↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アイズ・オブ・ソトースー多次元レコードー  作者: 御堂 枢


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/10

10話

 有栖川宗一郎は未だかつてないほど高揚していた。

 すべては彼の想像を遥かに超えた至高の展開だ。

 5年前の儀式で拒絶された有栖川は、目の前で白銀色の幾何学模様に輝く八澄鏡花を羨望の眼差しで見つめていた。彼女は望みもせず、自身が身を粉にして手に入れようとした高次元の地位を手に入れたのだ。

『シルバー・キー』は鏡花の肉体と同化していて、それを通じて、【ヨグ=ソトース】の権能を彼女は無意識に扱えるようになっていた。


 彼女は、神に選ばれたのだ。

 その証拠に、1年前の儀式で歪みの彼方に消えた彼女の目玉を呼び水に、神の力によって新たな怪異【ヨグ=ソトースの落とし子】が現世へ具現化された。そして、『シルバー・キー』を使い時空の門を開くことができ、更にその力を開放すれば、理想の楽園に行くことができる。


(ここで手放すわけにはいかないが、今は状況が悪い)


 有栖川は、残った落とし子を制御できていると思っていた。しかし、それは間違いだった。

 落とし子はわかっていたのだ。彼女が再びここを訪れることも、この後どうなっていくのかも。

 そうであれば、今この場に残っているのは得策ではない。落とし子と狗飼たちが揉めている間に一度離れるべきだと、出口であろう方角へ移動を始めた。


 一方、異界化が始まってから、移動指揮車でバックアップを任せた弦巻達と一切連絡が取れなくなってしまった。通話をしても、インカムからは砂嵐のザー…ザー……という音しか聞こえない。

 更には、鏡花を囲う巨大な触手を狗飼たちは持て余した。

 どうするか、視線を交わす三人に一本の触手が振り下ろされた。


「ソレ キライダ」


 重量のある巨大な触手が黒崎の持つ大盾を再び弾いた。旧神の守護『エルダーサイン』が機嫌を損ねたようだ。

 目の前の巨大な怪異に囚われた鏡花、強大な威力に翻弄される黒崎たち。狗飼は、10年前の無力だった、あの時を思い出していた。



 弦巻の荒い運転に、移動指揮車のタイヤはバーストしていた。

 そんな彼らのもとに、一台のラングラーが滑り込んでくる。降りてきた運転手は、背の高いアメリカ人。

 どこかで習得したのか、ポーズを決めながらウィンクをしてきた。


「ヘルプで来たエリックだっぞ!雹、創。調子はどうだ?」

「通信関係も検知器もだめだね。どれも狂っちゃってるよ」

「エリックさん、何か案ありませんか?」


 流暢な日本語を話すエリックだが、アニメやゲームが好きで言葉遣いがおかしい時もある。優秀な技術者である彼には些末な特徴だ。

 体格のいい彼は、一人でラングラーの車内から軽々と重そうな電子機器やコードを降ろしている。


「ボクのところの班長が後から来るよ。ウキウキ準備してた」


 弦巻達の移動指揮車に搭載されている計器は一様にエラーを吐き出していて使い物にならない。脱出時に極度の歪みの変化で壊れてしまったようだ。

 機材を組み立てるエリックの隣で、弦巻は今までの事象と危惧される可能性を声に出して整理する。


「あれだけの範囲の異界化は【ヨグ=ソトース】の関与も考えられる。精神汚染の時間を考えると、後数時間も猶予はない。特に中心にいる人間は『エルダーサイン』の加護があるとしても、SAN値の減り方が尋常じゃない」


 異界化の精神汚染による一般人の被害は想像に容易い。訓練でメンタルの強化と魔除けの紋様である『エルダーサイン』のベストを装備している怪異対策課の人間でも、一般人よりマシな程度だろう。


「そーいえば、漣のSAN値低下は詰んでね?」

「詰む?いいや、今こそ必要な状況じゃないか」


 弦巻は狗飼の変化を見届けることができず、心底残念に思った。





 そこは地獄のような場所だった。

 至るところで黒い炎が燃え盛り、巨大な尾が叩きつけられたアスファルトの地面はクレーター状に激しく抉れ、戦友たちは力なく倒れている。

 自衛隊に入隊したての狗飼は、経験したことのない恐怖に、上官の命令があっても指一本動かせなかった。

 割れた地面の奥深くから這い出た大蛇のうねる巨躯は、多くの隊員を羽虫のように弾き飛ばし、強靭な顎が車体ごと中の隊員を噛み潰す。


 土砂災害の支援に来た彼らには、大した武装もなく、住民たちを避難させるしかない長い絶望の時間。

 大地をも揺るがす唸り声を最後に、狗飼の記憶はブツリと切れていた。


 アレは、危険だ。

 アレを、倒さなくては。


「八澄鏡花から離れろ、バケモノ」


 今度こそ、すべてを守らなくては―――


 異界化によるSAN値が限界を突破し、正気を失った狗飼は、目の前の『鏡花を守る』という衝動だけに突き動かされた。今にも彼女に危害を加えようとするその触手が、10年前のあの大蛇と重なって見える。すらりとナイフを抜き、自身のトップスピードで『落とし子』に攻撃を仕掛けた。


「班長?!」


 切りつけたナイフはスカッと宙を切った。視認できても、実体化していない『落とし子』に、ただのナイフでは攻撃が当たるはずもない。

 触手に押し倒されても狗飼は攻撃の手を緩めなかった。

 いつもと違い、一人飛び出していった班長に、氷海と黒崎は戸惑いつつも、フォローに入った。黒崎は氷海の遮蔽物になる様に『エルダーサイン』の盾を突き立てた。手ぶらになったその両腕には、タングステンカーバイドと『プルート・インク』を混ぜた超硬合金で作られた漆黒のナックルを嵌めている。ガンッと互いを打ち合わせると、『プルート・インク』が反応し、怪異に対して攻撃が可能になり、ナックルはさらに硬度を増す。


「フォローに入れ、氷海」

「――分かってる!」


 黒崎に呼応して、氷海は盾の影からスナイパーで『プルート・インク』を撃ち放った。しかし、インクの散布は歪みの影響が強く、意味のないものだ。舌打ちをした彼女は、盾の影に隠れると、タングステンカーバイドの芯材に『プルート・インク』を浸透させた対怪異用特殊徹甲弾を銃身に装填した。手元にある銃弾はあまりにも少なすぎる。こんなことになるなら、もっと弾数持ってくるんだった。と、後悔するほどだ。


 狗飼の後を追う黒崎は、高硬度化したナックルで襲い来る触手を腹に力を入れて殴り返した。殴られた触手は、ドロドロと虹色の泡が弾けながら崩れていく。

 その横を氷海の放つ弾丸が空を切り裂いて、狗飼を攻撃しようとする触手を撃ち抜いた。しかし、無限に亀裂から溢れ出てくる触手の本体はまだ向こう側にあり、決定的な一撃を与えることが叶わない。


 うねる触手が重なり合い、鏡花と狗飼たちを隔てるように壁を作る。

 鏡花は全く動かなかった。『シルバー・キー』との共鳴によって、荒ぶる感情が徐々にそぎ落とされ、【八澄鏡花】という個の境界が揺らぎ始めていた。

 過去も未来も分からない様々な情報の波が押し寄せてくる。鏡花は、ただその波に身を任せていた。目の前で起きている争いも、もはや一つの情報に過ぎない。


 ――誰かが、近づいてくる。

 穏やかな空間に異質なものが触れてくる。


「――八澄ッ……八澄!」


 重なる触手が一つずつ崩されていく。崩れ落ちる虹色の泡を掻い潜り、ボロボロになった一人の男が鏡花の前に立った。ふらつきながらも、力強い手がその両肩をがっしりと掴んだ。


「帰るぞ、八澄……」


 それにより、彼女は自分という個を実感した。

 引き戻された鏡花の目の前には、いつもの冷静な狗飼とは違う焦燥感溢れる表情だ。その後ろに巨大な触手が様子を窺うようにうねっている。


「――だめ……やめて」


 鏡花の意に反して、触手はその矛先を狗飼の背中に定めた。

 振り下ろされる触手の前に、彼女は飛び出し、彼をかばった。


「やめてっ!!」


 寸でのところで止まった触手。『落とし子』は、鏡花の行動が理解できなかった。


「ナゼ?キョウカヲ キズツケル モノ モッテイル。アブナイ」

「この人たちは私の……仲間、友達だから大丈夫、危なくないよ」


『落とし子』はすぐに鏡花の記憶から狗飼たちの情報を見た。最近は、彼らといることが多く、一緒に生活もしているようだ。

 仲間や友達、人の感情など分からないが半身である彼女の言葉を受け入れることにした。

 数々の彼女との接触の中で、今はその時ではない――『最良の時』は、まだまだ先にある。


『落とし子』は鏡花の中にある『シルバー・キー』との共鳴をやめた。その瞬間、彼女の体の表面に浮かんでいた白銀に光る幾何学模様は消え、異常なほど『魔術義眼デバイス』は熱を帯び、頭痛、吐き気、長時間の高次元接続による重度の疲労が一気に襲い掛かる。立っていることができず、糸が切れるように崩れ落ちる体を狗飼が支えた。彼も同様に異界化による精神汚染で倒れそうな体を、気力で何とか保っていた。


 ――世界が、音を立てて戻っていく。


 異界化していた文京区一帯は、『落とし子』と『シルバー・キー』の共鳴が無くなったことにより、元の形に戻った。中心部の有栖川メンタルクリニックの地下も元の白いコンクリート部屋に戻る。

 だが、その場に有栖川の姿は見当たらない。


「チッ……逃げられたか」


 鏡花を抱えながら膝をついた狗飼は、息を荒くし、先程まで有栖川がいた場所を忌々しく睨みつけた。

 警戒を解いた黒崎と氷海も、異界化による強力な歪みの影響を受けて疲労困憊だ。


「弦巻達とまだ連絡はとれないか?」

「無理そうね。ここは一度撤退するしかないわ」


 静かな廊下にカツン、カツンと硬質な足音が響く。

 その足音は、狗飼たちのいる部屋の扉の前で止まり、大きな破壊音とともに、ひしゃげた扉は吹き飛んだ。

 暗い廊下から白いコンクリートの部屋に現れたのは、鴉のような黒い外套を纏った男装の麗人。その腰には、精巧な純銀の十字架が細工された美しい軍刀が下げられている。


「――だらしない姿だな、狗飼」


 ボロボロの狗飼の姿を一瞥すると、その口からは嘲笑うような言葉が発せられた。

 彼女は、怪異対策課・御子神班の班長、御子神嵐。

 陰陽師の血筋を持ち、エクソシストとして修練を積んだ退魔のエキスパートである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。