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赤い月  作者: 開田宗介
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第四話


 夕食中は誰も口を開かず、静かに終わった。食べ終わった者はトレイをカウンターの所へ並べて置き、元の席に戻る。皆見さんが食べ終わって席に戻ると、前田さんが立ち上がった。その時、俺はどうして前田さんがそこに座ったのか理解した。その場所は皆の注目を集められる最前列の中央で、この部屋にいる者達を仕切るには丁度良い場所だった。だからこそ前田さんはそこに座っていて、そして『食後のミーティング』を始めた。


「それでは今日の報告をしたいと思います」と言って前田さんは話を切り出した。


「俺はここに来て今日で三日目ですが、毎日、森の境界を見回って、皆さんがここに来られた道を探しています。今日は嶋田さんが来られた所を探してみましたが、やはり道らしき物は何も見つかりませんでした」

「本当に、何も見つからなかったの?」

「ええ、何も」

「無駄さ、何も見つからないって」


 神崎さんは背広を脱ぎ、ネクタイも解いて楽な格好をしていた。言葉は荒いが元々から皮肉屋らしく、自嘲の笑みを浮かべていた。


「ロッジのリビングに置かれていたノートには、8人になったら始まると書かれていました。何が始まるのかは分かりませんが、各自注意してください」

「何なの? 結局何も無し? 無駄に一日待たされただけ? 本当にアンタ達って無能ね。馬鹿馬鹿しい。何も無いならいちいちリーダー気取りで仕切らないでよね」


 神崎さんとは違い、皆見さんはあからさまに前田さんに噛みつくと、足早に食堂を出て行ってしまった。

 大同さんも席を立つと、んじゃ戻るわ。と挨拶して食堂を出て行った。

 続いて神崎さんが出て行き、前田さんはため息をついて頭を横に振りながら食堂を出て行った。残った村中さんは席を立つと、皆の後片付けをする為に調理場に入っていく。

 俺はカウンターまで行くと、洗い物を手伝いましょうか、と声をかけたが、一人で出来るから大丈夫よ、と断られてしまった。どうにも居場所が無く、振り返って原石さんの方を見ると、いつの間にか晴丘さんが居なくなっていた。


「晴丘さん、帰ったんだね? 気付かなかった」

「うん、そっちから出ていったから」


 と原石さんは窓際にある扉を指さした。それは直接屋外に出る扉でベランダに出る事が出来た。外に出てみると、端にロッジの裏側へと降りる階段があった。晴丘さんはそこから階下へ降りていったのだろう。俺は原石さんの所へ戻り、居場所のない者同士で仲良くするのが一番だと感じた。


「嶋田さん、帰る?」

「うん。俺、まだ、自分の家がどんな所かよく見てないし」

「そう、じゃ、途中まで一緒に」

「ああ、家の前まで送っていくよ」

「うん、お願い」


 原石さんが拒絶しなかったのは、やはり大同さんが怖いからだろう。ロッジを出て家の前まで送っていく時に、窓際に大同さんが立っているのが見えた。もし原石さんが一人だったらまた襲うつもりだったのだろうか。

 街灯のないこの集落は、夜になると深い闇に包まれ、懐中電灯が無いと足下さえ見えなかった。夜空を見上げると月と星が見えるが、月は赤く暗く、薄ぼんやりとしていて、月明かりは期待出来なかった。原石さんが持っていた懐中電灯の光を頼りに彼女の家まで辿り着くと、彼女は懐中電灯を俺に差し出した。


「懐中電灯、無いなら持っていく?」

「大丈夫、ここからなら家は見えてるから」


 夜闇の中にひっそりと立つ民家は、全く見覚えの無い他人の家だった。原石さんと挨拶を交わして別れた後、小走りでその家へと向かう。

 家に着き、玄関を開けて中に入ってスイッチを入れると灯りがついた。靴を脱いで廊下に上がり、全ての部屋の電気をつけると、まずは各部屋の様子を確認した。

 この平屋は玄関の横に六畳ほどの応接間があり、廊下の奥にはダイニングキッチンがあった。キッチンの向かいは十畳はありそうな広いリビング兼寝室になっていた。

 部屋の調度品は洋風な物が多く、応接間にはガラスのテーブルとソファがあり、リビングにはダブルサイズの大きすぎるベッドが置かれていた。

 ベッドに座り、リビングフロアの方を見ると、フローリングの床に丸く低いテーブルが置かれ、その周りにはクッションが置かれている。無いのはテレビぐらいで、それ以外は殆ど揃っていた。部屋の棚の中から懐中電灯も見つかり、電池もちゃんと入っていて明かりがつくのを確認した。

 タンスと冷蔵庫の中は空で、キッチンの棚の中も空っぽだった。ウィークリーとかマンスリーのマンションと同じく、収納と寝具だけは完備されているという感じだった。

 各部屋の様子を確認出来た事で、ようやく心を落ち着ける事が出来、不必要な明かりを消してベッドの所に向かう。ベッドの脇のスタンドをつけてそれを明かりにすると、部屋の電気は切って下着姿になって布団の中に入った。

 初めての一人での外泊だった。ベッドに敷かれた布団はとても柔らかく、道中の疲れもあってすぐに眠りに落ちてしまった。


 夜中過ぎ、俺は異様に喉が渇いて目を醒ました。飲み水は電線工事の折にペットボトル一本分を貰い、冷蔵庫に入れていた。枕元で付いているスタンドの明かりを頼りに、ベッドから降りてゆっくりと立ち上がる。

 喉がからからに乾いて唾液さえも出ない。意識は朦朧としていて脳と身体は旅の疲れから、まだ眠っていたいと訴えていた。鉛のように重たい身体、開かない瞼。なんとか薄目を開け、手を伸ばし、最低限の感覚だけで壁沿いにキッチンに向かう。

 キッチンの照明のスイッチを手探りで探して明かりをつけようとしたが、スイッチを入れても電気が付かない。各部屋の灯りがつくのは確認した筈だった。何度かスイッチを入れ直し、どうしてもつかない事に苛立って諦めた。ベッドまで戻って懐中電灯を取り、スイッチを入れると、これもまたかなり薄暗くしか明かりがつかない。うまくいかない事に苛つくが、眠気と疲労感で怒る気力もない。


 まずは喉の渇きを潤したい。電気の事は後で良い。とにかく冷蔵庫まで行ければいい。それだけを考えてキッチンに入り、薄暗い光源を頼りに冷蔵庫まで行って扉を開けた。庫内の明かりは電灯よりも明るく、ひんやりとした空気が流れ出してきた。すぐにペットボトルを掴み、蓋を開けて水を口に含むと、少し冷えすぎていた。少量口に含んでは、ごくり、と渇いた喉に水を流し込む。突き刺さる様な冷たさが喉を通り抜け、体内を滑り落ちていくのを感じた。

 二口、三口飲むと乾きは癒えた。はぁ、と大きくため息を吐くとその吐息と共に苛立ちも吐き出された様な気がした。水は全身を潤していき、重い瞼もなんとか開いた。

 懐中電灯のぼやけた光を見て、何が悪いのかと一度蓋を開けて電池を取り出し、再度電池を入れ直すと、今度は明るい光を放ち始めた。

 次はキッチンの電源だが、相変わらずスイッチを入れても照明は付かなかった。


「……何か、音がする……?」


 ふと、何かの音が聞こえた様に思えて耳を澄ました。どこかから低く太く長い、象の鳴き声の様な音が聞こえてきた。家の中からではない。目の前に窓ガラスはあるが、磨り硝子になっていて外は見えなかった。

 リビングの方へ戻り、ガラス戸の方に懐中電灯を向けた。懐中電灯の白い光がガラス戸に反射しつつ、その外側を照らす。ガラスの向こうには森しか見えない。電灯に照らされて、木の幹が白く光っていた。


「……何だ?」


 森の中で何かが横へと動いた。ガラス戸の側まで近付き、電灯で森の中を照らす。電灯の光より斜め右の方向から、ぶおぉぉぅ、と先ほど聞こえたのと同じ、獣の咆吼が聞こえた。一体何が吠えているのだろうか。象、或いはアザラシ、そんなイメージの鳴き声だった。ガラスに手を付き、もっとよく外の様子を見ようとしたが、ここからでは何も見えない。だが、戸を開けて外に出る気にはなれなかった。


「……何かが、いる?」


 闇の中、かなり遠くに誰かの家の壁がぼんやりと見える。原石さんの家はすぐ横にあり、その向こうに見える家はたしか神崎さんの家だった。その向こうに朧気に見える家は、誰の家だっただろうか?

 その家の壁に、白い何かがへばりついていた。人の形はしていない。子供がふざけてシーツを被って幽霊の真似をしている様な、白いのっぺりとした何かだった。獣の咆吼はその白い何かよりも左の方から聞こえる気がした。あれは何なのか。

 森の中から何かが出てきた。それも白い何かだった。誰かの家に近付き、壁にへばりついている。何をしているのだろう? 中に入ろうとしているのか。ここからではよく見えない。

 もし、あれがこちらに来たらどうしようか、という恐怖が心の中に産まれた。あれは一体何だ? 白くてぐにゃぐにゃしていて。酷く気味が悪い。

 その何かに気付かれるのが怖くなったので電灯を消し、壁の隅に隠れながら様子を伺う事にした。もし来たら逃げるしかない。どこへ? 原石さんの家? それともロッジ?


「何だ? あの月は……」


 どこへ逃げるべきか、他の家の様子を伺った時、森の木々の上に真っ赤な月が昇っているのが見えた。寝る前に見た時も月の色は赤かったが、更に赤みは増し、どす黒くて汚い色に変わっている。あんな色の月は見た事が無い。血と汚泥を混ぜ合わせたような月の色は、何か正体不明の悪意に浸食されている様に見えた。先ほどから聞こえてくる象のような鳴き声は、あの月がもだえ苦しんでいる悲鳴じゃないだろうか。

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