その2 深夜の来訪者
──テラス窓の外に立っている女は、アンナ・ガルウッドだった。
ロバート・ビレットは鍵を開け、彼女を中に招き入れた。
「……こんな夜中にどうしたんだね? アンナ」
ロバートは少し驚いたように言った。
「あなたに会いたくなったのよ。一緒に演奏会に行けなかったですし。それに、夜中にこっそり会うなんて、ドキドキするじゃありませんか」
アンナが書斎に入ると、ロバートはそっと窓を閉めて鍵をかけた。
「……そうか。だが、ちょうどいい。私も君に話があったんだ」
「あら、何かしら?」
ロバートはアンナに背を向け、テーブルの上の葉巻を取り、火をつけた。
ため息をつくように煙を吐き出してから、口を開いた。
「……アンナ、今日鍵りで別れて欲しい」
アンナの表情は変わらなかった。
「あら……ロバート。今日まで私がどれだけ尽くしてきたか、わかって?」
「君の目的は分かっている。わしの財産だろう」
ロバートは背を向けたまま淡々と応える。
「……それじゃあ、この婚姻届けにはサインしてくださらないの?」
アンナは1枚の紙を差し出したが、ロバートは振り向きもせず、無言で葉巻を吹かした。
「あとは、あなたがサインさえしてくだされば、この婚姻届けは有効ですわ」
「そこに小切手が置いてあるだろう。それを受け取って、黙って帰ってくれ。そして、すべて忘れてくれ」
アンナはテーブルの上の小切手を手にし、書かれた文言に目を通した。
そこには『キーヘッド銀行どの。アンナ・ガルウッド氏に金貨100枚払われたし』と書かれ、その下に大きく余白を置いて『ロバート・ビレット』のサインがあり、その横に印章が押してあった。
「……これで、別れろって言うんですか?」
「そういうことだ」
小切手を置くと、アンナはテーブルの上にあるブランデーの入ったデカンタを手に取った。
ゆっくりと、ロバートに歩み寄る。
ロバートはアンナに背を向けたままだ。
「娘さんに何か言われたの?」
アンナはデカンタを、両手でぐっと握りしめた。
「娘は関係ない。わしが決めたことだ」
「そうなの……」
アンナはデカンタを振り上げた。
「そうだ。だから、アンナ……」
──鈍い音が部屋に響き、ロバート・ビレットが床へうつ伏せに倒れた。わずかにけいれんすると、動かなくなった。
アンナはデカンタをテーブルに戻すと、倒れたロバートのベルトに付けた鍵の束を取り外した。
その鍵の束のリングに、アンナは持参した鍵をはめ込んだ。
その鍵の束のうちの1つを使って、アンナは書斎のすみにある金庫を開け、中から書類の束を取りだした。鍵の束はテーブルの上に無造作に置いた。
書類にはどれも『ロバート・ビレット』のサインがある。アンナは、そのうちの1枚を持参した婚姻届けと書き物机の上に並べた。
書類のサインと見比べながら、慎重に真似し、机のペンとインクで、婚姻届けに『ロバート・ビレット』とサインをした。
そして、倒れたロバートの指から印章の付いた指輪を抜き取ると、スタンプパッドに押し当て、サインの横に押した。
ハンカチで指輪を拭うと、倒れたロバートの指に戻した。
他の書類は、債券や株券である。少し考えてから、アンナはそれらの書類を紐でくくり、わきに抱えた。
屋敷は静かで、使用人たちが異変に気づいた様子はない。
だが、作業に集中しているうちに時間が経っていたようだ。30分は経っただろうか。カーペットに落ちた葉巻は火が消えていた。
アンナは、テラス窓の鍵を開けて出ようとしたが、思い出したように動きを止めた。
いったん書類を机の上に置き、文鎮をつかむと、テラス窓の外側に行き、窓を閉め、ガラスにショールを押し当てた。
ショールの上から文鎮を叩きつけると、音を立てずに窓ガラスが割れ、破片が部屋の内側にばらまかれた。
アンナは、割れた部分から手を入れて、外側から鍵が開けられるか試してみた。
(痛っ……!)
ガラスの破片で手を少し切ってしまった。
傷をハンカチでおさえ、ふたたび室内に入ると、テーブルの上の小切手が目に留まった。
(……金貨100枚。こんな金であたしを買おうなんて)
そう思いつつも、サインを偽造した婚姻届けやほかの書類に小切手も重ねてショールに包むと、アンナはテラス窓を通り、開け放したまま庭を通ってそのまま闇に消えた。
誰ひとり気づく者はいない。屋敷は静かなままだった。
◇ ◇ ◇
──翌朝。午前中にはすでに街報紙に号外が載り、昨夜のことが知れ渡っていた。
『ニューリッチ街の資産家、ロバート・ビレット氏、殺害される!? 犯人は夜盗か?』




