もし今日を忘れても
鋼ちゃんの朝は早い。
眠い目を瞬かせると、壁際の作業机に、すっかり見慣れた作業着の背中と、ボサボサの黒髪があった。
彼女は、こうして私がベッドから起き上がる頃には、いつも作業机で工作に励んでいる。
「ふあ……おはよう、鋼ちゃん」
「ん」
挨拶というより、反射みたいな感じだ。
こっちの方を少しも振り向きやしない。
背中の向こうからカチャカチャ音が聞こえるし、きっと昨日話していた武器を工作中なのだろう。
これは余計なことをしない方がいい。
私は一度、ハシゴを登って地上の元自宅にあるお手洗いに行き、洗面所で一日の気合を入れる。
今朝もきれいな水は問題なく出た。
鋼ちゃんが地下水やら浄化水槽やらで水を使えるようにしてくれているおかげだ。
「本当に、鋼ちゃんがいなかったら、私は今ここに生きてなかったよなあ」
外から差し込む淀んだ光を頼りに、洗面台の鏡に反射した成人女を見つめる。
大人になったら、もう少しシュッとした顔立ちになると思っていたけど、まだ学生の雰囲気が抜けきっていない。
化粧をすればもう少し色気が出るんだけど、こんな世界では無い物ねだりだ。
髪もそろそろ茶色に染め直したいし、スキンケアだってまたやっておきたい。
死が隣にある世界でも、私は欲張りだ。
いや、こんな世界だからこそ、少しでも気持ちを満たしたいのだろう。
私は肩にかかった髪をすくい上げ、後頭部でヘアゴムを巻き付ける。
鏡に映っているのは、確かに自分だ。
でも私は、すでに四回死んでいる。
死んでしまった私たちは、一体どこへ行ってしまったのだろう。
子供みたいな発想だけど、せめて天国にでも居てくれたら、気が軽くなるのに。
「あー、やめやめ。一人でいたらイヤなことばっかり考えちゃう」
首を振ると、結った髪がパサパサと揺れる。
せめて、トリートメントくらいは欲しいかな。
鋼ちゃんに頼めば、暇な時にそれらしいものを作ってくれるかもしれない。
いや、あの鋼ちゃんだ、美容に興味はないだろう。
私は気分を入れ替えて、シェルターへ戻った。
とりあえず朝ごはんにありつこうと、壁のキャビネットから非常食の乾パンを取り出す。
「鋼ちゃん、パン一個もらうね」
「ん」
鋼ちゃんは相変わらず熱心に作業中だ。
「今は何を作ってるの?」
「ん」
「あー、ごめんごめん、邪魔しちゃって」
すごい集中力だ。
私はモソモソと乾パンをかじりながら、ふと彼女のズボンの裾が捲られている足元が気になった。
昨日、巨大カマキリから逃げる途中に捻った右足首。
湿布が貼られているけど、それを固定するみたいに、その端を銀色のテープで留めている。
「ちょっと鋼ちゃん、なんで湿布の上からダクトテープ貼ってるの?」
「剥がれないから」
ようやく返ってきた言葉がそれか。
「絶対に肌が荒れるよ! ていうか、見ているこっちの皮膚が痛い! 剥がれるのが嫌なら、せめて包帯とかテーピングにしなよ!」
「別に命に関わるわけじゃないし、かぶれたら、その時は軟膏でも塗りたくる」
平然と言ってのけ、作業を続行する。
「かぶれるどころか、剥がす時に皮膚ごと持っていかれるやつじゃん……」
なんというガサツさと、相変わらずの極論。
私はため息をつきつつ、改めてこの八畳程度の地下空間を見渡した。
天井を這う色とりどりの配線、ドラム缶みたいな空気浄化ユニット、様々な工具や雑貨が載せられたスチールラック、触るのも怖いバッテリー電源。
まさに、こんな世界を生き抜くための空間だ。
「本当に、鋼ちゃんって何でもできるんだねえ」
「ん」
高校時代、いつも机に突っ伏して眠そうにしていた彼女からは、とても想像できないサバイバル能力の高さである。
乾パンを水で流し込んだ私は、昨日ホームセンターから命がけで持ち帰った袋を手に取った。
「よし、私は昨日の戦利品を堪能してくるね。地上のシャワー借りるよ」
「水はケチれよ。濾過システムのフィルター、まだ交換してないから」
「わかってるって。ていうかさ、鋼ちゃんもそろそろ体洗ったら? さっきからちょっと、獣の匂いと機械の焦げた匂いがしてるんだけど」
私の指摘に、鋼ちゃんはハンダゴテを動かす手を止めずに答えた。
「めんどくさい。シャワー浴びなくても死なない」
「またそれ!? 文明が滅びたからって人間をやめるな!」
私は呆れながら昇降ハシゴを上がり、鋼ちゃんの元自宅へ向かった。
鋼ちゃんの手で要塞化されたユニットバスは、エイリアンの耐熱プレートを給湯システムに組み込んであるらしく、ちゃんとお湯が出る。
彼女曰く、一度に使い過ぎなければ、半永久的に使えるらしい。
こればっかりは、いくら感謝しても足りない。
「ああ、文明のぬくもり~」
十数分後、私は地下シェルターに戻った。
昨晩のうちに手洗いしておいたパジャマからは、ふわりと、あの懐かしい柔軟剤の甘い香りが広がる。
「はあ〜、生き返るわ〜。久しぶりのパジャマも肌触り最高!」
「……匂いきつ。ここ、これでも密室なんですけど」
「文明の香りと呼びなさい。鋼ちゃんもシャワーですっきりしたくなったでしょ」
「全然」
鋼ちゃんは鼻先まで黒マスクを引き上げた。
そんなに嗅ぎたくないか、失礼なやつめ。
でも、清潔な布に包まれる多幸感は、私の筋肉痛を少しだけ和らげてくれた。
気分良くベッドの端に腰を下ろそうとした時、生活スペースを圧迫して鎮座する『それ』が目に入った。
青緑色の怪しい光を放つ、大型の培養ポッド。
私が何度もお世話になっている、つまり、何度も私の復元に使われている、横向きのカプセルだ。
今は雑にタオルが掛けられて物干し竿みたいになっていて、土台部分には未開封の缶詰が積まれている。
命を紡ぐ神秘の装置が、完全にワンルームのちょっとした出っ張り扱い。
だけど、中には得体の知れない培養液がたっぷりと充満していて、耳を澄ますと、まるで呼吸をしているような低い音が鳴っている。
私の胸に、ひやりと冷たい風が吹いた。
次に私が死んだら、また別の私が、あの液体の中で再生されるのだ。
いい香りに包まれたこの平和な昼下がりも、鋼ちゃんのダクトテープ湿布にツッコミを入れたことも、次の私にとっては無かったことになるかもしれない。
「今日が、私にとって最後の休息になるのかな……」
無自覚にぽつりとこぼれ落ちた言葉は、自分でも驚くほど悲壮感を漂わせていた。
地中を縦横無尽に食い荒らす、巨大なモンスター。
もしそれが明日、急にここを襲ってきたら、私なんて一瞬でミンチにされて、今度こそ復元すらできないかもしれない。
「……なに浸ってんだ。暇ならコード押さえて」
急に声をかけられ、私は肩を揺らした。
振り返ると、鋼ちゃんが床に座り込み『スタン・パイル』の心臓部らしきモーターと格闘していた。
「もう、人がせっかく物思いに耽ってたのに……」
「死生観語るのは、これ完成させてから。そこの赤い線と青い線を分けて両手で持っといて。絶対にくっつけるなよ」
「はいはい。ちなみに、くっつけるとどうなるの」
「次の知葉が生まれる」
「ははあ、聞いといて良かった」
私は慌ててパジャマの袖をまくり、言われた通りに太いコードをガッチリと固定した。
せっかくのふわふわした香りが、一瞬でテクノロジーの臭いに書き換えられていく。
まあ、おかげでさっきまでのウジウジした気持ちは、すっかりどこかへ飛んでいってしまった。
ハンダゴテの細い煙が立ち上る中、私は気になっていたことを尋ねる。
「ねえ、この武器が完成したら、その後はどうするの? あのパッカーがいつどこに現れるのか、正確にはわからないんでしょ?」
「ん? ああ……」
鋼ちゃんはゴーグルを額に上げ、ニッパーで余分な導線を切り落とす。
「魚釣りと同じだ。エサを撒いて、ヤツが現れるのを待つ」
「エサって? まさか、私じゃないよね……?」
私は冗談交じりに言ってみた。
全く本気じゃない。
「それでもいいけど、やはりバルナンチュラの体液が一番効果がありそう」
「じゃあ、まずあの風船グモを捜さないとね」
「その必要はない。バルナンチュラの脚の先を持ち帰ってから、それを参考にニオイ爆弾を作ったんだ。それを地面に散らしておけば、パッカーのヤツをおびき出せるかもしれない」
私が知らない間に、鋼ちゃんなりに作戦を進めてくれていたらしい。
「もし、パッカーが引っかからなかったら?」
「その時は、帰って寝る」
鋼ちゃんはさも当然のように言ってのけた。
「……え、それだけ?」
「それだけ。相手はあくまでも巨大な虫だ。約束なんか交わしてくれないし、こっちからわざわざ土を掘って行くのは自殺行為。だから、罠を張って、食いついてきたら感電させる。そんなもん」
あっけらかんとした回答に、私はコードを持ったままポカンとしてしまった。
今日が人生最後の日になるかもしれないと、ポッドの前で一人で勝手に覚悟を決めていた自分が、なんだか急にアホらしくなってくる。
「私の美しい悲壮感を返してほしいんですけど」
「知らん。ほら、終わったぞ。手ぇ離せ」
鋼ちゃんが満足げに息をつき、立ち上がって腰を叩く。
「さてと。あとは組み上げて動作確認するだけだし、一服するか」
鋼ちゃんは壁のキャビネットから古いティーバッグを取り出し、作業机の上でカセットコンロに火を点けた。
「足、怪我してるんだから座ってなさいよ、私がやるから!」
「じゃあ、あたしのはストレートでいい」
「はいはい、わかってますよーだ」
私は、壁に立て掛けていた折り畳みのローテーブルを部屋の中心に持っていく。
あとは、鋼ちゃんのお気に入りのビーカーと、二人目の私が地上から拾ってきた、欠けたマグカップを用意。
お湯を注ぐと、堅苦しい地下室の空気に、少し気の抜けたアールグレイの香りが混ざり合った。
壮絶な戦いは目の前に迫っているかもしれないのに、シェルターにはちっともピリピリした空気が流れていない。
でも、これでいいんだ。
いつ巨大なモンスターに足元から食いちぎられるか分からない世界で、賞味期限切れの紅茶を啜りながら、二人でくだらない文句をぶつけ合う。
もしこれが、五人目の私にとって最後の休息になったとしても。
まあ、悪くない一日だと思う。




