18.回顧
〈コリアーナ!コリン!〉
〈なに?大きな声で。どうしたの?〉
〈俺、行けることになったんだ!〉
〈は?〉
〈隊に欠員が出たらしくて、親父さんが俺に行ってみろって!〉
〈すごいじゃない、ギアン!〉
〈うん。コリン、きみのお陰だ。〉
〈そんなことない。ギアンが今まで頑張ってきたからでしょ!で、いつ出発なの?〉
〈四日後なんだ。〉
〈じゃ、すぐに準備を始めないと!〉
〈ジエロとマリーサが……。〉
〈大丈夫よ。寂しがるだろうけど、心配しないで。〉
〈……コリンは寂しくない?〉
〈寂しい。でもギアンが頑張るんだから、あたしも頑張る!〉
〈ありがとう、コリアーナ。愛してるよ。〉
〈うん。あたしも……〉
ここは大小、三十ほどの小さな島々のうちのひとつ。漁と観光とちょっとした交易で成り立っている比較的大きな島だ。俺はここで妻のコリアーナの父親、ザリアの商売を手伝っている。
観光客相手のマリンツアーや土産物屋の経営。そしてこの近隣で生産されたの質の良い工芸品や生活用品を買い取って、陸へ卸すのがだいたいの仕事。そして年に一度、夏の終わりに内陸部へのキャラバン隊を出し、最終的には北の国まで商売をしに行く。その一員に俺はなることができるんだ。
隊に入るということは周囲に一人前と認められ、さらに信頼を得た者だけ。俺もようやく認められたんだ。今まで真面目に頑張ってきた甲斐があった。
俺とコリアーナの間には二人の子供がいる。三歳のジエロと一歳のマリーサ。ジエロは甘えん坊な優等生。母親のコリンの手伝いを一所懸命して、褒めてもらうのが嬉しくてたまらないようだ。マリーサはそんなジエロの後を付いて行く。かなりの頑固で泣き虫な性格。二人ともかわいい盛りだ。
こんな子供達を数ヶ月も置いて行くには抵抗があるが、仕方ない。それにコリアーナも……。近くに実家もあることだから、俺が帰るまでそこで暮らさせるほうがいいのかもしれない。明日、ザリアの親父さんにお願いしに行こう。
〈ようギアン、お前隊に入ったんだってな。〉
〈そうなんだ。よろしく頼むよ、ドレイン。〉
〈よかったな、今まで真面目にやってたもんな。ほんとよくやってたよ。親父さんもいい婿を見つけたもんだ。〉
〈いや、ドレインのお陰だよ。色々教えてもらったし。〉
〈ははは、そんなゴマすり、今さらいらねえよ!今回から親父さんが隊を抜けるからな。お前にもしっかり働いてもらうぞ。〉
〈……親父さんが?〉
〈あれ、知らなかったのか?今回から親父さんは行かないんだ。どうも体の調子がよくないらしい。親父さんがいないから今までで一番気を張る隊になるだろうな。〉
〈じゃ、欠員って親父さんのことだったんだ……。〉
〈ああそうなるな。ギアン、お前ここで頑張れよ。親父さんがくれたチャンスだぞ。〉
〈…わかった。〉
ドレインは俺に仕事を教えてくれた、親父さんの片腕だ。年齢は四十代らしく、面倒見がよくて年上年下関係なく皆から慕われている。
赤茶の髭面で熊のような親父さんと、同じく赤茶の長い髪の優男のドレインは、この辺りでも北の国でも有名のようだ。実際俺もこの島に来る前から、ザリアとドレインの名は知っていた。
隊のほとんどの者が陽に焼けた黒い肌と潮に焼けた赤茶の髪をしていて、腕っぷしも傭兵並みの者ばかり。だからこの島から出るキャラバン隊は「赤の隊」と呼ばれ、まるで軍隊のような統率のとれた動きで行動することで有名だった。
その赤の隊に俺は入る。やっと、ここで認めてもらえた。もう過去の俺とは違う。この地で生まれ変わった。俺は「ギアン」として生まれ変わったんだ。
〈ようし、出るぞ!〉
いつもドレインのひとことで出発する。
俺はドレインの隣に配置され、荷馬車の手綱をまかされている。これは親父さんがいた時のドレインの位置だったと、後で聞いた。だがここは新参者らしく従順に振る舞うよう心掛けておく。ここで大きな顔をしていれば後々の人間関係に影響が出るから、今はまだ大人しくしておくのに越したことはない。
予定通り港周辺で売れ行きの良さそうな物を仕入れ、内陸部の街道沿いの店に卸したり適当な場所で店を開きながら、ゆっくりと北上する。生活用品でも南国らしい物を多く取り揃えているから、女達が待ってましたとばかりに飛びつく。
カラフルな花柄のクロスやエプロン。涼しく簡単に着れるワンピースや子供服。それに貝殻を使ったアクセサリーも人気の商品。コリアーナや島の女達が一年がかりで作った商品が、飛ぶように売れていく。
石鹸は島で作ったオリーブの石鹸が安価で人気だ。それに女の髪に艶を出すジャスミンのオイルは店頭に出せばすぐ売り切れる。
赤の隊が一年に一度と言うのは少ないような気がしたが、これを見たら一度で充分な利益が出るし、商品にも付加価値がつく。さすがは親父さんだ。
島を出て十日以上過ぎた。
夏がようやく終わりに差しかかり、昼間は暑いが朝晩は快適な気温だ。街道沿いで宿をとるときもあるが野宿も多い。野宿すると酒を酌み交わしながら皆、盛り上がる。火を囲み、冗談を言い合い、一日の中で一番楽しい時を過ごす。
〈おい。昼間来た、ねえちゃんの話聞いたか?〉
〈ああ聞いた!で、どこの女なんだ?〉
〈港の街で連れ帰った女らしいぞ。〉
〈は?ほんとかよ!この前、視察に来たっていうレガッタの港だろ?〉
〈そうそう!夕方、ジャム買いに来たばあさんも同じこと言ってた。〉
〈へぇ!じゃ、庶民の女ってことか?〉
〈いや、そこはさすがに貴族の娘だろう。じゃねぇと婚約なんぞできねぇぞ。〉
〈ま、そうだよな。しかし、レガッタの港で見つけた女かぁ……。大丈夫なのか?変な女に引っ掛かったんじゃないか?〉
〈ありえなくもないが、その辺はあの切れ者で有名な王だぞ?大丈夫だろう。〉
〈婚約ってことは、あれだよな?正后、ってことだよな?〉
〈……そうだな。妾じゃ婚約はしねぇわな。〉
皆が酒を酌み交わしながら話してる内容がわからないでいると、隣でジレットがこそっと教えてくれた。
〈これら行く、北の国王が婚約するらしい。〉
〈へぇ。…それが港の女?〉
〈みたいだ。本当かどうかはわからないけど。〉
ジレットはコリンの従兄弟になる。島の男にしては大人しいが、腕がいいこともあって皆一目置いている。親父さんの血縁なんだから頭を張れそうな気がするが、本人は面倒は嫌だと言ってドレインに任せるらしい。俺と同じ濃い茶の髪で黒い瞳の、整った顔立ちの男だ。隊での任務は護衛と「女寄せ」と言われてる。
〈どんな女だろうな。でもさすがに見る機会はないだろう。〉
〈そりゃそうだろう。しかしどえらい玉の輿だよな~。〉
まだ皆の興味本意の噂話は続いていた。「レガッタの港の女」それは俺の胸に突き刺さる言葉だった。するとその時ふいにジレットが話題を変えた。
〈ギアン。お前、記憶がないと言ってたが、今も無いのか?〉
突然のことに心臓がドキリと鳴り、冷や汗が噴き出る。なるべく視線を泳がせないよう気を付けた。
〈ん……。いや、時々昔の夢は見るんだが…。やはりわからないんだ。〉
〈今までの景色に見覚えは?〉
〈ああ…。初めて見ると、思う…。〉
〈そうか。コリンも親父さんも心配してるぞ。今回ギアンが隊に入ったのは、記憶の手掛かりがあればってのもあったみたいだ。〉
〈……そうなんだ。〉
〈ま、もうコリンと所帯持ってガキまでいるんだ。記憶が戻っても、いまさら帰んないだろ?〉
〈もちろんだ。俺の居場所はあそこだよ。〉
〈ならいい。〉
ジレットはそう言って、もう興味はないとばかりにその場に横になった。
酔った者達が寝静まると、俺は星空を見上げては考える。
赤の隊の旅が始まったころ、幸運なことに最初に着いた陸の港はあの港ではなかった。
もしあの港に着いたなら……と散々考えていたが、それは杞憂に終わった。安堵したような残念なような、なんとも言えない複雑な気持ちが残る。やはりまだ未練があるのだと思えた。あの港に未練があるのではなく、あの人に…。
やさしいブラウンの髪と淡いブルーの瞳の、笑顔のかわいい人。冴えない俺にいつも笑いかけ、いつも優しく、いつも誠実に愛情を示してくれた彼女。彼女の穏やかさはあのころの俺の心の拠り所だった。
逆に言えば、彼女しか俺の拠り所はなかった。彼女の笑顔と共に苦い思いが蘇る。
俺はまわりのやつらにこき使われていた。どんなに働いてもどんなに頑張っても、やつらは俺を認めようとしない。それどころか、俺ひとりに仕事を押し付けて、自分たちは賭け事に興じてばかりいた。
なにを言ってもなにをやってもムダだと思った俺は、黙って言う通りにしていたが腸が煮えくり返って仕方がない。すべてが嫌になって逃げだそうと考えていたころ、彼女が俺に気づいてくれた。
いつもひとりで仕事をしていた俺に声を掛けてくれて、労わってくれて気遣ってくれる、やさしい人。とても嬉しかった。だが彼女の父と兄が隣の支社の幹部だったことが、やつらの俺に対する態度を軟化させた原因であることが気に入らなかった。
結局、権力か!権力のない俺にはデカイ態度のくせに、彼女の後ろに権力が見えた途端に媚びへつらう。そのことに失望と憤りを感じて、俺は四年前の嵐の海に飛び込んだ。
荒れ狂う波をかき分けて溺れながら必死に泳いだ。このまま死んでもいいと思っていた。いや、死ぬつもりだった。もうあの船には、あの港には帰りたくない。それならいっそ、このまま海で……。
そしていつの間にかあの島へ流されていた。
帰ろうと思えば帰ることができたが、そんなことできるはずがない。幸いなことにあの嵐で客船や商船が何隻か沈んだようだったから、どこから来た者かと特定することが難しかったようだ。
記憶がないふりをして過ごしているうちに「ギアン」と名付けてもらい、島で暮らし、今までの俺とは違う俺になった。言いたいことを言い、やりたい事をやる、そんな俺になった。
そして明るく溌剌としたコリンの心を手に入れ、ようやく赤の隊の一員になり、これからもっと高見を目指す。いつか親父さんの位置をも凌駕してやる。
もう昔の俺はいない。
だが一方で彼女を思い出す。
あのやさしいブラウンの髪と淡いブルーの瞳。赤い眼鏡の笑顔のかわいい人。彼女は俺のことを死んだと思っているだろうか。泣いていくれただろうか。まだ、俺のことを好きでいてくれるだろうか。まだひとりなんだろうか……。
考えてもキリは無いのに星を見上げては、つい考えてしまう。そして最後に思うのは〈コリン、ごめん。〉だった。
あの嵐から四年が経った。もうすぐ北の地の国に着く。
俺は人生をやり直したんだ。




