1.プロローグ【忙しい人は読まずに飛ばしてもOKです】
最初に感じたのは、音だった。
不良を来たしたテレビの画面に砂嵐が流れるような、細かい雑音。
それに伴って冷たい粒が肌にぶつかってくる。
無数の水滴。雨だ。
雨が降っている。
そう認識してゆっくり目を開けると、視界には暗緑色の葉が天高く広がっていた。
緑の天井を支えるのは、針葉樹のような細長い木々。
「俺は・・・・・・」
どうやら俺は森の中で倒れているようだ。
湿ってベッドのように層を築いた落ち葉の感触が、背中から伝わってくる。
まだ目眩の残る体を起こして周りを見渡すと、俺を囲む森はどの方角にも果てしなく続いていた。
「・・・・・・っ!!」
直前の記憶を思い出して、思わず首に手が伸びた。
肌を撫でたり叩いたりして確かめてみるが、折れてなどいない。
呼吸は正常にできているし、体も問題なく動かせる。
「何が起こってるんだ・・・・・・?」
状況が整理できず、立ったまま木に寄りかかった。
俺はさっき、確かに死んだはずだった。
首を絞められ、へし折られたあの痛みも鮮明に思い出せる。
にも関わらずまだ意識はあるようだし、現にこうして眼の前の景色を目の当たりにして頭を働かせている。
目が覚めたら先程までいた場所とは全然違う見知らぬ森に一人で倒れていた。
俺は助かったということなのだろうか?
それとも、死んだ後に未練がましく幽霊にでもなってこの世を彷徨っているのだろうか。
改めて空を見上げると、樹林の隙間から灰色の雲が覗いた。
細い葉では凌げなかった雨粒が落ちてきては衣服を濡らす。
因みに今着ている衣服も全く身に覚えのないものだ。
丁寧に着付けたスーツの上に、カラスを思わせるような真っ黒なコートを羽織っている。
何故こんなに整った正装など身に纏っているのだろう。
俺は正装を見られたくなさすぎて大学の入学式をズル休みするほどスーツが苦手なので、寝ぼけていてもこんな服装は選ばない。
こういうのは仕事ができて大人としての作法や品性を備えている人が着るから格好良く見えるのであって、俺のような中身がダメ人間が外見だけ整えても分不相応としか思えない。
ただでさえフォーマルな服は嫌いなのに、それに加えて先程まで寝転がっていたせいで衣服は泥まみれになっている。
一刻も早く脱ぎ捨ててしまいたいところだ。
とはいえ、替えの衣服があるわけではないし今着ているものでしばらくの間は我慢するしかない。
何が起きているのかは皆目検討もつかないが、とにかく今はこの森を抜けることが先決だろう。
俺は自分の持ち物を把握するべく、コートやズボンのポケットを探ってみた。
全部で 5、6 個ほどあったポケットだが、全てひっくり返して見つけられたのは雨で湿ってボロボロになった紙切れが一枚だけ。
慎重に広げてみると、どこかの場所を表しているのか簡単な地図のようなものが描かれていた。
「これだけ・・・・・・?」
他に携帯電話も無ければ財布もない。
これでは時間も場所もわからない。
周囲には鞄などの類は見つけられなかったため、俺は手ぶらでこの樹海に迷い込んでしまったことになる。
こうなれば自力での脱出は困難だ。
「誰かが通りがかるのを待つか?いやでも・・・・・・」
もし仮に俺が幽霊じゃないのだとしたら、俺は今後一切誰の目にも見つかるわけにはいかない。
もし世間に俺が生き延びているとバレてしまったら、今度こそ確実に命はないからだ。
他人の助けを借りてこの森を抜ける選択肢はないと言える。
とはいえ、今いるここは一体どこなのか。
具体的に何県の何山のどの辺りなのかは見当もつかない。
いやそもそもここは日本なんだろうか。
もし海外の遠く離れた国の領土なのだとしたら、自力で森を抜け出せる可能性はさらに低くなる。
ただその分追っ手は撒きやすくなるわけで、嬉しいようなマズいような。
いずれにしてもなんとかここを脱出しなければ話にならない。
水や食料はもしかしたら自給自足でなんとかなるかもしれないが、野生動物に出くわした場合は成すすべもなくエサになるしかない。
どうしたものかと頭を悩ませていると、遠くから嫌な気配を感じたので木陰に隠れた。
耳を済ませて聞こえてきたのは、動物たちの住む自然には似つかわしくない、人の声。
男の人と女の人の二人だ。
こちらが身を隠している以上音しか拾える情報はないが、犬を引き連れている様子はない。
捜索隊ではなさそうだ。
登山家か何かだろうか。
俺は助けて欲しいという気持ちを抑えて息を潜め、正体不明の二人組をやり過ごすことにした。
だが次の瞬間、俺は背筋を凍らせることになる。
一人だけ足音が止まったかと思うと、それまで散歩のような遅さだった歩調が突如小走りに切り替わったのだ。
それも方角を大きく変更し、俺が隠れている茂みに真っ直ぐ向かってくる。
「なんで見つかった!?」
思考の余地もなく茂みを飛び出した俺は、二人組とは反対の方角に走った。
当たり前だが目視できるほど姿を晒すような真似はしていなかったし、物音でバレたのだとしても心音が大きかったせいだと言えるほどには細心の注意を払っていた。
俺は蔦や小枝を払い除け全速力で走った。
羽織っていたコートはただでさえ重い上に草木に引っかかって走りにくいのですぐに脱ぎ捨てた。
走っても走ってもどこまでも続く同じ景色。
深い森の中で追手の迫ってくる恐怖に駆られながら、俺はただでさえ遠い出口がさらに遠ざかっていく気がしていた。
距離を詰められているのか、後方から聞こえてくる声が段々大きくなってくる。
どうやら先に駆け出したのは二人組のうち女の人の方だったらしい。
俺を呼び止めようとするような張り上げた声が、遠くから足音と共に向かってくる。
「はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・ああクソッ!」
追手に距離を詰められている原因は、俺の息が上がり始めてしまったからだ。
ここ数年間、まともな運動などしていなかったからだろうか。
以前では考えられないほど体力が落ちている。
このままでは撒くどころか追いつかれてしまうので、一度走るのを止めて体力を回復させることにした。
「はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・」
近くの木に手をついて息を整えていると、目の前の茂みが揺れて心臓が跳ね上がった。
大型の獣が至近距離に構えている。
熊か。イノシシか。
そのまま何事もなく立ち去ってほしいが、もし敵か獲物だと見なされたら一巻の終わり。
茂みを掻き分けて現れたのは、俺の予想を裏切る生き物だった。
「何だこれ・・・・・・?」
豚のような顔をした、人型の何か。
背丈は俺より2回り大きく、胴回りにおいては5倍ほどはありそうな巨体。
その体躯は巨大な樽を思わせる。
今まで見たことのないいかにも凶悪そうな見た目に、膝が震えてしまった。
「・・・・・・!!」
眼の前の怪物は俺を見下ろすと、蹄のような足を踏み出して近づいてきた。
熊のようなヨチヨチ歩きとは違う、2足歩行に慣れている歩き方。
俺は後ずさった。
踵に木の根が引っかかり、尻餅をつく。
もはや遭難だとか追手だとか、そんなことを考えていられる場合ではない。
怖くて体が動かない。
謎の怪物は鼻息荒く背中を丸めると、3本指の大きな手をこちらに伸ばして掴みかかってきた。
喰われる。
そう直感したときだった。
突如閃光が轟き、怪物は前のめりに倒れた。
その元を視線でたどると、俺の背後には先程の2人組が立っていた。
一人は、身長180センチをゆうに超える大男。
もう一人は、燃えるような赤髪を腰辺りまで伸ばした女の人。
どちらも持ち物は小さなリュックサックだけで、登山家にしては荷物が少ないように感じる。
どんな手を使ったかはわからないが、状況からしてこの二人が俺を助けてくれたことは間違いないようだ。
二人はしばらく何かを口論していたようだが、やがて大男の方が根負けすると、女の人がこちらに近づいてきた。
「あ・・・・・・あの・・・・・・ありがとうございます。助けてくれたんですよね?」
俺が先に話しかけてみると、女の人はそれに答えるように言葉を返してきた。
だが残念ながら彼女の言いたいことは何一つ俺には伝わらない。
というのも、彼女が話しているのは日本語ではないのだ。
聞いたこともない、未知の言語。
「外国の人・・・・・・?」
意思疎通ができないことを向こうも悟ったのか、女の人は焦れったそうに唸った。
どうしたらいいのかわからず俺が黙っていると、男の人が追いついてきて二人の口論が再開した。
目の前で喧嘩している二人の言葉が理解できず、俺だけ会話に取り残される苦しい状況が出来上がる。
「あー・・・・・・。アイキャントアンダースタンド・・・・・・あ、いや・・・・・・イッヒニヒト・・・・・・なんだっけ?」
断片的に知っている異国語を口にしてみたが、2人とも怪訝そうな顔をするだけで言葉が通じそうな感じはしない。
少なくとも英語じゃないということだけはわかる。
もっとも英語だったとしても、必修外国語を落単したリスニング弱者では何も聞き取れないわけなのだが。
しばらくすると一通り口論が落ち着いたらしく、男の人はポケットから木の棒を取り出した。
それを目にして俺の頭に浮かんだイメージは、フィクションの世界でよく見る魔法の杖。
こちらに向けられた先端から眩しい光が放たれ、俺は反射的に目を閉じてしまった。
「うわっ!?」
「外傷はなさそうだが、大丈夫か?こいつの弾が当たったりしてないか?」
「バカにするな!私が的を外すわけないだろ!」
すると、それまで文字通り異国言語だった二人の会話が突如理解できるようになる。
「なんで・・・・・・?」
「失礼。意思疎通が難しいようだったから翻訳魔法を使わせてもらった。俺はフランクって者だ。海岸部パーティ1381番『スズラン』の隊長をやらせてもらってる。お前さん、聞いたこともない言語で喋ってるみたいだったが一体どこの者なんだ?」
フランクと名乗った大男は手短に自己紹介を済ませると、俺に手を差し伸べて立たせてくれた。
「魔法・・・・・・?パーティ・・・・・・?」
急に言葉が通じるようになったのは嬉しいが、彼が何の話をしているのか内容にはイマイチピンとこない。
翻訳の原理についてもわからないことだらけだが、多分棒の先から出た光が関係しているのだろう。それを魔法と呼んでいるのか?
「それにしても・・・・・・」
俺が自己紹介しようとすると、隣の女の人が怪訝そうに割って入った。
「なんで腹なんか出してるんだ?」
「え?」
彼女が指摘したのは、俺がポロシャツを捲って頭から被っているこの格好のことだろう。
こちらからは隙間を通してある程度外の様子を伺うことはできるが、二人の方から俺の顔を見ることはできない。
「これですか?俺・・・顔がコンプレックスなんです。自分で入れ墨彫ろうとしたんですけど、失敗して・・・・・・。なので・・・・・・」
咄嗟に思いついた言い訳だが、上手く誤魔化せるだろうか。
実際の報道を見たわけじゃないから確信はないが、俺の顔や名前はテレビや新聞を通して不名誉とともに日本中に拡散されているかもしれない。
俺が生きていることがバレてまたあいつらに捕まるリスクを考えれば、例えこの人たちが無関係な一般人だろうと命の恩人だろうと、こちらの顔を見られるわけにはいかない。
このまま引いてくれと願った俺だったが、その希望はすぐに打ち砕かれることとなった。
「シャイだなぁ。それくらい気にすることじゃないだろ!」
「あっ・・・・・・!」
女の人に強引にポロシャツを下ろされ、お互い顔を合わせることとなる。
思った通り、二人とも日本人じゃない。
欧米系の顔だ。
「あっ・・・えっと・・・・・・」
「なんだ?イレズミなんかないじゃないか。さてはお前賞金首か!」
「ええ!?」
彼女は俺の顔をまじまじと観察して騙されたことに気づくと、背負っていた長い棒状の物を俺に向けてきた。
猟銃だ。まさか撃ち殺す気か?
こんな物騒なものを持ち歩いて躊躇なく人に突き付けてくるあたり、この人たちはただの一般人ではないようだ。
フランクさんの方をよく見たら、そちらも背中に盾と思われる分厚い金属の盾を背負っている。
「俺・・・俺・・・俺なんかの首持ち帰っても一銭にもなりませんよ・・・・・・」
「どうかな?全身汗だくで震えているのは図星だからなんじゃないのか?まあギルドに問い合わせればすぐにわかることだ。」
俺は両手を上げて害意がないことを示したが、彼女はニヤついたまま銃を降ろさなかった。
「恨むなら、この私の狩り場に足を踏み入れた自分の運命を恨むんだな」
「ちょっと待てアリシア。こいつは・・・・・・」
先程に続いて2度目の死を覚悟した時。
俺の顔を見て何かを思い出したのか、フランクさんが彼女を制止する。
「どうしたフランク」
手帳を取り出すと、焦った様子でめくり始める。
やがてあるページで手を止めると、顔を強ばらせた。
俺は全身総毛立った。
どうやら考えうる最悪の事態が起きてしまったらしい。
恐らくフランクさんの方は俺の素性に気づいてしまった。
猟銃を向けられた時よりも肝が冷えた俺は、考えるよりも先に全力疾走の準備を整えていた。
だが・・・・・・
「行くぞアリシア」
フランクさんは手帳を仕舞うと、俺に背を向けた。
「え?何言ってるんだ?こいつを放っておくわけには・・・・・・」
「ダメだ。そいつとは関わるな。面倒だぞ」
「みっ・・・見逃してくれるんですか・・・・・・?」
フランクさんが次に取る行動はてっきり襲いかかってくるか通報するかのどちらかだと思っていたので、思わず安堵の息が漏れる。
フランクさんの指示を受け、アリシアと呼ばれた女の人も銃を下ろした。
彼らはこれ以上俺に関わる気がないらしい。
ならこちらも向こうの気が変わらないうちに退散させていただこう。
俺はお礼のつもりで二人に軽く会釈し、背を向けた。
これからどこに行こうか。
樹林の隙間から控えめに差す夕日は、1日の終わりが近づいていることを示していた。
とりあえずまずは道中脱ぎ捨てたコートを拾いに行くべきだろう。
夜の森とは想像以上に冷えるものだ。
この服装で過ごそうものなら風邪を引いてしまう。
そう思って来た道を引き返そうとしたが、そもそも自分が二人から逃げる時にどこから走ってきたのかもわからない。
俺はなんとなくで元の場所の方角を推定し、歩みを進めた。
「なあ。こいつは賞金首じゃないのか?」
「残念ながら、な。捕まえても金にはならんぞ?」
俺との距離が少し離れたところで、二人は俺に関する会話を再開した。
アリシアと隊長に呼ばれていた女の人は、未だに俺を金に変えられる可能性を諦めていないらしい。
よほど生活に困っているのだろうか。
「えー。じゃあ一体誰なんだ。」
「お前も知ってるだろ?例の『閻魔』だよ。数日前に行方をくらましたって、奴等が騒いでいただろ。」
閻魔?
本来その文脈には入るはずのない妙な言葉を耳にして、俺は足を止めた。
一体何のことだろうか。
『凶悪犯罪者』と罵られるならまだわからなくはない。
今までも、ずっと、そう呼ばれてきたのだから。
「何!?それは本当か!?」
『閻魔』という単語が話に出た途端、驚いた反応を見せるアリシアさん。
駆け足で足音が近づいてくるのを感じ、俺は急いで振り返った。
後ろから殴られる。
そう直感して身構えたが、アリシアさんは俺の肩を掴むと顔をじろじろと見つめてきた。
「あっ、ちょっと・・・・・・」
近くで見てわかったが、身長は大体俺と同じくらいだ。
華奢な腕には大して力はこもっていなかったが、手のひらから伝わってくる熱には不思議な力強さを感じた。
「黒髪に血のような赤い瞳を持つ魔族の少年・・・確かに特徴は捉えている。君があの『閻魔』で間違いないんだな!?」
「俺は・・・えっと・・・・・・」
『閻魔』。
物騒な単語に対するものとは思えない期待の眼差しを正面から向けられ、俺は返答に困った。
確実に人違いだ。
俺に『閻魔』などと呼ばれる心当たりはない。
肯定したところで、この人が『閻魔』とやらに望むものを俺から提供できるとは思えない。
だけど、否定すればきっとこの人は悲しむ。
彼女の問いに肯定した方がいいのか否定した方がいいのか迷っていると、フランクさんがアリシアさんを俺から引き離した。
「わかっただろ?その男に関わるとろくなことにならん。放っておけ。」
「なんでパーティから離れたりしたんだ?反抗期か?」
引き離されてもなおアリシアさんは俺に質問を投げかけてくる。
パーティという言葉の意味はわからないが、文脈からして恐らく何らかのコミュニティのことを指すのだろう。
俺はそのコミュニティから勝手に抜け出して数日間行方をくらましていた・・・ということになっているのか?
「いやその・・・・・・道に迷っちゃって・・・・・・」
「迷った?それで意図せずお仲間達とは離れ離れになってしまったというわけか?」
「はい・・・・・・」
俺自身が事態を飲み込めていない以上、まともな言い訳などできるはずがない。
何をバカなこと言っているんだと言いたげなフランクさんの目を直視できず俺は俯いた。
「なるほど迷子というわけか。私達に見つかってよかったじゃないか。折角だしこれからアジトに連れていってやるぞ!」
アリシアさんは目上であるはずの隊長に向かって命令とも頼み事ともとれない発言をかます。
賞金首と早とちりしたと思えば今度は迷子の保護という彼女の目まぐるしい心変わりにフランクさんはため息を付いた。
「あのなぁ。犬猫を保護するのとは訳が違うんだぞ。その男がワンコロニャンコロみたく俺達の手に負える小動物に見えるか?」
「確かに。全然可愛くはないな」
アリシアさんは俺とフランクさんの顔を交互に見て言った。
「だったら・・・・・・」
「でも動物と違ってこいつは喋るぞ?いろいろ面白い話が聞けるかもしれないじゃないか。なんたってあの『閻魔』なんだからな!それに・・・・・・」
彼女は一呼吸置くと口角を上げた。
「あいつらにも貸し、作れるだろ?」
何者かに恩を売れるという言葉を聞いたフランクさんは少し考え込んでいたようだが、やがて顔を上げると俺に向き直った。
「あー。『閻魔』さん。俺はこいつの提案を受け入れて、これから要人であるお前さんを俺達のアジトに歓迎したいと思うんだが・・・・・・差し支えはないか?」
もうじき日が沈む時間。
他に行く当てもないので、一時的に保護してくれるというだけでも嬉しい話だ。
「あ・・・はい!ありがとうございます」
俺は彼らの提案を素直に受け入れることにした。
「こちらもできるだけ不便のないように努める。だから・・・うちのメンバーが危険に晒されるような行動はできる限り控えていただけると・・・助かる。」
だが俺を招待するという決断とは裏腹に、フランクさんの目には警戒心と恐怖心が見て取れた。
『閻魔』についてはよくわからないが、あまり栄誉ある称号ではないことだけは確かなようだ。
「・・・・・・わかりました」
善意で救いの手を差し伸べてくれている可能性もあるが、少なくともこの人達は俺に『閻魔』として何らかの見返りを期待している。
賞金稼ぎに躍起になっていたことを考えれば彼らの生活に余裕がないとも考えられるわけだが、せっかく拾った『閻魔』からなんのリターンもないとわかれば俺は見捨てられるかもしれない。
俺は人違いであることを彼らに黙って『閻魔』という人物になりきることに決めた。
こんないい人たちを騙すのは悪者みたいになってしまうが、ここは話に乗っておかなければ樹海の中で野垂れ死ぬだけだ。
罪滅ぼしと返礼なら皿洗いでも靴磨きでも惜しまず引き受けよう。
「ごめんなさい」
俺は二人に聞こえないように小声で謝った。
「私はアリシア・ワルツ。迷子の君を助けてやった恩人の名前だ!よく覚えておくといい」
アリシアさんは自己紹介を済ませると、ついて来いと言い放って背を向けた。
彼等が根城への道案内のため歩き始めようとした時、俺はこれまでの会話の中で一つだけ気になったことを質問した。
「あの・・・念の為に聞きますが・・・・・・」
「なんだ?」
「さっき言ってたその"あいつら"って・・・警察・・・じゃないですよね?」
一つだけ確かめなければならないこと。
もし。
もしも「あいつらに貸しを作る」という言葉の目的が俺を警察に引き渡すことなのだとしたら。
俺は否定の言葉が出てくることを願って拳を固く握った。
「警察?なんで警察が出てくるんだ?君に懸賞金はかかってなかったぞ」
今の返答で、俺はこの人達を信頼できるとの確信が持てた。
そこでようやく、自分が置かれた状況を薄々理解し始める。
「あの・・・日本って言葉を聞いたことはありますか?」
俺は自分の中で立った仮説を確かめるため、質問を投げてみた。
日本は世界有数の経済大国だ。
俺の"存在していた"世界の住人なら、知らない人間はいないだろう言葉。
「ニホン・・・いいや?」
「じゃあアメリカ合衆国は?ロシア連邦、中国は?」
「フランク、知ってるか?」
「いいや。一つも聞いたことはない。」
死んだと思ったらいきなり森の中で倒れてて、見たこともない怪物に襲われ、見知らぬ外国人に魔法という謎の手口で助けられ、『閻魔』などという謎の大物として扱われた。
これは、あれだ。
現世で死んだと思ったら、全く違う世界に最強キャラとして生まれ変わったという奴。
結構前に聞いたことがある。
そういった設定をモチーフに展開されたフィクションがたくさんあるという話。
耳にしたときは、ファンタジーの世界なんて自分の人生には関係ないと思って一蹴してたっけ。
俺は一つの結論にたどり着いた。
これは、『異世界転生』だ。
俺は、異世界転生してしまったらしい。
森の中を倒れていた俺は、見知らぬ冒険者パーティー、『スズラン』に保護してもらうことになった。
おかげで山での遭難というピンチを回避できたわけなのだが、その反面、正直言って俺はこの状況が恐ろしくて堪らない。
俺は最強キャラである『閻魔』という人物に生まれ変わったようだが、記憶は前世のまま引き継いでしまっているので、この世界のことは何も知らないし何の能もない。
にも関わらず俺の『閻魔』という肩書に価値を見出した彼らは、相応の見返りを前提に俺を助ける決断を下したのだ。
つまり、今の俺は実質ただの『閻魔』の成りすましで彼らから衣食住を掠め取ろうとしている詐欺師に他ならない。
俺が実はただの無能であることがバレたら、一体どんな報復を受けることになるのだろうか。
少なくとも転生の件は彼らに知られるべきではないだろう。
アリシアさんとフランクさんの二人が足を止めたのは、木造の小屋に着いた時だった。
およそ人が住む家とは思えないボロボロの廃屋を根城にしている通り、やはり彼らは冒険者を生業にしているようだ。
「着いたぞ。ここが私達、『スズラン』のアジトだ!」
あれからコートの回収も含めて数時間ほど歩き回ったので、辺りはすっかり暗くなり鈴虫が鳴き始めていた。
ここに来るまでにほとんど会話らしい会話はなく気まずかったため、俺は話題を投げかけることにした。
「皆さんは・・・いつもここに住んでるんですか?」
「プール付きのスイートルームを期待していたのなら大変申し訳ないな」
「あ・・・いえ・・・そういう意味じゃないんですが・・・・・・」
素朴な疑問をぶつけたつもりだったが、フランクさんには嫌味に聞こえたのだろうか。
「いつもは野営してるんだが最近雨続きだからなぁ。向こうじゃこういう時どうしてるんだ?」
アリシアさんから思わぬ質問のカウンターを食らって、返答に困る。
向こう、とは一瞬俺のいた日本のことかとも思ったが、恐らく『閻魔』が所属しているパーティの話だろう。
「・・・魔法で雨除けの結界を作ります。ちょうど大きな傘みたいにして・・・・・・」
「すごいな!どうやるんだ?」
「ぶ・・・部下にやらせていたのでわからないです・・・・・・」
咄嗟に出たのは、苦し紛れの作り話。
さっき襲ってきた謎の生物といい、翻訳魔法といい、俺が今まで生きてきた常識の通じる場所ではないことはわかっていたので魔法の一言で逃げてみたが、矛盾はなかっただろうか。
頼むからこれ以上話を深堀って来ないでくれ。
俺は下手に会話を始めたことを後悔しながら心の中で祈った。
「ふーん。」
アリシアさんは興味をなくしたのか、それ以上追求してくることはなかった。
これからは尻尾を出さないためにも必要最低限の会話以外口を開かないほうが身のためかもしれない。
二人とともに小屋の中に足を踏み入れると、天井には人の頭一つ分ほどの穴が空いていた。
そこから微かに差し込む月光の下には、小雨による水溜りが綺麗な水面を張っていた。
覗き込んでみると、そこに映っていたのは自分の顔ではない、見知らぬ男の顔。
鏡と比べてずっと解像度の低い像の中で、赤い両目ははっきりと視認できた。
これが『閻魔』と呼ばれた、今の自分の姿なのか。
「あー寒・・・・・・」
俺が自分の顔を目にしたのも束の間。
アリシアさんは穴の下にしゃがむと、水溜りの横に木の枝を組んで火をつけた。
それにより水面は気流で乱れ、何の像も写さなくなる。
どうやら天井の穴は排煙の役割を果たしているらしい。
もくもくと上昇する煙が穴に吸い込まれていった。
火が灯ると、それまで薄暗かった小屋の中がよく見えるようになった。
数少ない家具のうちの1つである小さなテーブルの上には、いくつかの皿やコップ。
壁際には寝床と思われる簡易ベッドが4つ配置されていた。
一人が一つの寝床を使うものとするなら、メンバーは全部で4人。
この人たちとは別に2人のメンバーがいるようだ。
「着替えはそこのバッグにあるぞ!」
「助かる」
アリシアさんが指差した鞄から新しい服を取り出すと、フランクさんが上着を脱いだ。
そのタンクトップ姿になった後ろ姿を見て、俺は息を呑む。
鍛え上げられた筋肉もそうだったが、双肩には刺青と思われる禍々しい黒い模様が刻まれていたのだ。
俺の中では刺青と怖い人の関係がイコールで結ばれていたため、フランクさんを怒らせてはならないという決意がより固まることとなった。
「怖すぎる・・・・・・」
なんとしても、彼らに俺の正体がバレないようにしなければ。
そして、早急に『閻魔』の力を使いこなせるようになって恩返しの準備を整えたい。
着替えを済ませたフランクさんは木の棒 ・・・もはや疑う余地もない魔法の杖を取り出すと、空中に小さな魔法陣を作った。
しばらく待つと色が変わり、フランクさんは魔法陣に向かって話しかけた。
「どうだヤリス、そっちの収穫は。・・・そうか。俺とアリシアは先に帰って待ってるぞ。」
魔法を使った電話のようなものだろうか。
相手が通話に出ると魔法陣の色が変わるという仕組みか。
フランクさんは連絡を終えると、リュックサックを小屋の外に持ち出して中から光るキューブを取り出した。
杖の先端でキューブに触れると、キューブは輝きを増し、やがて目を開けていられないほどに光を放った。
「ッ!」
改めて目を開けるとキューブは消え失せ、それがあった場所には先程俺に襲いかかってきた怪物の死体が出現した。
光るキューブとあの怪物の位置をすり替えたのか?
いや。死体は死後硬直などを起こしていないため、怪物をキューブに圧縮していたと見るのが妥当か。
恐らくキューブの魔法は物を運びやすくするのと同時に保存効果も担っているのだろう。
「あの・・・手伝いますか・・・・・・?」
「大丈夫だ。俺達に構わず楽にしていてくれ。お前さんは大事な客なんだからな。」
フランクさんはナイフを手に取ると、怪物の皮膚に刃を当て捌き始めた。
アリシアさんの方を見ると、いつの間に出したのか大きな鍋を焚き火の上に設置し、食用と思われる草を投入していた。
見たところ夕飯を作っているようだ。
手伝いたい気持ちはあったが、下手に動けば俺が無能であるボロを出しかねないので言われた通り小屋の隅でじっとしていることにした。
頭の中でこれからの身の振り方について考えてみる。
まず、俺は一体何なのだろう。
元々俺が転生する以前にもこの『閻魔』という男は存在していたはずだ。
俺が元の世界で命を落とし、器をなくした魂が異世界に飛んできて『閻魔』の肉体に憑依した・・・とかだろうか?
一番あり得そうな仮説を立ててみたが、俺は異世界転生なるもののフィクションに触ったことがないため、具体的な状況の推移がわからない。
転生に関する原理は無視するとして、これから先の人生を俺は『閻魔』として生きていくことになるのだろうか。
もう日本であいつら・・・警察に追われることはなく、最強の力を振るい、自由の身で好き勝手に生きられる。
「自由・・・自由か・・・・・・!」
再三その言葉を噛み締め、顔が思わず綻んだ。
俺の人生にもう一度自由を取り戻せる日が来るなんて、思ってもみなかった。
自分の肢体をしっかりと目に焼き付け、想像する。
この体に一体、どんな力があるんだろうか。
これから先、どんな日々が待っているんだろうか?
早速自分の可能性を探るべく魔法を使ってみようと思ったが、やはりと言うべきかここで大きな壁が立ちはだかる。
彼らがやっていたことを真似して、目の前に落ちている小石に魔法をかけキューブ化しようと試したが、何も起きない。
手をかざしたり声をかけて小石に頼み込んでみたりと傍から見れば狂人とも思える試行を繰り返してみたが、目の前の物体はウンともスンとも言わない。
つまり、今の俺は魔法を使えるだけの知識を持っていない。
俺は一旦諦め、頭を抱えた。
『閻魔』とは一体どう最強なんだ?
あらゆる魔法を知り尽くし高レベルで使いこなす熟練の魔法使いを想像していたのだが、俺が心で念じるだけではその力を引き出すことはできないようだ。
もしかして。
頭の中を嫌な考えがよぎる。
俺は称号だけが最強に生まれ変わった、魔法の使えない無能なんじゃないのか?
それが事実だとすると、俺はとんでもない人生をスタートさせたことになる。
周りがみんな高次元の魔法を使いこなす中で俺だけが赤ちゃんのようなスペック。
見知らぬ世界を舞台に、凶悪な魔物や恐らくは普通に魔法を武器として使ってくるゴロツキ共から身を守って一人で生きていかなくてはならない。
なんというクソゲーだろうか。
俺は即座に首を振ってその考えを否定した。
きっと転生したてで魔法の使い方を知らないだけだ。
すぐにでも情報を仕入れ、最強の力とやらを引き出して見せる。
俺はさりげなくアリシアさんにヒントを尋ねてみることにした。
「あの・・・一つ聞いてもいいですか?」
「ん、何だ?なんでも聞いてくれ!あ、ひょっとして私達のパーティが目指しているものとかか!?」
彼女は目を輝かせて俺との会話に食いついてくる。
よほど『閻魔』に興味があるようだ。
「つかぬことを伺いますが・・・あなたたちは魔法を使う時ってどういう方法を使ってるんですか?」
俺が質問すると途端にアリシアさんの表情が固まる。
「何でそんな事を聞くんだ?」
その反応になるのも仕方がない。
俺がやっているのは、難関大学の大学生が四則演算の質問をしているようなものだからな。
「人によって魔法の使い方にどんな差があるのかを知りたい・・・だけです」
あくまで異文化交流の一環だと後押ししてみたが、彼女の顔から疑問は晴れない。
「鍛錬や実戦を通じて練り上げられた魔術回路に魔力を流し込む。そんなの、万人共通だと思うが・・・」
アリシアさんは俺の顔を凝視して言葉を途切れさせた。
「なんだどうした?便秘みたいな顔して」
「いえ、大丈夫です・・・!」
こちらはウンコではなく魔力を捻り出したい。
そのために全身全霊で力んでいるのが向こうからでもわかったのか。
アリシアさんは腕組みして首を傾げた。
「うーん。そういえば何か変だよな。『閻魔』が敬語なんて使うか・・・?」
小声でぶつぶつと呟く内容はこちらにも聞こえてくる。
まずい。おかしな挙動が連続したせいで疑念を与えてしまったか?
「な・・・何か俺に言いたいことでもあるのか・・・!?」
「お、ちょっとそれっぽくなった!」
俺が言葉を荒げてみると、彼女は嬉しそうに人差し指をこちらに向けた。
確かに異世界転生によって最強キャラに生まれ変わった以上、会話で敬語を使うのは不自然極まりない。
これからは怪しまれないよう口調を横柄にするべきだな。
結局魔法についての手がかりは得られないまま俺達がそんなやり取りをしていると、料理の音に混じって外から足音が聞こえてきた。
フランクさんが先程連絡を取っていたことを考えると、他の仲間が帰ってきたようだ。
頭の中に焦りが生まれる。
フランクさんとアリシアさんの二人だけならまだしも、これ以上知らない人が増えて俺の素性がバレるリスクが高くなるのは不安だ。
目の前で鼻歌を歌い始めたアリシアさんにお願いしたら先程のキューブのような魔法で俺のことも圧縮して隠してくれたりはしないだろうか・・・・・・?
足音は小屋の近くで止まると、フランクさんの誰かと話す声が聞こえてきた。
彼の他に知らない声が二人分。若い男女のようだ。
話が済むと、二人が小屋の扉を開けて入ってきた。
「おー。シチューかアリシア!」
男の人は荷物を置くと鍋まで歩み寄り匂いを嗅いだ。
「メインはなんだと思う?」
「さぁ・・・バッファジーかオークか。匂いからしてゲテモノじゃないと思うが・・・・・・」
「正解だ!300キロはあるオークだ。3日は食い物に困らないぞ」
俺を襲ってきた怪物の名前はオークというのか。
オークが二足歩行の豚のような姿だったことを考えるとバッファジーという名前の獣は牛のような姿をしているのだろうか?
俺の視界には名前の知らない二人の男女。
どちらも若い。十代後半といったところか。
二人を見ていると女の人のほうがこちらの視線に気づき、目を合わせてきた。
賑やかなアリシアさんとは違って一言も発さず、じっとこちらを観察するように見てくる。
「こんばんは」
10秒ほどそうしていると、彼女は本当に俺に向けて言ったのか疑わしいほどさり気なく挨拶の言葉を口にした。
「あ・・・こんばんは」
「ん?」
俺と彼女のやり取りを聞いて男の人の方も俺の存在に気づいたらしく、水筒を口にしながらこちらに一瞬振り向いた。
「アリシア・・・この人は?」
アリシアさんはその質問が飛んでくるのを待ってましたとばかりに鼻を鳴らした。
「聞いて驚け。内陸側パーティ0001番『アンデッド』、副隊長のコードネーム『閻魔』だ!」
ここで初めてアリシアさんが『閻魔』に関する正式な情報を口にすると、女の人がはっと驚いたように振り向き、男の人は飲み物を吹き出した。
目を白黒させてもう一度こちらに向くと半笑いの表情を浮かべる。
「ハハ・・・冗談だろ?」
俺は敢えて何も言葉を発さず、じっと彼の目を見つめてみた。
動揺していた目がみるみるうちに恐怖へと変わる。
「え・・・マジ?マジなのリーダー?」
「ああ。マジの大マジだ。アリシアのバカが連れてきたのさ。」
料理が済んでオークの残りの肉をキューブに保存し終えたフランクさんが外から戻ってきた。
これで『スズラン』という名のパーティは四人全員が揃ったことになる。
「なんで?え!?なんで!?」
「そんなに喜ぶなヤリス。まるでブランド品をプレゼントされた良いとこのお嬢様みたいだぞ」
「未曾有の大災害に見舞われた気分だよバカ!あっ・・・・・・」
ヤリスと呼ばれた男の人は『閻魔』に対する侮辱だと思ったのか、恐る恐るこちらに振り向いた。
「ち・・・違うんです・・・今のは・・・・・・」
「あ、紹介するぞ。こっちのビビりがヤリス、こっちの石みたいなのがミアだ!」
「ミア・クラウゼです」
女の人が静かな所作でフルネームを告げる。
アリシアさんは俺に男女を紹介していったわけだが、どちらもひどい言いようだ。
「ビビリ」もそうだが、特に「石みたいなの」とはミアさんの表情や雰囲気のことを言っているのだろう。
「おいアリシア、ヤベェって」
「なんだ?」
ヤリスさんはアリシアさんの頭を掴むと無理やり下げさせ、自身も俺に一礼した。
「すみませんうちのバカがこんな無礼を・・・!すぐに改めさせますのでどうかご容赦下さい !」
「・・・ああ」
どうやら俺はこの世界では神格化されているらしい。
ヤリスさんの俺への対応は、貴族に対するそれだ。
アリシアさんは次に二人の方に振り向くと、俺を紹介した。
「それで、こっちが『閻魔』だ!『アンデッド』副隊長の・・・」
「さっき聞いた!」
ヤリスさんは苛立ちを隠さずに彼女の言葉を止める。
「そういえば名前はなんていうんだ?」
アリシアさんは思い出したように尋ねてくる。
「名前・・・・・・?」
「『閻魔』ってのは仇名なんだろう?本名教えてくれたらシチューをボーナスするぞ!」
俺は返答に詰まった。
『閻魔』の本名など、当然俺が知っているはずもない。
「いい加減にしろってアリシア!この人を怒らせたら本当に死ぬぞ!」
「っ・・・なんだよ!そんなに怒ることじゃないだろ!」
『閻魔』への無礼を止めない彼女だったが、仲間からの本気の怒声を浴びせられると流石に大人しくなった。
アリシアさんが俺に話しかけなくなると、美味しいシチュー鍋を囲むはずだった楽しい夕食はひどく重苦しい空気に変わってしまった。
普段通りであれば1日の出来事や明日以降の打ち合わせなど、色々な話題に花咲かせる場であるはず。
それが、異物である俺のせいで会話が滞ってしまっていた。
何の話が逆鱗に触れるかわからない『閻魔』の前では、迂闊に言葉を発することもできないようだ。
みんなが俺を警戒しているのを肌で感じる。
俺はこれからどうしようか。
ひとまず餓死は避けられたみたいだが、マズい状況を脱せたわけじゃない。
この人たちにナビをお願いして無事に下山できたとしても、未知の世界で独りきり。
言葉も力も魔法も知識も何もない弱者がこの先どうやって生きていくにはどうしたらいいのだろう。
そもそも食べ物も寝床ももらってしまったのに、これ以上彼らに頼み事をするのは厚顔無恥というものだ。
下山は自力でなんとかしよう。
「あ・・・あの・・・・・・」
「・・・?」
「どれくらいの量をご希望かお聞きしても・・・・・・?」
これからの身の振り方について考え事をしていると、ヤリスさんが食器を持って盛り付けの量を尋ねてきた。
丁寧に対応されるのは嬉しいことのはずなのに、そこまで敬語を徹底されると罪悪感を禁じ得ない。
「・・・同じ量でいい」
彼は皿の縁に一滴も零れないようシチューを慎重によそうと、俺に渡してくれた。
「ど・・・どうぞ・・・・・・」
「ありがとう」
準備を手伝わない人間に飯はやらん、などと言われたらどうしようかと思っていたがそんなことはなかったようだ。
改めて自分の正体がバレてしまった時のことを考えると、今の彼らの優しさが恐ろしくて仕方ない。
フランクさんは食料庫と思われるキューブを魔法で解凍すると、一つだけ残っていた梨の実のようなものを摘んで見せた。
「果物はもうこれしかないな」
「あ、じゃあ私取ってくるぞ」
食糧危機を知って我先に動いたのはアリシアさんだった。
野菜や肉などの固形物も入っているはずのシチューを一気に飲み干すと、立ち上がって小屋の玄関を開けた。
ヤリスさんがそれを制止する。
「こんな時間から行くのか?もう日はとっくに落ちてるんだぞ。今日は我慢しようぜ」
「デザートがないと一日の終わりって感じしないだろ?いいよなフランク!」
返事も待たずに小屋を出ていってしまったアリシアさんに、フランクさんはため息をつく。
「ミア、ついてってやれ。」
「了解」
女子二人組がいなくなると、小屋の中は俺を含め男3人になった。
フランクさんは荷物を整理しながら食事を進め、ヤリスさんは静かに座って時折こちらに視線を向けてくる。
アリシアさんにビビリと紹介されていた彼だが、腰にはこれまた物騒な長剣が備わっていた。
あんなもので切り付けられでもしたら首なんか簡単に切断できるだろう。
俺は絶対怒らせないようにしようと心に誓った。
「それで、どうするんだよリーダー!」
しばらくすると、ヤリスさんとフランクさんが小声で会話を始めた。
「『閻魔』のことなら、連中に引き渡すつもりだ。それまで俺達はあの男の世話をする。」
「とても俺達の手に負えると思えねぇよ!大体なんで連れてきたんだ!?ほっといても一人でパーティに戻っただろうに。追放されたってわけでもないんだろ?」
なにやら俺に聞かれたくないようなことをヒソヒソと話しているようだが、こちらには全部聞こえてしまっている。
「『アンデッド』に送り届けるまでって言ったろ?一晩で済む。」
「本当だな・・・?本当に1日で帰ってくれるんだよな?」
『アンデッド』とは、さっきアリシアさんが俺を紹介する時に口にしていたパーティ・・・何らかの組織名だ。
「あの・・・・・・」
「はっはい!?」
居心地が悪くなって思わず声を掛けると、ヤリスさんは怯えて飛び退いた。
他のメンバーと話していたときの気さくな感じは一体どこへ行ってしまったのか。
「・・・なんでもない」
ここはどこなのか。
あなたたちは何者なのか。
『閻魔』とは何なのか。
いろんな疑問が頭に湧いてきて、何から聞けばいいかわからない。
断片的な情報から俺がなんらかの組織の偉い人物で周囲から恐れられる大物・・・なのだということは何となく想像がつくが、確証は持てない上具体性に欠ける。
とりあえず受け取った皿を傾け口に流し込む。
「・・・美味しい」
この重苦しい雰囲気さえなければ涙を流していたかもしれない。
久々の温かい食事に舌鼓を打っていると、フランクさんの目の前に通信用の魔法陣が現れた。
彼は直ちに食器を置いて立ち上がると、小屋の出口に急ぎ足で向かう。
「奴らか?」
「ああ。ちょっと席外すぞ」
『スズラン』のリーダーもいなくなってヤリスさんと二人きりになると、小屋内は完全な沈黙が訪れた。
フランクさんは連絡が終わって戻ってくると、俺に状況を報告してくれた。
「話がまとまった。明日午前4時にお前さんの部下がここまで迎えに来る。空の色が変わり始める時が俺達とのお別れになるが、それまでにこちらでできることがあるならなんでも言ってくれ」
「大丈夫だ。」
どうやらこの世界での俺の居場所は決まったらしい。
倒れていた俺を助けてくれた上にご飯もくれて、『閻魔』として生きる道も用意してくれた。
何から何まで至れり尽くせりで本当に頭が上がらないこの人たちにこれ以上望むものなどない。
俺は外の空気を吸いに行こうと立ち上がった。
「どこか行きたいところでも?」
「ッ!?」
俺が小屋を出ようとすると、フランクさんが大きめの声量で声をかけてきて思わず肩が跳ねてしまった。
「一人であまり遠くまで出かけるのは控えてくれると助かる。ここでお前さんがいなくなったら俺達の責任問題になる。もう奴等にはお前さんを保護してるって報告しちまったんでな。客人にはできるだけ快適に過ごしてほしいとは思うが、こちらも部下の命を預かってることをご理解いただきたい。」
口調こそ控えめだが、その裏に警戒心と恐怖心が混じっているのが声色から伝わってきた。
俺はこの人たちにパーティを抜けた理由を問われた時に道に迷ったなどと言い訳してしまったんだった。
この人たちのパーティ、『スズラン』の保護下で同じように行方をくらませば、『閻魔』の帰る場所であるパーティから制裁を受けることになるということか。
「・・・外で少し考え事をしたい。すぐ近くにいる。俺が同じ空間にいない方がそっちにとっては快適だろう?」
俺は行き先と用事を抽象的に伝えると、フランクさんの許可を得て外に出た。
扉を閉めると、周囲に誰もいないことを念入りに確認して小屋の壁に背中を付けた。
盗み聞きなど、バレたら承知されないだろうからな。
聞き耳を立てると、俺の前では口に出せないような話が飛び交い始める。
「それでリーダー!報酬は!?」
「金貨100枚だとさ。」
「100!?すげぇな。それほどデカい事案だったってことか今回のは」
俺を仲間の元へ帰す任務の報酬の話か。
ヤリスさんは俺と二人きりだった時とは別人のように声を上ずらせる。
金貨1枚がどれほどの貨幣価値を持っているのかはわからないが、彼の反応からして安い額じゃなさそうだ。
「今日は宴だなリーダー!酒は?」
「引き渡しが済んでからな」
それからというもの、俺のせいで重苦しかった空気はお祭りのように明るいものとなった。
その変わりようがなぜだか嬉しくて、思わず口角が上がる。
俺はこれからきっとこの世界で帰るべき場所にたどり着けるだろうし、もう無理をして下山する必要はない。
路頭に迷って餓死する羽目も避けられる。
『スズラン』の人たちは俺を保護したことで儲かって嬉しそうだし、受けた恩は十分返せたに違いない。
懸念があるとすれば今行われているのが人身売買であること・・・などが考えられるが、俺の方が彼等より力関係において上だとされている以上その可能性はないだろう。
もう元の世界で警察に追われることもなく、こちらの世界では最強キャラとしての地位も確立されているだろうから、不安などなく新たな人生を始められる。
一時はどうなるかとも思った異世界転生だが、意外とどうにかなるもんだな。
俺は壁から背中を離して、夜の山道に足を踏み入れた。
月明かりが淡く照らす中、帰り道に困らない程度の近辺を適当に散歩する。
やがて森が少し開けた場所まで来ると、空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
いい空気だ。
雨上がりで少し湿度が高く、草木のみずみずしい匂いが涼しい風に乗って運ばれてくる。
「いい場所だろ、ここ」
「!?」
殺伐とした大男の声とは正反対のソプラノな声。
背後から声を掛けられて振り向くと、後方から歩いてくるのはアリシアさんだった。
先ほど果物を取りに行くと言い残し小屋を飛び出して以降姿を見かけなかったため、意表を突かれた。
二人きりになる機会を狙っていた?どうして?話なら小屋の中でもできるだろうに。
「わざわざ抜け出してきたのが疑問か?なにせ 『閻魔に関わるな』だの『敬語使え』だの、あいつらうるさいからな。ここなら邪魔は入らない」
俺の顔を見て心の中を読んだように疑問に答えてくれる。
「・・・連れのもう一人は?一緒にいただろう」
行動を共にしていたはずのミアさんの気配は近くに感じられない。
アリシアさんを一人にさせないという重要任務をフランクさんから与えられていたはずだが。
「ミアなら先に帰ったぞ!リンゴ一つ食わせたら言うこと聞いてくれた」
賄賂か。それも割としょうもない。
とにかく俺はこの人とは喋りたくない。
せっかく全員が幸せになれる方向に事態が動いているというのに、会話でボロを出してアリシアさんに俺の実態がバレてしまっては全部水の泡になりかねない。
「それで?そろそろ話してくれよ!向こうは一体どんな感じなんだ?」
「向こう?」
「だから、『内陸』だよ!すごいモンスターとか、見たこともない『パワースポット』とか、たくさんあるんだろ?聞かせてくれよ、君の話」
アリシアさんは俺の不安など知らず『閻魔』の知りうる情報を引き出そうとしてくる。
そういえば『閻魔』の紹介をするときに『内陸側パーティ』、という言葉を口にしていたような気がする。
俺の眼前に迫るのは、ほとばしる好奇心に突き動かされた無邪気な笑顔。
「・・・えっと・・・その・・・・・・」
どうしたものだろうか。
こんな純粋な目を向けられると、適当な作り話でこの場をやり過ごそうなどという気は起きない。
「・・・そんなことを知ってどうする」
「ん?」
「『内陸』のことが気になるなら・・・俺の口から聞くより自分の目で確かめた方がいいんじゃないのか?・・・と思う」
俺は苦し紛れにアリシアさんの尋問を躱そうとしたが、彼女は簡単には諦めない。
「じゃあどうやったら『内陸側』に行ける!?」
「えっ・・・・・・?」
アリシアさんは俺の肩を掴んで振り向かせると、必死の形相で訴えかけてきた。
「教えてくれ!私も行きたいんだ、『内陸側ギルド』。だけどフランクはそのための方法を教えてくれなくてな」
「悪いが・・・答える義理はないな」
「頼む!私にできることなら何だってする!だから!」
俺ははっきりと回答を拒否したが、アリシアさんは間髪入れずに食い下がる。
よほど大事なことなのだろうか。
命も惜しまないと言いたげな真っ直ぐな気迫に、こちらは返す言葉を失った。
『内陸側』というのがどういうところかは知らないが、隊長であるフランクさんの判断からして今活動している場所より危険な場所なのは明らかだ。
「なっ『内陸側』は危険だ。お前のような子供が来るところではない。」
「君も十分子供じゃないか」
「・・・そうなんですか?」
思わぬ指摘を食らい、調子を乱されてしまう。
水たまりに映った自分の顔が元の世界のものとは異なっていることはわかっていたが、年齢や体格まではわからなかった。
もしかして俺とアリシアさんの身長が同じくらいなのはアリシアさんが特別高身長なのではなく・・・・・・
「うーん。やっぱり変だ。聞いてた印象とは大分違うんだな君は。泣く子も黙る『閻魔』様も、こうしてみると普通の男の子って感じだ」
「泣く子も黙る・・・・・・?」
アリシアさんにまじまじと見つめられる。
吸い込まれるような瞳と視線が交わり、思わず目を背けてしまう。
眉をひそめて俺をじっくり観察した後、彼女の口から最も恐れていた言葉が飛び出した。
「なぁ。君、ホントは『閻魔』じゃないんじゃないのか?」
ドキン、と心臓が跳ねる。
「な ・・・何を言い出すかと思えばお前は何を言っているかわかっているのか?それはおおお俺様『閻魔』様に対するこの上ない侮辱で軽々しく口にすればお前の仲間もタダじゃ済まない不敬罪で──」
「あ、急に早口になった」
「・・・・・・」
できる限りボロを出さないようにと慎重に言葉を選んで喋っていたつもりが、ここにきて台無しになってしまった。
直前まで強者らしい口調で威圧していたこともあり、絶対気持ち悪いと思われたに違いない。
「一つ質問だ、地獄の『閻魔』さん」
彼女は猟銃を手をすることはなかったものの、こちらに強い圧をかけてきた。
「知っての通り、私達が使う魔法には大きく分けて2つの種類がある。一つは肉体強化や魔銃といった、誰でも習得できるように魔術回路がテンプレ化された『一般魔法』。もう一つは『特異魔法』などと呼ばれているソレだが、実は私も『特異魔法』を一つ持っていてね・・・・・・」
魔法の説明を始めたアリシアさんは、俺の右手を左手で握ってくる。
「手で触れた相手の魔法を解析できるんだ。」
「え・・・・・・?」
次に来る問いを察し、俺の脳は思考停止する。
「自分が普段どんな魔法を使っているのか、事細かに説明してみろ。なに、君の事だ。当然『閻魔』の名に恥じない恐るべき『特異魔法』を持っているはずだろう?君が質問に答えたら、話の真偽を私の手で直接確かめてやる」
「あっ・・・えっ・・・・・・」
まず俺が本物の『閻魔』が持つに相応しい魔法についてプレゼンしなければならない。
その後で彼女が嘘発見器のような魔法で裏を取ってくるとなれば、適当な山勘でこの問答を乗り切ることはできない。
頭が真っ白になる。
本当は大した身分でもない癖に、みんなを騙してタダ飯を掠め取った。
それが今バレてしまったと思うと、恐怖で何も考えられなくなった。
彼女からの疑いを晴らす打開策など微塵も思いつかない。
「どうした?答えられないってことはやっぱり別人ってことでいいんだな?」
「そ・・・そんなことない・・・俺は『閻魔』・・・です」
「そうかそうか。でも君の顔は違うと言ってるみたいだぞ?」
俺がいくら虚勢を張ってもアリシアさんは眉一つ動かさない。
それどころかこちらの表情をじっくり観察し、隠しきれない焦りの感情を読み取ってくる。
これ以上のごまかしはもう利かない。
そう思った俺は、次の瞬間には地面に頭を擦り付けていた。
「あの、本当にごめんなさい!あなたの言う通り、俺は『閻魔』なんかじゃありません!それなのに皆さんを騙して脛かじってしまって・・・代金とか持ってないんですけどどうすればいいですか ・・・・・・?何か雑用とか出来ることがあるなら何でもします!」
先ほどとは懇願する立場が逆になる。
アリシアさんはやっぱりなと言いたげに息をついた。
その後返ってきた言葉に、俺は耳を疑った。
「別にいいさ、それくらい」
「えっ・・・い、いいんですか?あとでやっぱり債権回収だとか言って法外な金利つけたりしませんか?」
「君は何を恐れているんだ?私達のことを山賊とでも思ってるのか?」
念には念を入れて確認したが、アリシアさんはこんな俺を許してくれるつもりのようだ。
「一応聞くが、どうして『閻魔』に成りすましたりなんかしたんだ?」
俺を立たせると、彼女は理解に苦しんでいそうな顔で質問してくる。
どうやら俺のことを『閻魔』の成りすましと思っているらしい。
なんとかあらぬ誤解を解かなくては。
そう思ってはみたものの、状況が混濁している上に自身ですら全容は把握できていないので何から説明すればいいかわからない。
とりあえず自分がこの人たちに敵対する存在じゃないことだけは、勘違いされたくない。
「ごめんなさい。頭が混乱してて・・・・・・。俺の話・・・聞いてくれますか・・・・・・?」
俺が慎重に言葉を選ぶのを、アリシアさんは静かに見守ってくれた。
「俺 ・・・なんかこの世界の人間じゃないみたいで ・・・。別の世界からやってきたんです」
「別の世界・・・・・・?」
それはきっと、彼女の頭にも全く想定されていなかった回答だろう。
「俺・・・異世界転生してしまったみたいで・・・・・・!」
「・・・イセカイテンセイ?」
俺は、事のあらましを時系列順に説明していった。
そこからの話の摺合せには、時間がかかった。
「えっと・・・つまり ・・・君は今の姿とは全くの別人で、こことは別の世界で死んでしまって、目が覚めたら何故かこの世界で『閻魔』という人物になっていた・・・ってことなのか?」
粗方そういうことになる。
正直全然上手く説明できた気はしなかったが、彼女の理解力に脱帽する。
「すごいじゃないか!『閻魔』なんかよりもっと希少価値のある話が聞けそうだな!」
俺の実態を知って失望するかと思ったアリシアさんだったが、むしろこちらを『閻魔』と認識していた時よりも食いつきが良かった。
「いえ・・・この世界じゃ何の役にも立たない情報しか持ってなくて。すみません」
「何を謝る必要がある。わかるか?世の中で起きるものには必ず原因があるんだ。原因なくして結果は起こり得ない。君が異世界転生と呼ぶその現象にも、二つの世界をつなぐ謎が隠れているはずだ!気にならないか?自分がどうして別の世界に飛ばされてしまったのか!」
「それは・・・なんかとても偉い神様?とかがやったんじゃないでしょうかね・・・・・・」
こんな突拍子もない話、鼻であしらわれるかとも思ったが、案外すんなり信じてくれた。
すぐ銃口を向けてきたり謎の圧をかけてきたりと怖い一面ばかり見せられたが、根はいい人なのだろうか。
「じゃあ本当の名前はなんていうんだ?元の世界での、君の名前。」
「前世の名前ですか・・・?」
「私は『閻魔』としての君よりも、異世界人である君に興味がある。だから元の名前を知りたいんだ」
別人として新しい人生を始めた以上、元の世界での名前などもう縁はないと思っていた。
でも、『閻魔』の本名も知らない今は俺を呼びつける時不便だろう。
俺は前世で親から貰った名前を名乗ることにした。
「柊・・・レイジです。」
「ヒイラギ・レイジ?ヒイラギというのか。よろしくな」
「よろしくお願いします・・・。あの、俺これからどうすれば・・・・・・」
アリシアさんに俺の境遇がバレたのは仕方ないとしても、『スズラン』の他のメンバーにもこの事実を共有するのかどうか。
全員が俺の話を信じてくれるとは限らないし、信じてくれたとしても俺の存在を許してくれるかどうかはわからない。
「うーん。とりあえずまずは全員に教えるべきだろうな」
「追い出されたりしませんか・・・・・・?フランクさんとか完全に俺のこと嫌ってそうです」
『スズラン』の隊長を張る男の圧を思い出せば、とても受け入れられるとは思えない。
「大大大だ!フランクは君のことを『閻魔』だと思ってるから私達に危害のないよう威嚇してるだけだ。うちはみんないいヤツだし、ヒイラギのこともきっとわかってくれるさ。」
「本当ですか?」
彼女が自信ありげにそう言ってくれると心強い。
村八分が起きるパターンはなさそうだ。
「まあ・・・・・・私達は、だけどな。」
だがほっとした俺と裏腹に、アリシアさんは含みのある言い方をして目を細めた。
「今君のことを血眼になって探している連中は・・・ちょっとマズいかもしれない」
「マズい・・・・・・?」
「君も聞いたと思うが、内陸側ギルドには『アンデッド』っていう厄介な冒険者パーティがあってだな。」
確か『閻魔』が所属していると言っていたパーティ。
その言葉の意味は・・・・・・
「不死身・・・・・・」
「そうだ。その名の通り、奴らはどんな過酷なクエストだろうとメンバーを誰も失わずに仕事を完遂してみせる。パーティってのは冒険者のユニットのことを指すんだが、『アンデッド』はその中でも最強のうちの一つに数えられるんだ。魔物の討伐も、トレジャーハントも超一流。実績だけ聞くとさも英雄のように思えるが、奴らには問題があってな・・・・・・」
「問題・・・・・・?」
「手段を選ばないんだ。」
俺達の間を冷たい風が駆け抜ける。
「目的の為なら平気で人を殺したり、拉致して拷問したりなんてことも厭わない。実態は絵に書いたようなロクデナシ共さ。」
拷問や殺人。そんなの、マフィアみたいじゃないか。
「よくわからないんですけど・・・パーティーって、つまり賊とかじゃなく、国から法によって守られる正規の労働者なんですよね?そういうことって許されるんですか?」
元の世界で言えば、名の知れた大企業が利益のために公然と犯罪行為を働いているようなもの。
取り締まられてしかるべきことだ。
「多分そこも君の元いた世界とズレがあるんだろうな。まあ細かいことは追い追い話すことにしよう」
アリシアさんは話を戻した。
「君は、そこの幹部だったんだ。それもナンバー2。巷じゃ『閻魔』って呼ばれて恐れられ、冒険者の間じゃ知らないヤツはいないくらい有名だったんだぞ。私は顔は知らなかったけどな。」
俺が凶悪な犯罪集団のような組織の大幹部だったと。
にわかには想像もつかない話だ。
というか、ナンバー2ということは別にこの世界の最強キャラというわけではないのか。
「それが突然あるクエスト中に行方不明になったようでな。奴等はここ数日間大々的にそのことをギルド中に知らせ、多大なリソースを割いて君のことを捜索していた。本来なら大幅な戦力低下を敵対勢力に教えているようなものだが、そのリスクさえ承知の上でだ。」
なんとなく、話の筋が見えてきた。この人たちが俺を偶然発見したから、『アンデッド』に引き渡したい、ということだったのか。
初めに会ったときに貸しを作るだの言っていた意味がやっとわかった。
「俺が戻るべき場所は・・・そこなんですよね?」
元のパーティに戻れると知って俺の心に到来したのは安堵。
それが彼女の話を聞いた後では、俺の心境は180度変わってしまっていた。
最強キャラとして相応しい居場所に戻れるとばかり思っていたが、まさかそれが犯罪組織のような連中だとは。
恐ろしいのはそれだけではない。
「俺・・・魔法の使い方なんて知らないです。そんなヤバい組織に戻るって言ったって、どうしたらいいんでしょうか?」
「そこなんだよな。別に魔法が使えないからといってこの世界で生きていくことができないわけじゃない。だが問題は君が肩書だけ手練れの魔法使いとして生を受けてしまったことだ。私たちは騙せたかもしれんが、いつまでもハッタリを通せるわけじゃない。このまま奴らの元へと戻れば、即実戦に放り込まれて詰みだぞ」
当たり前だが、冒険者というのは実力主義で成り立つ職業だ。
俺に何か『閻魔』だった頃の力が眠っているというなら話は別だが、最悪本当にただの無能だった場合が悲惨だ。
『アンデッド』が噂通りの厳しい組織だと言うなら、『スズラン』相手にやったようにネームバリューを盾にして自分の実力を適当にはぐらかすこともできないだろう。
「『アンデッド』の皆さんに思いっきり土下座したらパーティー追放だけで許してくれたりしませんかね・・・・・・?」
いっそのこと自分に『閻魔』の記憶も力もないことを正直に打ち明ければ、命だけでも・・・・・・
「どうだろうな。君は組織のナンバー2だったんだ。奴らからすれば、部外者が『アンデッド』に関する機密情報を潜在的に抱えていることはリスクでしかない。君が『閻魔』と別人だとわかれば口封じに始末されるのがオチだ。パーティーを抜けるなら、せめて『閻魔』として『アンデッド』に敵対しないという信用を保っておく必要がある」
『アンデッド』に許しを請う案は、アリシアさんに即否定される。
俺は『閻魔』の格を保ったまま、自由意思だとアピールして『アンデッド』から抜けるしかないということだろうか。
「記憶の断片でも覚えていたりしないのか?何かしら『閻魔』に関連すること。」
「何も・・・・・・」
だが幸いというべきか、手がかりなら俺の記憶なんかよりよっぽど信頼できるものが目の前にある。
「アリシアさん。さっき手で触れた相手の魔法を解析できるって言ってましたよね?もしよければ俺の、いや、『閻魔』の持っている魔法を教えていただいても・・・・・・」
しかし一筋の希望に縋る俺に返ってきたのは、思いも寄らない答えだった。
「ああ。あれは嘘だ!そんな空想じみた魔法、あるわけないだろう」
「え?・・・あ・・・嘘・・・・・・?」
俺の虚勢を炙り出すためのブラフだったと説明するアリシアさん。
「『特異魔法』ってのは本人の才能や性格、人生経験といった様々な要因が絡んで徐々に磨かれていくものだ。そんなものが軽く接触したくらいでわかるわけもあるまい。人の心と同じだな」
人情のある台詞を口にするアリシアさんだが、ともかくこれで『閻魔』の力を引き出す手がかりは潰えたことになる。
これは、かなりの緊急事態ではないか?
「ごめんなさい。フランクさんによると明日の午前4時に俺は『アンデッド』に引き渡されるみたいで・・・・・・」
「4時!?もうすぐじゃないか!」
「すみません・・・・・・」
事態の緊急性を彼女も認識し、表情に焦りが生まれる。
「まあ私達も浮足立って奴らと取引した責任はあるからな。お互い様だ!そんなに謝るな」
アリシアさんは俺に慰めの言葉をかけてくれると、この場でのやり取りを総括した。
「いやぁ。『閻魔』と接触して内陸側の情報を引き出せればいいと思っていたが、とんでもないことになりそうだな。本当にどうしたものか」
俺が何も言えなくてお互い黙っていると、彼女の方から切り出した。
「とりあえず戻ろうか。みんなで考えれば何かいい案が出るかもしれないしな。ミアあたりは頭いいし聞いてみるぞ。あ、そうだ!」
突然思い出したようにポケットを弄ると、手に取った果物を俺の口に押し付けてきた。
「これは・・・・・・?」
「詫びと言ってはなんだがやるよ。一つしかないけど、旨いから食え。みんなには内緒だぞ」
そう言って唇に人差し指を当てると、駆け足で小屋の方に戻っていった。
そういえばこの人は元々果物を採集するために外出していたんだっけ。
「・・・とりあえず持っとくか」
大きな問題を起こしておいて遠慮もせず食べるのは図々しいと思ったので、俺は果物をポケットにしまっておいた。
●キャラ紹介
〇柊レイジ
本作主人公。前世で死んだら『閻魔』というチートキャラに転生した。引っ込み思案で臆病。自意識過剰すぎて五感が鋭い。




