第六十一部 海の姫は、銀貨より先に友人の顔を見る話 ② 港湾記録室と、海へ近い倉庫
港湾記録室は、海へ近い石造倉庫の二階にあった。
一階には、湿気を避けるため床から少し高く上げられた木棚が並び、薬箱、防湿紙、乾燥果実、織物が、荷札ごとに分けて置かれている。銀貨を入れた革袋は、別室へ運ばれた。
二階の窓からは、湾全体が見えた。
桟橋。
河口。
外洋船。
小舟。
荷役場。
魚を干す台。
鉱石を積んだ荷車。
山と海が、一つの場所でつながっている。
机の上へ、リヴィアが持ち込んだ革袋が置かれた。
アーデルハイトは港湾役人へ声を掛ける。
「昨日、市場で分けた銀貨と、同じ秤を使ってください。記録は別紙へ。港、船名、持ち込まれた日、枚数、刻印、重量差を残します」
「承知しました」
銀貨が、白い布の上へ並べられていく。
同じ額面。
似た刻印。
遠目には、違いなど分からない。
一枚ずつ、秤へ載せる。
重りが、わずかに揺れる。
同じ袋の中で、基準へ収まるものと、少しだけ軽いものが混じっている。
カミラは、軽い銀貨を一枚だけ手に取った。
指先で縁をなぞる。
表面を見る。
光へ傾ける。
「削った跡は、目立たない」
「でしょう」
リヴィアが答えた。
「船主たちも、最初は流通の途中で削られたのだと思っていました。けれど、枚数が増えた。しかも、特定の港を経由した袋だけではありません」
「同じ鋳型?」
「完全には分かりません。刻印の細部は、港ごとに違います。ただ、似た傾向はある」
アーデルハイトは帳面へ目を落とした。
「アルムロイト市場で保留したものは、帝国側から来た荷車の支払いにも、シーロ便の箱にも混じっていました」
「陸路だけではない」
カミラが言う。
「海路だけでもない」
リヴィアが返す。
「どこか一つの港で混ぜたと考えるには、広がりすぎています」
カミラは銀貨を布へ戻した。
「まだ、線にはならない」
「だから、記録を集めます」
アーデルハイトが言った。
三人は、しばらく銀貨と帳面を見た。
誰か一人が話し続けるわけではない。
カミラが、鉱山労働者の賃金支払いについて訊く。
アーデルハイトが、領内の市場価格と配給所の記録を答える。
リヴィアが、西側の港で始まった値引きと、船主たちの迂回航路を補足する。
同じ銀貨を見ている。
しかし、見ている場所は違う。
「賃金へ混じれば、労働者が先に損をする」
カミラが言った。
「額面どおりに受け取っても、市場で割り引かれる。商人が警戒して価格を上げれば、同じ賃金で買える麦が減る」
「船員も同じです」
リヴィアが答える。
「寄港先ごとに受け取り方が変われば、給金を銀貨で渡しても、港を越えた瞬間に価値が変わる。船主は別の貨幣を求め、荷の値段へ上乗せする」
「領内へ入る穀物も上がる」
アーデルハイトが言った。
「アルムロイトは、すべての穀物を自給できません。海路が乱れれば、山側の村まで影響が出ます」
カミラは帳面へ指を置く。
「貨幣は、ただの金属ではない」
「信用です」
アーデルハイトが答えた。
「誰もが、明日も同じように使えると思うから、今日受け取る」
リヴィアは、布の上へ並ぶ銀貨を見る。
「その信用が、港ごとに少しずつ剥がれ始めています」
窓の外では、荷役人が声を掛け合い、薬箱が倉庫へ運び込まれている。
港は動いている。
船も、荷車も、市場も、まだ止まってはいない。
ただ、銀貨一枚の軽さが、海と山の間へ細い亀裂を作り始めていた。
「コンラート辺境伯へ、早く見せるべきだ」
カミラが言った。
「ええ」
リヴィアは頷く。
「そのために来ました」
──第六十一部 了




