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24.夢の中

シリロは生きていた。シリロは赤の隊にいた。



港の頃の記憶はないと言ってギアンと名乗って、雰囲気が少し変わっていて、私のことを知らないと言った。そして奥さんと子供がいると言った。


あの人はシリロ。私が待っていた人。でももう、私の知っている人ではない……。



涙があとからあとから零れてきて、陛下の前なのに馬車の中でも止まらない。シリロに会うまではあんなに楽しくて幸せだったのに……。私はあのドレスを着る資格があるの?陛下の傍にいる資格はあるの?あんなにたくさんの人の前で、あんなことをしてしまって……。







王宮に着いたあと陛下に連れて行かれた先は、ベージュとアンバーを上品に使った落ち着いた部屋。装飾のほとんどないシンプルな部屋の、大きな革張りのソファに座らされる。


『ルノエ、今日は俺の部屋で過ごせ。』

『……ここは陛下のお部屋ですか?』

『ルノエ?』

『あ。ロゥのお部屋ですか?』

『そうだ。今日はここから出られないと思っておけ。』

『え?』

『ああ、言い換えたほうがいいか?明日の朝までは出られない。いいな、ルノエ?』

『……はい。』


陛下は私の額に口づけをひとつ落として、着替えをされに隣の部屋へ入られた。



今はなにも考えられない……。






陛下は気を遣ってくださっているのか、少し離れたデスクで執務をされているようだった。ソファでひとりお茶を持て余しながら、窓の外を見ている。


良く晴れた空。高い雲と黄色く色付いた木々、遠く見える切立った山。木が枝を揺らしているのが見える。なにをする気にもなれず、窓の外を見たりカップに注がれたお茶を見たりしていても、頭に浮かぶのはシリロのことばかり。


記憶がないというのは本当?でもあのとき私を見て驚いていたし、ルノエと唇が動いた。ではなぜ記憶がないと嘘をつくの?私より結婚した人のほうが好きだから?じゃ、あの約束はなんだったの?あの幸せは偽物だったの?あの言葉も?あの笑顔もすべて偽り?あなたをずっと信じていた私はいったいなんだったの?それとも、私がシリロを探しに行かなかったから?私が毎日シリロの無事を教会へ祈りに行かなかったから?私がシリロを好きになってしまったから?私の気持ちがシリロには負担だったから?私のことが嫌いになったから?


だからシリロは私の前からいなくなったの?




涙が手の甲に落ちて、初めて自分が泣いていたことに気づく。それを私は何度も繰り返していた。心が砂になってしまってなにもなくなって、今自分が悲しいのか苦しいのか、それさえもわからなくなっている。


もうこれ以上なにも考えたくなくて、私は目を閉じた。









「ん……。」


いつの間にかソファで眠っていたみたい。ブランケットが掛けられていて、靴を脱がされて眼鏡も取られ、髪も解かれている。起き上がってみても部屋には誰もいない。窓の外は夕陽が落ちて刻々と部屋の中が薄暗くなっている。


子供のころ、お昼寝からこんな時間帯に目が覚めて周りに誰もいないと、寂しくて泣いていた。ひとりだけ置いて行かれてしまったような気持ちになって泣いていた。


あのころを思い出してしまい、慌てて裸足のまま部屋を出てみても隣の応接室には誰もいない。泣きそうな気分でさらにリビング、エントランス、そして廊下。それでも誰もいない。


静かすぎて薄暗くて心細くて、廊下をどっちへ行こうか迷っていると、見慣れた黒髪とグレーの瞳の背の高い方が階段を上がって来られた。ほんのわずかな距離を走り寄って飛びつく。


『ルノエ、起きていたのか。どうした?』


低く穏やかな声が私の名前を呼ぶ。顔を伏せたままの私の髪を長い指が梳いてくださる。それだけで、さっきまでの心細さが消え、代わりに拗ねて甘えたい気持ちになってしまう。


『ロゥがいらっしゃらないから……。』

『寂しかったか?』

『はい。』

『ああ、すまなかった。もう二度と、ひとりにはしない。』

『…本当?』

『ああ、本当だ。』

『絶対?』

『ああ、絶対に、だ。』


子供のような約束をしながら抱きついたままで見上げると、やさしいグレーの瞳が私を覗き込む。艶のある黒髪はさきほどより無造作で、でもその表情は穏やかで満ち足りていらっしゃる。そしてそのまま抱き上げられてまた陛下の部屋へ戻った。




夕暮れが終わり、灯されたいくつかのランプが静かな室内を照らす。


昼食も夕食も食べない私を心配して、陛下がナイフでクレメンティンを剥いてくださる。港の街で食べ慣れたクレメンティンの爽やかな香りが、徐々に室内に広がっていく。陛下は瑞々しい果実をまるで親鳥が雛に餌を与えるように、なんども私の口に運んでくださった。


クレメンティンを丸ごとひとつ食べ終えると、次に連れて行かれたのは床も壁もバスタブも小物もすべてが白一色のバスルーム。その隅に置かれたカゴの中には、私が眠るときに使っている部屋着が用意されてる。


さわやかな香りのきめ細かい泡で体を洗ってシャワーに打たれていると、またシリロのことがよみがえってきて、泣く。悲しくて苦しくて惨めで情けなくて、悔しい。


ああ、そうだ。私は悔しかったんだ。探しに行かなかった私にも非はあるけれど、私は悔しかったんだ。シリロを想って泣き暮らしていた時、彼は恋をして結婚をして子供を授かっていた。私が悲しみの底にいる時、彼は幸せを掴んでいた。私が泣いている時に、彼は笑っていたんだ。


それが惨めで、悔しくて、悲しい。でも記憶がないということが本当ならば、誰も責めることはできない。だからよけいに惨めになる……。後から後から涙が溢れて、シャワーと一緒に流れて行った。まるで港の街のレガッタの祝勝会で陛下をお見かけした夜と同じだと思った。




バスルームから出ると、暖炉に火が入っていた。陛下もどこかでお湯を使われたようで、部屋着姿で暖炉の前のソファに座ってなにかの本をご覧になっていらっしゃる。


静かな室内で聞えるのは薪が爆ぜる音だけ。陛下の隣に座って髪を拭いているうちに、自分の心の内を誰かに聞いてもらいたくなって、ひとりで抱えているのはもう苦しくて限界で…。


『ロゥ、私……』

『ルノエ、余計なことを考えるな。』


本から目を離されることなく、私の言おうとしていることを先回りして仰る。


『でもあんなことをたくさんの人の前で……。』

『ルノエ、過去のことだ。』


そう仰ると同時に、グレーの瞳が私をまっすぐに見据える。


『過去。』

『ああそうだ。四年前の過去のことに今日決着がついた。今日で終わった。それだけだ。』

『…終わった。』

『ああ、だからなにも考えるな。もう終わったことだ。』

『…………。』


そうかもしれない。四年間、抱えていた想いに今日終わりが来たんだ。でもだからと言って「はい、そうですか」と割り切れる気持ちにはなれない。


『私、シリロのことが好きでした。』

『…ああ。』

『シリロの笑顔が好きでした。いつも誰にでもやさしくて、どんなことも笑って受け入れてくれる彼が好きでした。お人好し過ぎてシリロのことを悪く言う人もいたけれど、でも私は彼の穏やかな人柄が好きでした。心の広い彼が好きでした。…なのに私は、彼を探しに行かなかった。泣いて落ち込んで、彼を待つと口では言いながら諦めていた。しかもその間にシリロが幸せになっていたことが、悲しくて悔しいと思ってしまう。彼が生きていてよかったと思う反面、四年もの間ずっと待っていた私は何だったのかと思うと苦しくて…。でもきっと、こんな醜い私だからこそ忘れられてしまったのかもって……。』


こんなことを陛下に話していいわけがない。陛下がお気を悪くされると頭ではわかっているのに、止まらない。誰かに聞いてもらいたくて、誰かに受け止めてほしくて、誰かに慰めてほしくて、叱咤してほしくて……。


しばらくの間が空いたあと、聞こえてきたのは静かな声だった。


『……そう離れた距離ではないだろう。記憶がなくとも、本気で己の身元を探そうと思えば探せると思うが?だがあの男は辿り着いた島に居ついて、すぐに所帯を持った。探しに行かなかったお前が悪いはずがない。父と母まで行方不明になって落ち込んだお前が、あの男を探しに行くことをルイが了承すると思うか?恐らくしないだろう。それにルノエが持つ感情は人として当然のものだ。…逆にルノエにそういう心があるとわかって、俺は安心するがな。だがルノエ、これだけは勘違いするな。お前は四年の間、あの男を待っていたのではない。俺が迎えに行くのを待っていたんだ。四年も待ったのに、俺が帰ろうと馬車に乗り込んだから泣いたのだろう?そうだろう、ルノエ?』

『…………。』


陛下のグレーの瞳が暖炉の炎を受けて不思議な色に輝いている。その輝きから目をは逸らすことを許してくださらない。その瞳に囚われたまま、私は動くことができずにいる。


『もっと早くにあの街へ行けばよかった。もっと早くにルノエを迎えに行けばよかった。俺がグズグズしていたばかりに、四年も待たせて辛い思いをさせた。…ルノエ、すまない。俺のせいだ。すべて俺のせいだ。』




私は考えることを放棄して、目の前の温もりに手を伸ばした。







抱き上げられて連れて行かれたのは、以前も連れて来られたことのある寝室。大きなベッドの上に降ろされたけれど、私は陛下と少しでも離れてしまうのが嫌でしがみついていた。砂になった心を早く取り戻したくて……。


大きな熱い手が少しずつ私のすべてを解いていく。薄いカーディガン、部屋着のボタン、薄い下着。そして唇。隠そうとしていた腕も解かれ、胸も足も腰も解かれてしまう。そしてその場所から耐えがたく、狂おしいほどの熱が生まれる。


熱い……。熱くて苦しい。


呼吸もままならなくて、声にならない悲鳴だけがあがる。熱い大きな手が私の外側も内側もなぞり、強い力が私を囲い、拘束し、強引に開こうとする。今まで誰にも見せたことのない醜態を、広いベッドの上でグレーの瞳に晒していることが余計に私を熱くさせる。


『ぁ、ロ……っ。もぅっ……っぁ……』

『ルノエ、だめだ。次はないと言っただろう?』


瞳を固く閉じて私を支配する熱と低い声にどうにか従うけれど、羞恥に耐えきれない。逃れようとすると容赦なく私の奥深くへ入り込んで、内側から私を攻め立てる。何度も何度も……。


そして息もできないほどの甘く熱い嵐の中で、さっきまで砂だった心の中に大量の熱を注ぎ込まれた。受け止めきれないほどの熱量を………。





熱く大きな手に守られながらすべてを解かれて、私は心を取り戻せたと思った。










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