その4 婚姻届け
(……犯人は女)
芝生を歩きながら、ソフィーは自分の言葉を反芻していた。やがて2人はビレット邸のホールに戻った。
「それじゃあ、私はこれで。ソフィー、用事なら何でも私に言ってください」
「はい、スコット様」
スコットが出て行こうとすると、ソフィーが呼び止めた。
「あ、あの、スコット様……」
「どうしました?」
「私、思うんですの。実は、犯人は……」
ソフィーが言いかけると、玄関から誰かがあわてて入ってきた。
「ソフィー! ああ、ソフィー、大変だったわね!」
「……ガルウッドさん」
きちんと身なりを整えた、アンナ・ガルウッドだった。いつも通り、よそ行きのドレスと装飾品を身につけている。髪型もきちんと整えられていた。
「まさか、ロバートがこんなことになるなんて……」
アンナの声がわずかに震えている。動揺しているようだった。しかし、その様子と整った身なりは、ソフィーの目には不自然なコントラストに映った。
「はい、ロバート・ビレット氏は重体です」
スコットが重々しく言うと、アンナが驚きに満ちた表情を見せた。その表情の変化を、ソフィーは見逃さない。
「じゅ、重体……!? ……たしか、街報紙には『殺害された』と……」
「ああ、よくあることです。街報紙は大げさに書きますからね」
「そ、そうですか。ところでソフィー、こちらの紳士はどなた?」
「自警団の団長、スコット様です。スコット様、こちらは、父の……知人のアンナ・ガルウッドさんです」
「初めまして、スコット様。私はアンナ・ガルウッド。ロバートの婚約者ですわ」
「婚約者……ですか。どうも、ガルウッドさん。団長のスコットです」
「あの、ガルウッドさん、昨夜はどちらにいらしたんですか?」
ソフィーがたずねた。
「あらソフィー、どうしてそんなことを聞くの?」
「お答えください、ガルウッドさん」
「演奏会に行っていたわ。ルゴッホの演奏会よ。それがどうかしたの?」
「誰かと一緒にいました?」
「1人よ。1人で行っていたの」
「演奏会のあとは?」
「家に帰ったわよ」
「昨夜、この家で何があったかはもうご存知なんですね?」
「ええ、泥棒がロバートを襲ったと聞いているわ」
「ここからガルウッドさんのお宅まで、どのくらいでしたっけ?」
「歩いて20分ほどよ。さっきから、何を聞いてるの? ソフィー。今日は珍しくおしゃべりなんじゃないの」
「いえ、ガルウッドさん。私、何でも知りたい性格なんですよ。理屈っぽいんで。ところで、手を怪我なさってますね?」
「え、ええ。ちょっと切ってしまったの」
アンナは、傷を隠すように手を押さえた。
「最近の怪我のようですね。昨夜ですか?」
「……え、ええ。家にいるときに、切ったの」
「どうやって? 何で切ったのですか?」
「ちょっと、引っ掻けてしまっただけよ。どうでもいいじゃないの、そんなこと」
アンナの口調に、わずかに動揺が現れた。ソフィーは、観察するようにアンナの表情をじっと見つめながら話を続ける。
「そうですか。ところでガルウッドさん、父との結婚のことですが、こういうことになってしまっては、ひとまず……」
「いいえ、結婚はできるわ」
アンナは胸を張った。ソフィーもスコットも驚いてアンナを見た。
「婚姻届けさえ受理されれば、できます」
「どういうことですか?」
「そのままの意味よ。どんな状況だろうと、婚姻届けが有効であれば、受理され、結婚はできるの」
「……どんな状況だろうと、ですか?」
「ええ、たとえ相手が……亡くなっていてもです」
アンナの言葉に、ソフィーもスコットも絶句した。結婚するはずだった男の死が、問題ではないかのような口ぶりだ。
2人とも、この女にしたたかさを通り越した執念を感じた。
「そ、そういえば、そのようなことを聞いたことがありますね」
スコットがようやく口を開いた。
「そうなのですか? スコット様」
ソフィーがスコットを振り返る。
「いえ、私も詳しくは知らないのですが……」
「確かなのよ、ソフィー。ただ、亡くなった方と結婚すれば、その瞬間に未亡人になりますけどね。奇妙な話だけど。でも、妻としての権利は、そのままなのよ」
「なぜ、そんなことを知っているんです? ガルウッドさん」
「まあ、私も未亡人だし、いろいろ聞いたからなのよ」
「そうですか……でも、その婚姻届けはどちらに?」
「ロバートは婚姻届けをすでに用意していたの。これがそうよ」
アンナは1枚の封筒を取り出すと、中から婚姻届けが現れた。
「これが婚姻届けよ。ちゃんとお互いのサインもあるわ」
「婚姻届けを持ち歩いているんですか? ガルウッドさん」
「そうよ、ソフィー。盗まれたら大変でしょう?」
「ちょっと見せてもらえますか?」
「ええ、どうぞ」
アンナが手渡した婚姻届けを受け取ると、またソフィーの顔つきが変わった。集中して覗き込んでいる。ふつうの書類よりサイズが小さめの紙だった。
「2人のサインと……父の指輪の判も押してありますね」
ソフィーは拡大鏡を取りだし、婚姻届けを調べた。アンナは、その様子をいぶかしげに見ていた。
「あらソフィー。拡大鏡なんか持ち歩いているの?」
「はい、ガルウッドさん。理科の授業で使って以来、気に入ってますの」
ソフィーは顔を上げずに答えた。
「これは……最近書かれたものですね……」
「そうよ。少し前に用意してて、私が預かっていたの」
ソフィーは顔を上げると、婚姻届けをアンナに差し出した。
「どうぞ。お返しします。ところで、スコット様、父はどちらの病院に?」
「グレイストン病院ですよ」
「父の様子を見に行ってもよろしいですか?」
「もちろんです」
「じゃあ、ガルウッドさん。私はこれで……。あ、最後にひとつよろしいですか?」
「何なの? ソフィー」
アンナはほっとしたような微笑を見せた。
「昨夜は誰といました?」
「1人だと言ったでしょう、さっき」
アンナはわずかに声を荒らげた。
「あ、そうでしたね。うっかりしてましたわ。私はまたてっきり父と演奏会に行く予定だったのかと」
「いいえ、昨夜は会う約束はしていなかったのよ」
「そうですか……、それでは」
ソフィーはスコットと共にホールを後にした。振り向かずとも、ソフィーを睨みつけるアンナの表情が見えるようだった。
(たとえ相手が死んでも、婚姻届けは有効)
アンナの言葉が引っかかる。ソフィーは、妙な胸騒ぎがして、病院への道を急いだ。




