桜は、いつもそこにある
はらはらと舞う桜の花びらが、当時のことを「覚えているよ」と言いたそうに舞っている。
静かに話を聞いていた夫婦は、神妙な顔をして言葉少なになっていた。
「今じゃ、とても考えられません……」
動かない展示物と化したハチロクに、運転士になったかのようにはしゃぐ子供を見つめながら、父親はぽつりと零した。
「好きなのに一緒になれないなんて……。世間や家なんて、今じゃどうでもいいことじゃないですか」
父親の言葉に、雅治は目を細めて頷き返した。
「そうですね……。でも、じいさんの生きていた時代はそうはいかなかった……。とても、難しい問題だったんです」
「……」
考え方が今とは真逆だった時代。
知識として知っていたとしても、言葉として聞いた夫婦には重たく胸に落ちていく。
「……私を含め、あなた方も、幸せな時を生きているのでしょう」
「あの……お爺さんは、そのあとどうされたんですか?」
母親が涙ぐみながらそう訊ねると、雅治はにっこりと微笑んだ。
「しばらくは仕事に生きていたそうです。でも確か……二十六の歳には結婚をしたと聞いています」
「結婚、されたんですね……」
「はい。それまで断り続けていた縁談を受け入れ、見合いをしたそうです」
結婚したと聞き、安心したのと同時に夫婦の表情はとても複雑だった。
「お爺さんは、幸せだったんでしょうか……」
母親の言葉に、雅治は目を細めて小さく頷く。
「……幸せだったと言っていました」
雅治がはっきりと覚えている勇の姿は、定年を迎えてからほどなく体を壊し、鼻カニューレを付けて病院のベッドに横たわっている姿だった。
時折面会に母と行っていた始めの頃は受け答え出来ていたものの、次第に何も話せなくなり、食べられなくなり、どんどん痩せ衰えてしまっていった。ぽかんと開いた口に、虚ろに落ち窪んだ眼が忘れられない。それでも耳元で小春の話をすると、勇は涙を滲ませながら小さく頷き返してくれる。
雅治はハチロクを見上げ、まるで独り言のようにぽつりと呟く。
「……じいさんは、亡くなる直前に笑っていたんです」
「……」
それまで表情がなかったはずの勇は、最期の最期で笑っているように見えた。最期の一息を吐く、その瞬間まで……。
母親は堪えきれず涙が溢れ出て、ハンドタオルで涙を押さえていると子供がそれに気付き、ハチロクから降りて駆け寄ってきた。
「ママ? どうしたの? 大丈夫?」
「……ごめん、大丈夫よ」
母親が笑いながら子供の頭を撫でると、雅治に目を向け頭を下げた。
「色々聞かせて下さり、ありがとうございました」
「いえ、ただの老人の独り言ですよ」
雅治がにっこりと笑ってそう言うと、子供の目線に合わせるよう腰を屈めて頭を撫でる。
「僕。ママとパパを大事にするんだぞ?」
「……うん?」
その言葉に、子供はきょとんとした顔を浮かべ曖昧な返事を返した。
雅治が真っすぐに立つと、父親も口を開く。
「僕たちが生きている今が、どれだけ恵まれているかが良く分かったような気がします……」
「……これからもご家族仲良くいてください」
「ありがとうございます」
そう言うと親子は揃って頭を下げる。背を向けて歩き出すと、子供はちらりと雅治を振り返り小さな手を振り返してきた。
雅治はその子供ににこやかに手を振り返し、彼らが見えなくなるまでその場から見送った。そしてもう一度、静かにハチロクを見上げる。
「……じいさん。あなたの生きた時代は、いつも大変だったでしょうね」
それでも「幸せだった」と言えるなら、良かったのかもしれない。
勇が生きた時代は、まだ、本当の幸せと呼べる時代ではなかったのだから……。
終
ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。
町興し団体に所属し、じゆうに大賞の告知を見て、せとうちを舞台にした作品、と言う謳い文句に運命を感じて書こうと思ったこの作品。実に一ヶ月半で書き切りました。
なんの捻りもない、ストレートな王道中の王道。展開は読める、けど、つい読んでしまう。
そんな作品を目指して書きましたが、いかがでしたか?
この作品を書くにあたり、町興し団体のご助力のもと、資料や場所、その土地の歴史、そこに住んでいるからこそ知っている情報を、実際に現地で説明を受けながら巡り、集めたそれらを内容に組み込んでみました。
ご協力頂きありがとうございました。
※登場人物及び物語自体はフィクションです。
ちなみに……これ、実はまだ前編。
後編はコンテストとは関係なく書く予定です。
それはまた、その内に。




