最善の悪-4
「悪かったな、変なのに巻き込んで」
ヴィクスがくわえ煙草を揺らしながら苦笑いした。どうやら口端を片方だけ吊り上げる笑い方は彼の癖らしい。シニカルという表現が似合う顔は、男臭い彼に似合いだ。
ローディは表情を通常の笑顔に戻して、PPCを小脇に抱えた。歩き出したヴィクスに、ジオラルドとともに続く。
「なんていうか、すごいですねぇ。グレイさんとは初めからあんな感じだったんですか?」
途端、ヴィクスのこめかみが引きつった。
「初っぱな中の初っぱなからあんなだったな。初対面の挨拶が『今すぐ死ね』だった奴は生まれて初めてだ。金輪際あってたまるか」
「うわ~」
現場に居合わせたのはほんの数分の出来事なのに、当時の様子がありありと想像できてしまうのがすごい。
ただ、疑問がひとつ。グレイと接したのは昨日と今日の少しだけだが、この間、彼は誰に対しても敬語を使い、物腰も柔らかだった。少なくともリュシエールとローディとジオラルド、そしてエイムズには礼儀正しく接している。要するにヴィクスだけが例外なのだ。つまり、
「グレイさんに嫌われるようなことでもしたんですか?」
原因はヴィクスにあり。としか思えないわけだが、
「あれはな、理不尽っつーんだよ」
視線を遠くへやりながらのため息は、それだけで同情を禁じ得ないものだった。
「まず、俺のほうが先にリュウとダチになってたのが気に食わなかったらしい」
「そういえばさっきもそんなこと言ってましたね」
「で、ありがたいっつーか気色悪いっつーか、リュウはそのときから俺の医療技術やら知識やらをいちおう認めてくれててな。多分に憎まれ口を叩きやがるが」
「じゃあ、リュウさんとも昔からあんな感じで仲良かったんですねぇ」
「…………。まぁいいか。そしたらあの馬鹿、男として気に入られてるんだと勘違いして、俺のことライバル認定しやがったんだよ。それ以来、誤解だって何回も言ってんのに話を聞こうともしやがらねえ」
(ん?)
話がそこまで進んだところで、ローディは首を横に傾けた。中空を見やり、思考をまとめる。
グレイは今までに出逢ってきた誰よりも長身で二枚目な青年だと思う。洗練された、という表現が似合う所作と言葉遣いは、自分のような一般庶民とはどこか違う雰囲気がある。我ながら陳腐な表現だが、紳士と呼んで差し障りはないだろう。しかし、先ほどのヴィクスに対する態度といい、今聞かされた過去の言動といい、リュシエールが絡んだときの彼には微妙に――否、あからさまに『紳士』とは真逆の幼稚な一面がうかがえる。それともこれは自分の偏見なのだろうか。
ローディは改めてヴィクスへと目をやった。深い意味は乗せずに口にしてみる。
「グレイさんって、もしかしてすっごいやきもち焼き?」
成否は、ねじ曲がった唇に押されて上向いた煙草が示していた。
「あれは不治の病だ。あきらめろ。ついでに言うと、やきもちなんて可愛いもんじゃねえ。独占欲の化け物っつーんだ」
「うわぁ~。僕も勘違いされないように気をつけよーっと」
笑って茶化すとすぐに、ヴィクスから苛立ちの気配が抜けた。彼らしい笑みを浮かべ、壁のボタンを押して下降エレベーターを呼ぶ。
「お前たちはこれからどうするんだ?」
「科学技術局に部屋があるんで、そこに戻ります。とりあえずコーヒー飲んで、あとは終業時間まで設計図面ととっくみあいかなぁ」
「へぇ。何を作ってるんだ?」
「通信機器周りの改造です。ほかにもいろいろ手をつけたい箇所はあるんですけど、まずはそこからですねぇ。端末は一から作るか既製品をいじるか、どっちが効率いいか考えなきゃな。バイク移動中にも通信できるように、ヘルメットにマイク類を仕込んだほうがいいだろうし。あ、ジオの通信設定もいじらなきゃ」
「ふぅん」
ほどなくしてやってきたエレベーターに、三人揃って乗り込む。かすかな浮遊感のあとで下降し始めた箱の壁にもたれるとヴィクスは、ポケットから出した携帯灰皿に煙草の灰を落とした。
「でかい会社に入ると萎縮する奴も多いもんだが、お前は楽しそうだな」
茶化す笑みに釣られて、ローディの頬もにやける。
「当たり前じゃないですかぁ! だって、ほかの大学や研究施設には一台あるかないかっていう貴重な機械がいくつもあって、しかも使いたい放題なんですよっ? そりゃあ楽しくてたまらないですよ~」
PPCを胸に抱きしめ、この二日間で触れた最新のシステムや道具類の姿を思い浮かべる。
「設備の良さがすべてじゃないですけど、それでもやっぱり効率のいい方法のほうが研究も開発もスムーズですからねぇ。連盟の力が大きいぶん、開発した物を社会に出せるのも早いし。そしたら必然的にフィードバックが多くなって改良も進むし。最高の環境ですよ」
「へぇ、作るだけじゃなくてそこまで考えてんのか」
「そりゃあ技術者ですもん。世の中を快適にするための研究と開発であって、『作って終わり』じゃ、ただのがらくた遊び。社会の役に立たない物は粗大ごみですよ」
「ははっ。言い得て妙だな」
同じ『学者タイプ』だけあって、ヴィクスの理解は早かった。ローディは嬉しくなり、うんうんと大きく頷いて相槌を打つ。
「技術開発環境が最高なだけでもありがたいのに、ただの趣味で始めた射撃まで役に立つって言ってもらえちゃって。正直、こんないい職場に僕なんかがいてほんとにいいのかなって、まだちょっと夢見心地です。えへへ」
刹那、ヴィクスの表情が硬くなった。これは話か使った言葉に引っかかるものがあったときの反応だ。どうやら自分は失言をしてしまったらしい。だが思い当たるものがない。いったい何が彼の気に障ったのだろう。
考えているうちに、ヴィクスはローディから視線を外してしまった。笑みを消し、エレベーターの階数表示を見上げる。と、箱が停止し、扉が開いた。一階に着いたのだ。
無言のまま煙草をくわえ直して廊下に出て行く彼に続いて、ローディも降りる。そして会話もないまま歩き、やがて曲がり角にきた。このまままっすぐに進めば本館のエントランスホール。右に曲がれば科学技術局に繋がる渡り廊下だ。
ローディは足を止めた。胸の奥にある気持ち悪さを力尽くで抑え込み、声を出す。
「あのっ、ヴィクスさんっ。僕たちはここで……」
男性の足が止まった。
無視されなかった安堵で息をつくと、向けられたままの背中へ会釈をする。
「えっと、失礼します」
「ローディ」
踵を返そうとした瞬間、低い声に呼び止められた。
「分野は違うが、同じ研究者のよしみだ」
慌てて顔を向けると、ヴィクスがいつの間にか振り返っていた。
「覚悟だけはしとけよ」
ひどく真剣な表情であった。
「麻酔銃っつったって、銃は銃だ。お前がどれほどの腕前なのかは知らねえが、銃が簡単に殺せる道具であることに変わりはねえ」
彼の眼差しは強かった。言葉はさながら、教師が生徒を叱るような、あるいは親が子をたしなめるかのようだ。ゆえにそれは、わかりきっていることや間違えようもないことを事前注意されたときの感覚を思い出させた。
スキップ進級を繰り返す中で、子供扱いされることには慣れた。どう対応してあげれば目上の人たちを納得させ、説教を短めに切り上げさせられるかは知っている。ローディはヴィクスに向き直り、邪気なく笑って見せた。
「そうですね。競技用のライフルだって、人に向かって撃てば命に関わる怪我をさせられますもん。銃は危ない道具なんだって、免許取得教習で何度も言われました。だから忘れちゃわないように、今でも教本を時々読み返してますよ」
ヴィクスはしばしローディの目をまっすぐに見てから、薄く笑った。
「そうか。だが、これっきりだ。うっとうしいだろうが聞いとけ」
完全に見抜いた口ぶりで、紫煙を吹かした。
「銃を持つことも、撃つことも、仕事である以上はしょうがねえことだ。だが、あれこれ理由をつけて殺したことを『しょうがねえ』なんて言葉で片付けるのは、……キツイもんだ。それがきっかけで潰れた奴は、山のようにいる」
――この笑みは、自嘲だ。
ローディが察したことに気づいたか、否か。ヴィクスは軽いようで深い、心中の読めない笑みを浮かべて、言葉を落とした。
「だから覚悟しておけ。命は、途方もなく重いぞ」
そう言うとヴィクスは、ローディの返事を待たずに歩き出し、廊下の向こうへと消えていった。
あれは忠告だったのだろう。あるいは警告なのだろう。ヴィクスが心配して言ってくれたことは理解できる。だがそんなものよりも、彼の表情や声、選んで口にした言葉から読み取ってしまったものが気にかかって仕方ない。
「ねぇ、ジオ」
ローディはヴィクスが消えた先を見たまま、口を開く。
「ヴィクスさんは、人を殺したことがあるのかなぁ」
「データベースに記録されている過去百年間の重犯罪者リストに、ヴィクス・ブランドナーの名前は存在しない」
ジオラルドの即答に、一秒の間が空いてから疑問と驚きがよぎった。振り返る。
すると、彼ははっきりと頷いてみせた。
「ヴィクスは殺人犯ではない」
ジオラルドの端的な答えは、事実と信用と安堵を与えるのにこれ以上ないものだった。ゆえに、遅ればせながら自分の発想の強引さに思い至る。
「そっか。……そうだよね」
ローディは息をつき、頬を緩ませた。
「当たり前か。ヴィクスさんはお医者さんなんだもんね。そんなことしてたら、とっくに医師免許を剥奪されててもおかしくないか」
自分で自分を笑い飛ばし、――まだ残る違和感のようなものを、ローディは見ない振りをすることにした。情報が足りない以上、いくら考えても答えを導き出せるわけがない。そんなものにいつまでも気を取られたままでいるのは時間の無駄だ。
ジオラルドを促して歩き、科学技術局へと続く角を曲がる。その頃には、頭の中は新しい設計図のことでいっぱいになっていた。
*
不意に、目が覚めた。
フットライトも消した室内は暗く、シルエットしか見えない。人間ならば立ち往生するのだろう中でも、グレイは迷いなく頭上に右手を伸ばした。そこに置いてある自分の携帯端末を取り、表示を見る。
時刻は深夜二時。そして電話着信の真っ最中。相手はヴィクス。
(ふざけるな)
反射的に胸中で吐き捨て、
「……ん……」
直後、腕の中で眠る恋人が身じろぎしたことで我に返った。
入浴後にこっそりリュシエールの携帯端末の電源を切ってしまうのも、自分の端末は電源こそ落とさないまでも着信音と振動を消しておくのも、すべてはリュシエールをゆっくり寝かせてあげるためだ。なのに、他人の悪感情で傷ついてしまう繊細な人が腕にいることを忘れて、殺意を表に出してしまうとは。
グレイはねじ曲がった口元を意識して柔らかくし、金色の髪に口づけた。
(すみません。『声』を荒げてしまって……)
リュシエールの表情が和み、再び深い眠りに入ったことを見ると、グレイは気を取り直して携帯端末に向き直った。
電話はまだ繋がっている。ヴィクスにあきらめる気はないらしい。
仕方なく、通話ボタンを押した。左手でリュシエールの肌を撫でながら端末を耳に当てる。
「こんな時間に何の用ですか」
《こんな時間をわざわざ選んでかけてやってんだ。文句言うな》
「言うに決まってるでしょう? リュシエールの可愛い鳴き声をたっぷり愉しんで、気持ち良く眠ってたところなのに、何が悲しくてあなたなんかの声を聞かなきゃならないんですか」
《い・っ・た・い・だ・れ・の・せ・い・だ・と……っ。もういいっ、さっさと本題に入るぞっ。俺だって眠いんだっ》
さっさと話してもらうことに否やはない。口を挟まず、続きを待つ。するとヴィクスは、息をひとつついてから声のトーンを落とした。
《ローディのことなんだがな》
これは予想外。斜め上の話題だ。おそらくは過去最高好感度だろう第一印象を与えてくれた仲間の顔を思い浮かべ、グレイは首をひねる。
「彼がどうかしましたか?」
《これは、真面目な話だ。……お前、あいつが本当に使い物になると思ってるのか?》
釘を刺されなくとも、茶化していい話題と悪い話題くらいはわきまえている。グレイは正直な意見を口にした。
「技術力の面では頼りになりそうだと思います。射撃の腕は、今のところは判断不可能ですね。たいした情報がありませんから」
《そうか……》
深い沈黙だ。彼が備えている思慮の深さが感じられる沈黙だ。
グレイは細い肩を手の中で転がしながら、何気なく問うてみた。
「ローディの何が不満なんです?」
《不満……っつーのかな……。ま、いろんな意味で心配はしてるさ》
心の深さを具現化したかのようなため息を吐いて、ヴィクスはぼやいた。
《これは推測だがな。あいつ、生き物は一度も撃ったことがねえはずだ。そんな奴を戦場に出すのは、正直、いい気分じゃねえ》
「軍人も警察官も、それは誰だって同じでしょう?」
《軍人でも警官でもねえ。あいつは、技術者だ》
強い反論。
リュシエールのように心を読めなくともわかる。言葉に宿っているのは、命を救う仕事に就いているプライドだ。
《いいか? あいつには社会を良くすることへの喜びはあっても、命を背負う覚悟はねえ。断言してやる。今のまま敵の目の前に放り出されたら、あいつは確実に死ぬぞ》
「そこまで言いますか」
《ああ。……命の重さは、お前だってよくわかってんだろ?》
その問いには、何と答えたらいいのか。わからず、考えるのも腹立たしくなり、グレイは無視することにした。腹から力を抜き、目蓋を下げる。
「わかりました。あなたの意見は頭の端っこにとどめておいてあげます。せいぜい感謝してくださいね。話はそれだけですか? 切りますよ?」
すると、
《グレイ》
ひどく真剣で、ひどく強い声が、耳を打った。
《お前に何かあったら、今度こそリュウは壊れる……。頼むから無茶はしてくれるなよ。そいつは、俺の大事なダチなんだ》
ヴィクスのいちばん腹の立つところは、こういうところだ。グレイの数百分の一も生きていないくせに、まるでずっと年上であるかのような大人の余裕を見せてくる。――リュシエールにふさわしいのは対等の扱いを受けている彼のほうではないかと、そんな不安にとりつかれそうになる。
本当に、涙が出るほど不愉快だ。
返事をせず、グレイは通話を切った。携帯端末を捨てるように置いて、眠る愛しい人にすがりつく。
(言われなくたって、離すものか)
何も信じられない――己自身すら信じられず怯えて暮らしていた世界から、リュシエールは救い出してくれた。穢れきった自分を、彼女はそれでも愛してくれた。愛を受け入れてくれた。そして絶対的な味方でいてくれる。必要としてくれる。信じてくれる。
リュシエールこそが、今の自分の『世界』そのもの。
彼女を悲しませるもの、彼女を奪おうとするものすべてが敵だ。排除するためならどのようなことであろうと厭わない。
(……ローディ、か)
グレイはそっと目を開けて、頭の片隅に青年の顔を思い出す。
昨日出逢ったばかりの彼のことは、まだよくわからないというのが実情だ。それでも嫌いではない。彼は、優しい人間だ。もしも目の前で死なれたなら悔しい思いをするだろう。自分ですらそうなのだ。リュシエールは、きっともっと心に傷を負う。
ならば。動かなければならないようだ。リュシエールのために。
再び目を閉じ、恋人の香りに顔をうずめる。そして大切なものを体の奥深くまで染み込ませるように、グレイは静かに息を吸い込んだ。




