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27.来訪者

ルノエを部屋に戻すと、ヒュイが安心したように赤い目で笑って迎え入れてくれた。丁度ベッドのリネンを替えていたらしく、そのままルノエを清潔なベッドへと寝かせる。そしてルノエの額に口づけをひとつ落としてから、リドと執務室へ向かった。


ゾルエン侯爵の突然の訪問。……いい話ではないことは明白だ。






『ナジェリス。ゾルエン侯爵の訪問は、なにが目的だ?』

『恐らくルノエ様と赤の隊のことでございましょう。』

『…あれは終わったことだ。』

『陛下にとってはそうかもしれませぬが、民衆にとってはほんの五日前のことです。』

『………。』


五日前、ルノエは赤の隊にシリロを見つけて取り乱した。その話をゾルエン侯爵が聞きつけ、糾弾にくるのだろうということだ。


面倒にもほどがある。何事かにつけ、俺がこれでいいと言っているのにもかかわらず難癖をつけてくる者が必ずいる。いつもならナジェリスやリドに任せるのだが、ルノエのこととなればそうもいかない。



『五日前のことであっても、昔の話だ。』

『陛下、侯爵相手に突っぱねるような物言いはお控えください。ゾルエン侯爵令嬢、リィオル様は陛下のお后候補として今までにも一番に名があがる方。侯爵も今か今かとその時を待っておられたのが、突然ルノエ様の登場では面白いはずがございません。』

『だがリィオルにもその気はないはずだ。』

『ここではリィオル嬢の意志など関係ないに等しいはず。恐らくゾルエン侯爵は高位の貴族の総意として陛下に進言なさるおつもりでしょう。しっかり説き伏せねば後に響きますぞ。』



ゾルエン侯爵家は先々代の国王の妹姫の嫁ぎ先。つまり俺の祖父の妹が嫁いだのがゾルエン侯爵家だ。王家との縁が深い名家であるゾルエン侯爵家の令嬢リィオルは、俺と歳が近いということから長い間、后候補と噂されている。


だが俺はリィオルを后に、などと考えたことは一度もない。黒髪と白い肌のリィオルはそれなりに美しい娘だ。芯が強く物怖じしないその性格は、確かに后に適しているのかもしれない。俺の好みではないという点さえのぞけば、の話だが…。


ゾルエン侯爵はシリロのことを口実にルノエを婚約者の座から引きずり降ろし、リィオルを押し上げるつもりなのかもしれないがそんなことはさせない。俺の后はルノエただひとりだ。


会話に参加しないリドを見ると、必死にペンを走らせて手紙を書いている。まるで聞こえていないかのようだ。


『リド、なにをしている?』

『赤の隊のことがあって、こうなるんじゃないかと思ってたんだ。ひとつ手を打っておいたけれど、それが間に合うかどうか…。すぐにロゥの名前で早馬の手配をしてほしい。』

『…ああ、わかった。』


俺の名で早馬を出すということは、国レベルの機密事項が動く場合のみだ。リドはそれを使うという。


リドの手紙に俺が封蝋をしている間、リドは近衛に短い指示を出している。どこへ出すのかどんな内容なのか問う前に、問題のゾルエン侯爵が到着したと知らせが来た。






いつもなら執務室の応接間で迎えるのを、リドは時間をかせぐために別の部屋を支度する指示を出す。いつもならば、侯爵を待たせることに異議を唱えるであろうナジェリスは、なにも言わない。だがやはり改めて問うような余裕もなく、用意された部屋に向かう。



そろそろ陽が落ちる頃。晴れていたならば夕陽色に染まる回廊も、今は雪のせいで重い鉛色のまま闇に染まる。こんな茶番を早く終わらせてルノエの元へ走りたいが、そうもいかない。リドの言う通りルノエを后に迎えるにあたって、ここが貴族たちを黙らせる正念場だ。








『侯爵、息災でなによりだ。婚約披露では世話になった。』

『陛下におかれましてはこの度のご婚約、まことにおめでたきお話でございます。我らの長年の憂いを払拭できましたこと、心よりお喜び申し上げます。』

『ああ。そういえば領地の豊穣祭でケガ人がでたと聞いたが?』

『これは…陛下。よく御存知であられますな。少々血の気の多い者が数名、騒ぎを起こしたようですが他愛もないものでございます。』

『そうか。今年も見事な豊穣祭であったことだろう。』

『一年の内でも大きな行事ですゆえ、民も私もつい力が入ってしまいます。ぜひ来年はメリル嬢にもお越しいただきたいものです。』


メリル嬢…。多少引っ掛かる言い方だが、まだ后ではないルノエを指すには仕方のないことか。




ゾルエン侯爵は五十代に入ったあたり。俺と同じ黒髪にちらほらと白い物が目立ち始めている。端正な顔立ちと気品ある物腰で、誰に対しても常に当たり障りない対応をする人物だ。俺に対しても悪い印象ではないにしろ、いまひとつ煮え切らない感じがある。きっとリィオルのことが足枷になっているのだろう。



『本日は陛下に事の詳細をお聞きしたく参じました。』

『……ルノエのことか。』

『はい。先日、赤の隊の中に婚約者がいらっしゃると話されたそうですが?』

『婚約者ではない。相手は既婚の身だ。』

『では、不貞でしょうか?』

『侯爵、口を慎め。』

『失礼を申し上げました。』

『…四年前、確かにルノエはある男と知り合っていた。だが大参事のあった嵐で相手の男は四年間、行方不明。しかも記憶をなくし、その後知り合った女と婚姻した。その男が赤の隊に偶然いただけのこと。もう終わったことだ。』

『…そうでございましたか。が、未来のお后様になろうというお方が過去に親密な男性関係があったなどと…。』

『なにが言いたい?』

『それも大勢の民の前で、かなり大きな声で宣言されたと聞きましたが?』

『ルノエはあのとき混乱していた。』

『民はどう思ったでしょうか。メリル嬢の過去をあの場にいた民が想像し、それを吹聴する。…よろしいのでしょうか?』

『だが現実は違う。ルノエは乙女であった。』

『陛下!』


ナジェリスが隣で慌てるが、構うものか。リドは笑いに顔を歪めている。ゾルエン侯爵はよほど驚いたようで、固まっている。


『侯爵、確かにあれはルノエの印象を良くはしないだろう。だが俺はそれでいいと思っている。民との絆はこれから築いていく。……いや、本当に民の印象は悪いのか?俺はあの後ルノエを抱きしめて何度か口づけけて、さらに大切に抱き上げて馬車に乗ったが……』

『陛下!』


またナジェリスの悲鳴が聞こえる。うるさい、構ってられるか。


『その時の周囲の雰囲気を見たかぎり、問題ないと思っていたのだが…。』


リドをチラと見ると、よくやったと俺を褒め称えるような視線を投げてきた。


『私の調べましたところ、悪い噂は立っていないようです。概ね、やはり麗しの姫は陛下のご寵愛が凄まじい、という話に落ち着いております。』

『……それは壮絶な話だな。ま、本当のことだが。』

『ですが、陛下。国外にまでもこの話が流れておりますが?国外の者は好印象を持つ者ばかりではございますまい。噂はいつどこで誰が、どう捻じ曲げるか…。そう思われませんか、陛下?』


国外……。この国の民ならばおよそ好意的に受け取る話であっても、国外は違う。どんな些細な話でも尾ひれをつけて、あらゆる方向からこの国を攻め入る口実にしかねない。もし真実が捻じ曲げられているのならば、すぐに対処しなければ…


『おお!リドリス、お着きになられたようだ。』


突然のナジェリスの声に驚いていると、扉が開いて入って来たのは……煌びやかな人間だった。








「やあロゥ!久しぶりだ!元気だったかい?シルキィ公爵、ご招待いただき本当にありがとうございます。雪を見るのは久しぶりで、心の底から楽しみにしておりました。リド、色々ありがとう。本当に楽しい旅だったよ。」

「………なんでここにいるんだ、ハリィ?」

「ん?シルキィ公爵に招待されてね。さっき着いたばかりなんだけどさ、雪が見れるなんてね。やっぱり僕は運がいいよ。」

『………手を打った早馬は、これか、リド?』

「すごい勢いの強行の旅も面白かったけど、ホテルに着く前に早馬が僕たちを見つけて、すぐに王宮に来いって。ロゥ、そんなに僕に会いたかったのか?」

『違う。』


リドが打った手とは、隣国のハリク第一王子。確かにルノエの最大の力となりえるが、この短期間で、こいつを呼んだのか?五日前だぞ?…リドの手段はいつも俺の想像を絶する。


言葉を失った俺に代わってナジェリスがハリィにゾルエン侯爵を紹介し、リドが話を進めはじめる。ゾルエン侯爵もあまりの大物の登場に唖然としている。



「ハリク殿下、ただ今ルノエ・メリル嬢のことで、ある誤解を含んだ噂が流れつつあるようです。」

「ああ、聞いているよ。嵐で失った恋の話だろう?なかなかロマンチックだよね。」

「ハリィ、そんな言葉で片付けるな!」

「いいじゃないか。なかなか美しい話だと思うけど、だめなのかい?」


本当に今この国に着いたばかりなのか?そう思えるほどハリィは疲れを見せず、それどころか機嫌よく話すその姿には薄気味悪ささえ感じる。相変わらず長い前髪を気怠そうにかきあげ、ブルーの瞳が不気味に光っている。この不気味な瞳を俺は昔からよく知っている。獲物を値踏みする瞳だ。


だがゾルエン侯爵はまだそれに気づいていない。ハリィに向かって得意気に話はじめる。




「ハリク殿下。失礼ですが、悠長なことを言っている場合ではございません。国内だけならまだしも、もうこの噂は国外に流出しております。メリル嬢の印象はよくないものになっており、止めることはもうできない状態でございます。」

「……国外に流出?だから?ゾルエン侯爵は、ルノエ・メリル伯爵令嬢はロゥアン陛下の婚約者にふさわしくないと仰りたいのかな?我が国から国賓としてこちらに招いていただいているメリル嬢は、ふしだらな女だと仰りたいのかな?」


途端にハリィの様子が激変した。標的を定めた獰猛な獣を思わせるその様子に、ゾルエン侯爵の顔色は急に青くなり大量の汗をかきはじめる。



「ルノエ・メリル嬢の昔の恋に関しては、こちらではロゥアン陛下が我が国をご訪問される前に確認済だ。もちろんお相手のこともね。でももう四年も前の話だよ?今更それを蒸し返すなど、美しくはないよね。それに僕はルノエ嬢の穏やかで誠実な人柄を推したんだ。多少の噂が流れるのは仕方のないことだが、その噂で彼女をどうこうしようということは、ロゥアン陛下だけでなく、彼女の後押しをする僕の不興も買うことになるだろうね。」

「そういうつもりでは毛頭ございませんが……。」

「そう、それならいいよ。ゾルエン侯爵とお近づきになれて、僕は嬉しいよ。」


ハリィがそう言ってにこりと笑う様子はまるで……悪魔だ。やさしい仮面の悪魔はさらに爆弾を落とす。


「でね侯爵、ひとつお願いがあるのだけれど?ゾルエン侯爵令嬢、リィオル嬢を僕の后にいただきたい。」









「あーはははっはっはっー!!おもしろかったねー!最高の気分だよ!こんな面白いことがあるなんて、ほんっとうに、最高だ!!」


ゾルエン侯爵が帰った後、ハリィは笑い転げてやがる。俺はどっと疲れが出てきた気がする…。


だが、


「助かった、ハリィ。本当に助かった。」

「ロゥが礼を言うなんて気味悪いけど、大きな貸しだね。これでいいんだろう、リド?」

「はい。本当にありがとうございました。お陰さまでうまくまとまりました。」

「おい待て。どういうことだ?」

「あれ、まだわからない?全部リドのシナリオだよ。僕はそれを演じただけさ。」

「……………そう、なのか?」

「僕はルノエ嬢の恋を事前に把握なんてしていないよ。もちろんお相手のことも把握なんてしてない。」

「……………そう、か。」

「それにルノエ嬢が穏やかで誠実な人柄なのは会って初めてわかったことだし、あのときの通訳として彼女を推したのは、僕じゃないよ。僕じゃないけど、シナリオにそう書いてあったからね。」

「……………そう、か。」

「ハリク殿下、お礼を申し上げますぞ。殿下のおかげで被害は最小限、いえ。皆無で食い止めることができました。」

「シルキィ公爵、お礼を言うのはこちらのほうです。こんな楽しい計画に携わらせていただきました。それにこの計画のおかげで、僕もようやく幸せになれそうだ。」

「殿下、そちらの手配も滞りなく済んでおります。」

「リド、本当に礼を言うよ。すぐ拗ねて、なかなか素直になってくれない人だからね。困っていたんだ。」

「陛下、ルノエ様を見舞われるほうがよろしいのではございませんか?」

「あ、ああ。ハリィ、すまない。ルノエが体調を崩していて…。」

「そうなのか。うん、早く行っておあげよ。そういう時は心細いからね。」

「すまない。明日、話そう。」



この悪魔たちの密談になど、かかわりたくもない。俺の知らないところで、どんな計画がどれだけ進んでいるのか…。考えただけでも背筋が寒い。




俺は思考を切り替えるように、夕刻の回廊を足早でルノへの元へと向かう。



……もう目覚めただろうか。あのアイスブルーに早く逢いたい。








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