ローマ人への手紙
「ワシがしたことは一見残酷なことに思えるだろう。
しかし砂糖を捨てたのは彼女自身の決断によるものだ。」
「それは人を助けるためだったと聞いています。」
「分かってる。
だがとった行動には責任が生じるものだ。事情がどうであれ律法に例外は認められない。」
自分がその時どんな顔をしていたのか分からないが、師匠は言葉をすぐに続ける。
「もちろん彼女を破滅させるつもりなんてない。
ワシが興味を持っているのはその助けられた男でそれ以外のものに手は出さない。」
「けどそれでは二人を引き裂くことになるのでは?」
ボクの言葉に師匠は鼻を鳴らす。
「まだ出会って一ヶ月も経ってないんだ。
おおげさだよ。」
時間の問題なのだろうか?
あの様子を見る限り双方ともにショックを受けそうだが。
「もちろんあの男も気の毒な身の上だとは思う。だが元々空から降って湧いたような人間なんだ。
過ごす位置が多少変わったところで…」
心の中で逡巡があったのか師匠は最後の言葉を言いよどむ。
「いや、結局あの男はどこまでいっても外の人間だ。」
「それでその人のことを手に入れたら他の人に売るつもりなんですか?」
「もちろん。」
「彼には特殊な能力があると聞きましたが、有益な使い道が別にあるのでは?」
「だから出来るだけ高く売るつもりでいる。」
「それだとその場限りのお金でしかありません。
そうではなく街のために持続的に活用する方法を模索してみては?」
じっーと、師匠が自分の瞳の中をのぞき込む。
そんなことは絶対に有り得ないのだが、自分の真意がそこに書いてあるような気がしてあわてて目を伏せる。
「お前は廃れた交易路に興味があると言っていたな。」
師匠は立ち上がると壁に設けられた書架へと向かい、古びた冊子を手にとって戻ってきた。
「こいつが当時の記録だ。」
目の前にそれがドンと、置かれる。
表紙の変色具合から30年以上は経過していそうな本だ。
「作成者はこの私で、中身はここから出発したキャラバンの旅のもろもろの費用や収益なんかが記してある。」
思いがけない告白を聞いて目が丸くなる。
「つまり師匠は昔、キャラバンの一員だったんですか?」
強い関心を持っていた事柄の生き証人がにわかに出現して、興奮で自分の声は裏返っていた。
「正規のメンバーだった訳じゃない。
会計の仕事があるからと、若い頃に臨時で雇われていただけだ。」
機会に恵まれず師匠の過去を聞いたことなんて一度もなかったが、
ってきり学校を卒業してからこの街でずっと書記官をしているものだと思いこんでいた。
「お前がキャラバンにどんな先入観を持っているのか知らないが、
経験から言わせてもらうとあれは人にとても勧められるようなものじゃない。」
師匠は目をつむったまま話を続ける。
それは過去の記憶が壊れないように、慎重に手繰り寄せているみたいだった。
「大金を稼げていたと言う人もいるが、それでもせいぜい一年分の収入でしかなかった。
商品の仕入れに全財産をはたいて二ヶ月ちかく命がけで砂漠を横断してだぞ?」
嫌な記憶が思い起こされたのか苦悶の表情に変わる。
「人は過ぎ去ったものに根拠もなく憧れや郷愁を抱くものだが数字だけは嘘をつかない。」
師匠は本に手をかけるとそれを開く。
偶然なのか?それとも開きたいページを自在に操れるくらいこの帳簿には馴染みがあるのか?
自分には見当もつかないがとにかく一発で目的のページが開く。
「これはキャラバンの最終的な利益の推移だ。
見て分かるようにそれは年々低下しており、最後の年には利益と呼べるようなものが殆ど無くなっている。」
指の腹が数字の羅列をなぞると古い紙独特の匂いが立ち上る。
「経済的な観点から見て大規模キャラバンはどのみち解体される運命にあったんだ。
そんなものをわざわざ復活させようなんて馬鹿げている。」
どうやら師匠がこの話をしてくれたのは自分の夢を諦めさせる為だったらしい。
動かしがたい事実を並べて。
「けどそこに書いてある内容は随分古いものですよね?
条件は今は大きく変わっているかもしれませんし、交易の品目を工夫すれば利益だってまだ出せるかも。」
「どれも全てお前の憶測だろ。本当は分かっているんだろ?
遠隔地貿易の時代は既に終わったんだ。
そんなギャンブルめいたことをしてはいけない。」
胸元に隠してある鍵開けの道具を意識する。
師匠は自分が帳簿を盗もうとしているなんてつゆにも知らないはずだが、その企みが露見してしまったような気がして息をするのも苦しくなる。
「そ、そうですね。」
動揺が悟られないように言葉をなんとか続ける。心臓がひどく痛い。
「ただ…
ただ銀山にだって枯渇する可能性がありますよね?
この街の経済はそれに深く依存しすぎている。
その状態を放置することもギャンブルに近いものなんじゃないんですか?」
「だからキャラバンを復活させるべきだと言うのか?
それなら隕石が家に降ってくる可能性もあるから、屋根に鉄板でも敷き詰めようか。」
あきれた様子で子供になにか諭すような態度で師匠は反論を続ける。
「お前は銀の枯渇を懸念しているようだが、新しい技術によってクズ石からも銀が取り出せるようになったことは知っているだろ?」
「東方の錬金術師が作った機械ですね。」
その手の職業は眉唾な人間が多くいまいち信用に欠けるのだが、その人はどうやら本物らしい。
「お前の心配とは裏腹に銀の採掘量は年々増加していて、
この街の経済状況は今までで一番の活況なんだぞ。」
だからこそ余裕がある時に未来への投資をするべきではないのか?
だめだ。これでは弱い。
根拠や理詰めで師匠に勝てないことは初めから分かっていたが、自分の夢がこんなにもあやふやなものだったなんて…
考えの浅い自分が世間に晒されたような気がしてひどい自己嫌悪に陥る。
「師匠は隕石という言葉を使いましたが、
僕には山、その星の子がこの街に落ちてきたのには何か理由があると思うんです。」
黙ったままでいるとますます自分が幼く惨めなような気がして言葉をなんとか絞り出す。




