25.彷徨
明け方、ルノエが熱を出した。
微熱程度だからあまり大事にはならないだろうと高をくくっていたのだが…。
『ヒュイ、ルノエはどうだ?』
『まだお薬が効かないようです。』
『下がらないか。』
『はい。お風邪を召されてたこともありますし……。』
『ああ、昨日はかなり取り乱していたこともあるが……。』
『……………。』
『……………。』
ああ、気まずい……。ヒュイとの間に微妙な空気が流れる。
ヒュイはルノエの体調があまり良くなかったことと、精神的なショックを受けているところに俺が付け入ったと思っているのだろう。
……事実だが。
だがヒュイが明らかな批難の態度を示していないところを見ると、昨日の件で俺がルノエを離さなかったことを少しは理解してくれているのだろう。
……それでも冷えきった視線が矢のように俺を突き刺すが。
昨夜、俺はルノエを抱いた。
自室に閉じ込め、誰にも会わさず近衛さえも遠ざけて俺のものにした。
二人きりで過ごした時間の甘さと、今にも折れてしまいそうなルノエの様子に、手離すことができなかったなどと言い逃れはしない。いつになく素直に寄り添うルノエは危うく頼りなく、そして愛らしかった。だが表情が硬く、心ここにあらずといった様子には胸が痛む。
そのルノエを俺は抱いた。俺の欲望がルノエの心を無視して暴走しているのではないかと危惧したが、あれほどに乱れ、俺の名を呼びながら必死に受け入れようとするルノエの様子は、決して俺の独りよがりではないと確信できた。
だが快楽に怯えるルノエに違和感を感じて尋ねると、驚いたことに初めてだと言った。俺はてっきりすでにあの男と……と、誤解をしていたのだが。
歓喜にはやる心を抑えつけ、あの小さくしなやかな体をこの腕の中に閉じ込める。流れるブラウンの髪のやさしい香りを堪能し、細い首筋に唇を寄せるとルノエの体が小さく震えた。滑らかな肌。心地よい体温。だがその体はまだ硬く、ぎこちない。
そっと形の美しい胸に触れ、細い腰を撫で上げると息を詰めて耐える。固く瞳を閉じて眉間にシワを寄せるかわいい様子に煽られそうになるが、時間をかけてじっくり愛してやると熱い吐息とともに抑えきれなくなった甘い声が漏れた。
その声は俺を刺激し、早くその先へ進めと強請るかのようで………
俺の妄想を読み取ったのか、ヒュイがさっきより一層冷ややかな視線を俺に投げてくる。軽く咳払いをしてからルノエの顔を見たいと言うと、あっさり却下された。
『………なぜだ?』
『ようやく今、お休みになられたところです。』
『ああそうか…。また来る。』
無茶をさせたのは俺だから強気に出ることができず、大人しく引き下がるしかない。
だが夕刻のころにまた行くと……
『だめです。』
『今度はなんだ?』
『ルノエ様のご希望です。』
『……どういうことだ?』
『陛下に感染されることを心配していらっしゃいます。』
『そんな軟ではない。大丈夫だ。』
『ですが陛下はこの国でただおひとりの方。万が一のことがあっては…と。』
『俺のことをなど気にせずともよい。少し顔を見るだけだ。』
『風邪でルノエ様ご自身がお辛いからこそ、ではありませんか?』
『どういうことだ?』
苛立ちが言葉に出るが、ヒュイはそのくらいのことで動揺などしない。
『好きな方に、ご自分の見苦しい様子をお見せしたくないと思っていらっしゃるのではないでしょうか?』
『………ルノエの希望なのだな?』
『はい。』
『わかった。あとで見舞いの品を届けさせる。』
『はい。』
『明日、また来る。』
『ルノエの希望』そう言われてしまっては、なにもできない。苦しむルノエの傍に行くこともできないのか、俺は。
普段ならヒュイの制止を振り切ってでも寝室に入っただろう。だが昨日、ルノエを抱いたりしなければこんなことにならなかったのかもしれない、という思いが俺を躊躇わせているのは事実だ。
執務室に戻る途中で空を見上げる。夕陽が美しく空を染め上げ、雲も同じ色に染めている。今ここにルノエがいてくれたなら……。昨夜は俺の腕のなかにいたのに、今日は顔を見ることさえもできない。
……虚しく、寂しい。
だが今も体調が辛いルノエのために何を贈ろうかと、思案しながら執務室に戻った。
翌日もルノエに会えない。
眠っているとか、医師の診察の時間だとか、俺に風邪が感染してしまうとか、適当な理由で俺を追い返す。
これだけ追い返されるとヒュイの嫌がらせだろうかと思うが、医師からの報告を聞くとあながち嘘ではないようだった。
微熱が下がらないと医師は言う。
『微熱が上がりもせず下がりも致しませぬ。ずっと同じ状態のようです。熱がルノエ様の体力を削ぎ続けております。滋養のよい食事をお勧めいたしておりますが、今は果物がやっとのご様子。もう少し、お時間がかかると思われます。陛下のお気持はお察しいたしますが、ルノエ様のお部屋で大きなお声を出されますな。今はまだそっとして差し上げるのが、一番の薬ですぞ。』
こう言われては、ヒュイに詰め寄ることもできない。俺は見舞いの品を持参して、ヒュイに様子を聞くことしかできない。
もう三日もルノエの顔を見ていない………。
『はぁぁ………。』
『父上、そこに図体のでかい腑抜けがおります。』
『ルノエ様のお力の偉大さを感じるものだな、リド。』
『まったくです。』
執務室ではリドとナジェリスがなにかと喚くが、俺の知ったことではない。俺はただルノエに会いたい。ルノエの顔が見たい。声が聞きたい。抱きしめたい。それだけなんだ。
腑抜けの俺にリドがなにやら報告に来た。
『陛下、先日の赤の隊の件ですが、やはりギアンという男はシリロに間違いないようです。…ロゥ、聞えてるか?。』
『ああ……。やはり、そうか。』
『はい。ヒュイアはあの男に激高していましたから、ウルファンがうまく誘導したようです。自分はギアンと名乗っているが、シリロだったかもしれないと泣きながら言い出したとか。ルノエ様に謝罪をしていた、ともあります。』
『………ああ。だがあの男はもう二度とこの国へは入れるな。』
『赤の隊はどうされますか?』
『赤の隊まで来なくなったら、ルノエが気にするだろう。あの男だけでいい。』
『ではそのように。』
これでシリロはこの国に永久的に入ることはできない。二度とルノエの前に現れることはないだろう。
『それよりもリド、俺はルノエに会いたいのだが……。』
『微熱が続いていらっしゃると伺っております。』
『ああ。ヒュイがまったく会わせてくれない。ルノエの希望だと言うのだ。……リド、俺はどうしたらいいんだ?』
『どうもこうも…。恐らく今までのお疲れも一緒に出ていらっしゃるのだろう。夏から目まぐるしく変化した環境の中で、ルノエ様は必死に順応していらっしゃったはずだ。帰りたいとも、文句ひとつさえ言うことなく、ご自分の心の内よりも周りの者と馴染むことを優先された。きっとシリロのことが引き金となって、今までのご無理が一気に出てしまわれたと思うが?』
言葉が出なかった。リドのほうが余程ルノエのことを理解している。俺がこの国に攫って来て、ルノエは今まで必死に頑張ってきた。俺はそのことをすっかり失念していた。早くルノエを后にしたくて、彼女の心の中など考えたこともなかった。
『ロゥ、焦ることはない。ロゥが焦ればその気持ちがヒュイアを苛立たせる。そしてそれがルノエ様にも微妙に伝わる。これは夏からの疲れを取るいい機会だし、回復されればルノエ様はこの国に馴染んでくださるだろう。もうすぐこの国の冬が来る。恐らくルノエ様には想像を絶する冬になるはず。だからこそ、今はゆっくりご静養されるほうがいい。』
俺は今までルノエのなにを見ていたのだろう………。
『ルノエ様、ご気分はいかがです?』
『あの…陛下は?』
『お帰りになられました。』
『……怒ってらっしゃいましたか?』
『いいえ、とてもご心配されていました。』
『……ごめんなさい。』
『ご安心ください、大丈夫です。お熱は……微熱のままのようですね。お辛いですか?』
『それほどでは…。』
『ではお茶はいかがですか?』
『はい、いただきます。』
私は熱を理由に、陛下にお会いすることを拒否した。なぜ?と聞かれても自分でもよくわからない。でも今は会えない。
あの夜、陛下とご一緒したことを後悔しているわけではない。むしろ「終わったことだ」と陛下が仰ってくださった優しさに感謝している。だけどこのままでいいとは思わない。
……本当ならばあのまま見放されても、あの場で婚約を解消されて国外へ放り出されても仕方のないことをしたと思っていたのに。なのに陛下は私を一夜だけであったとしても、妻にしてくださった。こんな私をとても大切に扱ってくださった。
そして今日も私を気遣い、お見舞いまで。
でもこのままでいいわけがない………。
そっと左手の婚約指輪を抜いて、ベッドサイドの父と母の写真立ての前に置く。ランプの明かりにきらめいくブルーダイヤ。
「…お父さん、お母さん、ルイ。」
港の街へ帰りたい。あの街が恋しい…。
なにが良くて、なにが悪かったのだろう。もうなにも考えたくない……。




