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野原の小さな魔女  作者: 高菜あやめ
第五部 小さな魔女と神殿の主

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(9)

 カリンは中央棟の大回廊に面した、美しい花が咲き誇る中庭の端に立っていた。

 頭上にかざした手の隙間から空を見上げると、群れをなす鳥たちが、日の光に黒い影を刻みながら青い空間を飛び去っていく。眩しいほど純粋に、真っ直ぐ突き進むその姿を、カリンは憧憬の眼差しで見つめながら瞼の奥に焼き付けた。

 耳を澄ますと、風のざわめきが聞こえる。揺れる(こずえ)からは若々しい青葉の香りが立ち込め、清々しい空気が体を包み込んでいくようだ。


(なんだか野原が懐かしいな……モズおばさんは元気かしら)


 やがて渡り廊下の向こう側から、不規則な足音が石畳を鋭く打ち鳴らしつつ、勢いよく近づいてきた。姿を現したのは、黒い軍服姿に金の杖を手にしたイシュだった。


「魔女さん……よかった、ここで会えて」


 イシュはカリンの姿を認めてると、小さく安堵のため息を漏らす。だが次の瞬間には、手にした杖を足元に取り落とし、愕然とした表情を浮かべた。


「その姿……まさか本当に神殿に入るつもりなのか!?」


 一気に青ざめた王子殿下は、不自由な足を引きずりながらカリンに駆け寄った。そして神殿の制服である白いローブ姿のカリンを、無遠慮に頭のてっぺんからつま先まで眺め、納得いかないという風に頭を振ってみせる。


「なぜ僕に、ひと言相談してくれなかったんだ……」


 その言葉にカリンは黙って視線を逸らす。いい顔をされないのは、なんとなく予想していた。だがここまであからさまな態度を取られるとは思わなかった。


「たしかに同じ城内にいるとはいえ、君とは毎日会えるわけじゃない。でも君が会いたいって連絡をくれれば、僕はいくらでも時間を作るのに……」


 カリンは曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。まさか医務局の見習いの小娘が、王子殿下を呼び出せると本気で思うはずがない。

 たしかに彼と二人きりのときに、身分差や立場の違いなどは存在しない……ように見えるだろう。少なくとも昔はそうだった。だが今は少し違う。お互いがきちんと理解していて、それでも敢えて無視していただけ。

 今でもイシュは昔と変らず、分け隔てなくカリンに向き合おうとする。だがそれは、今のカリンにとって酷く辛かった。


「勝手に決めて、ごめんなさい」

「いや……僕の方こそ、ごめん……責めるような言い方して。でもまさか君が、それほど神殿に興味を抱くなんて思わなかったから……」


 イシュは回廊の柱にもたれ、上着の詰襟をゆるめて息を吐いた。憂いを帯びる秀麗な顔が、ほんの一瞬だけ訝し気に歪められた。だがすぐに見慣れた微笑みに上書きされた為、危うく見間違えたかと思うところだった。今更ながら気づく……彼は本心を隠すのが、とても上手い。 


「たしかに神殿は、君のような魔力を持つ人々が集まる場所だ。でも君は魔法薬について学びたかったんでしょ? だからハイフナー医師とベイゼルの元で、薬学の基礎と魔法薬について学べたら、君もよろこぶと思ったのに……彼らのところで、嫌な思いでもした? それとも何か他に不満があったの?」

「い、いいえ、そんなことないです……皆さんとってもいい人たちです」

「不満が無いなら、どうして?」

「それは……」


 何と答えれば、神殿に入ることを『許して』もらえるだろう……カリンは引き留めを恐れるあまり、理解を求めることなど考えに至らなかった。今の気持ちを言葉にするには、まだ不鮮明な部分も多く、自分自身も消化しきれてない為、うまく説明できそうにない。下手にあやふやな言葉を口にしたら、頭の良い彼のことだ、言葉巧みに説得されてしまうに違いない。

 カリンが言葉に出せずに困っていると、頭上で今日何度目かになるため息が聞こえた。


「たしかに神殿では魔力について学ぶところも多いと聞く。でも魔力や実践の魔法については、後からユーリウスの元でいくらでも学べるだろう? しばらくすれば立派な師匠の元へ行くって分かっているのに、何もわざわざ神殿へ行く必要はないじゃないか」

「でも、それでも神殿に行ってみたいんです……一か月だけですから、それ以上は」

「二週間。それ以上は僕が許さない」


 イシュは柱から体を起こすと、腕組みをしてやや高圧的にカリンを見下ろした。それはカリンの良く知っているイシュとは違い、冷徹な司令官の顔に見えた。


「ここが僕の精一杯の譲歩だ。いいね?」

「……はい」

「神殿は規律が厳しく、慣れないうちはとても苦労するだろう。むやみに神殿内を歩き回ったりして、周囲に迷惑を掛けては駄目だよ? それからもう一つ」


 イシュはカリンを見据えて、重々しく口を開いた。


「神殿の地下はとても入り組んでいて、迷ったら二度と出られない危険な場所だ。絶対に興味本位で、うろついたりしては駄目だよ?」


 これではまるで、カリンが神殿の地下をうろつくこと心配しているようだ。言葉通りの意味もあるのだろうが、その裏に何か不都合な事情があるのかもしれない。


(もしかして、何か……私を神殿に行かせたくない理由がある?)


 その疑問は口には出さなかった。きっとカリンに聞かせたくない事情があるのだろう。無理に聞き出そうとしたら、神殿へ行くことを禁じられるかもしれない。

 カリンは慎重に口を開いた。


「私、お城に来るまで、神殿について何も知らなかったんです。だからこれを機会に少しでも、この国で『常識』と思われることを、学んでおきたいと思ったんです」


 嘘ではない。カリンは自分の無知なところを少しでも埋めたかった。神殿について学びたいと思ったことに嘘偽りはない。


「だから、せめてユーリウスさんのとこへ行くまで、いろいろ学びたい。こんな機会は、もう二度とない気がするんです……だから」

「うん、分かった。魔女さんの真面目なところ、僕は大好きだよ。だから信じている……君はきっと、神殿でも『良い子』にしているって」


 では、イシュの言う『悪い子』とは、どういう振舞いを指すのだろう。彼のそのひと言は、カリンに知られたくない、もしくは関わってもらいたくない何かを示唆しているように思えた。

 その答えは恐らく、神殿の中に隠されている……そう考えている時点で、カリンはすでに自分は、彼の望む『良い子』ではない気がした。






 ジョンストーンの付き添いもあってか、カリンはあっさりと神殿入りを果たし、その夜には宛がわれた小さな個室に落ち着くことができた。

 城へやってきて以来、カリンの予定は朝から晩までびっしり詰まっていた為、いろいろ落ち着いて考える時間が持てなかった。それに学ぶことが多いと、毎日夕食を食べ終わるころには眠気が差し、余計なことを考えることもなく就寝してしまっていた。


(でも、ここは静かだな……明日は朝早くから催事に参加するけど、その後は昼の催事まで予定はないみたい)


 神殿での生活は規則正しく、いろいろな制限もあって規律も厳しいが、日々の過ごし方は基本的に自己鍛錬という名の元に己の裁量にゆだねられる。神殿内には図書室があり、魔力に関する蔵書も多いので、自由に本を読むことができた。また希望すれば、魔力の基礎や歴史以外にも、様々な語学等の講座も受講できるらしい。


(なんだか少し、学校に似てるわ)


 外国語の勉強は魅力的だが、カリンが本来目指すべきものからはだいぶ離れてしまう。また時間の融通がきくこの機会に、一度真剣に考えてみたいこともあった。


(イシュは……本当に自分の足のケガを治したいって思ってるのかな……)


 負傷したのは左足……時折激しく痛むらしく、基本杖無しではまともに歩けない。強力な呪詛の影響で、一般的な医療はほとんど役に立たない。そして時折悪化して、炎症を引き起こし高熱に倒れ伏すことも多いと聞く。

 そのような状態だから、イシュはケガを『治したい』のだと思い込んでいた。もちろんケガが治ったら、再び王子殿下としての責務……この場合、国を守るために戦場へ赴くことだが……を果たさねばならない。だがそれを差し引いても、このまま永遠に癒されないケガを抱えて生きていくのは、あまりにも辛いはずだ……そうカリンは『思い込んで』いた。


(でも私の魔力が、呪いを解く鍵になるはずなのに……まるで私に手伝って欲しくないみたい)


 カリンは自分にできることならば、精一杯協力するつもりでいた。ただユーリウスの森の結界が完成するまで、カリンの身に危険が及ばないよう、一時的に城で保護してもらうことになった。そして城にいる間、魔法や薬学について学ぶ機会を与えられた。何も不自然なところは見受けられない。


(でも……何か、引っかかる)


 何か大切な事から目を逸らされているような、奇妙な感覚がする。いろいろ学ぶ機会を与えられているにもかかわらず、肝心なことには一切触れさせてもらえてないような、そんな気がしてならない。

 実際カリンは、まだ何も教えてもらってない。自分の魔力をどのように生かせばいいのか、どうすればユーリウスの魔法薬を作る為の助けになるのか。


(教えてもらうのを、ただ待っているだけじゃ駄目だ)


 きっと自ら積極的に行動する必要があるのだ。その姿勢を期待されているのかは不明だが、そうしなければカリンは『何も知らない』ままだ。

 だが自分で本を読んで調べるには、時間もかかる上、限度がある。やはり誰かに教えを()わなければならない。そのきっかけが神殿にあるような気がした。ここにはイシュが取り計らってくれた医務局や魔法局での仕事も、元魔導師であるベイゼルの指導も無い。


(そういえば、どうしてベイゼルさんは、何も指導してくれなかったんだろう……?)


 ベイゼルは現役を退いたとはいえ、まだまだ忙しい身の上なのだろう。だから、なかなか指導の場を設けてもらえなくても仕方ないと思っていた。だが、それにしても最初に顔合わせをしてからそろそろ半月経つのに、一度も会えないとは変だ。


(もしかして私に指導したくないのかな)


 しかし一度会っただけだが、そういった私情を挟むような人には見えなかった。


(それとも何か、私に指導したくない『理由』があるんじゃないかしら)


 その理由が、カリンの知りたいことに繋がっている気がする。ベイゼルの事をもっと知りたいと思ったが、魔法局に勤めている人たちはあまりベイゼルについて語らない。

 ベイゼルも魔導師なのだから、ジョンストーンが話していた通り、過去に神殿で魔力のコントロールの仕方を学んでいるはずだ。ベイゼルが学んだことをカリンも学べば、少しは彼の考えに近づける気がする。


(明日から頑張ろう……あと、それと……できればイシュのお兄さんにも会えたらいいな)


 イシュの兄が神殿の地下に住んでいる。『いつか』会わせると言ったイシュの約束は、いつまで待てばいいのか分からない。カリンはなんとなくだが、それは実現しない気がした。本当はカリンに会わせるつもりはなかったのかもしれない。ではどうしてイシュは、兄のことをカリンに話したのか。

 もしやイシュには、カリンに伝えたくて伝えられない、何か葛藤を抱えているのではないか。


(きっとイシュも、何かに苦しんでるんだ……)






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