最善の悪-1
世界平和連盟本部は、大きく分けて四つの区画で成り立っている。
ひとつは総務局および公安局の事務部署がある本館だ。一般公開されている図書館と資料館、展望台もここに入っている。五十階の高さを持つ巨大建造物は、ニンデルセンの象徴と言ってもいいだろう。
次に、南の正門から見て本館の西に建っている科学技術局だ。開発課と鑑識課に分かれているが、作業内容を考えると『科学課』と『技術課』と呼ぶのが正確かもしれない。もちろんローディが世話になっているのは『技術課』が所有している研究室のひとつである。
そして本館の東に位置するのは、医療局および連盟付属病院だ。立ち寄ったことがないため詳細は不明だが、世界中から難病患者が多く訪れることからも最新設備が充実しているのは想像に難くない。
最後に、北に位置する公安軍の軍部である。いつでも出動できるよう二十四時間体制で軍人が勤務しているため、四つの区画の中で最も人の動きがある場所だろう。作戦司令本部室等がある司令本部も、格納庫と整備用ドッグも、本館の洗練された外観とは真逆で無骨な印象だ。様々な工具類に囲まれて過ごすことが多かったローディにとっては、本館にいるよりも馴染みやすい。
(でも、あんまり長居はしたくないかなぁ)
科学技術局に最も近い場所にある格納庫内の一角。そこに用意されていた特殊部隊指揮用高機動車――名前ほど大仰なものではなく、一般的な小型貨物車両を改装した程度だ――の内部で、機器類の点検をするため電源スイッチを入れるなりスピーカーから流れ始めたのは、気分の良くない世間話だった。
《ほんとにあれを使うなんて、物好きだよなぁ》
《あれ?》
《さっきのアンドロイドだよ。廃棄処分予定だった》
《あぁ、あれか》
誰の会話かはわかっている。ローディたちをここまで案内し、今は同じ格納庫内のどこかで作業している下っ端軍人である。
《人員が足らないとか言ってたらしいから、一時的なものだろ》
《にしたって、いつ暴走するかもわからない不良品だぞ?》
彼らが『陰口』を叩いている対象は、隣で手伝ってくれているジオラルドであることは間違いない。先ほど会ったときも彼を見る表情が微妙だった。不幸中の幸いは、ジオラルドがアンドロイドだったことだろう。彼には理解する力はあっても感情はない。ゆえに罵詈雑言を直接向けられようとも精神が傷つくことはない。ならば、あの手の人間には関わらないのが最善だ。不快だからという理由だけでいちいち噛みつくなど、時間も体力も集中力も無駄にするだけで、価値は皆無である。
ローディは声を聞き流し、自身の仕事に集中することにした。各種通信系装置のスイッチをすべて入れていく。
(集音マイクは異常なし。モニターもオッケー。無線は……これか)
ネックストラップの先にぶら下がっている社員証IDカードを、邪魔にならないよう背中側に回した。通信機器の下に潜り込んで外装を外し、配線類をチェックする。
(マイクもモニターも、アンテナで直接拾えるものしか駄目なのかぁ……。つまんないな)
機械から目を離さないまま、声だけ上げた。
「ジオー、僕のPPCにメモお願ーい。今開いてるテキストファイルでいいからさ。……言っていい?」
「問題ない」
「えっとねぇ……。キャリックケーブルを三本。いや、四本かな。で、型番は……DHO、RK-3、ART-1。あーとーは~、あぁ、WJも書いといて」
指示を口から出すのと入れ替わりに、まだ続いている雑談が耳に入ってくる。
《よく実戦投入する気になれたよなぁ》
《だから防止策で技術者をつけたんじゃないか?》
《あー、さっきの『天才くん』ね》
(僕は別に天才なんかじゃないってのっ)
思わず反論してしまった。
散々慣れさせられた『敬意に見せかけた馬鹿にする目』だが、不快感はいつまで経っても健在だ。腹が立つものは腹が立つ。
しかし当然ローディの顔が見えない彼らの会話は続いた。
《今日初めて知ったんだが、そんなに有名なのか?》
《大学の卒論がどっかの学会で注目されてるとか、開発したものがことごとく特許ものだとかなんとか。噂はいろいろあるなぁ。生まれつき、俺たちとは頭の出来が違うんだろ》
《ふぅん》
《おまけに、っていうか、俺的にはこっちのほうがエグイ》
《……ライフル?》
《そ。あーんなのほほん面で、五十メートルライフル三姿勢の世界記録保持者だぜ?》
《確か、使うライフルはスモールボアだよな。しかも五十メートルって……。いくらすごくても実戦で使うのは無理だろ》
《その『すごい』の次元が違うから、訓練すれば、って上も思ったんだろ?》
《いったいどんな点数叩き出したんだよ》
《千百九十六点》
「間違っている。ローディの公式記録最高得点は、千百九十七点だ」
突然の訂正発言に驚き、ローディは思わずその場で飛び上がった。通信機器にぶつけた頭をさすりつつ、右横を覗く。
「なんで知ってんのっ?」
すると、至って冷静な無表情のまま、ジオラルドがこちらに顔を向けてきた。
「バディを組むにあたり必要と判断し、エイムズ局長の許可を得てローディのパーソナルデータを取得した」
理由を聞けば、驚くほどのものではなかった。しかし胸はまだどきどきと音を立てている。手で押さえ、ローディは引きつる頬で無理矢理笑みを作った。
「な、なるほどね。ちょっとびっくりしちゃった」
《言っとくが、照準器はマイクロサイトだからな。目視オンリー》
《……満点は千二百だったよな》
《ちなみに伏射は、撃てばほぼど真ん中。命中率九十九パーセントだそーだ》
再度、ジオラルドがスピーカーに顔を向ける。
「公式競技における発射弾数で計算した場合は九十九パーセントで問題ないだろうと思われる。しかし普段の練習射撃を入れると弾数はその数倍になる。もはや正確な命中率の算出はスーパーコンピュータであろうとも不可能だ。よって、この情報に信憑性はないと判断する」
淡々と言い切ると、わずかな静止が。そのあとで、彼は再びローディを振り返った。
「発言者の記憶にはいくつかの誤りが見られる。訂正を求めるべきだ」
ジオラルドは真剣である。たった一発、そして細かい条件の誤差を持ち出して、さも致命的なミスを発見したかのように提案してくる様は、堅物と言うべきか、融通が利かないと言うべきか、正論の固まりと言うべきか。迷うところだ。
固い言葉遣いで、見た目は二十代後半の大人なのに、思考回路は他人の失敗を赦せない子供。そのギャップが――どうにも面白い。苛立ちを抱え続けていられない。
ローディは我慢できず吹き出した。
「いーよ、ほっといて。自分の記録を言いふらして回る趣味はないしね」
「誤りを容認するのか?」
「時と場合によるかな」
通信機器に向き直り、外装をつけ直す。
「任務中とか緊急事態とかだと、小さな誤差が命取りになることもあるんだろうけど、そうでないときに気にしすぎるのって、逆に不便だったりするんだよねぇ。曖昧であることも時には重要。オンとオフの切り替えってやつかな。だから、問題視する必要性がなければ気にしなーい」
「理解した」
「それは良かった」
元通りにし終えると、ついでに電源類も全部切った。静かになった車内にほっとしつつ、ベンチタイプの座席に腰を降ろす。
「ひとまず、乗り物関係は全部問題なし。すぐに使えそうだね」
「このまま使用するのか?」
「それもできるけど、個人的にしてみたい改良ポイントがいくつかあったからね。リュウさんのオッケーが出たら手を入れることになると思うよ」
ネックストラップを前に戻すと、ジオラルドからPPCを受け取ってさっそく文書の作成に移る。
と、
「ローディ、質問がある」
ジオラルドが体ごとこちらに向き直った。改まった姿勢を視界の端だけで捉え、続きを促す。
「どうしたの?」
「自分にインストールされる新規プログラムは、ローディが作成するのだろうか?」
彼の言葉は理解できた。が、文脈が脳の中で繋がらない。意味がわからない。ローディは手を止め、ジオラルドを見やった。
「何の話だい?」
「昨日、自分の扱いについて相談しているとき、グレイに言った内容についてだ」
「グレイさんに?」
言われ、記憶を掘り返し、そうして思い出した。どうやら戦闘特化型アンドロイドに可能な行動について質問された、あのときのことを言っているようだ。それがわかれば返答をひねり出すのは早い。
「緊急事態とかで、必要があればね。普段はきみの自動学習機能に頑張ってもらうつもりだよ」
ローディは再び手を動かす。
「プログラムは作ろうと思えばいつでも作れるからね。そんな簡単な方法より、きみの自動学習機能がどこまで、どういうふうに成長するかを観察するほうが、僕としては面白い。……こんな答えじゃ駄目かい?」
ジオラルドはしばらく動きを止めたあとで、首を横に振った。
「問題ない」
「そっか、ありがと。じゃあさ、僕も訊いていい?」
「なんだ?」
「ジオって起動してだいたい半年でしょ? 不具合が見つかったり起きたりするタイミングでもないはずなのに、なんで廃棄処分されそうになったりしたの?」
「五回の命令違反をしたからだ」
「――…………」
言葉が意味する衝撃で、手が止まった。
人間あるいは同等の自我を持つ者ならば、たかが命令違反、とまでは言わないが、考えられない事態ではない。主義主張や自尊心などの理由から上官にたてつくのは、いかにもありそうな話である。しかし、コンピュータは違う。コンピュータは入力されたそのままに動く。それが正しいか過ちであるかは判断せず、忠実にだ。生体部品が体内に組み込まれていないアンドロイドが命令違反をするなど、計算上ありえない。
ローディは生唾を飲み、顔を上げた。ジオラルドの赤い目をまっすぐに見る。
「本当に? まさか冗談じゃないよね?」
「会話プログラムおよび現在の言語辞書登録状況では、冗談を交えて話すことは不可能だ」
「…………。デスヨネー」
我ながら馬鹿なことを訊いた。
脱力し、おかげで恐怖にも似た硬直から脱したローディは、改めてアンドロイドに目を向ける。
「ちなみに、どんな命令違反をしたの?」
「最新案件は昨日だ。作戦行動前、ターゲットに接触したと思われる熊の子供に遭遇した。前腕部に負傷を確認。治療後、親熊を捜索し、十分後、帰巣を確認。結果、作戦開始に十九分の遅れが生じた」
――なぜだろう。密室のはずなのに、二人の間を冷たい風が流れた気がした。
「ぼ、僕は、笑ったらいいのかな。呆れたらいいのかな」
「この話をしたらリュウは大笑いした」
「あぁうん、そんな気がする。グレイさんも、声には出さなくても笑ってたでしょ」
「その通りだ」
「やっぱりねー。ははは」
ともあれ、これでリュシエールがジオラルドを指して『面白い人材』と言った理由が理解できた。アンドロイドがプログラムされた任務予定から外れた行動を取るという問題を起こしたものの、おこなったのは破壊活動でも錯乱行動でもなく動物の保護。端から見たら微笑ましささえ感じるものである。『面白い』というくくりに入れてもおかしくはない。
(でも、僕も同じように笑って済ませられるかって言ったら……そうもいかないよねぇ)
アンドロイドはアンドロイド。コンピュータがプログラム外の行動をするのは、どこかに欠陥があるからだ。自動学習機能による個体差とランダム判定システムを考慮に入れてもなお、不具合の文字は色濃く、消えない。
(いったいどこがバグってるのか、ぱっと考えただけじゃさっぱりわからないのが気になるなぁ。今すぐ深刻化する気配は感じないけど、注意しとかないと)
「ローディ、どうした?」
黙り込んだことを疑問に思ってか名を呼ぶ彼に首を横に振るだけで返すと、リュシエールに見せるリストを一気に書き上げてPPCの空間投影型ディスプレイを閉じた。立ち上がる。
「あとは武器を確認したら終わりだよね。どこにあるのかな」
急な話題転換だったが、ジオラルドは疑問に思う様子もなく応えた。
「壁際に置いてある武器庫に入っていなければ、奥に格納されている。先ほどの兵に声をかければいいはずだ」
「そっか。じゃあ先に訊けばいいかな。勝手に触られたら困る、なーんて、あとから言われても困るしねぇ」
「ならばマイクを使って呼べばいい」
ジオラルドが指し示したのは、搭載されている車外拡声器だ。
ローディは笑って拒否する。
「マイクを使うのは、二人がマイクを使わないと声の届かない場所にいるって知ってるからだよね? ってなると、あの人たちはこの車の装備をある程度知ってるだろうから、さっきの会話を盗み聞きしてたことに気づかれちゃう可能性が高い」
後方の観音開き型の扉を開け、車外に出る。
途端に、大あくびが復活した。今までは集中力のおかげで体が忘れていたらしい。寝不足の目をこすりながら説明を続ける。
「軍隊ってのは閉鎖空間だからねぇ。悪い噂はあっという間に広がっちゃうし、そしたら付き合いにくくなっちゃうよ。これからの仕事のためにも、多少は処世術ってやつを活用しないとね」
同じく車を降りて、ジオラルドが頷く。
「では、自分が彼らを呼んでくる」
「お願いね~」
再び頷くと、ジオラルドは早足に奥へと向かった。きっとさほど時間も置かずに戻ってくるだろう。彼の背中を見送るとローディは、車の扉を閉めてもたれかかり、大口を開けてあくびをした。




