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Imaginary Solution  作者: 瀬名隼人
第一章 炎氷の二人
9/31

蒼の国 偽街ブレッティンガム 4

9

 蒼の国。偽街ブレッティンガム。


 広場の脇にそびえ立つ巨大なオフィスビルの最上階で二人の少年は向き合っていた。


「わざわざ此処まで上がってきた訳だが、どんな腹積もりだ? 自分からこんな逃げ場ゼロの空間を指定するなんて」

「さあ、特にそういうのは無いかな。あったとしても教えるわけ無いしね」


 怪訝な顔で訊くラムダに対して、カイは笑顔で答える。


「まあ俺としても追いかける必要が無いのはありがたいんだが、どうにも理解出来ないところがあるのが怖いな」

「別にそこまで考え込まなくたって何も無いよ。罠とかを張る余裕も無かったことくらいラムダだって知っているでしょ?」

「確かにそれもそうだな」


 アイの罠によって負けに追い込まれたミュウであれば、カイの発言は聞き捨てならなかったはずだ。むしろこの台詞そのものが罠なのかもしれないとまで思ったかもしれない。


 だが、生憎にも現時点でそのことを指摘できる人物は居なかった。


「おっ、どうやら向こうも始まったみたいだね」


 近くの通りから連続的な爆発音と発砲音らしき音が響いてきた。アイとミュウの魔法によるものだ。


「そうみたいだな。じゃあ俺達も――――」


 再び、ラムダの左手から膨大な量の炎が噴き上がる。カイが見てきたどの赤よりも美しく、攻撃的な荒々しい朱。


「そうだね。始めようか」


 それに対抗して、カイの両手の平には『回復』で出来た盾が出現する。


 数秒の睨み合いの後、二人はほぼ同時に動いた。


「くらえ!」

「燃え尽きろ!」


 カイが左手の盾を投げつけ、それをラムダの生み出した炎の壁が呑みこむ。さらにその炎はカイ自身をも呑みこもうと猛スピードで迫ってきた。


 しかしそれで怯むカイではない。彼はこれを逆に好機とさえ思う。


 自分とラムダの間に壁が隔たれているということは、相手からも自分の姿が見えていないはず。これほど奇襲に適したタイミングは無い。


「はあああああああああ!!」


 カイは全速力で自分から炎の壁に呑みこまれ、突っ切った。


 逃すものかと彼の身に業火が纏わり、残った右手の盾も消え去る。


 それでも彼の走りは止まることなく遂には壁を突破し、開けた視界には予想外の挙動に呆気に取られているラムダの姿。


「……はあっ!!」


 カイは燃える身体も気にせず握った右拳を振り下ろす。


「くっ!」


 間一髪、それを交差させた両腕で防いだ。


「あの炎の中を正面突破とか、正気かよ!?」


 ラムダは驚きの声を上げる。


「悪いけど、正気な奴は戦争を終わらせようとなんて本気で考えたりしないんだよ」


 左手に再び盾を生み出し、斬りかかる。


「ちくしょう!」


 盾がラムダの身体に触れる寸前、彼はカイの拳を振り払い両手から炎を逆噴射させた。ジェットエンジンの要領で攻撃をかわし、同時に距離を取る。


「へえ、どうやらその炎は君の両掌からしか出せないみたいだね」


 基礎魔法『水』で全身の炎を消火しつつ、カイは分析する。


「まさか、それを確かめる為だけにあんな無茶を?」

「どうだろう? 言ったでしょ、僕に深い考えなんて無いよ。ただちょっと熱かったかな」


 あはは、と戦闘中にも関わらず笑ってみせるカイに対し、ラムダの不安と苛立ちが募っていく。


 こいつ、一体何を考えている?


 それを実際に声に出そうものなら「だから何も考えてないんだってば」と返ってきそうなものだが。


「だとしたらどうするんだ? 確かに俺の炎は掌からしか繰り出せない。だったらお前はどうする?」

「こうする」


 カイは三度盾を造り出し、投げ飛ばす。


「その攻撃はさっき見たぞ」


 ラムダもそれに応じて炎を撃ち出すが、今度は壁ではなく球状。再び死角を突いて攻撃されるのを防ぐためだ。


 盾と炎、再び炎が盾を呑みこみ消し去る結果に終わるとラムダは予想していたが、実際は違った。


「ブレイク」


 カイのその一言と同時に投げられた盾がひとりでに裂け、破片となって四方八方へと散らばり火球を避ける。


 元々盾を狙って投げた攻撃というのもあり、カイにも身動き一つでかわされ消失する。


 そして散り散りになった盾はと言えば――――


「……は?」


 破片が宙に浮き、静止している。


 その切っ先は全てラムダに向いていた。


「行け」


 軽い動作でカイが指を振ると同時に、その盾の破片は真っ直ぐラムダへと襲い掛かってきた。


「マジかよ……!!」


 炎の逆噴射で回避を試みるが、破片は向きを変えて何処までも追ってくる。


「……っ、消えろ!」


 これではいずれ追いつかれると判断し、しつこい虫を振り払うような動作で炎を噴出させた左手を振るい、破片を焼き消した。


「はあ、はあ……。しまった、あいつは!?」


 何処を見てもカイの姿が見当たらない。恐らくはその為の破片攻撃だったのだろう。


 ホーミングする飛び道具で自分の姿を見失わせ、何処かから襲い掛かるタイミングを窺っているに違いない。


 ラムダは身体の全神経を研ぎ澄まし、僅かな空気の揺れにも即座に応じられる態勢を整える。


「………………………………」


 来ない。


 ラムダは考える。


 恐らく向こうにも自分が何時如何なる状況にも対応できる状態であることが伝わってしまっているのだろう。そうなるとこの作戦は失敗だったとも思う。もう少し外見だけでもリラックスさせておいた方が誘い出すには適していたはずだ。だが、今からそれを行うのもあからさますぎて逆効果だろう。ひとまずはこの状態を維持しておくのが最善か。


「………………………………」


 来ない。


 ラムダは考える。


 さては長期戦に持ち込み、自分の集中力が途切れたところを狙い討つつもりだな。そんな馬鹿げた手に乗ってたまるか。思惑さえ割れれば怖がることはない。集中力さえ失わなければ必ず勝てる。


「………………………………」


 来ない。


 ラムダは考える。


 どうした。一向に姿を見せる気配が感じ取れないが、もしかして逃げたか? 俺の強さに恐れをなして逃げ出したか?


 ……いや、それは考えにくいだろう。逃げようにも蒼の国で逃げ先なんてスティグマ城くらいしか思い浮かばない。そこに向かおうにもまずはこの迷路のような街を抜ける必要があるが、正直俺でなくとも迷ってしまうだろう。それも、地図も持たない余所者に城まで無事に戻れるとは考え難い。そもそもその為の偽街ブレッティンガムなのだから。


 だとするなら、残り考えられる可能性はと言えば『ただ純粋に飽きたから帰った』だろうか。確かに戦闘中にへらへらとした態度は取るし、この場所だって到底考えて選んだとは思えない。よく『煙となんとかは高いところを好む』と聞くが、まさかここまで顕著だとは。しかし帰るにしたってやはりこの街を抜けなければならない事実は変わらない。今頃何処かで泣きべそでもかいているか、それとも考え直してまた此処に戻ってくるか。


 彼は自分が冷静に物事を分析していると思い込んでいるが、この時点ですでに『何処かで好機を窺っている』という可能性を捨ててしまっている所から内心かなり焦燥している事が分かる。恐らくは彼のことを見ているカイにもそれは伝わっているだろうが、ラムダはそれに気付くことができなかった。


 それほどまでに冷静さを欠いているせいで、


『……お前は』

「――――っ!?」


 すぐ背後に『彼』が立っていることにさえ気づくことができなかった。


『お前は誰だ』

「……お前は、俺!?」


 背後に立っていたのは『ラムダ』。


『彼』はラムダに問いかける。


『お前は誰だ』

「お前こそ誰だ!」

『俺はラムダだ』

「出鱈目言うな! ラムダは俺だ!」


 崩れかかっていた彼の冷静さは『ラムダ』の登場により完全に瓦解した。


 それとは対称的に、『ラムダ』は落ち着き払った声で彼を追い詰めて行く。


『お前の知っている「ラムダ」は、こんな顔をしているんだろ?』


『ラムダ』は自分の顔を指差して言う。


「だったら同じ顔を持つ俺だってラムダだろ!」

『はて、面白いことを言うなあ。お前は自分の顔を自分で見ることができるのか?』

「はあ? 見なくたって自分の顔くらい――――っ!?」


 彼は言葉を詰まらせた。


 なぜなら、彼がその台詞を言っている間に『ラムダ』がにやり、と気味の悪い笑みを浮かべながら、懐から一枚の手鏡を取り出して彼に見せたからだ。


 そこに映っていたのは彼の知る『彼』の顔では無かった。


「なんだよ……これ……」

『自分の顔くらい――――どうした?』


 そこに映っていたのは見覚えのない大きなシルクハットを被った中年の男性が驚きに言葉を詰まらせている様子だった。


『これがお前だよ。そして、これがお前の言う「ラムダ」なのか?』

「違う……こんなの俺じゃない!!」

『だろうな。お前の知る「ラムダ」が俺で、お前は「ラムダ」じゃない』


 手鏡を仕舞い、より一層口の端を吊り上げながら繰り返す。


『お前は誰だ』


 無論、これらは全てカイの固有魔法『創造』による産物であるのだが、極限状態にまで張り詰めた精神状態の中で突然もう一人『ラムダ』と名乗る自分と同じ外見の少年が現れたことへのショックにより彼の中からカイの存在そのものがすでに忘却の彼方へと消し飛んでいる。


 その所為で冷静な判断はおろかこれが罠だと気付くことも出来ずに彼の頭の中は滅茶苦茶に掻き乱される。


 ラムダとは何だ?


 それは自分という存在のゲシュタルト崩壊。


 冷静さを欠いた奴ほど騙し易い相手は居ない。


 彼は文字通り自分を見失う。


「俺は……一体、誰で……『ラムダ』は一体、誰なんだ……?」

『可哀想に。自分が誰とも分からずにこんな闘いに巻き込まれてしまったなんて』

「俺が、可哀想……?」

『そうさ。お前は可哀想な奴だ。きっと悪い魔人に洗脳されてしまったのだろう。お前はお前の居るべき場所に帰るべきだ』

「悪い魔人に、洗脳を……まさか『あの時』に……!?」

『心当たりがあるようだな。その通り、その魔人達の所為で、君は自分が「ラムダ」だと思い込んでしまっているんだ』


 ちなみに『彼』を操るカイには『あの時』が何時、どのような状況でのことなのかさっぱり分からない。しかしそれを詳しく聞き出そうとはせずにわざと知った振りをして調子を合わせ、話題運びを円滑に進めると同時に有るはずの無い説得力を持たせた。


 やっていることは詐欺と大して変わらない所業だが、奇しくも今も何処かで闘っているアイと同じ戦法を取ったことになる。


「なるほど……俺はあいつらに騙されていたってわけか。つまり、お前が本物の『ラムダ』なんだな……」

『ああ、そうだ』

「俺のことを知っているお前なら、知っているんだろう? 俺の居るべき場所って……何処にあるんだ?」


 思惑通り。もうひと押しだ。


 彼を洗脳している悪い魔人はカイなのかもしれなかった。


『朱の国の商業都市エリアス。そこの時計屋が、お前の居るべき場所だ』

「……分かった。俺は朱の国へ帰ればいいんだな」


 彼はおぼつかない足取りでビルの出口へと続く階段の方へ向いたが、そこで懐から一枚の紙切れが落ちた。


『それは何だ』

「これは……写真だ。『ラムダ』、お前が写っている。それに、この女は、姉さん……?」


 今にもそのまま倒れてしまいそうな不安定な姿勢で写真を拾い上げ、まじまじと見つめる。


「――――姉さん」


 再びそうこぼす彼の言葉は、先よりはっきりと聞き取れる声だった。まるで今まで忘れていた大切な何かを偶然取り戻したかのような、驚きと安心と確信の入り混じった前向きな声。


『……! 待て、待つんだお前。それを見てはいけない。それは俺の写真なんだろう? ならそのまま俺に返すんだ』


 何かに気付いた『ラムダ』は若干焦りの見える声でそう彼に促すが、すでに聞く耳を持ち合わせてはいなかった。


「そうだ、そうだよ。外見がどうなろうと、中身がどう変わろうと関係ないんだよな、姉さん」


 ぶつぶつと意味不明な独り言を漏らす。


 その顔は徐々に光を取り戻していた。


「なあ、お前」

『…………』

「確かにお前は『ラムダ』かもしれない。そして俺は誰かに洗脳された哀れな一般人なのかもしれない。でもな――――」


 左手から、荒々しい朱が噴き荒れた。


「――――俺は『俺』だ」


 その瞳に眼光が宿る。獲物を狩る獣の目だ。


『……お前はまだ勘違いをしている。その写真で何かを取り戻したつもりなのだろうが、そこに写っている女は「ラムダ」の姉だ。お前のじゃない!』

「知らねえよ」

『――――!!』

「言っただろ、俺は『俺』だ。此処に写っている姉さんが俺の姉じゃなかったところで、だからどうした。俺はこの女の人が大切だ。そしてその姉が今も何処かで闘っている。だったら助けに行くしかねえだろ。会いに行くしかねえだろ。例え彼女が俺のことを知らなかったとしても、俺は『俺』の信念を貫き通す!!」

『だからその気持ちは――――』

「洗脳による偽物の気持ちだって言うんだろ? 関係ないね。『俺』はこの人に会いたい。だから会いに行く。それを邪魔するなら、『俺』がお前を燃やし尽くす」


 左手の朱がこの建物ごと呑み込まんとばかりに大きくなる。


 それはまるで巨大な龍のようだと『ラムダ』は思った。


「消え去れ」


 炎の龍は渦を巻き、一人の少年に狙いを定める。


 逃げ場の無いビルの屋上。一度放たれてしまえば最後、呑みこまれるのを待つのみ。


 それでも『ラムダ』はその顔に笑みを浮かべていた。


『ブレイク』

「!?」


 その一言を唱えたと同時に、『彼』の顔面に亀裂が走った。


 顔だけでは無い。衣服など関係無しに、全身に亀裂が走ってはボロボロと乾いた絵の具のように『ラムダ』の部分が剥がれ落ちる。


 そして中から現れたのは――――


「……っ、やっぱりお前だったのか」


 龍は消えていた。


 ラムダの左手には彼の首を狙って突き出されたカイの右手首。そこにはフォークが握られている。


 蒼の国に来る前、アイと共に食事をして強盗に遭遇したあのレストランの物だ。


「こうなるなら何処かでナイフでも調達しておくべきだったけど、まあ偶然持ち合わせていただけでも幸いだよね。いやあ、『何かに使えるかも』って取っておく変な癖があってよかった」

「……お前舐めてるだろ」

「それが大真面目なんだよ。このフォークの役目は君へダメージを与えることじゃなく、必殺の一撃とも言えるあの龍を封じることだったんだから」


 珍しく真剣な顔を見せ、正体を暴く。


 自分の、そしてラムダの魔法の正体を。


「君の固有魔法はずばり『無力化』。あの炎は単純な攻撃手段であると同時に、固有魔法を誤魔化すためのフェイク。本質はただの基礎魔法だ。この国の特色である『超魔法』を考慮に入れてもあの迫力はさすがの一言に尽きるけどね。ただ、固有魔法『無力化』には二つほど弱点がある。一つは弱点と言うには大袈裟すぎるほど些細なことなんだけど――――それは『持続性』と『対象』だ」


 カイは語り続ける。


「まず『持続性』。固有魔法『無力化』は相手の攻撃を無条件に消し去る恐るべきものだけど、それは発動後数秒で自然消滅してしまう。炎の壁に仕込んだはずの『無力化』が発動せずに僕の基礎魔法『水』で消火できてしまったみたいにね。でも正直、一瞬でも相手の攻撃を無かったことにできるなら十分すぎるほどに隙は生まれる。だから弱点と言うには大袈裟だって言ったんだけど。……そしてこっちが重要、二つ目の『対象』――――」


 カイはそこで言葉を止め、自由な方の手を軽く振る。その動きはつい最近見たものと同じ――――


「まさか!?」


 そのまさか。ラムダのすぐ後ろにまで盾の破片が迫っていた。


 一つや二つでは無い。その数ざっと見て数百。その全てがラムダ一人に集中して襲い掛かる。


「――――はあっ!!」


 咄嗟に右手から炎を噴かせ振るう。


『無力化』の炎は魔法で出来た破片を一つ残らず呑みこみ無へと帰す……はずなのに


「ぐっ、あああああああ!?」


 彼は驚きと痛みの入り混じった叫びを上げる。


 肩には消えているはずの破片が突き刺さり、そこから赤い液体が。


 炎に触れなかったのではない。炎に呑まれながらも襲い掛かってきたのだ。まるで、今その手で動きを封じている少年のように。


「二つ目であり、最大の弱点『対象』。固有魔法『無力化』が効果を発揮するのは魔法のみであり、『ただのガラス片』を消滅させることは出来ない!!」


 そう、今ラムダの肩に刺さっている破片は盾のそれではない。


 朱の国。商業都市エリアスの一角にある時計屋のショーケースの一部だった物だ。


「まさかこんな物まで『何かに使える』とは、思いもしなかったよ」


 予め大量に用意しておいた盾の一つにこのガラス片を忍ばせておく。その為の時間は十分にあった。


 ラムダが奇襲を警戒している間に、カイは着々と罠を張る準備をしていた訳だ。


 そして自身に『投影』の追加効果を与えた固有魔法『創造』を張り、『ラムダ』として彼の前に現れた。


「そして『無力化』が魔法にしか効果を発揮しないと分かれば後は簡単、魔法を使わずに攻撃を仕掛ければいい。そして一度炎の壁を生身で突破されている君としては、あの龍を引っ込めてでもそれを防ぐしかない」

「まさか、こうなることを全て見越して最初にあの壁に突っ込んだって言うのか? お前、一体どのタイミングで俺の固有魔法とその弱点を見破った」

「一番初め、炎の壁に向かって盾を投げつけた時。そしてその後僕の拳を君が両腕を使って防いだ時だよ」


 その時からすでに手の内を見抜かれ、ここまで全部ラムダはカイの掌の上で踊らされていたに過ぎないと言うこと。


 ラムダが目の前の状況に精一杯だったのに対し、カイは二手、三手先を読んでいた。


「なるほどな……感服するよ。一本取られた。だがな、ここまでだ。お前はあと一手が足りなかった。右手は掴まれたまま碌に身動きも取れない。ガラス片も致命傷までは与えられなかった。そして俺には固有魔法『無力化』がある。持続性のことだってお前自身が弱点と数えるには大袈裟だと言ったように、これだけ距離が近ければ問題無い。さっきみたいな小細工だってもう通用しない。俺の勝ちだ」


 空いた右手から『無力化』を孕んだ炎が噴き出す。これでは身体の表面に張った『回復』の膜も意味を成さないだろう。


 だが、策はまだ尽きていない。


「残念でした」


 そう言い終わる頃には、ラムダの喉元に床から生えた巨大な刺の先端が突き付けられていた。


 アイと闘った時にも決定打となったあの技を、カイは最後の最後まで隠し持っていた。


「君の炎は掌からしか出せない。だけど僕はそうじゃないんだよ。さあ、その右手の炎が僕を焼き尽くすのが先か、僕の盾が君を――――」

「残念だったな」


 そう言い終わる頃には、ラムダの首元に突き付けられたはずの刺は雲散霧消していた。


「…………」

「驚きのあまり言葉も出ない――――って顔だな。確かにお前の言う通り基礎魔法『炎』は掌からしか出せない。だが、固有魔法『無力化』もその例に洩れないなんて、誰も言ってないだろ?」

「まさか、他の基礎魔法で触れなくても無力化出来るって言うのか? 反則的過ぎる!」

「それがそうでもない。掌以外からでも出せるのは事実だが、これでも『身体から生み出された物に付与しなければならない』という制約はある。普段はそれを即座に攻撃に転じられる基礎魔法『炎』で補っているが、今回みたいに『口から排出された二酸化炭素』でも対応可能なんだよ」


 つまり、右手を掴まれた時点ですでに彼の独壇場。カイにこれを切り抜ける術は、もう何処にも無かった。


「無駄な足掻きだったな。言っただろ、『俺の勝ちだ』と」


 もはや右手の炎は必要ない。これは相手を殺す勝負では無く、あくまでも力関係を明確にするという名目での闘いだったはずだ。後はカイの口から敗北宣言をさせた上で、ミュウと合流しなければ。


 気づかない内に外は太陽が沈み、すっかり暗くなっている。もしかしたらすでに向こうは勝負が付いているかもしれない。あのお姫様がどれほどの実力の持ち主かは分からないが、出来ればミュウくらいには勝ってほしい。でなければ此処で自分がこの男に勝った意味が無い。だが、あれでミュウもすぐ本気を出して暴走してしまう質だからなあ。


 そうラムダが思っていると、カイが口を開いた。


「僕の負けだ」


 明確な敗北宣言。


 これで心置き無くアイと――――


「だから、ここから先はあの子に任せよう」


 閃光。


 莫大な量のそれが周囲の窓全てから差し込み、二人を包む。


 そしてその光が何者かの『爆破』によるものだとラムダが気づいた時には、すでに建物の倒壊は始まっていた。


「……最初からずっと謎だったんだ、なぜこんな自由度の低い場所を戦闘に選んだかって。まさか…………!!」

「あれでもアイちゃんは僕のことをひどく嫌っていてね。旅立つ時も『隙があれば何時でも殺す』なんて言われたくらいだよ。だから――――」


 呆然とするラムダの左手を解きながらカイは言葉を叩きつけた。


「――――隙を作ったんだよ」


 二人の身体が宙に浮き、建物諸共落下していく。


「君の固有魔法は崩れるビルや重力を無力化することは出来ない! 君の……いや、僕達の負けだ!! ラムダ!!」


 果たしてその言葉がラムダに届いていたのかは分からない。


 建物は轟音と共に崩れ去り、夜の街は静けさを取り戻した。

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