最善の悪-3
――コンコンコンッ!
背後で強めの打撃音が響いた。遅れて、扉がノックされたのだと気づく。
コーヒーを淹れ終わったグレイだろうか。それにしては少々速い気がするが。などと考えながら振り返ると、
「リュウ、いるかー?」
顔を覗かせたのは、無精髭とくわえ煙草が印象的な、壮年の男性だった。見たところ四十歳前後くらいか。骨太、あるいは無骨という言葉が似合う印象の持ち主だ。彼はローディを見つけてダークブルーの目を軽く見張ると、続けてジオラルドも見、そうして、おしゃれなど微塵も気にしてないと言わんばかりにざっくり切った焦げ茶色の髪に手を置いた。眉を寄せてリュシエールへと視線を振る。
「取り込み中か」
「いや、大丈夫だ。というか、お前が来ることをすっかり忘れていたよ」
笑いまじりの暴言で、男性が肩を落とした。
「お前なぁ。仕事頼んどいて、しかも持ってこさせといて、どーゆー了見だ」
「あぁ、すまんすまん。だからさっさと中に入れ」
「ったく……」
深々と息をつきつつ中に入り、ドアを閉めた。片手に銀色のアタッシュケースを持っている彼は、大股でこちらに近づきながらローディとジオラルドを視線で指す。
「そいつらは関係者か何かか?」
「ああ。技術者兼狙撃手のローディ・ワイズと、彼とバディを組んで前線を担当する軍用アンドロイドのジオラルド。二人とも『オーブス』のメンバーだ」
男性に会釈で挨拶したところでローディは、どうしても疑問に逆らえず、リュシエールへと顔を戻した。
「オーブスって、何ですか?」
「おっと、こちらも忘れていた」
表情を輝かせたリュシエールが、ずい、と人差し指を立てる。
「『原世界均衡調整班』――Original world's balancers team。略してOWBst。我らが部隊の名前だよ」
「……えーと……」
上目遣いに窺ってくる彼女は、明らかに褒められることを期待している。
実際問題として、少々格好つけすぎな気配はあるものの、エイムズが提案した部隊名と並べたら、脳が比べることを即断即決で拒否する程度にはまともな名前である。迷う必要はないのかもしれない。ついでに、気前のいい上司には気持ち良く仕事をしてもらうに限るというものだ。
判断すると、ローディは笑顔を作って頷いた。
「うん、いいんじゃないですか? ね、ジオ」
「ローディが納得したのであれば、自分も支持する」
途端に、ぱああ、と音が聞こえそうなほど、リュシエールの表情が明るくなった。胸の前で両手を合わせる。
「そうかそうかっ。よーし、絶対エイムズにこれを採用させてやるぞっ」
本当に嬉しそうだ。おまけにやる気満々だ。先ほどから『もぎ取ってやる』だの『採用させてやる』だのと偉そうで物騒な物言いが気にならないではないが、そこはまとめてスルー。代わりに、目線が自分より少し高いところにある隣の男性を掌で指し示した。
「無事に部隊名が決まりそうで何よりです。で、リュウさん。こちらの方もメンバーなんですか?」
リュシエールが上機嫌顔のまま頷く。
「非常事態専用のメンバーといったところかな。大雑把に言うと、協力者だ」
「正確に言うと、面倒ごとに巻き込まれた被害者だ」
皮肉っぽく笑いながら付け加えられた男性の弁は、冗談と本音が半分ずつ、といったところか。それに対して苛立つでもなく呆れるでもなく笑って流して、リュシエールは話を続けた。
「そいつ……ヴィクスとは、リーストンという国にあるローゼンス医療大学に気分転換で通っていた頃からの付き合いでな」
「学業は天使にとったら気分転換かよ」
「うん。面白いよな、人間の学問は。――で、こいつは今、カロリア地区でしがない町医者兼薬剤師をやっている」
「お前に『しがない』とか言われる筋合いはねーよ」
「ふん。こそこそと町の片隅に引きこもった臆病者が何を言う。――とはいえ、ブランドナー医院と言えば、評判のいい病院らしくてな。さっさと潰れると思っていたのに、三年も保っているんだから驚きだ」
「二人まとめて、二度と看てやらねえぞ」
「ははは、それは困る。――私の印象はともかく、世間的には『凄腕』の部類でな。しかも私たちとは腐れ縁の仲。そのよしみで、協力を取り付けたわけだ」
「で、早速こき使われて、調査書片手にやって来たと、そういうわけだ」
テンポ良く、かつ容赦なく繰り返される応酬に対して毒にも薬にもならない愛想笑いを返すしかないローディに、ヴィクスはおどけた調子で肩をすくめてみせると、アタッシュケースを机の上に置いた。中から数枚の紙を出す。
「即効性のある薬品を、限界投与量が少ない順に並べてある。数値の基準は人間の成人男性。致死量はまた別だから、読み間違えんなよ?」
「心配するな。もし私が読み違えたのなら、紛らわしい書き方をしたお前が悪い」
「ほんっとにタチ悪ィな」
受け渡される書類を目で追いつつ、ローディは首を傾げた。
「何の薬品なんですか?」
「麻酔銃に使う薬の候補だよ」
そのまま書面に目を落としかけたリュシエールが、笑いながらローディに視線を戻してきた。自分の横を指差す。
「そんなに見たいのなら、こちらに来い」
「やった!」
いそいそと移動して、一緒に書類を覗き込む。
「いまさらですけど、ほんとに麻酔銃も使うんですねぇ」
「正確には、実銃よりも麻酔銃と睡眠薬が優先だな。私たちの仕事は討伐ではなく、事態の沈静化と保護と調停だ。できる限り無駄な血を流さずに場をおさめたい」
「了解でーす」
納得し、改めてリストを見る。
常温常圧下での形状から始まり、投薬方法、効果、限界投与量、致死量、精製から消費期限までの日数、一ミリグラム当たりの相場、そしてヴィクスが調達する場合と思われる金額が一覧表になっていた。文字と罫線のバランスといい、色分けされたマス目や要所に使われた太文字表記といい、ひじょうに見やすくわかりやすい表である。どこにポイントを置いたらいいかをきちんとわかって書いている人間の書類だ。
(ヴィクスさんって、頭のいい人なんだなぁ)
人物評価に新たな印象を追加するローディの横で、リュシエールが書類を眺めつつ頬杖をつく。
「こうして並べてみると、効果は本当に様々だな」
「個人的意見を言わせてもらうなら、眠らせるより麻痺させるほうが撃たれる側のリスクが下がるから使いやすいと思うぞ」
「確かに、意識を奪うとなると投薬量がシビアか。だったら、筋弛緩剤はどれが使いやすい?」
「お薦めはセチル系だな。半年は保存が利くし、越えても少々即効性が落ちるくらいだ。効果自体はプラス二ヶ月は問題ない。どれも単価が高いが、少人数部隊だ。消費量はどうせ多くないだろ?」
「ふむ……。なぁ、ニコラベスとニコラクロムベンソン、ニコラロヅロイオもか。通常単価よりお前が調達するほうが高いのはどういうことだ?」
「ニコラ系は今、格安品が流通に乗ってんだよ。安いが、質は落ちる。俺ルートのは、質は保証するがそのぶん割高だ。ついでに言っとくと、セリアドヴィンメチルは精製が難しいっつーか大がかりだからな。個人でやるより工場でやったほうが効率がいい。だからそれも俺ルートのは高くなってる」
「法外な値段を取ったとしても、文句など言えんよ。あれを一個人が人体使用レベルにまで精製できるだけで充分すごい話だ。お前の集中力は化け物か?」
「化け物と四六時中一緒にいられるお前にだけは言われたくねえ」
「しまった、なぜか反論できん」
興味が湧いたため見させてもらったはいいが、見慣れず聞き慣れない上に呪文のような薬品名ばかりで、頭が混乱してきた。ローディは書面から目を離し、いまいち内容が見えない二人の会話を聞き流しつつ、こめかみを揉む。
「まぁいい。お前の薬ならばエイムズも文句ないだろうから、できる限りお前から買ってやる。明日か明後日に試験用のをいくつか注文するから、手を空けておいてくれ」
「任せとけ。ほんと、お前はいいお得意さんだな」
笑い、ヴィクスが机越しにリュシエールの頭を乱暴に撫でる。
ジオラルドが動いたのは、そのときだった。
「どうしたの?」
問うと、急に歩き出したジオラルドが、扉の前で立ち止まってから振り返った。
「グレイが戻ってきた」
遅れて彼の行動理由に気づく。グレイは四人分のコーヒーを乗せた盆を持っているため扉を開けにくいはずと判断したらしい。さらに、命じられるでなくグレイのためにできることを探し、結果、出迎えという行動を起こしたようだ。
(リュウさんにもらった好意を覚えて、行動に変換することを覚えたってとこか。……やっぱり普通より学習と応用が速い気がするなぁ)
扉を開けるのを見ながらローディは、ジオラルドのAIプログラムがどのように動作しているのかを思考する――――
――ジャキッ! ゴッ!
「?」
不可解な音によって、ローディは現実に引き戻された。正確には、この場で聞くとはまったく予想してなかった音で、と言うべきなのだろうが。
音に対するクエスチョンマークは、今の今まで廊下にいたはずのグレイが振り返ったヴィクスの真正面に立っていることでひとつ増え、彼の右手にあるのが四人分のコーヒーカップでもそれを乗せた盆でもなくオートマティック拳銃であることでまたひとつ増え、さらにヴィクスの額に銃口を当てているのを見て最大数となり、ローディの血の気を急降下させた。
「えっ? ちょっ、グレイさんっ? いつの間にっていうかいきなりどうしたんですかっ? しかもなんでジオがコーヒー持ってんのっ?」
「グレイに渡された」
「だからいつの間にっ?」
「〇.五一秒前だ」
「そのタイムはアスリートの世界だよッ!」
両手で頭を抱えたローディの叫びにも動じず、見向きもせず、グレイはヴィクスに笑顔のまま銃口を押しつけている。
「俺のリュシエールに断りもなく触るなんて、あなたが死にたがりだとは知りませんでしたよ」
対し、ヴィクスは口端を引きつらせた怒りの笑みを浮かべていた。逃げるどころか、撃てるものなら撃ってみろとばかりに上体を前へ押し出し、身長差のある美青年を睨みやる。
「礼代わりに頭叩いただけだろっ。普通のスキンシップじゃねえかっ」
「ご冗談を。俺がいない隙に会いにきて触るなんて、下心があるに決まってるじゃないですか」
「ね・え・よッ! 何回言ったら頭に入るんだっ。お前は痴呆症の爺さんか!」
「信用ならない言葉と受け入れてやってもいい言葉を聞き分けてるだけですが何か?」
「いい加減にしろ! ほんとに! 俺にどんな恨みがあるってんだ!」
「俺より先にリュシエールと出逢っただけで万死に値します」
「何百年も生きてる奴がたった三年の差で目くじら立てんな! アホか! だいたい、ンなこと言ってたら世界中が死体だらけになるだろーが!」
「あなたさえ死んでくれたら、その他大勢は見逃してあげます」
「俺はどこぞの生け贄かーっ?」
息が切れたらしく、ヴィクスが大きく息を吐いた。そしてやや落とした声で、相手を落ち着かせるようにゆっくりと続ける。
「だぁから、リュウはただのダチだって言ってんだろ? 未来永劫、それ以上でもそれ以下でもねえっ。いちいち牽制しなくたって手ェ出さねえよっ。出したくもねえっ」
不意に訪れた、痛い沈黙。
一瞬の隙間を経て、グレイの口角がさらに吊り上がった。現れた鋭い牙によって凄絶な色が強まり、傍目にもわかるほど握力が増す。
「リュシエールの何が不満なんですか!」
「お前は俺にどうしろってんだぁぁぁっ!」
駄目だ。完全に理解不能だ。どうしようもない。もはや泣きたい。
死ね、ふざけるな、となおも言い合いをしている男二人から目を離し、ローディはリュシエールを見下ろした。
「リュウさぁん、グレイさんが意味不明で怖いんですけどぉ~」
しかし話題の中心人物であるはずのリュシエールは、二人をまったく見ずに書類とにらめっこしていた。
「昔からこんなだから、気にするな。心配しなくとも流血沙汰にまではならんよ」
「……ってことは、寸前までは行くんですか?」
「うん」
「うんって……」
本格的に言葉を失い、混乱による疲労感で肩を落とす。すると、気が変わったのか、あるいはローディの心を察して同情してくれたのか、リュシエールが顔を上げた。書類を置いてジオラルドを手招きする。
「ローディ、報告は先ほどので最後か?」
「あ、はい」
「それならコーヒーは部屋に持っていって飲め。カップは今度ここに来るときに返してくれればいい」
「はあ」
リュシエールは立ち上がると、ジオラルドの持つ盆から二客のカップを選んで取り、机に置いた。そしてグレイとヴィクスの間へ強引に割って入り、恋人の胸に抱きつく。
「いつまで遊んでいるつもりなんだ? お前が淹れてくれたコーヒーが冷めてしまうじゃないか」
刹那、グレイの手から拳銃が消え失せた。リュシエールを抱き寄せるとともに表情がとろける。
「すみません。あなたをお待たせしてしまうなんて……」
「いいよ、許してあげる。その代わりに、何か甘い物を食べたいな」
「ではマフィンを出しましょうか。ミルク味とココア味がありますけど、どちらがいいです?」
「ん~。どっちも食べたいから、半分こしよう?」
「はい」
菓子より甘そうな声で話しながらリュシエールが、犬でも追い払うように陰で手を振った。今のうちに出て行けということらしい。ローディはジオラルドとヴィクスに無言で合図すると、何となく足音を殺しながら退室したのだった。