置を確認していく。
氷室氏は実測図面に基づいて、
詳細設計へと進み始めた。
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六月花音が帰国することになった
「迎えに行こう」と言い出したのは美由だった。
「東京観光もしたいし♡」と続けたのは由美。
最初は止めたのだけれど、すでに夜行バスのチケットは手配済みだった。
……こういうとき彼女たちの行動力は本当にすごい。
というわけで、私は朝一番で東京駅に呼び出された。
そのまま強引にホテルに連れ込まれ、二日間の観光に付き合う羽目になった。
サンシャイン60、渋谷スカイ、六本木ヒルズのスカイデッキ、東京タワー、スカイツリー。
都内展望台トップ5を、位置関係も無視して“低い順”に制覇するという謎ミッション付きだ。
「煙と何とかは高いところが好き」なんて皮肉は、ぐっと飲み込んだ。
迎えに行く当日。空港では、サプライズで花音を驚かせて──
再会は、にぎやかで、ちょっとだけ涙ぐむほど嬉しかった。
そのまま全員で里へ戻った
花音を本館で降ろし、葉月さんの元へ向かわせる。
──驚いただろう。
私たちが“あえて何も言わなかった理由”、きっとすぐにわかったはずだ。
⸻
花音が葉月さんの後押しもあり、大学に通い始めた頃
私と達也は銀行へのプレゼン資料の作成に取りかかった。
7月8月と達也の指導のもとでプレゼン資料の作成に没頭した。
さらに、商学部の准教授まで呼び出され、私のプレゼン力を鍛えるという名目で指導に加わった。
商学部の准教授は、計画の話を聞いた瞬間、声を弾ませて言った。
「我が大学が──あのメガバンクに勝つんですよ!
こんな胸が震えるイベント、他にありますか?」
……なんだか私を置いてけぼりにして盛り上がっている気がしないでもなかったが、
ありがたいことに違いはなかった。
後になって、他学部の准教授たちから
「学内一の美少女に付きっきりで指導なんて、羨ましすぎるだろ。なんで俺たちも呼ばなかった」
などと槍玉に上がったという話も耳にしたが──聞かなかったことにしておいた。
私と達也の関係は噂になってないらしい
九月──
花音の弟、文晴が誕生した。
名付け親は庄蔵さん。
「名前の一文字を貰いたい」と言われ、私はこそばゆくなりながらも「はい」と頷いた。
その直前、本館は有形文化財として正式に登録され、
さらに花音は保管していた写本の源氏物語を、“世界最古”であることを証明してみせた。
公開と同時に世界中のメディアが反応し、霞の宿は一躍、国際的な話題の中心へ──
予約は別館を含め三ヶ月先まで完全満室となり、Web入札枠への投票は過熱を極めていた。
この好機を逃す手はないと、庄蔵さんは銀行にアポイントを取りつけた。
十月に入り、私と庄蔵さんは都内のメガバンク本社の応接室にいた。
顔合わせはすでに済んでおり、いよいよプレゼン初日だった。
達也の指導で──というより、ほとんど達也が仕上げた資料と、
商学部准教授の熱血指導で叩き込まれたプレゼン技術。
私はその二つを武器に、初戦に挑んだ。
私ができたことといえば、その場の空気を読み、
相手が期待する方向へプレゼンを微調整することくらいだった。
質疑応答で飛んできた質問、プレゼンの空気感、
担当者の反応や性格など、すべてを二人の准教授に伝え、
追加資料の整備とプレゼン手法のアドバイスを受けた。
こうして三度の面談を重ね、
十一月中旬、最後の打ち合わせの日を迎えた。
「──では、これで全て揃いました。正式な稟議が通り次第、再度ご連絡を差し上げます」
都市銀行の融資課長は、分厚い資料を静かに閉じた。
課長は若い女性だった。
名前は篠原さんといった
「貴女、まだ大学三年ですって?」
「はい。まだまだ若輩者です」
「……そうね。この資料、貴女が仕上げたわけじゃないのでしょう?
プレゼンの技術も、付け焼き刃。自分の力でやり遂げたっていう気概は感じられなかった」
──バレてる。ちょっとヤバいかも。
「でもね」
篠原さんは資料の背に手を置いたまま、私をまっすぐに見た。
「貴女の“場の空気を読み、コントロールする力”は、並大抵じゃないわ」
……庄蔵さんにも、同じようなことを言われた気がする。
「この私が、流れを握られっぱなしなんて。課長になって──いえ、この銀行に入ってから初めての経験よ」
そんな修羅場をいくつもくぐってきたであろう課長に、
そう言わせたことに、私はただ戸惑うばかりだった。
「何度か潰してやろうと思ったの。
でもそのたびに、出鼻を挫かれた。──どうやったの?」
「わかりません。私はただ、常に“その場で必要とされる自分”でいるだけです」
「この年で……末恐ろしいわね」
「林さん、余談になってしまい申し訳ありません」
庄蔵さんが口を挟んだ
「いえいえ。──うちの懐刀の切れ味、いかがでしたか?」
「懐刀? むしろ大太刀よ。真っ二つにされた気分」
「ねえ、貴女。大学を卒業したら、うちで働かない?」
そう言って篠原さんは名刺を差し出し、
裏面にプライベートらしいメールアドレスと電話番号まで書き加えていた。
「勉学の途中で、まだ先のことはわかりません。
ですので、すぐにはお返事できませんが……」
「当然よ。一年くらい、いくらでも待つわ」
「ありがとうございます」
そう言って私は、その名刺を胸元にしまい、銀行を後にした。
「──わかる人には、わかるのですよ」
その日、庄蔵さんは上機嫌だった。
銀座の目玉が飛び出そうなお寿司をご馳走してくれた。
正式な融資が下りたのは、12月中旬。
けれど、霞の里はすでに雪に埋もれていた。
本格的な造成開始は、翌年3月までずれ込むことになる。
正式な融資が下りたことを達也に報告しに行ったとき、彼は少し寂しそうに笑って言った。
「これで、私もお役御免かな」
私は、即座に首を振った。
「嫌です!!」
「千晴……」
「あなたは、私の指導教員です。卒業まで……一緒にいてください」
それは、建前だった。けれど、建前で済ませたいほど、私は弱かった。
年明けの逢瀬の後も、私は達也との関係を続けていた。
これは恋だ、そう確信し、口にしたいと思った。ただ一言──「愛してる」と。
行為は、いつのまにか儀式のように繰り返されていた。
九月、葉月さんの出産に立ち会ってから、さらに私は積極的になった
達也は戸惑いながらも、毎回「……本当に、いいんだな?」と確認し、それでも従ってくれた。
子どもが欲しかったわけじゃない。ただ、命を作るという営みが、私の中の何かを変えてくれるような気がした。
それでも、あの一言だけは、どうしても口に出せなかった。
それでも、達也のもとを離れたくなかった。
⸻
春。
花音の最初の論文が日本語訳され、国内でも発表されたが、世間の関心は薄かった。
やがて造成が始まる。従業員には「駐車場拡張工事」と偽った。温泉配管の溝を見れば一目瞭然だったが、押し切った。
霞の里は、アメリカを皮切りに、本当に世界中から取材を受けるようになった。
五月、花音が新たな論文を発表した。「AIによる源氏物語原本の再現」──。
それは一気に世界の話題をさらった。
それから暫くしたある日、大学で偶然元彼に声をかけられた。
「……これ、千晴が前に言ってた研究者だろ? やっぱ、すごい人だったんだな」
誰にも好かれたい、嫌われたくない──その性格は、こういう時に本当に面倒くさい。
達也に見られたくない、でも元彼に嫌われたくもない。
矛盾に苛まれながら、私は笑顔を作って答えた。
「花音ね、今は研究に没頭してて……まるで憑かれたみたい。今は会わせるの、難しいかな」
心の奥底では──早く立ち去って、と願っていた。
そんな醜い自分を消し去るように、その夜、私は達也から離れられなかった。
達也は、少し困ったように、でも優しく私を抱きしめてくれた。
⸻
新別館の準備は順調だった。
仲居の増員も進めた。新別館は再来年の年末年始に稼働を始めるつもりだが、それまでに接客の訓練を徹底させる。
仲居寮が手狭になることが確定的で、里の麓にある賃貸マンションを一棟借り上げる手続きを進めた。
六月、花音は里に戻り──霞の宿で仲居として働き始めた。
その頃には、霞の里は世界中からの取材でてんてこ舞いだった。
先週はフランス、今週はイギリス。そんな毎日。
美由と由美の英語力は、もはや私の比ではなかった。通訳を挟まずにメディア対応までこなしてしまう。
花音に至っては、もはやネイティブ並。私は正直、軽く劣等感を覚えていた。
イギリスのスタッフは三人に「君たちを番組のメインにしたい!」とまで言ってきたらしい。
──NHKの取材も入った。
「老舗旅館・仲居の一日」というテーマで、花音・美由・由美の“仲居三人娘”で取材される予定だった。
……だったのだけれど。
花音の私服姿があまりに色っぽすぎて、ディレクターが「これは違う番組になる」と難色を示し──外された。
私は見学のつもりだったが、なぜかスタッフが「代わりに貴女が」と言い出した。
冗談じゃない、私は部外者。
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文晴君に会いに行った時、その話をしたら、葉月さんが笑って言った。
「千晴が仲居姿で出てくれたら、世界中からファンが殺到するのに」
「いえ、NHKですし……」
「でも、この取材攻勢って、千晴さんの仕掛けですよね?」
近くにいた里見さんが、そう言った。
ちがう。ただ──庄蔵さんの人脈を少し、借りただけ。
「「やっぱり千晴さん、あってこそよね」」
また、葉月さんと里見さんが声をそろえた。
なぜ、いつもそうなるのか──。
「ちーちー」
……あ、文晴君が私を呼んでる。やっぱり可愛い。
──
最近では本館の稼働率も上がり、某国の王族が“お忍び”で泊まったこともあった。
その時、由美が前に出されて握手したらしいのだが──あとで渡されたチップが、とんでもない金額だったと自慢していた。
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そろそろ、花音に打ち明ける頃だ。
ヒントは与えてきた。けれど、一向に気づく気配がない。
古参の仲居たちは、もうだいたい察しているようなのに──本当に、残念美人。
葉月さんに提案する。
──“視察旅行”の名目で、花音を連れ出したい。
若女将としての意識を持ってもらうため。ついでに、美由と由美への慰労も兼ねて。
「いいわよ。私はね、花音に継いでほしいってわけじゃないの。あの子には自由に生きてほしいの。でも……千晴ちゃんが言うなら、その方がいいのかもしれないわね」
……だから、なんなのだろう。この全幅の信頼感は。
文晴君が一歳になる頃には、葉月さんも女将業に徐々に復帰する。
タイミングとしても、ちょうどいい。
この旅で、すべてが動き出す。
すべてが──決着する。
そんな、予感がした。
次回、
北海道視察旅行、開幕。
6億円の融資、新別館計画、そして“達也”の存在。
それぞれの想いが交錯する夜。
そして花音が、ついに決断する。




