最善の悪-2
本館三十六階。公安局内各部署のトップが使う事務室が固まっているフロアに降りると、ローディは表札を頼りに探した扉をノックした。
「ローディです」
「入れ」
短い許可を得て入室する。
最初に目に入るのは、L字型に置かれたふたつの事務机だ。秘書と机を並べているのは、おそらく彼女くらいのものだろう。真剣な表情で大きな机に向かっているリュシエールとグレイに、ローディは笑顔で挨拶をする。
「お疲れ様でーす。装備関係のチェックが終わったので、報告に来ましたー」
「あぁ、お疲れ――……ずいぶん眠そうだな」
中に入るなり我慢しきれず出たあくびを見て、椅子に座っているリュシエールが苦笑した。ローディもまた、言い訳できず苦く笑いながら近づく。
「夕べ、興奮しすぎちゃったのかぜんぜん眠れなくって」
「しょうがない奴だな。人の迷惑になるところで居眠りするなよ?」
「あはは、気をつけまーす」
あとから入室したジオラルドが扉を閉める音を後ろに聞きつつ、机の前に立つ。
机上には、二人が格闘していたとみられる大量の書類が広がっていた。ローディはひとこと断ってから一角の紙を適当に押しのけ、代わりにPPCを置く。
「一通り見てきましたよ。武器は拳銃、狙撃銃、麻酔銃。どれも軍のお下がりでしたけど、型は実戦で使用中のものだから問題ないと思います。僕たち専用の移動手段は、運転手含めて八人が乗れる高機動車一台と、中型バイク二台。こっちもそれなりに使えます」
「それなりとは、面白い言い回しだな?」
眉を上げてからかうように言われ、ローディは笑う。
「そのままでも使えるのは使えるんですけど、高機動車に積んである通信機器をちょっといじったらどうかなぁって思うんですよ」
「具体的には?」
「ん~、今現在のスペックだと、車内から拡声器で音声を流すことと、アンテナで拾える半径三キロ圏内の音声と映像を車内モニターで確認すること。無線で子機を持つ相手と会話することと、いろんなデータの受信ができる状態です」
指折り数えて確認をし、続ける。
「ただアンテナの性能が『ほどほど』なんですよねぇ。有効範囲は半径三キロらしいですけど、建物とか障害物が間に入ると一気に精度が落ちます。ていうか、三キロって距離自体、けっこう微妙ですし。いっそ有効範囲が半径一キロまで縮まっても、もっと高精度なやつをつけたほうがいいんじゃないかなぁ」
「では、そのアンテナを取り替えれば済むのか?」
「いいアンテナにできるなら、それはそれで賛成です。でも車自体がさほど大きくないから、搭載できる物にも限度があるんですよ。そうなると、複数の高機動車を使って情報をかき集めることができない以上、情報戦がちょーっと不利になりますねぇ」
「ふむ。確かにな」
「そこで、僕のアイディアなんですけど」
スリープ状態にしていたPPCを立ち上げ、先ほど書いた文書を提示する。
「僕たち専用の通信ネットワークを作ったらどうかと思うんです。高機動車をターミナル兼サーバーにして、各自が持った端末で通信系統を共有できるシステムにできたらな、と」
「質問してもいいですか?」
そこまで黙って耳を傾けていたグレイが声を上げた。
リュシエールと一緒に彼へと顔を向ける。
「どうぞ」
「車の通信機器に情報収集能力を期待しないで、別の役割を与えるということはわかりました。では、情報収集の役割は何を使って満たすんです?」
待ってました、だ。
ローディは思わず頬を緩め、隣を指す。
「ジオに頑張ってもらいますっ」
揃って首を傾げた二人に対し、自信を持って脳内アイディアを口にする。
「ジオには通信機が内蔵されてるんですよ。通信機なしで会話ができるから、敵の近くまで行っても気づかれにくいでしょ? だからっ」
ずいっと机に身を乗り出す。
「ざっくりとした事前情報は高機動車の通信機器で探るとして、詳細は前線でジオに集めてもらおうかとっ。カメラと集音マイクも入ってるから、必要なら映像と音声も集められますしっ。そういう情報は高機動車を経由して、各自の携帯端末に送れば、リアルタイムにかなり近い速さで全員が情報を共有できます! これ、絶対におっきいアドバンテージになりますってうへへへへっ」
「落ち着け、馬鹿」
リュシエールから小さな固まりが飛んできた。
とっさに受け止めたそれを見ると、飴の包みだ。これを舐めて冷静になれということなのだろう。ローディは「いただきまーす」とひとこと断ってから包みを開いた。
「一週間で全部のシステムを組んで実戦レベルまで持ってくのはちょっと厳しいですけど、ネットワークの土台構築だけなら問題ないと思います」
「土台?」
口に放り込んだ飴はとろりとして甘い。ハニーキャンディーだ。用のなくなった包みを事務机の端に置き、舌の上で転がしつつ脳を動かす。
「え~と……回線の設定と、現場で片手が塞がると不便だから、端末を音声操作できるようにどうにかするのと、高機動車の配線工事……ってとこですかねぇ」
「なるほど」
ローディが机に置いた包みをジオラルドが拾い、ゴミ箱に捨てに行く。それを何気なしに見送ったリュシエールが、視線を戻して微笑んだ。
「仕組みはよくわからんというのが正直な感想だが、悪くない。特にジオが情報戦の基点になるという案は面白いな」
背もたれから身を起こし、ローディのPPCを引き寄せた。表示している文書を読む。
「ふむ、これならば大丈夫か。あとでいいからこの文書を私に送ってくれ。エイムズに話を通しておこう。ローディは設計に入れ。必要経費を試算したら、直接エイムズに許可を取りにいくといい」
「やったっ! ありがとうございまーすっ!」
両の拳を握って喜ぶローディを見る上司の眼差しは、温かいながらも呆れ気味だ。嘆息と苦笑を一緒に漏らしながら、PPCを押し返してくる。
「やれやれ、うちの技術者は金遣いが荒そうだなぁ」
「えー、そんなことないですよー。節約第一、無駄の排除が僕のモットーですよ?」
「そうであることを願うよ。お前にはこれからも、いろいろと技術提供をしてもらうことになるだろうからな」
PPCを受け取るその横で、グレイがおもむろに左腕を上げた。袖口から覗いた腕時計を見やる。
「もうすぐ三時ですね。話がまとまったところで、お茶を淹れてきましょうか。ローディも眠気覚ましにいかがです?」
「ありがとうございますっ。じゃあコーヒーでっ」
「わかりました。ではジオは――――」
唐突にグレイの動きが止まった。戸惑いが表情に出る。やがて、ジオラルドに向けた目を、苦笑しながらローディに移してきた。
「さすがにアンドロイドは、食事しないですよね」
「できますよ」
沈黙は、二秒。
「できるのかっ?」
「できるんですかっ?」
異口同音の驚愕に、ローディは笑う。
「栄養を摂るわけじゃなくて、食事のまねごとですけどね。詳しい仕組みは、たぶんリュウさんの頭がパンクしちゃうと思うので省略します」
「そうしてくれ。……しかし、まさか人工物が食物摂取をするとはなぁ」
「潜入捜査もできるようにプログラミングされてましたから、その関係じゃないですか? 場合によっては食事しないと不自然ですもん」
「なるほどなぁ」
心底驚いた、と言わんばかりの表情でジオラルドをまじまじと見つめるリュシエールの様子にグレイが小さく笑い、持っていた書類を机に降ろす。
「せっかくですから、ジオの分も淹れてきましょう。リュシエールは紅茶にします?」
「いや、コーヒーでいいよ」
「わかりました。では、行ってきますね」
リュシエールの座る椅子の背もたれに右手をかけ、長身を折るようにして彼女に顔を近づける。軽いキスをするとグレイは、ローディが動揺している間に、足早に廊下へと出て行った。
二人が恋人同士なのはわかっている。だが、こうして見せつけられると――別に悪いとは言わないし抗議しようとも思わないものの、落ち着かない気分にはなるものだ。見てはいけないものを見てしまった気分というか。
言葉を探して胸中で右往左往するローディに気づいたか、リュシエールが頬を赤く染めた。笑顔で椅子を引き、机の上で頬杖をつく。
「この際だ、ほかにも要望があれば聞くぞ。交渉ごとは得意なほうだ。必要ならばそれなりの成果をもぎ取ってきてやる」
「えっ? えぇぇーっと、えぇと……」
動揺のあまり意味もなく辺りを見渡したローディは、不意にジオラルドと目が合った。そして思い出す。昨日から気になっていたことがあったのだ。
「ジオ、目立つんですよねぇ。リュウさんとグレイさんも目立ってますけど、それはびっくりするくらい二人揃って綺麗だから仕方ないとして。でもジオの場合、本人には何も問題なんてないのに悪目立ちしてるっていうか……」
「?」
リュシエールが言葉もなく向けてきた疑問に促され、重い口で続ける。
「さっきジオに聞きました。ジオが廃棄処分されそうになった理由」
「そうか」
「僕と一緒にいる軍人、イコール、廃棄処分予定だったアンドロイド、ってことで目立ってたんですね。だったら、せめて見た目だけでも場に馴染めないかなぁと思って」
「…………、ん?」
「本館はスーツ着た人ばっかりで、僕みたいな普段着でもけっこう場違い感あるじゃないですか。なのにジオ、ラフな格好してる人が多い科学技術局ですら浮いてるんですもん。やっぱり戦闘服が駄目なんですよー。ザ・軍人!って感じでかっこいいけど。というわけなんで普段着を買ってあげたいんですけど、服代って経費から落ちます?」
「……そういう話か?」
「え? どういう話だと思ったんですか?」
「いや……。まぁいいか」
リュシエールが一度肩から力を抜いてから気を取り直し、スーツのポケットを探った。
「そういうことなら今回は私が出してやろう。部下をねぎらってやるのは上司の務めだしな」
パステルグリーンの携帯端末を出して操作すると、それをにっこりと笑って差し出してきた。
「うんと似合う服を買ってやれ。念のため言っておくが、ジオは貴重な戦闘員だ。いざというときのためにも機能性重視で選べよ?」
「もっちろんです!」
急いで自分も携帯端末を出し、操作する。クレジット直接受領モードにして、リュシエールの端末にくっつけた。双方の端末から電子音が流れ、金銭取引完了を知らせてくる。念のため目でも確認して、――ローディは驚愕した。
「りゅ、リュウさん! 五万エルクも、いいんですかっ?」
「シャツとパンツを二セットに、適当な上着。それだけ買ってもこのくらいだろう?」
「えっ? ま、まぁ確かに、そうかもしれないですけど……」
衣料量販店利用率が高いゆえにおののくローディとは対照的に、リュシエールの微笑みは揺るがない。
「投資するときは惜しまん主義だ。気にせず使え」
「はあ」
ここで必要以上に遠慮するのは、逆にリュシエールの好意に対して失礼になる気がする。せっかくジオのためにくれるというのだ。ありがたく受け取るのが最良だろう。
ローディは気持ちをまとめ、顔に笑みを戻した。
「じゃあ、いただきますっ。良かったねー、ジオ」
隣を見上げると、ジオラルドは相変わらずの無表情をしていた。
「これは良いことなのか?」
「いいことだよー。だってジオのためにって気持ちをお金の形にして、たくさんくれたんだもん。いいことに決まってるじゃない」
するとジオラルドは、ややあってから――おそらくはAIが情報の書き換えをしているのだろう――はっきりと頷いた。リュシエールに向き直り、深めの会釈をする。
「感謝する」
「うんうん、どういたしまして」
礼を言われたリュシエールはとても嬉しそうだ。その表情を見ているうちに亡き祖母の笑顔が脳裏をよぎったのは、――言わぬが花に違いない。
ローディはしっかりと口を閉ざし、二人のやりとりを微笑んで眺めるにとどめたのだった。