滅びた地上にも友情を
「撃たないで!」
私はとっさに、そう叫んだ。
撃たなければいけない状況なのは分かっている。
ただ、あとほんの少し時間が欲しかった。
でも彼女は、迷わず引き金を引いた。
次の瞬間、大きな破裂音とともに、紫色の血液が辺り一帯に爆散した。
「ぎゃああああああああ!」
それは私の絶叫だったけど、もし遠くの人が聞いていたなら、そいつの絶叫にも聞こえただろう。
生臭い、ねっとりとした、温かい体液。
お笑い芸人じゃあるまいし、こんなものを全身に浴びせられるなんて。
「あのさあ、撃たないでって言ったじゃん……」
「撃つタイミングは今しかなかった。それに、どうせこの状況じゃ、血のシャワーは避けられない」
いつものだるそうな目がこちらを見た。
鋼ちゃんは、黒マスクがズレないように気を付けながら、高圧ネイルガンを持った腕で顔を拭う。
そいつのすぐ近くにいた彼女は、私以上に紫粘土まみれだった。
確かに、彼女の判断は正しい。
私たちのすぐ背後は、ビルの瓦礫の山だ。
逃げ場もないし、躊躇う時間もなかった。
このデカブツが廃車で転ばなければ、私たちはとっくにこの世からオサラバしていただろう。
そう考えると、今になって寒気がしてくる。
「助かったのはいいけど、これ、すごくキモチ悪い……」
全身にまとわりついた紫色の泥。
粘っこいくせに流れがスムーズで、私の着ていたジャージやプロテクターの中にまで、どろりと侵入してくる。
この液が、あの『脚付き風船』の体内で流れていたと想像すると、吐き気さえ覚えた。
「こいつは『バルナンチュラ』と名付けよう」
鋼ちゃんはベージュ色の作業着にまとわりついた血を払うのもほどほどに、さっきまで暴れ回っていた地球外生命体の破片を踏み付けている。
仮にもさっきまで元気に動いていたんだから、まだ息があったらどうするつもりなんだろう。
「なんでその……バル、チュラ?」
「バルナンチュラ。蜘蛛の脚に風船がのっているみたいだから」
「あそ。いいネーミングだね。なら次からは、風船らしく萎ませる方法を考えようか」
「いや、衝撃を加えると破裂することは分かったから、次に出会ったときは遠くから撃つのがいい」
「その時はお任せするから、近くに私がいないかだけ確認しといて」
鋼ちゃんは生返事をしながら、熱心にそのバルなんとかを観察している。
何が彼女をあそこまで駆り立てるのだろうか。
その好奇心のおかげで、私はこうして生きているのだから、あまり文句は言えないのだけど。
「何か使えそうなものはあった? 早くシェルターに帰って、冷たくてもいいからシャワーを浴びたい」
とにかく、この不快臭を匂い続けるのはきつい。
服の汚れも落ちるだろうか。
そういえば、服も鋼ちゃんの物を借りてばかりだし、どこかに無事な服屋さんがあると助かる。
高望みはしないから、少しでもオシャレな服が置いてある店を願うばかりだ。
怪物のしつこい体液を払いながら、あれこれと考えている間に、鋼ちゃんが鉄筋のような黒光りする棒を担いできた。
「それは何?」
「バルナンチュラの脚の先っちょ。超音波ヒートカッターでぶった切ってきた」
「へえ、なに……」
「何に使えるかはまた考えるけど、軽くて丈夫だから、武器にも防具にも適していると思う」
「じゃあ、たん……」
「探索はこのあたりにして引き上げる。あんまりウロウロしていると、次はもっと凶暴な奴に出くわすかもしれないし」
「わ、わー! 私の疑問も提案も先回りしてくれて、とても助かっちゃうなあ! ほかに言っておくことはあるかしらー?」
「服屋は探さない。どうせ身を守るのには使えないし、見栄の残骸ばかりだろうから」
鋼ちゃんは、青くじんわりと発光する黒マスクの位置を鼻の上に戻し、くるりと背を向けて歩き出した。
きっと文明が滅びる前も、こんな感じに色気がなかったものと推測できる。
しかし、高度知的生命体に改造されているのは私のはずなのに、どうして彼女には私の考えていることが筒抜けなんだろう。
私が勝っている部分といえば、このひどい空気の中でも呼吸できることくらい。
もしや、私を復元したときに、鋼ちゃんが私の脳に何か細工をしたのかな。
「鋼ちゃん、前々から気になってたんだけど」
スニーカーに染み込んだ水気の不快感に耐えながら、私は鋼ちゃんの隣を並んで歩いた。
「どうして私の考えていることが分かるの?」
「愚問。知葉は顔に全部出てる。高校の時からずっと。覚えてる? 初めて会話した時も『話しかけようかな、話しかけたら迷惑かなあ』みたいな顔してたじゃん」
鋼ちゃんの演技力について苦言を呈するつもりはないけど、いまフラフラと左右に揺れていたのは、私のマネということなのかな。
それにしても、高校で初めて彼女に話しかけた時のことか。
今の私の記憶でも十年くらい前の出来事だから、こまかい部分は正直ほとんど覚えていない。
「どうだったかな。私の万物を慈しむ思いが、鋼ちゃんの心の氷をとかしたことしか覚えてなくて」
「万物っていうか、お節介の産物だったけど。まあいい。あの出会いがあったからこそ、あんたはここでこうして歩いていられるんだから」
鋼ちゃんはじいっと私を見て、またフィルターマスクをずり上げた。
その黒マスクの下では、きっといたずらな笑みを浮かべているに違いない。
初めて私をからかってきた学生時代を思い出す。
「……そうだね。エイリアンの血にまみれる日常をくれて、どうもありがとう。でも、今の人生を素直に喜ぶというのは、ちょっと抵抗があるなあ」
どこを歩いても、死の匂い。
どこを見ても、瓦礫と霧と煙の軍勢。
見上げれば、血を吐いたかのような赤い空に、平和を切り裂く怪物の声。
いかにも滅びの未来って感じで、私もつい駆け出して叫びたくなってしまう。
「宇宙のバカヤロー」ってね。
実際にそんなことをすれば、空飛ぶ怪物にさらわれてしまうわけなんだけど。
そうやって雑談をしながら私なりに辺りを警戒していると、急に右腕を引っ張られた。
「ちょ、鋼ちゃん、どうしたの」
おそらく以前は路地裏であったと思われる瓦礫の山に引き込まれ、無理やり下へ押さえつけられる。
「あそこを見ろ」
鋼ちゃんが顎で示した先は、廃材で先の見えない曲がり角。
その奥から、コツコツコツコツとすばやく固い音を立てて、大きな影がぬっと姿を見せた。
「ええ、あれって」
「バルナンチュラ。しかもさっきより大きいヤツ」
水風船みたいな本体をたぷたぷ揺らし、八本脚を器用に動かして、こちらへぐんぐん近付いてくる。
まるで確固たる目的を持っているみたいだ。
「ねえ、明らかにこっちへ向かってない?」
「もしかしたら、さっき殺したヤツの血の匂いを嗅ぎつけたのかもしれないな」
私たちはコンクリート片の奥へ、さらに身を押し込んだ。
そこで、私ははたと気付く。
「そうだ、あの上の風船部分を撃っちゃえば破裂するんだから、今のうちに攻撃しちゃえば」
「そう言われる寸前まではそのつもりだった。周りの音をよく聞いてみ」
言われた通りに耳を澄ますと、勢いを増した私の鼓動の音がする。
さらに遠くへ意識を移すと、目の前にあるのと同じ歩行の音が、周囲でコツコツとうごめいていた。
「まさか、いっぱいいるの?」
「そう。みんな、フェスの予定なら助かるが」
「音楽に縁のある感じじゃないね」
耳どころか、顔もどのへんにあるのかわからない巨大風船グモ。
それが今、私たちを取り囲んでいる。
身にしみて学んでいるけど、あいつらの足の速さはなかなかのもの。
こちらが全力で走っても、機敏な動きで確実に距離を詰めてくる。
二人で逃げ切るのは、きっと不可能だ。
そう、二人で逃げるのは、ね。
私の頭の中で、そのスイッチがカチリと入った。
「鋼ちゃん、私、やるよ」
「知葉がオトリをやるというアイデアは不採用」
「さすが、お見通しってわけだね。だけど、そういうわけにはいかないんだ」
鋼ちゃんは私を制止しようとしている。
心配してくれるその気持ちは、とても嬉しい。
普段は冷徹サイコな彼女だけど、こういうときくらいは、友達想いな一面を覗かせてくれるんだ。
「私があいつらの注意を引いている間に、鋼ちゃんはこっそり逃げて」
「頑なだな。落ち着け」
「頑なな意思」
「なぜ、あたしのツッコミを採用した。それより、もうスイッチが入ったのか。少し待て。さっきのヤツの血液を、こっちの薬品に混ぜれば……」
鋼ちゃんがウエストポーチから缶のようなものを取り出して何か準備を始めたけど、私の頭の奥では、あの忌々しい社内アナウンスが鳴り響いてやまない。
「働かなきゃ、働かなきゃ……」
「おい、ばか……!」
判断も付かないうちに、私は危険地帯へ飛び出していた。
一歩、また一歩と踏み出すごとに、いろんな思い出が頭によみがえってくる。
さようなら、平凡な私。
不思議と、一切の恐怖がない。
友達のためとなると、人は恐れを忘れるらしい。
それとも、植え付けられた使命感のせいかな。
私は、道路の真ん中にその身をさらした。
「ほら、こっちだ、化け物ども!」
私の声を聞き、前方の風船グモが前脚を高らかに上げた。
威嚇のつもりだろうか。
八本脚の付け根の中央に、黄色い口が見える。
「クモっていうか、タコじゃん……」
すぐに背後からも、複数の足音が迫ってくる。
恐れを忘れると先刻は申しましたけれど、これはさすがにこわいです。
それでも、最後の望みをかけて私は走り出した。
向かう先は、自分が出てきた路地の向かいの、瓦礫に囲まれた狭い道。
あそこへ滑り込めれば、もうほんの少しだけ長生きができるはずだ。
わずかな希望を胸に、目的地まであと少しの所まで走った。
まさに、その瞬間。
「わわ、きゃあああ!」
地面が大きく揺れ、目当ての細道が壮絶にひび割れ始めた。
そして、怪物蜘蛛を軽く凌駕する存在が、アスファルトを砕いて現れた。
爆発音のような叫びとともに、私の意識は真っ黒になる。
かすかな物音が聞こえて、私は目を覚ました。
最近ようやく見慣れてきたグレーの天井、固い枕に、そろそろ洗いたいタオルケット。
ここは、鋼ちゃんの作った地下シェルターか。
はて、私は何をしていたんだっけ。
だるすぎる体で、なんとか起き上がる。
「へ……? わあ、きゃあ!」
つい情けない声を上げてしまった。
一気に目が覚める。
なぜ私は、一糸まとわぬ姿でベッドにいるのか。
とっさに体をタオルケットで隠す。
すると、壁際のデスクで何やら作業をしていたボサボサの黒髪さんが、こちらを振り向いた。
いつもの、何を考えているか分からない瞳。
命綱の黒マスクは、今日もしっかり首にぶら下がって、開いた作業着の胸元を隠している。
「やっと目を覚ましたか」
「おひゃよう。えっと、私はどうして服を着てないんだっけ。何があったの?」
「お楽しみだった」
「え……?」
「冗談。確認だけど、思い出せる最後の記憶は?」
そう言われ、なんとか思考を巡らせてみる。
しかし、色んな意味で頭が混乱しているせいか、うまく考え事ができない。
「ええっと、確か昨日は、鋼ちゃんと一緒に外の世界へ素材探しに行ったんだよね。そこで……そうだ、空を飛んでいる鳥っぽいエイリアンを見つけたから、丘に登って少し観察して、おしゃべりしてたら襲われそうになって……」
「ああ、それだけ覚えていればいいや」
鋼ちゃんは立ち上がると、デスクから黒光りする長い棒を持ち上げて、くるりとバトンのように回して見せた。
「それは?」
「四日前に採取した蜘蛛の脚。今は腕や脚のプロテクターにならないか研究中」
「四日前に、そんなもの手に入れたっけ?」
記憶にはないけど、もしかしたら私の見えない所で採取していたのかもしれない。
そんなふうに思いかけて、あることに気付いた。
目覚めると裸で、思考がぼやけて記憶が曖昧なこの状態。
「あの、もしかして……また私を復元した?」
「さすがに学習したか」
「ああああ、まじかああああ……!」
なるほど、私はまたどこかで命を落としたんだ。
そして、またまた私の一部を使って、新しい身体をこの世に復元したというわけね。
「もしかして、また足の爪とか?」
「いや、今度は床に落ちてた髪の毛。いつのかは分からなかったけど、さっき話してた出来事から考えるに、あんたは大体一週間くらい前の知葉だ」
「それはまあ、喜ぶべきか否か」
「復元できない可能性は十分あった。あたしが血眼になって、ようやく床の隅からあんたの茶髪の一本を探し出したんだから」
「それは、どうもありがとう……」
椅子の上でふんぞり返る鋼ちゃんに、私はうやうやしく頭を下げる。
こうして目を開けられたのは確かに嬉しいけど、別の自分が死んだという事実はなんとも複雑。
いや、マジで死んでるからね。
前まで生きていた私は、もうどこにもいないんだからね。
「ということは、これで私は、四人目くらい?」
「五人目」
私は計算が合わなくて、指で数え直す。
「いや、オリジナルも合わせて四人目でしょ」
「二日前にも食われて死んでる。だから五人目」
「え……?」
「え?」
嘘でしょ、私、命落としすぎ。
こんなに落ちるのは、汚れだけで十分なのに。
より不幸な現実を聞くと、頭がぼんやりしているせいもあってか、力が抜けて背中からベッドに倒れ込んでしまう。
「そんな、私って何回死ぬわけえ……」
情けないボヤキが、シェルター内の貴重な酸素に溶けていく。
「死にたくないなら、冷静に行動あるのみ。知葉はすぐあきらめて、社畜モンスターにされていた時のスイッチを入れるから、まずはよく考える。復元する材料だってタダじゃない」
鋼ちゃんはいつも通り淡々とお説教をして、また作業を開始した。
今度は何を作っていることやら。
「ねえ、そろそろ私専用のマスクも作ってよ。オシャレなやつ」
「知葉は汚染空気なんて平気だろ」
「そうだけどさあ」
つれない返事は相変わらずだ。
しかし、考えて動くと言われても、幸か不幸か、最期の瞬間の記憶は残っていたことがないから、反省もできない。
でも、あまり命を落とすと、ただでさえ少ない資源がさらに厳しくなってしまう。
そのへん、鋼ちゃんはどう思っているんだろう。
「ねえ、根賀鋼ちゃん」
「なぜフルネーム……」
「どうして、いつも私を復元してくれるの。鋼ちゃんなら、一人でも生きていけるのに」
「んー」
「ねえ」
「ラジオくらい、あったほうがいいから」
「誰が作業用パーソナリティだ。それ不採用です。どうしても声が聞きたかったら、またハガキを送ってきてください」
「あの世に届くならな」
それはちょっと、鋼ちゃんらしくないつぶやきだった。




