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第十九部 南へ向かう荷車と、半分だけ抜ける剣の話 ② ブリエン東口

その日の昼前、灰柳から使いが来た。


 来たのは、代書屋イザベルの手伝いの少女だった。


 名前はノーラ。


 昨日、男に突き飛ばされ、紙をばらまいていた少女だ。


 年は十五か十六くらい。


 小柄で、髪を短く切っている。


 左手に包帯を巻いていた。


 診療所の扉を開けるなり、彼女は息を切らして言った。


「ロドさん、サンドルさん、ニーナさん、イザベルさんからです」


「怪我は」


 ニーナが最初に訊いた。


 さすがだ。


 情報より先に傷を見る。


「大丈夫です。擦っただけ」


「見せて」


「え、でも手紙が」


「手紙は逃げない。傷は悪くなる」


 ノーラは逆らえず、椅子に座らされた。


 ニーナが包帯をほどく。


 居候老人が奥から覗き、ふん、と鼻を鳴らして戻る。


 大した傷ではない、という意味らしい。


 ノーラは少し緊張していた。


 それでも、目はよく動く。


 イザベルの手伝いらしい目だ。


「字を書く手か」


 俺が訊くと、ノーラは頷いた。


「はい。まだ先生ほど速くはないですけど」


「先生」


「イザベルさんです。先生って呼ぶと嫌がりますけど」


「嫌がるのか」


「はい。でも、ちゃんと返事します」


 なるほど。


 イザベルの顔が少し浮かんだ。


 嫌がりながら返事をする姿が、妙に想像できる。


 ニーナが傷を見て、薬を塗った。


「浅い。水仕事は少し控えて。紙をめくる時に開きやすいから、今日はゆっくり」


「はい」


「返事だけじゃなくて、実行」


「はい」


「いい子だ」


 俺は少し驚いた。


 ニーナが人に「いい子だ」と言うのは珍しい。


 いや、言うのかもしれない。


 俺に言わないだけだ。


「俺にも言ってくれ」


「何を」


「いい子だって」


「いい患者になったらね」


「条件が厳しい」


 ノーラが少し笑った。


 リューリックが手紙を受け取る。


 封の端には、灰色の柳の葉を模した小さな印があった。


 イザベルの代書屋の印だろう。


 青ではない。


 黒いインク。


 普通の印。


 普通のものが、最近ありがたい。


 リューリックが封を開け、目を通した。


 表情は変わらない。


 ただ、読み終えるのが少し速かった。


 急ぎの文だ。


「殿下」


「何だ」


「ブリエン東口のグラント商会から、灰柳経由で返書が来ています」


「テオか」


「はい」


「早いな」


「灰柳の紙を、昨夜のうちに南へ走らせたようです」


 リューリックは手紙を机に置いた。


 ニーナも手を止めて見る。


 ノーラは背筋を伸ばした。


 手紙には、読みやすい字でこう書かれていた。


 ロド・カナリ殿。


 サンドル殿。


 灰柳の写し、受領。


 レヴォナ軽銀、青い細線、名前写し、リンデン粉の四点は、同じ荷脈に乗っている可能性が高い。


 ブリエン東口にて、同印の荷札を複数確認。


 うち一枚は、南行きの薬草樽に付されていた。


 宛先は、ブリエン南岸、ラグナ埠頭。


 そこから先は、シーロ行き小型船に積み替え予定。


 ただし、荷主名はオーランド系商会を名乗る偽装の疑いあり。


 オーランドはシーロの先ではない。


 この名義は、むしろ遠方商流を盾にした煙幕と見る。


 可能であれば、リンデン側からブリエン東口へ移動し、現物確認を求む。


 急げ、とは言わない。


 ただし、銀貨より先に動かないと、名前も粉も海へ出る。


 セオドール・グラント。


 追伸。


 負傷者は、死なない範囲で来ること。


 死なれると勘定が合わない。


「最後がひどい」


 俺は言った。


「テオ殿らしい現実的配慮です」


「俺の命が勘定に入っている」


「入っているだけ良心的でございます」


 ニーナは手紙の途中で止まっていた。


「薬草樽が、シーロ行き?」


「ああ」


「でも、荷主名はオーランド系商会」


「地理がおかしい」


 リューリックが頷いた。


「はい。シーロはブリエン南の海洋圏です。オーランドはレヴォナ、リヴェン、ヴェスタリア方面を挟んだ遠方の国。名義だけなら使えますが、自然な流れではありません」


「誰かが、わざと遠い名前をかぶせてる?」


「その可能性がございます」


「名前写しと同じだ」


 ニーナが言った。


 声が低かった。


「人の名前を別の人に着せる。商会の名前を別の荷に着せる。銀貨の顔も軽くする。全部、何かのふりをしてる」


 その通りだった。


 ニーナは、こういう時に物事を一気につなげる。


 診療所で膝から熱までつなげる目が、今度は荷札から海までつなげている。


 リューリックが静かに言った。


「ニーナ殿、その見方は正しいと思われます」


 ニーナは少し驚いた顔をした。


「え、本当に?」


「はい。偽装の構造が似ています」


「……そっか」


 少し嬉しそうだった。


 その顔を見て、俺は少し面白くない。


 リューリックに褒められて嬉しそうにするな。


 いや、していい。


 リューリックは有能だからな。


 だが、少しだけ面白くない。


「殿下」


 リューリックが俺を見る。


「何だ」


「面白くなさそうな顔をなさらないでください」


「してない」


「しておられます」


 ニーナがこちらを見る。


「何?」


「何でもない」


「顔が言ってる」


「顔を読むな」


 ノーラが小さく笑った。


 代書屋の手伝いまで、俺の顔を読むようになったら困る。


 この大陸には、俺の顔を読む女が増えすぎている。



 ◇



 問題は、誰がブリエン東口へ行くかだった。


 リンデンからブリエン東口までは、近くはない。


 王国中央街道を外れ、ブリエン街道へ入り、南東へ下る。


 荷車なら数日。


 急げば二日半。


 怪我人を乗せれば、もっとかかる。


 俺の肩は、木剣三回で診療所全体が騒ぐ状態だ。


 長旅にはまだ早い。


 だが、薬草樽は海へ出る。


 シーロ行きの小型船に積み替えられる前に、現物を見る必要がある。


 リューリックは地図を広げた。


 灰柳。


 リンデン。


 ブリエン東口。


 ブリエン南岸、ラグナ埠頭。


 さらに南の海。


 シーロ。


 そして、遠い反対側にオーランドの名。


「選択肢は三つです」


 リューリックが言った。


「一つ。殿下と私が共にブリエン東口へ向かう。安全ですが、移動が遅い」


「俺が重荷扱いだな」


「はい」


「即答するな」


「現実です」


「二つ目は?」


「私が先行します。殿下はリンデンで療養し、ニーナ殿の管理下で回復を優先する。私はグラント商会と接触し、荷札と薬草樽を確認します」


「却下」


「理由は」


「お前だけ行くと、俺が暇だ」


「たいへん私的な理由でございます」


「それに、俺が置いていかれるのは嫌だ」


 言ってから、少しだけ自分で驚いた。


 子どもみたいな理由だった。


 だが、半分は本音だ。


 俺は置いていかれるのが嫌いだ。


 国に。


 家族に。


 父に。


 妹に。


 昔から、いろいろ置いていかれた。


 だから、たぶん置いていかれるのが嫌いだ。


 リューリックは何も言わなかった。


 ニーナも黙った。


 沈黙が少し重くなる。


 俺は咳払いをした。


「で、三つ目は」


「殿下はリンデンから一日遅れで移動します。私は先行してブリエン東口へ向かい、荷の出港を止める交渉を行う。殿下は翌日、ニーナ殿またはマルタ殿手配の荷車で追う」


「別行動か」


「短期的な別行動です」


 その言葉が、部屋の中に落ちた。


 短期的。


 別行動。


 俺とリューリックは、基本的に二人で動いてきた。


 俺が死にかけ、リューリックが止める。


 俺が惚れ、リューリックが刺す。


 俺が走り、リューリックが回収する。


 その構図は、良くも悪くも安定していた。


 だが、大陸は広い。


 銀貨は先に走る。


 名前は売られる。


 荷は海へ出る。


 二人で一緒に歩くだけでは、追いつけないものが出てくる。


「リューリック」


「はい」


「お前は、三つ目がいいと思ってるな」


「はい」


「理由は」


「殿下の肩を壊さず、かつ荷を逃がさないためです」


「俺の感情は」


「考慮しています」


「してるのか」


「はい。そのため、一日遅れにしております。置いていくのではなく、道を先に開けます」


 リューリックの声は、いつも通りだった。


 だが、少しだけ柔らかかった。


 置いていくのではなく、道を先に開ける。


 この男は、時々そういう言い方をする。


 ずるい。


 俺は言い返せなくなる。


 ニーナが薬箱を抱えたまま言った。


「一日なら、うちが肩を見て、移動できるか判断する」


「判断」


「うん。行っていいか、駄目か」


「俺の進路が診療所で決まる」


「今さらでしょ」


「そうだな」


 ノーラが、おずおずと手を上げた。


「イザベル先生が、もし分かれるなら、紙は二通にしろと言っていました」


「二通?」


「はい。一通はサンドルさん。もう一通はロドさん。片方が奪われても、片方が残るように」


 代書人らしい。


 紙も人も、一つにしない。


 リューリックが頷いた。


「合理的です」


「俺の分は誰が書く」


「私が」


 ノーラが言った。


 少し緊張しているが、目は強い。


「イザベル先生から、ロドさんの字は危険だから代書しろ、と」


「俺の字の信用が消えた」


「消えたのではなく、危険分類に入ったのでございます」


 リューリックが言った。


「余計悪い」


 ニーナが少し笑った。


 笑いながら、俺の肩に目をやる。


 彼女の中では、もう判断が始まっている。


 行かせたい。


 行かせたくない。


 たぶん、両方だ。


 俺は、そういう顔を少し読めるようになってしまった。


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