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春の残香 〜汽車の窓に、なごりの桜〜  作者: 陰東 紅祢
思春期編

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確認

「……びっくりした。最近、見なかったから」


 勇が僅かに視線をそらしながらそう言うと、小春は小さく頷き返す。


「小学校卒業して、すぐ丸亀の女学校に通うことになったから、ね。今日は久し振りに帰って来たの。明日お休みだし」

「……そうか」


 明るく答える小春は、視線を外したままの勇に首を傾げる。


「ね。久し振りだし、ちょっと港の方まで行ってみない?」

「今から?」

「うん。夕陽が綺麗な場所、知ってるんだ」


 ニコニコと屈託ない笑顔を向ける小春に、勇はどこか気後れしながらも、港に向かうことにする。


「……」


 一歩先を歩く小春を、勇は見つめる。

 揺れる長い髪に、落ち着いた深みのある紅色のリボン。鮮やかな色の模様があしらわれた着物も、濃紺の袴も、どれも小春に良く似合っていた。


 ――昔は……俺が良く誘う側だったな。


 ぼんやりと、そう思う。

 小春はきっと大きく変わってはいない。ただ少し、大人びた。それが、女学校に通うようになったからなのか、着ているものや容姿が変わったからなのかは、分からないが……。


 ――何を話せばいいか、分からない。


 あの日から、まともな会話もないまま時間だけが過ぎてしまった。ただ残るのは、あの日の苦い記憶だけが、勇の心に尾を引いている。


「……」


 二人は、特に会話らしい会話はなく歩く。

 港が近付くに連れ、遠くに潮騒の音が響いてきた。

 港には大型船が着き、沢山の積荷を小舟に積めるだけ積んで、町中を流れる桜川へ進む姿が見える。

 遠くにある僅かに霞んだ山の尾根と、大型船。陽の光を受けて煌めく海面が見渡せる、ひらけた場所へとやってきた。


 オレンジ色の夕陽が、眩しい。


「ここも、久し振り」


 背後に前池と呼ばれる池の畔に立ち、目の前に広がる絶景と夕陽を見つめる小春はぽつりと呟いた。


「綺麗でしょ?」


 そう言いながら振り返る小春に、勇は一瞬、息を呑んだ。


「……その、着物?」


 無意識について出た言葉に、小春は「違う違う、夕陽の話」と困ったように笑う。


「うん。いや……その……」


 気後れしながら歯切れの悪い回答をする勇に、静かに小春は着物へ視線を落とした。


「これね、正一しょういちさんが贈ってくれたの」


 小春は何の気もなく答える。それを聞いた瞬間、勇の胸が僅かに痛んだ。


「……に」

「?」


 小春によく似合ってる。しかし、その言葉を言うことを、勇はなぜだか分からないが躊躇った。

 不思議そうに見つめる小春から視線をそらし、無意識に胸元の服を掴んだ。


 ――正一って……もしかして、あの日見たあの人のこと、かな。


 何となくそれを口にするのが憚られ、勇は心の中で呟く。

 たった一度、すれ違っただけの彼の印象は、悪くなかった。むしろ好感が持てるくらいの好青年だったのを、今でも覚えている。


「勇さん」

「え……?」


 ふいに呼ばれ、勇は面食らった顔を向けると、小春は小さく、少しだけ寂しそうな陰を見せた。そして、視線を足元に下げると、ぽつりと、ひとりごとのように呟く。


「……勇」


 昔のように、敬称を付けずに名を呼ばれた勇の胸が一度、大きく跳ねた。

 小春は照れたように、でもやはりどこか陰を残した笑みを浮かべて、顔を上げる。


「……もう、帰ろっか。暗くなったら、お母さんたち心配するもの」

「……あ、あぁ」


 暗くなったら……。

 勇にはその言葉が痛い。


 ゆっくりと来た道を戻るために歩き出した二人。来る時とは違い、今度は勇が少し前を歩く。

 小春は、僅かに見上げるくらいに大きくなった勇の背を見て、切なげに軽く胸元で拳を握った。

 

「……勇さん」


 背後から、再び名を呼ばれた勇が足を止め、振り返る。すると小春は小さくほほ笑みながら、彼の後ろから横に立った。


「一緒に、帰ろ?」

「……」


 勇は何も言えないまま、二人は並んで歩き出す。

 そんな二人の背後に、船の汽笛が鳴った。

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