交渉 前編
「お初にお目に掛かる。わしがこのベルツフォンの主、そして長老から全権を委託されているマルテミス=バーティミアンだ」
目の前の人物は野太い声で述べて手を差し出してくる。
私の頭一つ分突き出た身長と筋骨粒々な体つき、そして赤銅色の肌は歴戦の戦士を思わせた。
――いかん!
うっかり呑まれそうになった自分を叱咤する。
例え名目上でも私はジグサリアス王国における南蛮遠征の全てを預かっている責任者なのだぞ。
無様な姿を見せれば王国の品位が疑われる。
私はどうなっても良いが、陛下や王国が下に見られるのは堪らないからこそ。
「ジクサリアス王国から南蛮遠征の全てを預かっている王国貴族代表のエレナ=グランシリア=イーズブル伯爵だ」
私は胸を張って出された手を握り返した。
山を掘って作られたベルツフォン要塞はさぞかし湿気と暑さが高いだろうと予測していたが、意外な事に結構涼しい。
風の抜け道を計算されての構造から、自然を味方に付ける文明が発達していると容易に予想出来る。
これは侮れんな。
私は南蛮諸国の評価を改めた。
今、この部屋にいるのは私とバーティミアン殿、そしてベアトリクス様の三人である。
残りは控室で待機している。
私としてはキリングを連れて来たかったものの。
「向こうがエレナ伯爵1人を希望しているのよ、諦めなさい」
ベアトリクス様からそう告げられれば黙る他ないだろう。
私は観念して単身ここに乗り込んだ。
「中々、身軽な装いだな」
席についた私にバーティミアン殿が口を開く。
「異教徒の中にも賢明な輩がいるということか」
一瞬侮辱されたと感じたが続く言葉で褒められたことに気付く。
今、私の服装は綿製の薄手のシャツにズボン。そしてその上に木製の鎧である。
この装備は軽いメリットもあるが、それ以上にとにかく涼しい。
これから夏の季節はこれで過ごそうと考えているぐらいだ。
「異教徒共はとにかく形式に拘った。この地の気候で厚い青銅の鎧や兜を着けるなど狂気の沙汰だ」
確かに。
今の私なら断固断る。
私はバーティミアン殿の言葉に頷こうとした瞬間。
「そろそろ本題に入りましょうか」
ここまで沈黙を保っていた隣のベアトリクス様が一声を発した。
そしてベアトリクス様は私の耳に顔を近付けて。
「……あんた馬鹿? 過去とはいえ、ここで私達の欠点を認めてしまえば向こうに主導権を握られるわよ」
なんと……
すでに交渉は始まっていたのか。
後一歩で罠を踏んでいた事実に私は肝を冷やす。
「さて、エレナ伯爵は調子が悪いみたいだから代わりに私が行うわ」
私が惚けている間にベアトリクス様はバーティミアン殿に向き合うのだが。
「インフィニティ殿に決定権はないのだろう? だからわしは異教徒の軍勢を迎え入れたのだが」
バーティミアン殿はそう告げてベアトリクス様の参加を拒否しようとするが、これで引き下がるのベアトリクス様ではない。
王女は言葉を続けて。
「私の決定はエレナ伯爵の決定、ひいては国の決定になる。それで構わないわね? エレナ伯爵?」
「あ、ああ」
咄嗟にそう振られた私は思わず追従した。
その様子を満足そうに鼻を鳴らしたベアトリクス様はバーティミアン殿を見据えて。
「これで私が代表になったわ。交渉のテーブルに立っても構わないわね?」
自信満々にそう宣言した。
するとバーティミアン殿の表情に変化が訪れる。
呆気、疑問、理解、憤慨そして降参へと顔色が変わっていった。
「お主……可愛い顔をして内心強かだな」
「お褒めに預かり光栄ね」
「良いだろう。あの絶体絶命の状況からここまで持ってきたお前に敬意を払って交渉することを許そう」
「ありがとう」
バーティミアン殿の許可にベアトリクス様は花が咲くような笑みを浮かべた。
「まずは約束していたモノね」
ベアトリクス様は確認を取るかのようにゆっくりとした言葉遣いで。
「人質の身代金として金貨1000枚、さらに鉄や銅といった鉱石をそれぞれ1tずつに加え、兵1万人を1年間食わせるだけの糧食ーーそれに間違いは無いかしら?」
「1t……!」
突然出てきた単位の大きさに目を回す私だが、ベアトリクス様は気にせず進んでいく。
「うむ、相違ない」
バーティミアン殿は動揺もせず納得することから、この内容は予め決められていたのだろう。
しかし、それにしても。
「……ベアトリクス様、出し過ぎではありませんか?」
私はバーティミアン殿に聞こえないよう小声で囁く。
「金貨1枚で大人1人が1年遊んで暮らせます。それに何種類もある鉱石を1tずつとなりますと相当な出費が」
財政担当のヒュエテル様が此度の結果を見て卒倒するのが目に見えます。
しかし、ベアトリクス様は笑って。
「大丈夫よ、資金だって此度の魔物大侵攻で唸るほど手にいれたし」
あの寡黙で真面目なレア様が小躍りする程莫大な利益が転がりこんできたらしいです。
「それに今、戦争をしているラブレサック教国は宗教国なのよ。お布施という名目で大陸中から金品を集めているのだから、勝てばこれぐらい些細なことに思える額が手に入るわ」
「些細……」
私も筆頭貴族ゆえに一般市民との金銭感覚とらかけ離れた金勘定を行っているという自負があります。
しかし、ベアトリクス様達王族からすると私は市民と五十歩百歩の金銭感覚なのでしょう。
「……所詮私は田舎貴族か」
スケールの違いに打ちのめされた私は持ってきたハンカチでそっと目の端を拭いました。
「さて、次の議題に入りましょうか」
打ちのめされている私を見向きもせずベアトリクス様は話を進めます。
「それはわしらとそなた達との今後の関係についてか?」
「そうね」
ベアトリクス様が肯定を示すとバーティミアン殿は少し唸った後。
「ベルツフォンは引き続きわしらがルーツ族が管理、そして今後南蛮諸国との貿易はルーツ族が窓口となる。それで良いか?」
「約束が違うわね。貿易はあなた達が窓口でも構わないけど、ベルツフォン要塞の管理はジクサリアス王国が行うわ」
「何を言っている、ここはルーツ族だけでなく南蛮諸国全体の守護神、断じて失うわけにはいかん」
「そちらこそ何を言ってるの? 私達が管理をするからこそそんな法外な目録を授けたのよ。そっちがその気なら相場である十分の一にしても構わないわ」
「長老からのお達しだ。ベルツフォンを引き渡すわけにはいかんのだ」
「へえ、つまりあなたと約束しても意味はないんだあ?」
と、ここでベアトリクス様は嘲るような視線に切り替えます。
「だったら長老とやらを連れてきてほしいわね。その方が約束を守ってくれそうだわ」
「……それはならん」
バーティミアン殿が拒否を示す。
「ベルツフォンは譲るわけにいかんが、それ以外なら譲歩の余地がある」
「ふうん、そうなの」
バーティミアン殿の答えにベアトリクス様は唇に手を当てます。
「なら仕方ないわね。だけどいくつか呑んでもらうわ」
「どんな内容だ?」
「一つは一日だけでも良いから管理させて頂戴。でないと名目が立たないのよ」
つまり形だけでもベルツフォンは陥落したという情報を手に入れるためか。
一見無意味そうに見えるが、意外とジグサリアス王国にとって利となりえるかもしれん。
何故ならベルツフォンはこれまでラブレサック教国連合による猛攻を耐え抜いた要塞。
そこを僅か一日だけとはいえ陥落したという報せは民衆を大いに沸かせるだろう。
何故なら、ベルツフォンとは鉄壁の象徴として刷り込まれているのだから。
「そしてもう一つは……そうね、外堀を埋めて貰いましょうか」
ここでベアトリクス様の瞳が光ったのを見逃さない。
王女は続けて。
「ベルツフォン要塞の周囲を囲ってある深い堀、あれを“私達が”埋めるわ」
「理由は?」
「我が君が作ったジグサリアス王国の儀礼の1つだから。和議を申し出た城に対して城の壁を“私達が”一部崩すことね」
はて? そんな仕来たりなどありましたっけ?
私はベアトリクス様の言葉に疑問を覚えるのですが。
「ほう、そうなのか。そちらの王は変わった条例を作るのだな」
バーティミアンが納得したので口に出すのは野暮でしょう。
「大丈夫よ、崩すと言っても一部だけ、あくまで儀礼的。それにベルツフォンの守備は外堀だけでない。土塁に内堀、そして高見櫓といった防御陣が幾つも用意されているじゃない」
「う……うむ」
考え込むバーティミアン殿にベアトリクス様は続けて。
「ベルツフォン要塞はこれまで異教徒の侵略を許さなかった鉄壁。まさか外堀を埋められただけで壊滅するんてことはあり得ないわね?」
「侮辱するな! そんなことはありえん!」
その嘲るような言葉にバーティミアン殿は憤慨した。
「そう。だったら構わないわね」
「無論だ」
バーティミアン殿が納得したことでこの議題は終わる。
しかし、私はこの条件に不安が消えない。
(果たしてベアトリクス様は外堀を埋めるだけで満足するのでしょうか?)
蛇と揶揄されることのあるベアトリクス様のこと。
蛇に相応しい凶悪な毒の牙をまだ解き放っていない様に思える。
「ベアトリクス様……あなたは何を考えているんです?」
私はベアトリクス様の真意を探ろうとその儚い姿を見つめるが、もちろん何も分からなかった。
「さて、じゃあ最後の議題ね」
私は未だに混乱していたが。
「エレナ=グランシリア=イーズブルをマルテミス=バーティミアンの嫁として送る。それについて話し合いましょう」
「はあ!?」
ベアトリクス様が述べたとんでもない言葉によって全部吹っ飛んでしまった。




