第五十八部 門が一つではない国の話 ④ 門が一つではない国と、宿駅の夜
灰岩関から一刻ほど進んだ先にある宿駅で、その日の移動は終わった。
宿駅とはいっても、旅人向けの酒場と寝台があるだけではない。馬小屋、倉庫、簡素な診療室、役人用の記録机、河川と街道の状況を書き込む掲示板が、一つの石造りの建物へ集められている。
荷車が止まると、ベルク監督官が言った。
「今夜は、こちらで休んでください。辺境伯府から受取役が来るまで、先へは進みません」
「明日ではないのか」
レオンが訊く。
「橋の通行停止で遅れました。加えて、医師が二名を診ます」
「また医師」
「辺境伯閣下からの指示です」
ベルク監督官は答えた。
「傷を悪化させた状態で連れてくるな、と」
レオンは、少しだけ顔をしかめた。
「辺境伯は、会う前から細かい」
「生き残るために、細かい方です」
「面倒そうだな」
「お互い様だろう」
カミラが言った。
ベルク監督官は、二人のやり取りを見たあと、手元の書類へ視線を戻した。
「それから、辺境伯府より伝言があります」
「俺たちへ?」
「レオン・ヴァン・リュカリオン殿へ」
レオンは、少しだけ姿勢を直した。
ベルク監督官は、折り畳まれた小さな紙を開く。
「道中で見たものを、三つ覚えてこられよ。剣と人名以外で」
読み上げ、紙を閉じた。
レオンは、少し黙った。
「試されている?」
「おそらく」
カミラが答える。
「会う前から?」
「会う前だからだ」
レオンは、宿駅の前へ置かれた水位柱、荷車の秤、河川情報の掲示板へ視線を向けた。
橋。
秤。
閉じる判断。
すでに、三つでは足りない。
「面白い」
レオンは言った。
カミラは、少しだけ目を細める。
「気に入ったのか」
「まだ会っていない」
「顔に出ている」
「監察官は、人の顔を読みすぎる」
「分かりやすいだけだ」
レオンは笑った。
山の空気は冷たい。
傷も痛む。
自由でもない。
帝国から追われる立場が消えたわけではなく、アルムロイトで何を問われるのかも分からない。
それでも、白鷹門を出た時より、少しだけ呼吸がしやすかった。
知らないことがある。
だから、見てみたい。
学び直せるかもしれない。
十八歳で途切れたものを、別の形で拾い直せるかもしれない。
レオンは、谷の奥へ続く道を見た。
その先に、アルムロイト辺境伯がいる。
──第五十八部 了




