98話 戦後
忌避の体が光の粒子となって周囲に霧散していく様子を、俺たちは4人で呆然とみていた。
「ククク……確かに、今までで『一番面白いゲーム』だった………そこの男。あんたの兄さんを頼んだぞ…」
「…………?俺の、兄さんだと………?」
「ああ……それから……あいつのことだが………」
忌避は何かを言おうとしていたが、それを言い切る前に彼は消えていく。それを見届けると、一気に疲れと苦しみがやってきた。
取り逃がすまいと必死になり、魔気を一気に使いすぎたせいか…俺の体は、後少しのところで地面に突っ伏しそうになっている。
だが、胸の奥を満たしているのは、それ以上に膨れ上がる達成感と安堵だった。
「やっと………成し遂げました……!バーザール様、勝ちました……よね……?」
ラナリリスは、その手に持っている槍を使って俺に歩み寄ってきた。その後ろからは、丘から降りてきたであろうキュラゴクスも見える。
「ああ……勝った。俺たちの勝ちだ……」
あの悪夢のような強敵を、俺たちの手で打ち破った。これで、頂上遊宴の勝利者の権利は俺たちのものだ。
あの願いを使えば……鏡の世界で泡沫に殺されてしまった兄さんを、生き返らせることができる。
これで、元の世界で待っている人々を救うための道が繋がる。俺たちの苦労は、無駄じゃなかった……
俺たちはそれぞれの武器を手放し、3人で功績を称え合っていた。
「……そろそろ、合図を出してもいい頃だな」
ふと、ゲライウスがぽつりと呟いた。
彼もまた、忌避との戦いでボロボロになりながら、少し離れた位置で佇んでいた。彼が懐から小さな笛を取り出し、空に向けて短い合図の音を鳴らす。
直後、周囲の森や丘の陰から、ドタバタと騒がしい足音が近づいてきた。
「皆のもの、ゆけーーー!!!俺たちが、4人を助けるぞーーー!!!………って、あれ!?」
開戦前に指示を受けて待機していた護衛兵たちと、彼らに引き連れられた街の人々が、息を切らせて戦場へと突入してきた。
しかし彼らが目にしたのは、血煙を上げる恐ろしい忌避の姿ではなく、疲れ果てて地面に倒れ込んでいる俺たちの姿だった。
「き、忌避は……? 敵はどこに……!?」
「勝ったのか……? 俺たちは、助かったのか!?」
何が起きたのか理解できず、ざわめきと混乱が街の人々の間に広がっていく。当たり前だ。彼らが駆けつけた時にはもう、忌避は塵となって消えていっていたのだから。
俺は重い身体に鞭を打ち、安堵したように息を吐いた。
「みんな、大丈夫だ。忌避は俺たちが倒した。もう誰も死なずに………」
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
言いかけた言葉は、戦場に響き渡った一人の女性の甲高い悲鳴によって断ち切られた。
「な、なんだ!?」「まさか、敵がこの中にいるのか?!」「ちょっと、押さないでよ!!」
俺とラナリリス、そしてキュラゴクスは弾かれたように悲鳴のした方へ視線を向ける。街の人々が恐怖に顔を歪め、一斉に蜘蛛の子を散らすように後ずさりしていた。
その中心にはーーーーゲライウスが立っていた。
彼の右手には、鈍い光を放つ長剣。そしてその鉄の刃の先には、1人の女性の首がある。
「ゲラ……イウス……? お前、何をして……」
ラナリリスが言葉を失い、目を見開いた。
「素晴らしい戦いだったよ、バーザール。忌避という最大の障壁は去った。さて、ここからは俺たちの交渉の時間だ」
「交渉……? 何を言っている……首から手を離せ!」
俺は自身の刀をつかもうとしたが、腕に力が入らずに掴めない…魔気が空っぽなのだ。指一本動かすのすら死ぬほど重い。
「簡単な話だ」
ゲライウスは剣の刃先をほんの少しだけ女性の首に食い込ませた。薄い筋となって紅い血が滲み出る。女性は悲鳴すら上げられず、涙がその血に混じっていく。
「お前たちが勝ち取ったその『一つだけ願いを叶える権利』――それを俺に譲れ」
…………は?
「それは、どういう……?
「嫌だと言えば、ここにいる街の奴らを一人ずつ殺していく………さあ早く、俺によこせ」
「ゲライウス……お前、街を守るために俺たちに協力していたんじゃ……!」
「ああ、確かに協力していた。だが、奴を倒した後は違う。俺は俺のやり方で、この街を救わなきゃいけない。さあ早く。選べ……権利を俺に渡すか、この女性の首が飛ぶのを見るか」
クソ………。身体が疲れて思うように動かない…魔気もおそらく、ほとんど残っていないだろう。
だが逆に言えば、まだ気絶はしていない。ほんの少しとは言え、まだ魔気は底をついていない…!
俺は全身に力を込めて、残りわずかな魔気をその手に集めた。この少量で攻撃なんて、ままならない…
それなら、攻撃は他の者に任せよう…!!
俺はキュラゴクスに目配せをした。キュラゴクスもまた俺をみて、俺の意図を汲んだことを伝えてくる。
俺は、ゲライウスがキュラゴクスの方を見た瞬間を見逃さずに、最後の魔気を使ってキュラゴクスを転移させた。
「な……っ!?」
ゲライウスの視界からキュラゴクスの姿が一瞬で消える。
次の瞬間、転移の光とともにキュラゴクスが現れたのは、完全に油断していたゲライウスの背後――死角の真上だった。
「しまっ――」
空中で体勢を整えたキュラゴクスが、残された腕力と体重のすべてをかけて、手に持った剣の刃をゲライウスの右手首めがけて振り下ろした。
ゲライウスは咄嗟に、持っていた剣でそれを受け止める。剣士の癖だ。
すると結果的に、人質になっていた女性がその剣から解放される…
「ラナリリス!!」
「ええ、させません……っ!」
キュラゴクスの鋭い一喝。
彼が転移したのと同時に地を蹴って飛び出していたラナリリスが、その女性を捕まえて俺の方へと滑り込んでくる。
「人質回収……無事です!」
脅しのタネを奪われ、右腕を押さえてよろめくゲライウス。キュラゴクスは着地すると同時に、剣先をゲライウスの喉元に突きつけた。
周囲からは、歓声が聞こえる。
「やめろ、ゲライウス。約束と違う」
「へっ………先生が言っていたことは、正しかったか……」
ゲライウスは膝から崩れ落ち、地面を強く殴りつけた。これで、彼の脅しは完全に失敗に終わった。
しばらくして騒然とした現場が静かになり人々が街へ帰り終わりそうな頃に、空から一筋の光の星が落ちてきた。
それは俺たちの頭上を通り、森の方へと落ちてゆく。
「あれは……?」
俺たち3人は同時に空を見上げた。
あれから随分と時間が経ち夕方になった今、その筆で描かれたような美しい線を見ることができたのは
俺たちとゲライウス、そして最後まで残っている街の人だけ……
俺たちは、その筆で描かれた光の筋を辿って、落下地点と思われる場所まで歩いていった。
そこは木々が折れて、一つの大きな円ができていた。
「もしやこれは……勝者に送られるというあの権利と関係があるんじゃないか?」
「ですが、まだ危険でないという確証はありません。気を受けてください」
俺がその球状のものに触れようとした時――奇妙な亀裂が入った。




