4、8話
残された漣は少し腰を落として太郎に目線を合わせる。
「まさか、こんなことになるなんてな……」
「……」
「怪我とか、大丈夫? なんか、無かったことにされたみたいだけど」
「……」
「また、今度どっか遊びに行こうか。№……あ、いや。た、太郎君」
「……」
「あー……やっぱり、№9110なんて名前じゃないし、かと言って田中太郎、っていうのが偽名って聞いたらやっぱり、なぁ」
「……」
「9110。9110。……そうだ。君の名前、俺が付けても良いかな?」
「……」
「……快人快い人、でカイト。それでどうかな?」
「……」
カイト。その名前を言われた瞬間。№9110や田中太郎と呼ばれていた少年の眼に光が宿った。その光は、オレンジジュースを飲んだ時とは違うものであった。まるで、自分と言う存在を確立できた証のようであった。
「KAI……ト。かい、ト。カ、いト……。カ、イ……ト?」
「そう、快人。……嫌かな?」
「……」
そこで快人と名付けられた少年の言葉が止まる。代わりに少年の瞳からは大粒の涙がボロボロと零れる。
「カイト……ぼ……、くの。な……前。名前」
「お、オイオイ。泣くなよ。……快人君」
ボロボロと涙を流し続ける快人を優しく慰める様はまるで兄弟のようだ。2人には気づかれないようにそれを見ていた沼川はそう思った。
「流石に、この状況で行くのは野暮と言うものですね……ん?」
そこで沼川は掛かって来た電話に出る。
「はい。もしもし……ああ、深川さんでしたか。お疲れ様です。休みの日にすみませんね。……氷川さんが? あ、はい。わかりました。報告に参りますので」
沼川は再び2人を見る。まるで兄の様な青年と、弟の様な少年を。
「これから楽しくなりそうですよ。……世界が変わるか、それとも彼等が変わるか……行く末を楽しみにしましょうかね」
そう言うと、沼川は再び漣と快人の元へ戻っていく。
「甲崎さん。ちょっと、お話があるのですが」
「? あ、はい。快人君。ちょっと待っていてな」
漣は席を離れると沼川についていく。沼川は外に停めている愛車の元まで行った。彼女はライトバンのボンネットに触れると漣に振り向く。
「甲崎さん、実は貴方に報告することがありましてね」
「何でしょう……?」
漣は怪訝な表情を浮かべて沼川を見る。対して沼川は少し笑って言った。
「固くならないでください。美川、牛川の処理がついた、それだけですよ」
「……そうですか」
「ええ。まあこれも嗜好星の関係上、いずれ消える記憶ですが」
「そう、ですね……」
「はい。これで今回の件は全て片がつきました。私はこれから……快人君を送り届けてきます」
「……一週間後、会った時に快人君はまた俺の事は忘れてしまうんですかね?」
「あちらの世界に居るうちは忘れてしまうでしょうね。ただ、甲崎さん。貴方は快人君の嗜好、それは判っているのでしょう? 後は嗜好星の中のヒーローショー、それに貴方の記憶さえあれば……」
「ええ。……あ、そうだ。ちょっと待っていて下さい」
そう言うと漣は一度喫茶店に行く。しかし、物の10秒程で戻って来た。手には、スポーツ用のボトルが握られていた。
「これ、中身オレンジジュースが入っているんです。向こうの世界ではまだしも、せめてこちらの世界にいるうちにこれをあげてくれませんか?」
「……フフ。貴方は本当に面白いですね。しかし、それは快人君に直接あげてください」
「……確かに」
漣の言葉を聞いてから、沼川も先ほどの漣と同じように喫茶店へ戻っていく。彼女もまた、すぐに戻って来た。後ろには快人が付いてきている。
「甲崎さん」
「ああ。……快人君」
漣は持っていたボトルを快人に手渡す。渡された方の快人はなんのことか、と言った様子だ。
「それを君にあげるよ。中身は君の好きなモノだ。飲める時があったら、飲んでくれ」
「……あり、が……と。……う」
「では快人君。そろそろいきますよ」
「……」
快人は黙って頷くと沼川のライトバンの助手席に乗る。
「沼川さん。快人君の事、くれぐれもお願いします」
「……ええ、悪いようにはしません。私なりに彼を守る。それは誓いましょう。№9110ではなく、貴方が名付けた、快人君を」
「……はい」
そう言うと沼川は愛車に乗り込むとエンジンを掛け、車を出す。助手席に乗っていた快人が、窓から漣を見つめる。
「あっ……」
手を振ろう。そうしようとした時、既に車は出てしまった。だが、漣は手を振る直前に確かに見たのだ。快人が、慣れないながらも、手を振っていたことを。
「……また会おう。快人君」
ふと、漣は空を見上げた。それまで気がつかなかったが雨は止み、空には青空が広がっていた。ソレを見た漣は少しだけ笑うと家路に着いた。
これにてこれヒロ第一章、完です。ここまで読んでくださった方、どうもありがとうございました。




