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「……は?」
眉間に皺が寄るのが自分でも判る。
不敬という言葉が過っても止められなかった。
心の底から意味がわからない。
勇者と魔術師?
勇者はルカだ。
それで何故エドと私が夫婦になるというのだ。
「私が騎士団に協力するのは、魔獣の討伐が落ち着くまでのはずです。それが済めば隣国へ渡ると…」
「隣国へは連れていくさ。王族の結婚は新婚旅行で周辺国へ御披露目をかねて挨拶に回るからね。況してや英雄の夫婦だからね。私の妻として隣国へも御披露目に連れて行くよ」
エドは引こうとした私の手を更に力を込めて握りこむ。
「なっ…」
今度こそ私は絶句した。
思わず数歩後ずさると、追いかけるようにエドが踏み込んでくる。
握られた手が離れることはなく、まるでダンスを踊っているかのようだ。
「ルゥ、受け入れてくれるね?」
再び後ずさると、とん、と背中に硬い感触が当たり、大きな木の幹の感触に追い詰められたことを悟った。
深いブルーの瞳が私を捕らえる。
逃げられない、強い視線。
「君が、必要なんだ」
「勇者は、ルカでしょう?」
「そうだね。───今までは」
ザンッと剣が振るわれる音でエドの瞳に捕らわれていた視線がやっと動く。
音のした方を見ると、レオがルカに袈裟懸けに剣を振り下ろしたところだった。
不意の攻撃だったのだろう。
素早く避けた様子のルカの目は驚きに見開かれている。
「ルカをどうする気?」
「彼は魔獣と果敢に戦った戦士だよ。途中、力尽きてしまっただけの」
その瞬間、視界が赤く染まった気がした。
エドはルカを葬るつもりだ。
その後エドが勇者を名乗るために。
ルカとレオの剣がぶつかる激しい音が静かな森に響く。
不意討ちに一瞬遅れを取ったものの、素早く身を翻したルカはあっという間に体勢を立て直してレオの攻撃を迎え撃っていた。
私は諦めていた。
コルネリオ様が私に好意を持っているわけではないことも知っていた。
当然私にも恋慕う気持ちなどあるわけがなかった。
年回りが、家格が、魔力が丁度良いから宛がわれただけだと。
『私』が求められた訳ではないということは充分に理解していた。
公爵家の令嬢として、いずれ王の伴侶としての振る舞えさえ出来れば問題ないのだから。
だから王都の結界を任されたときも、そうか、と納得した。
私の魔力が役に立つから。
だからどんなに父が心配しても、結界の管理は手を抜かなかった。
エドに脅されて引き留められた時も、結局どこかで諦めていた。
私の魔力は役に立つのだから、と。
諦めて流されればなるようになるのだと。
───でも、どこまで利用されればいいのだろうか。
トーコと一緒にいて、素直に感情を出しても良いのだと知った。
ルカに共に行こうと言われて心が踊った。
思うままに生きてもいいのだと。
パウジーニ家のルクレツィアではなく、ただのルゥとして。
意思に関係なく利用されれば怒っていいのだと。
「ルゥ?」
私の逃げ場がないことを確信しているエドが優しく私の手を引く。
ふと力を抜けば、強く射抜くようだった視線が優しく緩む。
離すまいと強く握りしめられていた手の力が抜けたところで強く手を引けば、エドの重心が前へと移った。
その瞬間に、更に強く手を引いて身を翻す。
その反動で更に前へと重心を移したエドの体を、形勢逆転とばかりに木の幹へと押し付け、緩んだ手を引く振り払ってエドの胸ぐらを掴んだ。
「なっ…!」
「レオ!剣を下ろしなさい!」
一瞬の出来事に言葉を失うエドには構わず、私は叫びそれまで洞窟を覆っていた結界の全てを解いた。
先ほどの奔流のような勢いは無いものの、洞窟からじわじわと魔素が森へと流れてゆっくりと森を闇色に染めていく。
「ルゥ!何を…」
目を見開いて私を見つめる深いブルーの瞳に挑むように、負けじと強い視線を返す。
ルカとレオの剣の音は止んでいた。
「選ばせてあげるわ」
「何を…」
「私たちを解放してこの森に魔獣を封印するか。
それとも国に縛り付けてこの世界に魔獣を放すか。好きな方を選ばせてあげる」
洞窟からは絶えることなく魔素が吐き出される。
先ほど浄化された森も、このままではいずれまた今までのように魔獣が暴れることだろう。
「エドは勘違いをしているでしょう」
「何を…だ?」
「トーコが浄化したことで、全ての魔素が祓われたと思ったんじゃないの?」
「違うのか?」
「違うわ。魔素の流出そのものを絶つことは出来ない。出来るのは封印で魔素の流出を止めることだけ」
魔素がどこから吐き出されるのかは正確にはわかっていない。
ただ分かっているのは魔素が湧き出ているのは洞窟の更に奥、人が辿り着くことなど出来ない、深い深い地の底からということ。
だから聖女がいくら浄化しても、あとからあとから湧きだして魔素は吐き出される。
きりなく吐き出される魔素の浄化など聖女にさせていたら、やがて聖女も力が枯渇し衰弱してしまうだろう。
それを食い止めるために、結界士が聖女と勇者の力を使って封印するのだ。
これは王とパウジーニ家の当主、そして結界士や聖女、勇者たち本人しか知らない。
聖女や結界士、勇者を守るために秘匿されてきた事実。
勇者を、いや3人のうち誰か一人でも失えば魔素の封印はできなくなる。
私は魔素に染まり始めた森全体を一気に結界で囲った。
それまで凪いでいた森がざわざわと蠢き始める。
「私たちに干渉しないと約束するなら、魔素を封印してこの結界を守ってあげる。
魔獣も森を出られないように森ごと囲っておいてあげるわ。
でも、私たちを利用しようというなら、森の結界を、この洞窟を解放する。
森が、いいえ国中が魔素に染まって王都に魔獣が押し掛ける様子が見たければ、今すぐに私を切り捨てればいいわ」
エドの胸ぐらを掴む腕に力を込めて、ギリギリと締め上げていく。
所詮は小娘の力だ、騎士たるエドが振り払うことなど容易いだろう。
しかしエドは信じられないものを見るように目を見開いて私のされるがままになっていた。
私もその目を逸らす事なく見つめ続ける。
「……わかった」
長い長い沈黙のあとで、エドが絞り出すように小さな声で答えた。
「王都を…国を守ってくれ」
呟きのような答えに、私は掴んでいた腕を緩めて口の端を吊り上げて笑顔を作ると、エドの手を取ってその甲にそっと口づけた。
「交渉成立ですね。宜しくお願いします」




