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Diamond  作者: 神希
Mission07
32/41

最初の一歩-5

 世界平和連盟本部、第一駐車場。

 グレイの足は、愛車まで約七メートルという中途半端な場所で止まっていた。むろん、腕を組んでいるリュシエールも同じだ。彼女の手には、勝手に無音となったパステルグリーンの携帯端末。それを二人揃ってじっと見つめる。


「なぁ、グレイ。何かの拍子で緊急通信が入ってしまった、ということは考えられると思うか?」


 こちらを見ないまま問われてグレイは、まだ一回も使ったことがないシステムの仕組みを思い出してみる。


「細かい操作が必要です。軽い力でできるとはいえ、意図せずに動かしてしまうことはないでしょうね」

「では、通信機自体の誤動作という可能性は?」


 今となっては、先ほどの質問以上に考えるまでもない。


「まさか」


 一笑に付す。


「だって、ローディが作った物ですよ?」


 するとようやく、リュシエールが笑みを見せてくれた。


「確かにな。我ながら馬鹿なことを考えた気がする」


 しかしそれも一瞬だけだ。こちらに顔を向けた彼女は真剣な表情をしている。


「どう思う?」

「あの通信って、確かジオと高機動車に場所情報を発信し続けるようになってたはずですよね。それがすぐに止まってしまったということは……」

「ありきたりだが、通信に気づいた何者かによって妨害された、というあたりだろう」

「この時間だと、襲われた場所は自宅か、帰宅途中になりそうですね。あぁ、最近何か新しい物を作ってるようでしたから、まだ研究室かな」

「それはない」


 速断に驚くが、リュシエールは訳知り顔で苦笑していた。


「研究室ならばジオも傍にいたはずだ。ならば緊急通信を使うよりもジオが直接連絡したほうが早い」

「あ、そうか」


 ジオラルドは音声を使わなくとも通信が可能である。緊急事態に直面したのならばなおさら、その機能を活かさない手はないはずだ。これで、少なくともローディとジオラルドが離れているところを襲撃されたと断定できる。


「さて、ローディの身に不測の事態が起きたと断言したところで、だ」


 リュシエールの眉間にしわが寄った。顔を前に戻す。


「これと関係があると思うか?」


 グレイも、リュシエールが見ているものへと視線を移した。

 二人の目の前にあるものは、結界だった。それも、人間の目にはまったく違和感を感じさせないだろうほどに高度なものである。連盟本部の駐車場に堂々と魔法技をかけられていることはもちろん問題だが、グレイたちにとってさらに不快なのは、結界の中心が自分たちの愛車だということだ。どう考えても悪意がある上に、無視できる状況でもなさそうである。

 グレイはリュシエールとアイコンタクトを取ると、彼女から離れて結界の表皮へと手を伸ばした。伝わってくるのは、冷たい水と硬い大地の気配。これは水属性と地属性の複合魔法だ。

 結界をすべて壊す必要はない。入り口を開けるだけでいい。ならば、


「氷の森よ。眠りの茨よ。硬き門をひととき開き、さまよえる旅人を迎えたまえ」


 結界の表皮が、ぶるりと震えた。抵抗するかのような動きはやがておさまり、グレイが触れている場所を中心にしてほどけ始める。二人分の通り道ができたのはすぐだ。


「うん、見事」


 ――かけられた褒め言葉は、リュシエールからではない。そもそも声が違う。明らかに男性のそれだ。


「なかなか美しくて良い魔法構成じゃないか。腕を上げたね」


 笑いまじりの言葉は優しく、声は柔らかく、温かな好意だけが伝わってくる。問題なのは、聞き覚えのありすぎるそれが結界の中から向けられていることだ。

 見たくない。確かめたくない。知りたくない。気づきたくない。そんな感情が視界の蓋になって、目の前にあるものを認識できない……。


「いっ、いいいいやあああああああっ!」


 突然、恋人が絶叫を上げた。すごい勢いでグレイの胸に飛び込んでくる。反射的に抱き返した腕の中で、リュシエールがぐりんと振り返った。そして結界の中を指を差す。グレイが知りたくない事実を。


「なぜよりにもよってお前が、今ここに出てくるんだ! ディアムっ!」

「ひどいなぁ。かれこれ千年ぶりに会った元同僚なんだから、少しくらいは歓迎してくれたっていいのに。リュシエールさんのいけずー」


 愛車のボンネットに腰掛け、笑っている人物がいる。街灯の明かりを反射して青く光る銀髪。アイスブルーの双眸。黒絹に金糸銀糸で細かな刺繍が施された衣装を身にまとった長身の男。彼こそは、神を裏切り堕天した天使たちの中でも特に強い力を持つ七人のうちの一人。元水天使副長、色欲の大公ディアムだった。

 いっそ気を失ってしまいたい気分である。グレイはリュシエールをさらに深く抱きしめ、柔らかな微笑みを向けてくれる彼を見た。


「何をしにいらしたんですか、……父様」


 すると、紛れもないグレイの実父は、心から破顔し、手を振ってきた。


「やぁ、グレイドルくん。元気にしてたかい?」


 その笑顔は、以前から何も変わっていない。穏やかな父の笑みだ。

 母や兄、姉ならば、遠慮なく返り討ちにできる。しかし、いつも優しかった父にだけは来てほしくなかった。甘えなのだとしても、できることなら戦いたくない。傷つけたくない。そして何より、七大堕天使の一人である父に勝つ自信など皆無だ。

 そんな思いが表情に出たのだろうか。ディアムが笑みを苦笑に変え、手を下ろした。


「そんなに警戒しないでくれないかい? ぼくにはきみたちをどうこうするつもりはないからさ」

「ならば目的は何だっ」


 敵対心を隠しもしないリュシエールの問いに、中空を見上げてわずかに考える素振りを見せる。


「ん~……、ぼくの奥さんが迷惑をかけたみたいだから、お詫びをしにきた、ってところかな」


 ボンネットの上で足を組む様は相変わらず優雅で、堂々としたものだ。まるで自宅であるかのようなくつろぎようである。


「薔薇が咲き始める頃だったっけ。きみたちのところに迎えが行ったでしょう。ごめんね? そっとしておいてあげなさいって言ってたんだけど、ヴァイオラちゃんが暴走しちゃって」


 ――父は相変わらず、自身の妻であり吸血鬼一族の女王でもある人を『ちゃん』づけで呼んでいるのか。息子である自分の目から見ても迫力のある美女としか言いようがない人に似合う呼び名ではないと思うのだが、すべてを捨てて魔の女王を口説き落とした実績を持つ彼には、どうでもいいことのようである。表情に照れや躊躇は微塵も出ていない。


「……ま、まぁ、いいだろう。すべてを管理するなど、不可能なのだしな。うん」


 ディアムの女王への態度が衝撃だったらしい。どことなく愕然とした様子だったリュシエールが、ややあってから正気を取り戻した。グレイから片手を外して、ディアムへと向き直る。


「で? お前のことだ、どうせそれが本題ではないのだろう? 回りくどい言い方をしないで話したらどうだ」

「さすがリュシエールさん。話が早くて助かるよ」


 父の笑みが鋭くなる。


「実は人を捜してるんだ。協力してもらえないかな」

「人捜しだと?」


 リュシエールが眉をひそめた、そのときだった。

 彼女の携帯端末が音を鳴らした。鳥のさえずりのそれは音声着信を知らせる合図である。リュシエールは手でディアムの話を制止すると、通話アイコンを押して耳に当てる。


「ジオか。……あぁ、わかっている。こちらにも緊急通信が入ったよ。それで? ……うん。…………、そうか、わかった。では、エイムズには私から連絡を入れる。お前はいつでも動けるように装備の準備を頼む」


 通話を切り、一息。そうしてすぐさま端末を操作し、再び耳に当てる。


「夜分にすまん。今どこだ? ……うん、悪い知らせだよ。ローディが帰宅途中で行方不明になった。何者かに連れ去られた可能性が高い。……頼む。こちらもできる限り早く向かうつもりだが、少々野暮用に引っかかってな。……わかっている。では、またあとで」


 再度、先ほどより大きめの息をつくとリュシエールが、険しい顔をグレイへと向けてきた。


「駅前の路地で、ローディの鞄と破壊された通信機が見つかった。五分間の調査では目撃者なし。ただ、近くに乗用車が停車していた痕跡があったそうだ」


 さらに目つきを鋭くして、ディアムを見やる。


「まさかとは思うが、お前の言う人捜しと関係しているのではあるまいな」

「さぁねぇ。……あ、でも、ぼくは人さらいなんてしないからね。ヴァイオラちゃんも今は家でおとなしくしてるから、直接手を下してはいないよ」


 父の表情は、微笑こそ浮かべているが心底不愉快そうであった。


「ここから先の情報は、引き受けてくれたら話してあげる」

「交換条件というわけか」


 リュシエールの弁に頷き、組んだ膝の上で頬杖をついて身を乗り出してくる。


「こちらの依頼報酬はふたつ。ひとつは、ヴァイオラちゃんに今後いっさいきみたちに干渉させないこと。ぼくの目が届く範囲でだけどね。もうひとつは、きみたちがここ数ヶ月間頭を悩ませてる謎を解くヒントになるかもしれない、情報の提供だよ」


 刹那、リュシエールの気配が変わった。彼女の周りだけ急激に気温が下がったような、それでいて空気中の水分が沸騰するかのような、不思議な感覚だ。エバーグリーンの双眸に街灯の反射とは思えない輝きが宿るとともに、触れている部分に痺れが走り、わずかばかり息苦しくなる。

 が、ほとんど一瞬のことだった。リュシエールが口端を上げた瞬間、すべて消え失せる。


「虚偽はないようだ。いいだろう。話せ。ただしこちらは緊急事態だ。手短にな」


 ディアムの口元が緩む。


「さすがは地天使副長。真贋を見極める眼は健在だねぇ。そうこなくちゃ」


 肩から不機嫌さを消し、再びよく見る穏やかな素振りで話し始めた。


「春の気配が感じられるようになってきた頃だったかな。ヴァイオラちゃんの様子が、なぁんかおかしくなってねぇ。ぼくに対して素っ気なくなっていって、朝近くまで外出してたり、帰ってこないことも続くようになってさ」


 ふぅ、と悩ましげな息をひとつ。目を伏せ、小首を傾げた。


「そりゃあヴァイオラちゃんくらいの身分になれば付き合いとかもあるだろうからって、最初は気にしてなかったんだけどね。でも庭の薔薇が盛りになった頃、あんまりにもひどいから話を聞こうとしたんだよ。ちょうど帰ってきたところを呼び止めてさ。そしたら何て言ったと思う? 『あなたは誰ですか?』だよっ? ぼくは傷ついたね! あぁ傷ついたとも! だから力ずくで部屋に閉じ込めて、思う存分お仕置きしてあげたのさ!」


 こぼれんばかりの笑顔に対し、リュシエールが半歩引いた。その表情は――見るまでもないだろう。グレイはあえて彼女のことは気にせず、ディアムへと問いを振った。


「それで、母様のご様子は?」

「三ヶ月間も攻め続けたらさすがのヴァイオラちゃんも気絶しちゃってね。でもそのおかげなのか、目を覚ましたときには正気に戻ってたよ。ぼくのこともちゃんと覚えてた。代わりに、様子がおかしかった数ヶ月間だけの記憶がかなりなくなってたんだよね」


 グレイとリュシエールが互いの顔を見合ったのは同時だった。

 彼女も思い至ったらしい。そう、母の様子は、サニーの養い親であるドラゴンを襲った密猟団およびローディが解決した立てこもり事件の犯人と似ているのだ。


「おい、ディアム」


 リュシエールが睨むように見やる。


「お前は今『記憶がかなりなくなっていた』と言ったが、女王には記憶が何か残っていたのか?」

「うん」


 その目を真正面から見返し、邪気のない笑みを向けるディアム。


「ひとつは、グレイドルくんを連れ戻そうとしたこと。もうひとつは、ヴァイオラちゃんがそんなことをした原因は、変な人にそそのかされたかららしいってことだよ」

「変な人?」

「そ。ヴァイオラちゃん、ある組織の勧誘を受けてたんだ。ちなみにその組織の長はずいぶん男前だったらしい。要するに浮気だよ。ひどいよねぇ。だから追加でいじめちゃった~。ついついぼくも夢中になっちゃったせいで話をしにくるのが遅くなったんだけど、悪く思わないでおくれね?」

「やかましいっ! そして話をずらすな、話をっ!」


 ぴしぴしと何度も指差して非難する様が面白いらしく、ディアムが目を細めて笑う。


「はーい。ぼくが聞き出せたことをまとめると、ヴァイオラちゃんはどっかのよくわかんない組織に『一緒に地上を征服しませんか?』って誘われて、頷いちゃったみたい」


 リュシエールが息を止めた。興奮が一瞬にして消える。


「征服だとぉ?」


 声が低く、固い。


「その組織とやらは、ずいぶんとふざけたことを言ってくれているようだな」


 冷静ながらも激しい怒りがにじみ出ているリュシエールに対し、ディアムは平静そのものだ。


「その組織はずいぶんと不思議な力を持ってるらしくてね。ヴァイオラちゃんが受諾したのは、それに魅力を感じたからみたい。さらっと聞いただけでも、ぼくの知識にはないものばかりだったなぁ」


 そうしてひょいと肩をすくめ、


「もう察しがついてると思うけど、ぼくの可愛い可愛い奥さんを誘惑してくれた奴を見つけ出して、叩き潰したいんだ。いろいろ調べてはみたけど、なかなか尻尾を掴めなくてね。どうしたものかと考えてたとき、リュシエールさんのことを思い出したわけさ」


 にっこりと、口端から邪気をこぼして微笑む魔王。


「義理の娘なら協力してくれないかなぁ、ってね」


 ぎしり、と音が聞こえそうな勢いで引きつったリュシエールが、涙目でグレイを振り返る。


「グレイぃ。今、ものすごく……ものすっごく不愉快な言葉が聞こえた気がしたぁっ」


 胸にすがりついてくる彼女をなだめてやりながら、グレイは目だけで父を見やった。


「父様……」


 眼差しに非難を込めてみるが、父はどこ吹く風だ。


「リュシエールさんって、相変わらずからかい甲斐があるよねぇ。ふっふっふっ」

「父様っ」


 声を荒げてやっと、ディアムが動いた。肩をすくめ、立ち上がる。


「心配しなくても、きみの宝物を取り上げたりしないよ。……独占欲の強いとこは、ぼくに似たのかな。ふふっ」


 最後のは独り言だろう。父はひどく楽しげに、グレイとリュシエールとを順に見つめて微笑んだ。


「忙しいみたいだし、これ以上つついて約束を反故にされても困るから帰るよ。標的のことが何かわかったら、連絡をおくれ。じゃ、またね~」


 手を振るなり、ディアムは結界とともに一瞬にして消え去ったのだった。

 実父ながら、はた迷惑なほど享楽的でマイペースな人だ。でなければ、恋心ひとつだけのために世界を敵に回そうなどとは考えたりしなかっただろうが。

 グレイは気を取り直し、腕の中でまだ文句をたれている恋人に向き直った。その髪にキスをし、慰める。


「リュシエール、そろそろ落ち着いて。どこに連れ去られたかもわからないローディを早く捜してあげないといけないんですから。ね?」

「うぅぅ、わかっているよ」


 心底からの嘆息をしてリュシエールが、うずめていたグレイの胸から顔を上げた。その流れのまま体を離す。


「目撃者なしとは、痛いなぁ。どこから始めたものか……。あぁ、私に少しでも過去視の力があったら、目撃者捜しなどしなくともローディの行方を追えるのに……」


 ぼやく彼女の動きが急に止まったのは、唐突だった。不自然すぎる硬直に不安がよぎる。

 グレイは、彼女の顔をわずかに覗き込んだ。


「リュシエール? どうかしました?」

「…………、サニーだ」


 リュシエールがこちらを見上げてきたのはすぐだ。喜びと希望を宿した瞳が、宝石のように輝く。


「サニーだよっ。あの子なら、もしかしたら目撃証言を得られるかもしれないっ」


 疑問は数瞬。そののちに、快感を伴う理解が訪れた。

 目撃者の捜索をおこなったのはジオラルドである。ならば、間違いなくその対象は人語を話せる者に絞られる。野生の小動物や昆虫までは調査していないはずだ。仮に誘拐犯が何らかの方法で人払いしていたと仮定しても、動物たちまでわざわざ排除してるとは考えにくい。そしてサニーは獣人族だ。言語の壁を越えて会話ができる。彼ならば道の周囲にある花壇や街路樹を住処とする者たちの話を聞けるはずである。


「グレイ。私はヴィクスの家に行ってくる。お前はエイムズの執務室へ行って、新しい情報が入っていないか確認しておいてくれ」

「わかりました」


 体を寄せてきたリュシエールの肩を引く。ネクタイを引っ張られるのに合わせて身をかがめ、背伸びをする彼女と、真ん中で小さなキスを。


「気をつけて。何かあったら、すぐに呼んでくださいね」

「うん。お前も」


 そうして離れ、身を翻したリュシエールは、わずかな風を残して姿を消した。

 ――直後。

 背後の空間がねじれた。リュシエールが忘れ物でもしたのだろうかと振り返ったグレイが見たものは、中空を小窓の形に切り取って顔を覗かせた、銀髪の男性だ。


「父様っ?」

「だからそんなに警戒しないでってば。忙しいんでしょ? リュシエールさんと顔を合わせたらまた話が長くなりそうだから、タイミングをずらしただけだよ」


 動揺するグレイを気にもせず、ディアムは微笑む。


「ひとつ訊き忘れたことがあってね。グレイドルくん、うちのメイドがどこ行ったか知らない?」


 知るも知らないも、問い自体が唐突すぎて意味がわからない。


「父様、家に何十人のメイドがいると思ってるんですか。世話をしてくれてた人以外は、顔なんてほとんど覚えてませんよ。しかも家を出た俺に訊いてどうするんです?」

「あー、ごめんごめん。言葉が足りなかった。ヴァイオラちゃんの命令できみを迎えに行ったメイドだよ。彼女、まだ戻ってきてなくってね。ヴァイオラちゃんのお気に入りだから、できたら見つけてあげたいんだけど。知らない?」


 不愉快な思いをさせてくれた相手だ。顔はすぐに思い出せる。だが、父の言うメイドが本当に彼女なのか、どうしても確信が持てない。

 グレイはおそるおそる、記憶にあるメイドの特徴を口にしてみた。


「それって、水色の目をしていて、黒髪を肩のところで切り揃えた……?」


 途端、父の表情がぱっと明るくなる。


「そうそうっ。いつもにこにこ笑ってて綿毛みたいな雰囲気した、マゾの元下級天使――」

「誰ですか、それ」

「――…………」


 父の笑顔が引きつり、固まった。


「あれ?」


 首を傾げ、空間の小窓に頬杖をつく。


「おかしいな。確かに迎えに出たのはメアリのはずなんだけど。現に行方知れずだし。……グレイドルくん、本当に知らない?」

「知りませんよそんな母様好みの変態女。俺たちのところに来たのは、人形みたいに無表情で、とげとげしくて、石のようなメイドでしたよ」

「誰だい、それ」


 今度言葉を失ったのはグレイのほうだ。一度顔と名前を重ねたらほぼ確実に記憶できる人が知らないと告げた。それはすなわち、該当する人物が存在しないということになる。

 グレイとディアムは、揃って眉をひそめた。

 二人の記憶の差異が何かと繋がる糸になっていることは、もはや言葉にしなくとも明らかだった。

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