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15.最奥の庭

翌日の午後、後宮のルノエの部屋へ行くと彼女は不在だった。


後宮と言っても今この宮にいるのは、ルノエとルイのたった二人。


側妃も愛人もいない俺には必要のない宮だが、ルノエを保護するには丁度いい。


元々警備しやすい構造な上に、出入りする者は俺が許可を出した者のみ。



ルノエを攫った翌日に、リドリスが急使を出して改装させた後宮の部屋。優しい色合いが似合うルノエに相応しく、温もりを感じる部屋だ。


だが今ここにいるのは、目を吊り上げたヒュイア……。



『…ヒュイ、ルノエはどこにいる?』

『なんのご用件でしょうか、ロゥアン陛下?』

『そこまで言わせるのか。』

『なんのご用件でしょうか、陛下?』

『話がしたい。ルノエはどこだ?』

『陛下?』

『……ルノエを説得したい。』

『やっとですか!?ルノエ様から帰国するとお聞きしていますし、その用意もされています。陛下!しっかりなさってください!』

『…悪かった。』

『ほんとにもう!…厨房のベンチにいらっしゃいます。ルノエ様はあの場所がお好きなようです。』


それだけ聞くと、早足で向かう。


後宮の厨房のベンチ。そこはルノエと侍女たちと一緒に、彼女が焼いた菓子を食べた場所だ。


走るように向かうと、開け放たれた窓からはスープのいい香りと食器の触れ合う音。それに料理人たちの会話が聞こえていた。


ルノエはベンチに座り、赤い眼鏡を掛けなおしながら、なにかの本を熱心に読んでいた。


ようやく秋めいた木々がサヤサヤと音をたて、風が彼女の髪を攫う。


俺はそんな風にさえも嫉妬してしまいそうだった。何物にも彼女に触れさせたくない。


だがルノエはそんな俺の気持ちなど知るよしもなく、陽だまりの中で穏やかに過ごしていた。



その時、誰かがルノエを呼んだ。若い男の料理人が笑顔でトレイを持って、ルノエに近づく。彼女はそれに気づき、笑顔で応じる。きっと菓子かなにかだろう。


俺がいない場で、ルノエはいつもこんな風に過ごしていたのかと思うと、腹の底から黒いなにかが吹き上がるのを感じた。



『ルノエ!』

『……陛下?』


わかっている、これは俺の勝手な嫉妬だ。だがもう抑えきれない。大股で彼女に近づくと、料理人は慌てて厨房へ消えた。


ルノエはいつもと違う俺の様子に驚いている。だが俺はなにも言わず、彼女の手首を引いてその場から連れ出した。


『わっ!陛下!?え?どうされたのですか?陛下……?』


驚きと不安が彼女の細い手首から伝わる。俺は無言でそのまま庭の奥へ連れて行った。




誰も来ることはない、後宮の最奥の庭。


そこにひっそりと置かれたベンチは俺の秘密の場所。子供だった頃、嫌なこと辛いこと不満があると、ここへ息抜きに来ていた。


父である先王の時代も閉ざされたままだった、後宮。だが庭はしっかり手入れされていて、いつ来ても美しかった。


誰もこんな奥まで来ないと思っていたから、ここで寝そべって空を見たり、喚き散らしたり、風の音や鳥の声を聞いたり、誰もいないことを楽しんでいた。


だがひとりだけ、こんな奥まで来る者があった。それは庭師だった。


木の陰から年老いた庭師の後ろ姿を見かけた次の日、ここにベンチが置かれていた。


俺のためにしてくれたんだ……。


そう思うと嬉しかった。なにも言わずそっと置かれたベンチ。その優しい心遣いが嬉しかった。



そしてその日から、もしかしたら口うるさく言う周りの者も、本当はこんな風に俺のことを気遣い心配しているのではないか、と考えるようになった。


そう考えるようになると、そこかしこにその足跡が見える。


厳しい態度、厳しい口調の裏が見えると俺は安心した。周りの者を信じてもいいのだと思えた。


今はもうここへ来ることはほとんどなくなってしまった。庭師だけが知る、俺の場所。




彼女をそっとベンチに座らせると、そのアイスブルーの瞳は不安気に揺れていた。


また風がルノエの淡いブラウンの髪を攫うのが嫌で、俺は彼女の髪を手でそっと押さえた。


光を受けたアイスブルーが余計な色をなくし、透き通った色になる。


俺はここですべての想いを彼女に伝えようと思った。


『ルノエ、帰国の準備をしていると聞いたが?』

『…はい。兄と一緒に帰るつもりでいます。』

『前に俺が言った、泣いた理由は見つけたのか?』

『……いいえ。』

『ではなぜ帰る?』


揺れる。さっきよりも一層、赤い眼鏡の奥のアイスブルーが揺れる。俺の真意を読み取ろうと必死になっているのがわかる。


そしてその瞳の奥に秘めた想いを抱えていることを、俺は確信した。


『俺は近く、后を迎える。』


驚きに満ちたアイスブルーが一気に悲しみへと色を変えた。


ああ、やはりだ。ルノエは俺を想っている。


『その后はルノエ、お前だ。』

『え…………』


風の音が聞こえて、またルノエの髪を攫おうとしたが、今度はその風に嫉妬はしなかった。ルノエが俺だけを見つめているから。


『へい、か?今なんて……?』

『ああ、違うだろうルノエ?ここには誰もいない。』

『……ロゥ、今なんて…』

『お前を俺の后に……いや、妻にする。生涯でたったひとりの妻、だ。』

『どうして?私、そんなことできません。』

『なぜだ?』

『だって私にはなにもありません。…私は、庶民です。』

『そんなことはどうにでもなる。お前と兄の承諾を得ることができたら、計画を推し進めるまでだ。』

『…計画?』


アイスブルーには驚きと困惑が見える。だがどうか、それが喜びに変わってほしい。早く喜びのアイスブルーが見たくて、俺は早口で説明をはじめた。



ルノエをカルオ・メリル伯爵の養女にすること。それをハリィが後押しをし、隣国からの輿入れとすること。


そして国内では、宰相ナジェリス・シルキィ侯爵が後ろ盾となること。急いで説明したが、ルノエの反応はなかった。



『…ルノエ?』

『カルオ・メリル伯爵。メリル伯爵?カルオ・ランジェではなく?ではランジェ商会というのは?』

『そこからか………。』


ルノエはランジェ氏の本当の姿を知らないという話を、確か以前聞いたな…。


俺の后になれると喜ぶ姿が見たかったのに。少し、いや、大いに不満が募る。



『ランジェ商会は奥方の実家だそうだ。仕事ではランジェを名乗っているようだな。』

『……知らなかった。じゃ、カルオさんは伯爵様?エミリさんは伯爵夫人?えぇぇ!!どうしよう、私!今まで知らなくて迷惑ばかり!ルイは知ってたの?なんで!?』

『ルノエ、ルノエ!今の問題はそこじゃない。』

『え?』


きょとんとしたアイスブルーに苛立ちを押し殺しながら、噛み砕いて同じことを話した。


『俺は、ルノエを妻に迎えたい。そして俺の后になってほしい。側妃は今も、これから先も、決して迎える気はない。絶対に、だ。ルノエ、返事をくれないか?』

『……………。』


喜ぶ姿どころか、相変わらず不思議そうなきょとんとした瞳で俺を見ている。そしてふいにその瞳が彷徨うように、俺を避け始めた。


今度はなんだ?


『あの……』

『ああ、なんだ?』

『なぜ私なんですか?私なんかよりも陛下の周りには、たくさんのお美しい方がいらっしゃるではありませんか。あのレガッタの祝勝会の時のように……。私なんてなにも取柄はないし、きれいでもないし、髪だって瞳だって薄い色だし。陛下が私を望んでくださる理由が私にはわかりません。』


そんなことを考えていたのか。俺は驚きと共に、愛しさを感じた。それはつまり、ルノエはあのカラフルな毒花に嫉妬しているということだ。


今までその想いを胸に抱えていたのか。俺は嬉しさのあまり、言葉を失った。


『……やはり理由なんてないのですね。』

『違う。』

『ではなぜ?』


眼鏡の奥の透き通ったアイスブルーの瞳から、透き通った涙がこぼれる。


それを見た瞬間、強い力で彼女を抱き寄せた。驚いて体を強張らせるが、そんなことはお構いなしにルノエの髪のやさしい香りを堪能した。


『すまない、ルノエ。今ルノエが泣いているのに、俺は喜びで一杯だ。』

『へい、か?』

『なぜルノエなのか、と聞いたな?理由はあり過ぎてなにから話せばいいのかわからないくらいだ。アイスブルーの瞳も、その笑顔も、叫ぶところも……いや違うな。ああ、俺はルノエの心が好きなんだ。この瞳も好きだが、やはりルノエという名のついた心そのものが、どうしようもないくらい好きなんだ。これから先もルノエと共にありたいと思うし、俺の隣で笑っていてほしい。俺はルノエが好きだ。愛している。ルノエ、どうか俺の妻になってくれないか?』

『……アイスブルー?薄い青ではなくて?』

『今度はそこか。』


我知らず溜息が出る。もう俺は諦めた。ルノエの喜ぶ姿も見たかったが、どうやら今彼女に必要なのはすべてを正しく理解することのようだ。


苛立ちもどこかへ行ってしまった俺は、ルノエの絡まった思考をゆっくりと解くことにした。


『ああ、お前の瞳はアイスブルー。我が王家の色、ロイヤルカラーのアイスブルーだ。』

『ロイヤルカラー、ですか?』

『アイスブルーは雪と氷と湖の色として、この国を象徴する色だ。そしてこの国の王族だけが纏うことを許された特別な色だ。だがルノエの瞳はさらに透明度が高い。あの夏の海の色だな。とてもきれいな、生きている色だ。』


そう言って彼女の瞳を覗き込むと、顔を赤くして俯いてしまった。淡いブラウンの纏められた髪が風に揺れる。


細い項。そうやって、今度は瞳の代わりに項を俺に差し出すのか?俺がどんな不埒なことを考えているか、きっとルノエには想像もできないのだろう。


『この髪も優しい色だ。煌びやかなブロンドより、俺は優しいブラウンのほうが好きだ。それに咽かえる香水よりも優しく俺を癒すルノエの香りが好きだ。』

『そんなこと……』

『そんなこと、ある。俺は煌びやかなゴテゴテとした女より、自然体の清楚なルノエが好きだ。』

『…………。』

『ルノエ?』


今度はどこに引っ掛かるのかと思ってルノエの顔を覗き込むと、さらに真っ赤になっていた。


あまりにも初心な反応に、苦笑いが出る。



『俺はあの国で初めて、本当の夏を体験した。暑過ぎて息ができないと思っていたが、ルノエと出会った途端、全てが変わった。風が吹くんだ。潮風が吹く。ただ暑いだけの空気は、生きているんだと思えた。俺にとっての夏は、ルノエと潮風とあの赤いブーゲンビリアだ。……ルノエ、今すぐとは言わない。ゆっくりでいい。俺を愛してくれないか?』

『……私でいいのでしょうか?私、なにも知らないのに。』

『最初からなんでも知っている者などいない。ゆっくりでいい。それにお前の周りには既に精鋭がそろっているぞ。みな、ルノエの味方だ。……俺にとっては敵だがな。』

『でも、私、后などと。そんな……』

『ルノエ、大丈夫だ。仕事と思え。』

『仕事?』

『ああ、そうだ。后は職業だ。あれほどの仕事をしていたお前だ。転職したと思ってくれ。』

『……転職。ものすごい転職ですね。でも覚えることもたくさんあって、やりがいがありそうです。』


仕事、職業、転職。この言葉でルノエの中に炎が灯ったようだ。途端にやる気になる様子に笑みが零れる。


だが彼女は肝心なことを忘れているようだ。


『ああ、やりがいはあるぞ。だがその前に、俺の妻になるという返事がほしいのだが?』

『あ………』


やはり忘れていた様子のブーゲンビリアの唇に、俺はそっと口づけをした。








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