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嵐のあとで  作者: 空野 翔


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10/10

第10話「夜の帰り道」

 宗一から連絡が来たのは、六月の頭だった。

『久しぶりに飲もう。来週の土曜、空いてる人』

 松永が『行く』と返した。入江が『大丈夫』と返した。岡崎が『行けます』と返した。隆二が『いいよ』と返した。全員が返した。それが、なんとなく嬉しかった。


 店は駅前の居酒屋だった。水曜社に縁のない、チェーンでも地元でもない、ただの居酒屋だった。誰かが選んだわけではなく、宗一が「近くて入りやすいとこでいいか」と言って、全員が「いい」と言った。

 五人が揃ったのは、七時過ぎだった。宗一は少し疲れた顔をしていた。入江は少し垢抜けていた。岡崎は変わらなかった。松永は結婚指輪をしていた。隆二は全員の顔を、順番に見た。みんな、少しずつ変わっていた。少しずつ、それぞれの生活になっていた。


 最初の一時間は近況だった。宗一が「二人目、秋に生まれる予定」と言った。

「おお」と松永が言った。

「男? 女?」

「まだわからない。わからないままにしておこうと思って」

「なんで?」

「生まれてからのお楽しみで」

「由紀さんは?」

「由紀も同じ考え」

「お前ら、仲いいな」と入江が言った。

「まあ」と宗一は言った。照れているのかいないのか、わからない顔だった。

 

入江は次の現場の話をした。県内の小劇場で、三週間の公演だった。

「主役?」と松永が聞いた。

「違う。でも大きい役だ」

「どんな役」

「刑事」

「似合う」と隆二が言った。

「なんで?」

「なんとなく」

「おい、根拠を言えよ」

「目が鋭いから」

 入江が少し黙った。「それは褒めてるのか」

「褒めてる」

岡崎が「似合うと思う」と言った。静かな声だった。入江はそれ以上何も言わなかった。でも、悪い気はしていないようだった。


 松永は店の話をした。常連客が増えてきたこと、健一さんが最近少しだけ任せてくれるようになったこと、彩花が料理を手伝い始めたこと。

「うまくいってるんだ」と宗一が言った。

「うまくいってるかどうかはわからない」と松永は言った。「ただ、毎日がある」

「毎日がある、か」

「何かそれが大事だと思って」


 岡崎は現場の話を少しした。口数は相変わらず少なかったが、話すときの声が、前より落ち着いている気がした。

「しんどくない?」と松永が聞いた。

「しんどい」と岡崎は言った。「でも続けてる」

「続けてる」

「なんで」

岡崎は少し考えた。「手が動くから」

誰も笑わなかった。みんな、なんとなくわかったから。


「隆二は」と宗一が言った。全員が隆二を見た。

「ハローワーク、また行った」と隆二は言った。

「何回目」と松永が言った。

「三回目」

「進んだ?」

「少し」

「どんなふうに」

「人の話を聞く仕事をしたいと言ったら、窓口の人がいろいろ調べてくれた」

「人の話を聞く仕事」と入江が繰り返した。「たとえば」

「福祉とか、相談員とか。まだぼんやりしてるけど」

「そっか」と宗一が言った。「向いてると思う」

「なんで?」

「聞くのが得意だから」

「前にも言ったな、それ」

「本当のことは何回言ってもいい」

松永が「いいじゃん」と言った。「見えてきたじゃないか」

「見えてきたというか、見えそうな気がしてきた、くらいだけど」

「それで充分だろ」

岡崎が「うん」と言った。一言だけ。でも、それで充分だった。

 入江はビールを一口飲んでから「遅くていいよ」と言った。

「何が」

「決まるの。別に早くなくていい」

「お前らしくないな」

「たまにはこういうことも言うさ」

 隆二は少し笑った。


 二時間ほどして、店を出た。夜の十時過ぎだった。六月の夜は、少し蒸し暑かった。五人で駅の方向へ歩いた。

 商店街に入ると、シャッターが並んでいた。明かりのついている店は少なかった。元・時計屋の前を通った。二階の窓は暗かった。外壁のモルタルが剥がれているところは、まだそのままだった。誰も建物を見上げなかった。見なかったが、全員が気づいていた。それで充分だった。

商店街を抜けて、住宅地に入った。松永が「あっ、そういえば」と言った。

「なに」と宗一が聞いた。

「陽菜ちゃん、最近どう」

「歩くの速くなった。追いかけるのが大変」

「かわいいな」

「かわいいけど大変」

「どっちなの」

「両方」

 入江が「二人目も早く歩くようになるよ、たぶん」と言った。

「なんで分かるの?」

「知らんけど」

「知らんのかい」松永が笑った。宗一も笑った。

岡崎が「陽菜ちゃん、舞台見たとき、どうだった」と言った。

「きょろきょろしてた」と宗一が言った。「ただ、終わったあとに、また見たいって言った」

「本当に?」と松永が言った。

「本当に。二歳なのに」

「すごいな」

「まだ内容はわかってないと思うけど、何かを感じたんだろうな」

隆二は黙って歩きながら、それを聞いていた。二歳の陽菜が、また見たいと言った。それだけで、何かが報われた気がした。大げさかもしれなかった。でも、そう思った。


 道が分かれる交差点に来た。宗一と松永は北の方向だった。入江と岡崎は駅の反対側だった。隆二は南だった。五人が交差点に立った。少しの間、誰も動かなかった。止まっていたのは、五秒か十秒か。でも、誰も急がなかった。

「また飲もうな」と松永が言った。

「声かければ来るだろ、みんな」と宗一が言った。

「来る」と入江が言った。岡崎が頷いた。

隆二は「来る」と言った。

宗一が「じゃあ、またな」と言った。

松永が「またな」と言った。入江が軽く手を挙げた。岡崎も同じように手を挙げた。

それぞれが、それぞれの方向へ歩き始めた。足音が、少しずつ遠くなった。


 隆二は歩きながら、ふと空を見上げた。六月の夜空は、少し霞んでいた。街灯が多くて、星はほとんど見えなかった。でも、あった。霞んだ夜空の、少し右寄りのあたりに、星が五つ、横に並んでいた。等間隔ではなかった。少しばらついていた。でも並んでいた。たまたま、そこにあった。隆二はしばらく、立ち止まって見ていた。それから歩き始めた。夜の住宅地は静かだった。どこかの家に、まだ明かりがついていた。隆二は歩いた。それだけだった。


―終わり―


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