交渉 後編
「ちょ、ちょっと待って下さいベアトリクス様!」
思わず私は立ち上がります。
「一体どこからそんな話が持ち上がったのですか!?」
「順を追って説明するわね」
動揺している私に反してベアトリクス様は涼しい顔。
「とりあえず座りなさい」
その銀色の髪をクルクルと指に絡ませながら着席を指示しました。
「エレナ伯爵。あなたは貴族よね?」
「はい、その通りです」
「貴族とは国のために命すら投げ出す誇り高い地位。だからこそ他の市民より優遇されている。そこまでは良いわね?」
と、ベアトリクス様は確認を取ってきますが、ここで安易に頷くわけにはいきません。
何故なら、肯定してしまえば次の瞬間には私の将来が決定してしまうからです。
断っておきますが、私は別に国のために死ぬのが嫌なのではありません。
不本意な死が御免なだけです。
先程ベアトリクス様が条件に出したベルツフォンの外堀を埋める要件。
多分。いや、確実にベアトリクス様はそれだけで済ませないでしょう。
下手すればベルツフォンの防御機能を全て喪失させることをやってのける可能性があります。
そこまでは良いでしょう。
しかし、その時私の立場はどうなります?
約束を破り、ベルツフォン要塞の防御力を大幅に落とした国の代表である私は?
はい、私は高確率で死にます。
しかもただの死を賜るだけでなく、見せしめとして残虐な方法で殺されるでしょう。
まあ、もしこの謀略がユウキ陛下自ら仕掛けたものならまだ納得がいくのですが、今回はベアトリクス様の独断。
残念ながらまだ私はベアトリクス様に利用されて死ぬことに抵抗がありました。
ゆえに私は声を張り上げて拒否します。
「そういう問題なら私よりもベアトリクス様ご自身が望むべきです」
私は貴族でベアトリクス様は王女。
形式としては王女の方が信憑性が高いです、が!
「え? いやよ? だって私は身も心も我が君に捧げているのだから」
しかし、ベアトリクス様は心外とばかりに首を振って拒否しました。
しかもあろうことか心にも思っていない戯言呟くので私はカッとなり。
「私も誰よりも負けないぐらい陛下を想っています!」
ついそんなことを口走ってしまいました。
言ってからしまったと後悔するのですが、ベアトリクス様は気にした素振りを見せません。
見せませんでしたが。
「想う力は一万歩譲るとしても、想われる力は私の方が上ね。多分今も私が心配で仕方ないと思うわよ」
さらに癇に障ることを述べました。
「それはあなたが騒動の種をばら撒くからでしょう!」
あなたがいなくなれば陛下の憂鬱の大部分が取り除かれます!
と、私は反論しようと口を開くのですが。
「こんな極悪娘などこちらからお断りだ」
「あら、バーティミアンは酷いわね」
それより先にバーティミアン殿が拒絶しました。
さらに彼は続けて。
「しかし、よくもまあそなたの王はこんな奴を側におくことが出来るな。もしわしの部下にそやつがいれば首を撥ねておるわ」
感嘆の吐息を吐きます。
染み染みとした様子からお世辞でなく、本心から言っているのだろう。
「ユウキ陛下は心が広いので……それこそユーカリア大陸並みに」
「アハハ、エレナ伯爵もたまには面白いことを言うのね」
冗談を言ったつもりは無かったのですが、ベアトリクス様に大受けしました。
「とにかく、その提案は私が拒否します」
咳払いを一つした私はハッキリと宣言します。
「誤解しないで頂きたいが、私は決してバーティミアン殿が嫌いなわけでない」
バーティミアン殿はクロスと同等かそれ以上の高さとガタイを持っているにもかかわらず知力も申し分ない。欠点を上げれば乱暴そうな顔付きだが、それは野性味があると言い換えることが出来る。
「私ごときでは勿体無いのだ。だから気後れしてしまう」
私は伯爵、そして貴族筆頭の地位にあるとはいえ、それは私の実力でなく運が良かっただけ。
歴戦の戦士としての叩き上げであるバーティミアン殿とは全く釣り合わないだろう。
「バーティミアン殿にはもっと相応しい人物が必ず現れる」
と、私はそう締め括った。
即興での口上とはいえ、中々様になっていたと思う。
ベアトリクス様も小さな声で。
「さすが貴族ね、口の滑らかさは及第点といったところかしら」
と、まあベアトリクス様なりの褒め言葉を頂きました。
さて、バーティミアン殿はどう返すのかと返事を待っていた私に彼は徐に口を開いて。
「わしに相応しい伴侶が見つかると言ったな?」
そう問いてきたので私は頷くと。
「わしには妻がいた」
重苦しくそう告白した。
「気高く、優しく、そして何よりも笑顔が美しい妻だった。結婚当初は釣り合わないと随分と周りからからかわれたものだ」
「そうか。で、その妻は何処に?」
「っバカ!」
私の不用意な発言に慌てて制止するベアトリクス様だが、少し遅かったようだ。
するとバーティミアン殿はさらに声音を低くして。
「数年前に殺された。異教徒共の侵略によってな」
「……」
その衝撃の事実に私は閉口しました。
「だから言ったのに……これで主導権は握られたわ」
ベアトリクス様は横で頭を抱えています。
確かに此度の出来事は不用意な発言を行った私にあるだろう。
その非を釈明するつもりなどない。
こちらが不利ならば!
「それで、何故バーティミアン殿は交渉に応じたのでしょうか?」
さらに踏み込む!
「異教徒の国の王女が参ったのであれば問答無用で殺してもおかしくないが」
「そうだな、初めはキザマリック諸共皆殺しにしようと考えた」
バーティミアン殿は楽しそうに笑い、そして。
「ええ、あの時はさすがに冷や汗が垂れたわ」
ベアトリクス様も不敵に笑って返した。
「何を言う、ティガーの牙を突きつけられようとも表情一つ変えていなかったぞ?」
「泣き喚いたらあなたは容赦無くティガーの餌にしたでしょ?」
「ハハハ、その通りだ」
バーティミアン殿は豪快に笑いますが、私には笑う事が出来ません。
よくもまあ猛獣の吐息を間近で感じながら平静を保てるものだ。
私には絶対無理です。
「して、何故バーティミアン殿はベアトリクス様達を許したのでしょうか?」
話の流れ的に、余程の事がなければ胃袋に収まります。
「インフィニティ殿がこう言い放ったのだーー『今、私を殺して未来のバーティミアン夫婦を作るのか、それとも私を生かしてバーティミアン夫婦を最後の犠牲者にするのか選びなさい』とな」
「何と……」
壮大な言葉に私は唖然とします。
「最初はそれでも良いと考えた。未来がどうなろうとも、目の前の異教徒を殺せればそれで満足だと」
だかな、とバーティミアン殿は続けて。
「その時のインフィニティ殿の眼は真っ直ぐだった。その眼に映る色は信頼ーー自分がどうなろうとも、主君は必ず己の遺志を継いでくれるという光があった」
「我が君は単純だからねぇ。必ず私の思い通りに動いてくれるわ」
ベアトリクス様はそう軽口を叩くが、声の調子に軽蔑の色が含まれていない。
「大陸統一。王族なら誰もが夢を見る景色が我が君によって実現するのよ」
「例えその光景を己が見る事が叶わなくとも?」
「ウフフ、我が君なら私がやりたかったことを実現してくれるわ。そう、南蛮諸国に住む民族を皆殺しにした上での大陸統一をね」
ベアトリクス様は今まで浮かべていた腹黒い微笑みとは違った笑みを見せていた。
そんなベアトリクス様を確認しながら私は想う。
「私が死ねば陛下はどうお考えになるであろうか」
泣くだろうか、怒るだろうか。
それは分からない。
分からないが、少なくとも私の死を無駄にしないだろう。
制裁を与えるべき相手に制裁を与えた後、キリングや私の領地の民の面倒を見てくれる。
何故かは分からないが、陛下ならそうしてくれると信じることが出来た。
「一度そちらの王に会わせて欲しい」
おもむろにバーティミアンがそう申し入れる。
「策士であるインフィニティ殿がそこまで心酔するほどだ。さぞかし立派な人物であろう」
「ふうん、それは面白いわね」
バーティミアン殿の提案に興味を示すベアトリクス様。
「じゃあこうしましょう。バーティミアンとエレナ伯爵との結婚式に我が君を呼ぶから、その時に」
「まだ引っ張るのですか!?」
終わったと思っていた話題をほじくり出され、目を剥く私なのだが。
「当たり前よ。何のための交渉なの?」
当然とばかりに驚かれてしまった。
「両陣営の友好のための婚姻が嫌なの?」
白々しいことを仰らないで下さい!
そんな気など毛頭ないでしょう!
「失礼ねえ。友好が上手くいきそうなら要塞の外壁なんて壊さないわよ。だってそのために壊す時期を明示しなかったし」
それは慰めのつもりですか!?
つまり、戦争した方が利があると判断すれば容赦無く実行するでしょう!
「ですから! 重大なことを勝手に決めないで下さい!」
「あのねえエレナ伯爵、よく聞きなさい」
嫌がる私にベアトリクス様は子供を躾けるかのような口調で説き始めます。
どうやらベアトリクス様は本気で私を結婚させたいようです。
「悪いがわしはもう少し妻を想ってやりたい」
幸いにもバーティミアン殿がそう発言しくれたため、ベアトリクス様は引き下がってくれましたが。
「バーティミアンが駄目かぁ。それなら長老の誰かの後妻として収まるのもありよね」
影でそんなことをブツブツ呟いていました。
……もし私がこのことを原因で死ねば陛下はこの悪魔に制裁を与えてくれるのでしょうか?




