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19.贈り物

ひと月前にルイ兄さんは、春の婚儀にみんなで来てくれることを約束して港の街へ帰って行った。


この国でロゥアン陛下のお傍にいると決めた私は、一時的な帰国さえもできない。これからこの国はすぐに冬が来て雪が降り始めると、あっという間に道を行くことが困難になってしまうとか。雪を見たことのない私には楽しみだけれど、道を進むことが困難なほどの雪って想像がつかない…。


それに春までに決めなくてはいけないこと、覚えなくてはいけないことがたくさんあるみたい。とりあえず最初に、と勧められたことが、貴族の方のお名前や爵位や領地や功績を覚えること。


リドリスさんに用意していただいたリストを順番に覚えていく。さらにヒュイアさんがその方にまつわるエピソードを教えてくださるので、それも書き込んで一緒に覚える。


なんだか歴史の暗記みたい…。リストは教科書。貴族の方は歴史上の人物。


お名前が優雅な響きの方や、硬い響きの方。なかなか覚えられない複雑な響きの方。そのお名前の響きから自分で勝手にイメージをして人物像を作り上げて、勝手にあだ名をつけてみた。大変失礼だと思いながらもこれが面白くてやめられない。


例えばゾルエン侯爵様は「象の園長侯爵様」。そしてジオラリゥム伯爵様は、「ビオラのボリュームがうるさい伯爵様」。ケニエェル男爵様は「カニ帰る男爵様」。



爽やかな風が吹く午後、お気に入りの場所である厨房の外に置かれた木陰のベンチで、人には言えない歴史の暗記を楽しくしていると聞きなれた低い声が聞える。艶のある黒髪と優しいグレーの瞳。背の高いロゥアン陛下が小脇に木箱を抱えていらした。


『ルノエ、またここにいたのか。』

『陛下。』


この場所は厨房の開け放たれた窓から適度に人の話し声や物音がして、私を安心させてくれる。滞在させて頂いている部屋の周囲はあまりにも静かで、港街で育った私には寂しさを感じるから。それにお茶をお願いしやすいし、お菓子もあるし、話し相手にも事欠かない。その上私がここにいる間、ヒュイアさんは外の用を片づけたりウルファンさんや息子さんに会いに行ったりもできる。


『違う。』

『…ロゥ?』

『そうだ。なにをしている?』

『あ、えっと、お名前を覚えていました。』

『見せてみろ。なぜ隠す?』

『あっ!』

『………フ、フフなるほど。これは隠すべき物だな…。』

『ロゥ!もう見ないでください!』


陛下が高く掲げられたリストを必死に取り返そうと手を伸ばすけれど、まったく届かない!


『ガシュル公はカシューナッツか。カシュしかあってないが…フフ。』

『ロゥ!返してください!』

『ああ、わかったから叫ぶな。しかしこれは……。』


必死になって伸ばしていた手首に、突然やわらかな熱を感じて……


『きゃーーー!!!』


すると厨房にいた料理長や料理人さんや侍女さんが一斉に出てきて、手にはそれぞれナイフや鍋や麺棒が…。でも庭にいたのは陛下と私だけ。何が起こったのか、みんな一瞬で理解したようで気まずい沈黙が下りる。ただ手首に口づけされただけ、とは私も言いにくい。


『……あの、陛下?今なにか……?』

『ああ、いや、なんでもない。気にせず持ち場へ戻れ。』

『…はぁ。』


中には陛下に明らかな非難の視線をむける人もチラホラ…。全員が厨房へ入ったのを見届けて、ようやくリストを私に返してくださりながらポツンと呟かれる。


『まったく、どこへ行っても敵だらけだな。…だがそれだけルノエはみなに愛されているということだ。が、一番は俺だ。いいな、ルノエ?』

『え…。』

『フフ…そんな顏をして、今度は額にしてほしいのか?』

『!!ちちちちがいますっ!』

『わかったから叫ぶな。またみなが出てくるぞ。ほら、ここに座れ。……それにしてもこれは、国家レベルの極秘リストだな。外へ洩れたら大事だぞ……フ、カニ帰る…フフ』

『もう、ご覧にならなくても結構です。』

『ああ、悪かった。ルノエ、悪かった。機嫌を直せ。』


そう言って隣に座った私を覗き込むグレーの瞳はまだ笑っている。光を受けて不思議な色にきらめくグレーの瞳。楽しそうな嬉しそうな様子を見ていると、怒る気も失せてしまう。そんなことを考えていると『今度は叫ぶなよ。』と言われ、本当に額に口づけをされてしまった。


『ルノエ、顔が赤いぞ。熱でも出たか?さきほど届いた物だ。』


また笑いながら、持参された木箱を私の前に置いて蓋を開けてくださる。中に入っていたものは……



「イリサ!」


木箱の一番上にやさしい義姉イリサからの手紙があった。


そして私が港の街の家で、気に入って使っていたストールや赤いブランケットや手袋。父と母の写真立て。母の形見の小さなブローチ。他にも好きだった本や、お気に入りのカップ、玄関に飾っていたリスの置物、髪留め、室内履き。私の身の回りにあった、ありとあらゆる物が入っていた。


攫われるようにこの国へ来たから、自宅で使っていた物をなにひとつ持って来れなかった私にとって、とても嬉しい贈り物。


今もあの小さな家のブランコは揺れているんだろうな。私の部屋から見える海もそのままのはず。波の音も海鳥の鳴き声も、汽笛も…。私がいなくてもみんなあそこに、あのままあるんだろうな……。


少し切ない気持ちになっている隣で、箱を覗き込む陛下が見つけてくださったのはカラとリラの手紙と絵。

一生懸命書いてくれた手紙は「おめでとう」と解読できた。絵は私の婚儀の絵だろう。ドレスを着た赤い眼鏡の女の子が、白いタイツを履いて王冠をかぶった男の子と手を繋いでいた。そしてその周りはハートだらけ…。


『これは俺か………。』


陛下が呆然とその絵に見入っておられて、思わず笑ってしまう。



イリサからの手紙には、ロゥアン陛下との結婚を決めたことのお祝いの言葉。春の婚儀を楽しみにしていること。そしてカラとリラやみんなの近況。今回箱に詰めた物はルイと一緒に考えて、新しい物よりも使い慣れた物を送るほうがいいと思ったと書かれていた。


そして最後に…


「陛下とのご結婚は本当に喜ばしいことだけれど、私はそれ以上に寂しくて仕方がないの。ルノエがこんな遠くへお嫁に行ってしまうなんて……」


と、綴られていた。ひとりっこのイリサは私を本当の妹のように、親友のように接してくれた人。四年前も随分と心配をかけた。ルイとは正反対の穏やかで控え目な性格のイリサ。彼女のやさしさがたくさん詰まった贈り物は私の心を温かさでいっぱいにしてくれた。


陛下と一緒に部屋へ持ち帰って改めて荷物を広げると、ヒュイアさんも陛下と一緒に興味深々の様子。


『お気持ちのこもった、素敵な贈り物ですね。』

『はい、本当に。ヒュイアさん、このブランケットを使ってもいいですか?』

『もちろんです。』


父と母の写真立ては本と共にベッドサイドに置いた。母の形見の小さなブローチは、お気に入りのストールにつける。リスの置物はリビングに。赤いブランケットは窓辺の私のソファに。


『不思議です。使っていた物があるだけで、なんだか……』

『リラックスできますね。』

『…はい。』

『ここでもルノエの気に入りの物を増やせばいい。』

『よろしいのですか?』

『ああ、遠慮するな。それからルノエ、お前は正式にメリル伯爵令嬢になった。』

『え?』

『カルオ・メリル伯爵の娘となり、ルノエ・メリル伯爵令嬢だ。いいな?』

『私がカルオさんとエミリさんの?』

『ああそうだ。ハリィの後ろ盾もあるぞ。』

『……ハリク殿下まで?』


私が伯爵令嬢?カルオさんとエミリさんの娘。しかもハリク殿下の後ろ盾……。想像もつかない。


『嬉しくないのか?』

『なんだか、事が大きすぎてよくわかりません。』

『フフ、そうか。ルノエ・メリルだろうと、ルノエ・アグレイだろうと、ルノエはルノエだ。ただ紙の上だけのことだからな。婚儀を済ませば、次はシルキィ家が後見人になる。……ここが問題だな。』

『宰相様が問題なのですか?』

『…あいつらには会うな。』

『え?』

『あいつらは絶対ルノエを屋敷へ連れ帰ろうとするだろう。少し静養をとか、花が咲いたとか、珍しい菓子があるとか、なにかにつけて誘ってくるだろうが、そんな誘いには乗るな。一度罠にハマったら抜け出すのは容易ではないからな。少しでも気を許すとそこにツケ込んで、最後にはルノエを王宮に帰さないつもりなんだ。いいか?あいつらは敵だと思え!絶対に気を許してはならん!』


どこか一点を見つめて延々と語っていらっしゃる陛下の後ろで、ヒュイアさんが訪ねていらっしゃったリドリスさんを部屋へ招き入れるのが私には見えていた。


軽いウェーブのかかったアッシュブロンドと榛色の丸い瞳のリドリスさんは、いつもお忙しいはずなのに時々私の部屋を訪ねて不自由がないかと聞いてくださる。それに遠慮なく要望を言ってくださるのは、ヒュイアさんなのだけれど。お二人とも、いつも私のことを考えてくださっていて、本当に感謝している。


あ。今、陛下のお話の内容が聞えたみたいで、リドリスさんの瞳が光った。でも陛下はまったく気づかれていらっしゃらないから、知らせるために慌てて私のほうからご挨拶をする。


「リドリスさん!!こんにちは!」

「ご機嫌いかがでしょうか、ルノエ様?」

『………リド。いつからいた?』

『あいつらには会うな、からですね。』

『……ああルノエ、夕刻はなにか予定が入っているか?』

『いえ、なにも。』

『そうか。ではあとでまた来る。』

『いいえ、陛下少しお待ちください。報告がありますので。』

『ああ……。』


リドリスさんに引き留められてしまい、今から叱られる子供のように居心地が悪そうな陛下の隣で、リドリスさんが私に嬉しい報告をしてくださった。


「ルノエ様。塩と柑橘類ですが、定期的に仕入れることになりました。」

「え!本当ですか?」

「はい、塩はやはり品質がかなり良いですし、柑橘類も評判上々です。これから品数を増やしながら、ランジェ商会との商談を継続することになりました。」

「リドリスさん、ありがとうございます!」


今までみんなで頑張ったことを認めてもらえたような気がして、本当に嬉しい!


『…ルノエ、許可したのは俺だが。なぜそこでリドに礼なのだ?』

『おや、なぜとお聞きになりますか。ま、人徳と言ったところでしょうか?』

『………。』


陛下とリドリスさんの会話に、冷気を感じる…。


『それから陛下、さきほど赤の隊から申請が届いておりました。』

『ああもうそんな時期か。』

『あの、赤の隊って島のキャラバン隊ですか?』

「はい。毎年この時期に参ります。この辺りでは珍しい品が多いのでとても人気がありますよ。行く行くは

ランジェ商会もこんな感じになるでしょうね。」


赤の隊は島から出るキャラバン隊のこと。島々の特産品を幌馬車に山のように積んで、毎年内陸部を目指して商売に出かける。赤の隊のことは私も知っていたけれど、港の街は素通りだったから今まで見たことはない。


『……ルノエ、行きたいか?』

『はい!』

『リド、調整してくれ。』

『よろしいのですか!?』

『ああ、他に寄りたいところもあるからな。』

『よろしかったですね、ルノエ様。』

『ヒュイアさん、ありがとうございます!すごく楽しみです!』

『……なぜそこでヒュイなのだ?俺ではないのか?』

「!!!」


慌てて取り繕おうとした私を制して、最強リドリスさんと女神様の如きヒュイアさん呟きが聞えた。


『男が小さいことを。』

『まったく、小物だな。』

『…………。』



部屋の空気が凍りました。この冷気で風邪をひきそうです。








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