第八話
「俺は映画のビデオのセールスマンでね。日本のあちこちで、売れない三流ビデオを売り歩いていたんだが、こういう神隠し物の作品もいくつか見た事がある」
「神隠し、ですか」
「そうだ。そこにある第三界という邪教の本。それが本物かどうか分からないが……その本を題材としたホラー映画がいくつかある」
「神崎さんはこの本の事を知ってるんですか」
「あくまで芝居だぜ? フィクション、作り話。単なる出来の悪いホラー。だと思っていたが、それが本物だとすると、洒落にならないな」
そう説明する神崎さんを見て、村中さんが晴丘さんに言った言葉がどういう意味だったのか、分かったような気がした。もし前田さんの言うように晴丘さんと村中さんが、この一件の首謀者だとしたら、注意すべき人物は前田さんよりもこの本の事を知っている神崎さんだったのかもしれない。だから村中さんは神崎さんを誘惑した。とも考えられた。
「このままここに残れば生贄になるだけだ。まゆみ……村中さんとしては皆見さんも大同も前田さんも助けるつもりだったが、その三人のうち二人はもうおかしくなっちまってるし、前田さんは勝手にどこかへ行った。嶋田さんと原石さんが俺の言う通りにしてくれるなら、俺達だけでも逃げられるかもしれない」
「脱出する方法も知ってるんですか?」
「ある映画では、赤い月と白い月の二つは別物だった。その白い月の方が本物の月で、それに向かって逃げれば、現実へ戻れるって話だった」
「白い月なんて見た事はないですよ」
「月の高さは毎日変わる。地平線スレスレの時もあれば、夜中には沈んでしまってる時もある。映画では、白い本物の月が見つけにくい時に、邪神様は活発になっていた」
全ては映画という作り話の中での設定だった。しかし今のこの不可解な状況は作り話を越えている。何が正解かなんて分からない今、可能性のある事は試してみるべきだ、というのが神崎さんの前向きな言葉だった。
「逃げるなら、今夜ですか?」
「そうだな。村中さんの体調次第だが、出来るなら早い方が良い」
「神崎さんは、村中さんを置いて逃げたりしないんですか?」
「しないよ。もし騙されているとしても、それならそれでいいのさ。俺は俺の現実へ戻るぐらいなら、朽ち果てた方がいい」
そこが村中さんの付け入る隙だと思ったが、神崎さんはもう村中さんと肉体関係を持ち、下の名前で呼ぶぐらいに受け入れてしまっている。こうして覇気のある事を言えるのも、村中さんという美女と共に東京で生きていく、という未来の為だろう。
月を目標にして村から逃げるのなら、夜までに逃げる準備をした方がいい。俺は原石さんと共に、冷蔵庫の中から数日分の日持ちする食べ物を持ち歩けそうな鞄に詰め、ペットボトルに飲み水を汲んで、二人で分けて持った。神崎さんは村中さんの家とロッジをいったりきたりしながら、結局の所、逃げる準備もせずに時間を潰していた。
「もし、前田さんの言う通り、村中さんと晴丘さんが仲間で、神崎さんが騙されているんだとしたら、きっと村中さんはこの村を出て行かないと思う」
「晴丘さんも村中さんも神崎さんも逃げないのなら、私達だけで逃げるって事?」
「多分、そうなると思う」
しかし俺の前向きな気持ちは、日が暮れる頃、絶望に打ちのめされる事となった。
空には鉛色の雲が広がり初め、夕暮れを見る事も出来ず、そして午後六時には雨まで降り出してしまった。これでは月など見えはしない。第三界の邪神様は天候をも操る事が出来るのだろうか?
「今日は、無理そうだね……」
「うん……また、原石さんの家に泊まってもいい?」
「うん。そうして、お願い。一人は怖い」
山の雨は平地の雨よりも多く、激く降る。神崎さんが食事時になっても姿を現さない村中さんを迎えに行ったが、全身ずぶ濡れになりながら、ロッジに戻ってきた。
鍵がかかってて返事が無いと言い、神崎さんはソファに浅く腰掛け、すっかり元気を無くしてうなだれていた。その向かいでは皆見さんと大同さんが、終わらない呪文を繰り返し唱え続けている。
晴丘さんが白いレインコートを来てリビングに入ってきたのを見た時、俺は心の底から驚いて、びくり、と身体を痙攣させた。その姿は、あの白い影にとてもよく似ていたからだった。もしかしたら、あの白い影もレインコートを着た人間なのだろうか? だとしたら今度は足跡の説明がつかないのだが。
「何か……食べよう……」
ロッジの外では雨が地面を叩きつける様に降っていて、ドドドドと鈍く低い音を鳴らしていた。レインコートを脱いだ晴丘さんと共に俺と原石さんも厨房の中に入り、あり合わせの物を煮込んで簡単なごった煮を作り、トレイにとりわけて食事の準備をした。
原石さんが食事が出来ましたと三人を呼びに言ったが、神崎さんは来ず、皆見さんと大同さんだけが素直に、はいと答えて食堂の自分の席に着き、夕食をとっていた。
前田さんが戻る気配は無く、夕食後のミーティングが行われる事もなく、それぞれがばらばらに食堂から出て行く。俺と原石さんは食事の終わったトレイを全て洗った後にロッジを出ると、滝のような雨の中を家まで走った。
ずぶ濡れになりながら原石さんの家についた後、濡れた上着をハンガーにかけて干し、服代わりにバスタオルを肩からかけて、身体が冷えない様にした。
原石さんも恥ずかしがっている余裕などなく、堂々と上着を脱いでうす黄色のブラを露わにしていたが、俺の方が気恥ずかしくて視線を反らした。
この雨では月が見えず、誰も逃げ出す事は出来そうになかった。時が過ぎて夜中になり奴らが来れば、次の誰かが襲われる。窓際によって辺りを警戒したが、滝壺をみているがごとく視界は遮られていて、向かいの家も見えない。
「化け物達は午前三時にやってくる。もし、ここに来たら、とにかく逃げよう」
「……わかった……」
原石さんに俺にも選択肢はなかった。共にに逃げるか、共に諦めるか。
午前一時までは二人とも仮眠をとった。その後まだ濡れている服を着て、もしもの時の為に備えた。雨足が弱くなる事はなく、時計の針が午前三時をまわる。今夜は原石さんも寝ずに起きていて、リビングの窓際で俺と共に外を睨んでいた。
「何か……聞こえる……」
雨音のドドドド、という音に加えて、昨晩聞いたあの太鼓と、金属と、固い物のぶつかる音が聞こえてきていた。全てがでたらめで、規則性が無く、ただ滅茶苦茶に音を鳴らしているだけだった。五分もすると気が狂いそうになってきて、俺だけでなく原石さんも両手で耳を塞いでしまっていた。
昨日、一昨日と同じなら、そろそろあの白い影が姿を現す筈だった。もしかしたらレインコートか、或いは何か白い物を被った人なのかもしれない。中身が人間なら、化け物よりはいくらかはマシだった。それを見極めようと思ったのだが、雨の中、白い影は現れることなく、ひたすら待っている間に奇怪な騒音も消えていった。
時計を見ると午前四時。雨は突如勢いを衰えさせ、もう必要は無いとでもいう様に止んだ。
原石さんには、今夜はもう大丈夫そうだから、一眠りして。と言い、自分はそのまま日が昇るまで辺りを見張るつもりで窓際にいた。原石さんは和室には戻らず、俺に身体をくっつけると、そのまま寝息を立てた。一人が怖かったのかもしれない。
四日目の朝、雨のあがった後に濃い霧が集落を包み混んだ。幻想的とも言えたが、俺には死の世界の様にも見えた。
日が昇り、辺りが明るくなると、俺は原石さんをソファに寝かせて表に出た。昨晩の犠牲者は誰だったのか知りたかった。家を出てロッジへ向かうと、村中さんの家の扉を神崎さんが力任せに叩いていた。
「神崎さん、どうしたんですか?」
「まゆみが返事をしないんだ! チャイムを鳴らしてもインターホンに出ないし、窓の方から大声で呼んでも出て来ない」
「無理矢理、中に入ります? 晴丘さんなら、工具を持ってるかも」
「そ、そうだな。工具を借りてきて、鍵を壊そう」
昨日の覇気のある彼はどこへ行ったのか、今の神崎さんは半べそをかいた子供のような顔になっていて、判断力も失っていた。
ロッジにて晴丘さんに起きてもらい、事情を説明すると、晴丘さんは分かったと言って裏手の道具倉庫に行くと大型のスパナと何本かのドライバーとアンギラという名の特殊な工具を俺達に渡し、共に村中さんの家に向かう。
玄関で何度かチャイムを鳴らし、返事がないのを確認してから、三人で無理矢理ドアノブをこじ開け、鍵を破壊して扉を開けた。
扉を開けると、神崎さんが家の中へ飛び込み、すぐに寝室でうわああ、と情けない悲鳴をあげた。寝室に入ると、村中さんは天井から吊したロープで首を吊って死んでいた。既に死後何時間も経っていて、顔色は変色し、首は自重を支えきれずにゴムの様に伸びていた。
神崎さんが泣き喚きながら、椅子に飛び乗って工具でロープを引き千切ると、村中さんの遺体はどすん、と床上へ落下した。もはや生命のない肉の塊と化した村中さんを、神崎さんは何度も名前を呼びながら抱きしめていた。その姿を見て、神崎さんは本当に村中さんの事が好きだったのだ、と今更ながらに理解した。
「……どうして、このノートが……」
晴丘さんは寝室の隅にあるテーブルの上に、ピンク色のノートを見つけ、泣きじゃくる神崎さんを横目にノートを取ると、頁をぱらぱらとめくり、何かを見つけた。
「気が狂う前に死にます……あと四人」
晴丘さんがそう言って、ノートを俺に見せた。片方の頁には丁寧な字で遺言まがいの事が書かれていて、もう片方の頁には、あと四人という文字が血で書かれていた。