173:泣く子は黙らせる(物理)
カテゴリ:考察 道徳 幼女 人の目 そのめだれのめ
やあ、ただし猫は除くな、くまだよー!
先日、
「子どもが泣いていたら、貴方はどうしますか?」
銀鮭 著 Nコード N7896FB
というエッセイを拝見した。
内容は電車内で赤子が泣き、母親があやす場面に遭遇したときの筆者の行動と、女学生の行動についての話で、所謂道徳問題である。
今は知らぬが、くまが小学生の頃の道徳教育では「困っている人を見かけたら助けましょう」というのがあって、前述しているような場面では積極的にかかわり合うというのが「正しい対応」だと教えられている。
幼い頃に受けた教育なので、くまも「間違ってはいない」という認識ではある。
時は流れ、くまが高校から大学の時分になると「困っている人を助けない人が増えた」と言われる時代になった。
自分とは関わりのない人なので……、面倒ごとには関わりたくない……、今忙しいので……などなど、利己主義な人が増え「冷たい人間」ばかりになったと当時の有識者(笑)達はコメントを残している。
文明の急速な発達により物質的に豊かになったために、表面上は他人に頼らずとも生きていける事ができたために、見返りもなく他人を助けるという行為をするのが馬鹿らしく感じたのだろうか?
「詰め込み教育」により心にも体にも余裕が無くなったからだという知識人(笑)もいた。
それも一因だとは思うが、提唱する人たちはこれだ《・》け《・》が原因だというような言い方をするので、違和感を覚えたものです。
のちにこの提唱が「ゆとり教育・ゆとり世代」へと発展するわけですが……
この時代によく使われたのが「情けは人のためならず」という格言であったことから、どんな風潮であったか察して欲しい。
で、現代に至ってはまだこの状態が続いているのかといえば、くまは違うと答えよう。
今は「必要以上に他人に関心を持つ」時代になっていると考える。
他人に無関心で冷たい人間だという世代は終わっている。
だけど「他人を助ける」という行為に関してはさほど変わっていないとも思う。
他人に関心を持つけど、助けない。
なぜか?
別に助けたくないと思う人は少ないと思う。
ではなぜ、助けるという行動に移せないのか?
それは前述している「必要以上に他人に関心を持つ」人が増えたためだ。
この関心を持つというのは良い意味ではない。
珍しいこと、自分には出来ないこと、人とは違った事といった事象に餓えた「ヒマ人」が増えたからだ。
その要因の一つがインターネットの普及であり、スマホに始まる小型化された録画機器の発達、それを公開して収益と称賛を得られるコンテンツの出現が挙げられるだろう。
もちろんこれが悪いと言う訳でない。
悪いことではないのだが、このような投稿者にはその場のノリだけで、事の善悪を考えずに投稿する者が少なからずいる。
ぶっちゃけほとんどがそうだろうって、くまは思う。
それがまだ、身内の知己であるならば内輪で争えばいいだけの話になるのだが、見ず知らずの他人になるとどうしようもなくなる。
所謂、悪意の無い悪意に取られる投稿である。
これが怖い。
ひとの噂ほど無責任なものはなく、何れ尾ひれが付いて事実とは解離することが多々あるからだ。
そんな「他人の目を気にする人」が増えた。
道徳的に良いことをしても、他人から偽善者とかいわれるのがいやだ。
その場で言われるだけならまだしも、映像などで拡散されて広がるのが困る。
などなど。
「助けたいけど、助けにくい」という心情が育ってしまった人が多くなっていると思う。
まあ、ソースはくま自身だな!
公共スペースで泣きじゃくる赤子をあやす母親というシチュエーションで、手助けをして奇異な目をむけられないのは幼さの残る学生辺りか同姓、そして見映えのよい人くらいだろう。
チャラいにーさんやむさくるしいおっさん、秋葉戦士みたいなのが声を掛けても、掛けられた方の母親ですら警戒するでしょう。
この凡例でいうならば、鳴き声という騒音以外は被害がないわけで、周りは大人しくがまんしているのが今風の常識になりそうです。
舌打ちや、母親に文句をいったところで赤子が泣き止む訳ではないからですね。
そんなわけで同じようなシチュエーションにであったのならば、くまは静観します。
自分が赤子を上手くあやせる手腕をもっていませんし、そんなのが声をかけても逆に母親に赤子以外への意識を向けさせて集中できなくなる場合も考えられますからね。
道徳的にはアウトではありますが。
実際のところ、他に困る事例が「迷子」である。
親とはぐれて泣きわめく幼女がいても、近寄って手を差しのべるなんて無理です。
間違いなく通報されます。
近くの交番や、施設内であれば受付へと「連れていく」事も厳しいです。
誘拐とか連れ去ったとか不穏なワードが浮かんできますからね!
そっと電話で関係各所に通報するか、制服を着た人を呼んでくるかしかないですよ、いまのご時世。
想像してみてくださいよ、アブラギッシュな顔面偏差値の低いくまと間違えられそうなおっさんが泣いてる幼女に話しかけている姿を!
まあそんな、他人の目を気にして手助けが出来ない残念な自分を再認識させられてがっかりしたという話。
みんなはどうかな?
2092文字だった……




