17.予感
『ロゥアン陛下が本日、アグレイ様にお会いしたいとのことですが、いかがいたしましょう?』
朝一番にルノエの侍女のヒュイア殿が俺にそう言ってきた。
恐らく昨日の件だろう。今日も買い付けの商談の予定が入っているから、夜しか時間がとれないと伝えてもらう。
昨夜、俺はルノエからロゥアン陛下の后になるという報告を受けた。
「ルイ。私、ロゥアン陛下のお傍にいたい。もう決めたの。」
まっすぐに俺の目を見てそう言い切ったルノエは、今まで見たことのないような目をしていた。覚悟を決めた、いい女の目だった。
「そういう瞳をするなら大丈夫だ。ルノエ、しっかりやれ。」
そしてその後ルノエに、カルオさんが伯爵だということを隠していたと責められた。
「知ったらお前はカルオさんとエミリさんから距離を置いただろう?だからカルオさんの意向もあって、教えなかったんだ。」
そう言うとルノエは不貞腐れてしまったが、納得はしたようだった。
ルノエはいつも皆に、家族以外の人からも大切に思われていた。そしてそれはここでも通用するようだ。ルノエを世話してくれる有能なヒュイア殿も然り。あのロゥアン陛下を捌き、ルノエを守ってくれている。
母というには若すぎるし、姉というには歳が離れている。だがヒュイア殿のルノエへの態度は、子を想う母のようだ。時に甘く、時に厳しく、時に慈しむ。これからも彼女が傍にいてくれるなら、俺としては安心できる。
そして朝食をとっている時、ルノエが急に言い出したことは俺とヒュイア殿をぎょっとさせた。
『ヒュイアさん、ルイ兄さんと一緒に私も街へ行ってみたいのですが?』
『街へですか?』
『はい。………だめでしょうか?』
だめだろう。困ったヒュイア殿の様子に、ルノエが意気消沈気味になる。
内々に后が確定しているルノエが街へ降りるなど、簡単にいくものではない。まずあの陛下が許可を出すわけがないだろう。
まあ確かに、最近のルノエは退屈そうだった。塩とオレンジを無事納品したことでルノエの仕事がなくなり、後は腹黒宰相補佐官の仕事だ。これが定期便になればルノエの仕事も増えるのだが、なんせまだ納品して日が浅い。
チラとヒュイア殿が俺に視線を投げて助けを求めてくる。まあ、俺が止めるのが妥当だろうな。
「ルノエ、今日はだめだ。いや、当分無理だ。」
「どうして?」
「今、交渉の段階に入ってる。俺と街へ行っても、商談相手の事務所に缶詰だ。しかも一軒や二軒じゃないからな。一緒に街を見ることはできない。」
「ひとりで大丈夫だから。」
「なに言ってんだ。お前をひとりにできるわけないだろう。あの過保護陛下が許すと思うのか?」
「過保護陛下……。」
後ろでヒュイア殿が笑っている。俺の国の言葉を解するようだ。
「だめ…かな。」
「だめだろうな。」
「でも、行きたい。」
「まあ気持ちはわかる。」
「ルイ、行きたい。」
「そうだな、行きたいだろうな。」
「ルイ兄さん、行きたいです。」
「………わかった。」
ヒュイア殿の冷えた視線が「へなちょこ」と言っているように感じる。わかってる。ここは突っぱねるべきだということくらい。だが、…できなかった。俺は昔から五歳離れた妹に甘いんだ…。
「とりあえず、過保護陛下の許可が出たら、な。」
「え!!」
そこが一番の難関だろうから、そう言って逃げを打つ。ルノエもそれがわかっているようで、溜息をついた。
ルノエ、すまん。
夜、近衛が俺を迎えに来た。後宮を出て、ロゥアン陛下の元へ向かう。
俺とルノエは後宮に部屋を与えられている。後宮だと知ると違和感があるが、知らなければただの豪華な部屋だ。
ちなみにルノエはここが後宮だということを知らない。一体どこまで呑気なやつなんだとは思うが、周りがルノエに教えないんだろうな。カルオさんが伯爵だということを、誰もルノエに教えなかったように…。
所々灯された灯りが王宮内を幻想的に見せる。回廊も庭も美しい。だが夜とはいってもまだ早い時間なのに、すれ違う人は誰もいない。そういえば朝でも昼でも人とすれ違うことがほとんどない。王宮という場所はこんなに人気のないものだろうか?
『なぜ人がいないのだろうか?』
前を歩く、若く人懐こい近衛に訪ねてみた。
『こちらは今、制限区域に指定されています。』
『制限区域?』
『はい。こちらの王宮から後宮につながるすべての回廊や庭は、陛下の許可なくては入れないことになっています。』
『………ルノエのため、か。』
『はい。』
はあぁぁぁ………。
俺は盛大に溜息が出た。ということは、過保護陛下が許可を出さないような人間に、ルノエは接触していないということだ。
だからか!だから、ルノエはあんなに呑気にしてるのか。しかもあの噂が盛大に流れていても、本人に聞こえていないのは、このせいか!
街で盛大に流れていた、笑いが出るような噂。「ロゥアン陛下の麗しの姫君」。ランチに立ち寄った店でこの話を耳にした時、俺はパスタを吹き出した。
なんでもその噂によると陛下が見初めた某国の姫は、レガッタを観戦しに港街へバカンスに来ていた。それを見かけたロゥアン陛下は、麗しい姫を忘れることができず、ついにお付きの者を総動員して探し出した。
そこへ偶然、姫を拉致しようと計画していた悪漢共が現れた。間一髪で危ういところを救いだし、そしてそのまま攫うように姫を連れ帰り、誰の目にも触れさせぬよう後宮に囲って溺愛しているらしい、と。
……当たってるよ。攫われて後宮に囲われてる部分はな。
だが姫を拉致しようとした悪漢はどう考えても、陛下自身だろ。美化されてるとはいえ、国王の悪業を民衆に知られていいのか?
まあ、ルノエには「麗しの姫」というイメージが付くからいいか。
そこまで考えていたら、途端にやさしげなアッシュブロンドと榛色の瞳が思い出された。…この噂を流したのは腹黒宰相補佐官だろうか?ありえる話だな。
あの一見穏やかそうな腹黒リドリス殿を敵に回すのは遠慮したいが、やつもルノエにはかなり甘い。ルノエの周りは過保護な人間ばかりだ。……ああそうだ。俺も含めて、な。
「ルイ!ルノエから承諾をもらったぞ!!」
「部屋へ入った途端にそれか。まずは挨拶なり椅子を勧めるなりないのか!?」
そう言うと過保護陛下は慌てる。本当に大丈夫なのか、この国は?
この前通された執務室とは違う。ベージュを基調としてアンバーを配色された、落ち着いた部屋。ゴテゴテと物を置いていないところが、いい。座り心地の良さそうなアンバーの革張りのソファを勧められた。
「…ここは、自室か?」
「ああ、そうだ。俺の部屋だ。」
一国の国王の自室に招き入れられるような己の立場にむず痒さを覚える。が、いま目の前にいる黒髪の男は見ている方が不安になるほど、国王のオーラはない。ただの恋する男だ。
「ルイ。昨日、ルノエから婚儀の承諾を得ることができた。」
「ルノエから聞いた。腹を据えた目をしていた。もうすっかり決心したみたいだな。」
「そうか…ルノエが。ではあの計画を推し進めてもいいのか?」
「ああ。カルオさんに連絡を取ってくれ。…いや、手紙を送るなら俺の手紙も添えてほしい。俺からも報告したい。ハリク殿下にも送るのだろう?」
「ああ、もちろん。」
「ではハリク殿下にもお礼を書きたい。」
「わかった。………ルイ、感謝する。」
「しっかり守ってやってくれ。ルノエはすぐにマイナス思考に陥る。だが、強い。」
「ああ、そうだな。強くて、しなやかだ。」
「ここで惚気を聞く気はねえぞ。」
「あ、いや、そういうつもりでは…」
「はあぁぁぁぁ…。俺はもっと普通のやつを選ばせるつもりだったんだがなぁ。なんでこんな大物を釣ってくるんだ?しかも后なんぞと!」
「………すまない。」
「今だけ愚痴らせてくれ。本人を目の前にして言うのもなんだがな。……だがロゥの良さはわかってるつもりだ。ルノエのためにも、誠実な政治をしてくれよ。」
「もちろんだ。約束する。」
それから今後の予定を聞いた。
ルノエに身分をつける計画は、すんなりいくだろう。カルオさんもハリク殿下も、ナジェリス宰相殿も承諾済だ。
そのあと期間を置いて婚約。またさらに期間を置いて婚儀。これだけで二年は要するだろうと思っていたのだが、俺の読みは甘かった。
来春……半年後に婚儀だと言いだした。
「来春に婚儀!?」
「ああ、その予定だ。」
「あと半年しかないぞ!?」
「ああそうだな。すぐ準備に取り掛からせるつもりだ。大きなことはすでにリドが始めている。」
「国王の婚儀って、そんなものなのか?」
呆気にとられていると、グレーの瞳が笑っていた。
「すまない、ルイ。俺も男なんだ。」
「……そうみたいだな。」
俺もイリサと結婚した時のことを思い出した。男というものは、本当に我慢のきかないものだ……。これが愛しい女ともなれば、相当だ。
それからルノエの持参金は少ししかないが、その金で嫁入り道具を用意することにした。ルノエがこれから先、長く使っていける物を用意するつもりだ。
多分、カルオさんとエミリさんも同じようなことを言いだすだろうから、話し合いが必要だな…。
春の婚儀にはイリサも子供達も、もちろんカルオさんとエミリさんもこの国へ来るだろう。その時の旅費や滞在費はすべてロゥが持ってくれると言いだした。
「いいのか?そんなに?」
「ああ。滞在は王宮か市街のホテル、好きな方を選んでくれ。ひと月以上滞在してくれても構わない。ぜひ、ゆっくりして行ってほしい。」
「太っ腹だな。だが仕事もあるから、ルノエを見て、ちょっと観光したら帰るだろうな。」
「……ルイ。毎年会いに来てやってくれないか?」
「いや。レガッタの時期にルノエを帰してくれ。」
「なるほど。善処する。」
「毎年じゃなくてもいいんだがな。正后ともなれば難しいだろう。」
「ああ、大丈夫だ。俺も行く。」
「………。」
まったくこいつはとんだ束縛過保護陛下だな。ルノエの先が思いやられる。
それから言っておかなくてはならない事を思い出した。
「ロゥ、ルノエから昔の話を聞いたか?」
「昔?………四年前の嵐でご両親が亡くなられたことなら聞いたが。」
「シリロのことは?」
「ああ、聞いている。将来を約束したと聞いた。だが行方不明なのだろう?」
「いや、生きている。」
「……ルイ、どういうことだ?」
ここでやっと国王の本領発揮か。だが俺にそんなごついオーラで迫ってくるな。静かだが、まるで青い炎のような揺らめく迫力。さっきまで穏やかだったグレーの瞳が凍るようだ。今、目の前で笑っていたやつと同人物とは思えない…。
「シリロは嵐の中で、船を、仲間を見捨てて海に飛び込んだらしい。そしてその後、島によく似たやつがいるという話が流れてきた。確認に行ったわけではないが、そいつは記憶がないそうだ。」
「記憶がない?」
「芝居かもしれんが、本当のことかもしれん。だが遠い場所じゃないんだ。記憶がなくても戻ってくる気があるなら、なんとしてでも戻ってくるだろう。四年も経った。生きていても今更だ。」
「ルノエはこのことは?」
「知らない。そのほうがいいだろう。どの道あいつは仲間を裏切ったというレッテルが貼られた以上、港に戻ってきてもロクなことにはならん。気のいいやさしいやつだったが、このままのほうがいい。ルノエのためにもな。」
「………ああ。」
ロゥは複雑そうな顔をしていた。
四年も前のことだ。あのころは両親とシリロを一度に失くし、ルノエは取り乱していた。俺は両親を失くしたことよりも、ルノエが心配でたまらなかった。毎日泣き暮らし、抜け殻のような妹を見ているほうが辛く、悲しかった。
だがあの地獄のような時間がルノエには必要だったのだと、今は思える。イリサやカルオさんやエミリさんに助けられて、ルノエはどうにか立ち直った。
今こうやってロゥアン陛下に見初められ、ルノエ自身も陛下の傍にいたいと覚悟を決めた。しかも島からは遠い、この国をルノエは選んだ。
もう心配はいらない。もう大丈夫だ。もう二度とあんなことは起こらない。
俺はそう思っていた……




